16,訳が分からない日
危ない目に遭わせてしまってすみません、と落ち込んでいたラーウムだが、悪いのは飛んできた蝶であるし、ラーウムがかばってくれたから私もエリーも傷一つなく済んだのだ。
だから気にする必要はない。
エリーと一緒にありがとうと感謝の言葉を伝えながら、ひょろ長い腕の大きな傷を洗ってタオルを巻き付けたら、ラーウムは泣きそうな顔で鼻をすすって頷いた。
そんな日から1週間。
ラーウムの腕に巻き付けたタオルがそろそろ用済みになるであろう頃だ。
「そうだ。エリーは学校に通ってるんスよね。何科を勉強してるんスか?」
昼飯中、ラーウムに尋ねられたが、分かる筈がない。
そもそも魔法の学校に専攻科があるというのは初耳だ。
私は勿論知っているがその位は自分で説明しなさい、という顔をしてみせながら、エリーをチラリと窺う。
ちなみにラーウムはどんどん料理のバリエーションを増やしているらしく、魚を甘く煮つけたものが今日の主菜。
副菜は香りの良い野草のサラダ。
それを一緒くたに口いっぱい詰め込んでいるエリーは、ごくりと大きく喉を動かしてから答えた。
「召喚術と、火の元素魔法術」
「おおー! 難しそうな所を選んだんスねぇ」
「1人の先生は“キミには火の才能があるから絶対学ぶべきだ”って言ったんだ。けど、もう1人の先生は“お前には火の才能なんて皆無だから才能が無くても出来る召喚術を覚えろ”って言った」
「……ええと、そうなんスか。結局どっちが……あぁいえ、何でもないッス」
ラーウムは空気を読めるようになった。どっちの先生が正しかったのかと聞こうとしていたらしいラーウムは、話題を変えようと大きく咳払いをする。
「そ、そういえば、今日で春休みが終わりッスね」
私はキノコ汁を気管に入れてむせた。
大丈夫っすか!? と、私の背をふっとば……さすろうとしてくれたラーウムを手で制し、エリーに目で確認をとる。
エリーは簡単にこくんと頷いた。
「宿題なら終わってる」
褒めてもかまわないよ、というように胸を張って、ふふんと顎を持ち上げるエリー。
お、おい、つまり私は明日、人間を食べに行かなければならないという事か!?
まさかタイムリミットがこんなに短かったとは、と頭を抱える私は小声でも何とか言った。
「そりゃ……えらい。良くやった」
「凄いッスね! 俺なんか学校は僅かな期間しか行ってませんけど、宿題なんてこなせた試しが無いっスよ」
はぁー、と大きく感嘆の息をつくラーウムに、エリーはフードの下からちらりとラーウムを見上げて尋ねた。
「ラーウムは何科だったの?」
「生物と家庭科ッスよ。仲間には良い顔されませんでしたけど」
今に生きてるので、馬鹿にされても頑張った甲斐はあったッス、とラーウムはしんみり頷いた。
エリーはふぅん、と相槌を打って、不思議そうに言った。
「人喰い鬼って、本に料理しないって書いてあったけど、オーグラーもラーウムもするんだよな」
その言葉に、ラーウムは意外そうに目を瞬かせた。
それはそうだ、今エリーは自らを人喰い鬼ではないと宣言したようなものだ。
ヤバい、日和りすぎてボロが出始めたぞ。
エリーが人間とバレれば、それと一緒にいる私も人間だと繋がってくる可能性がある。
流石に口裏合わせくらいしておくべきだったか、と冷や汗をかく私だが、大して気にした様子はなくラーウムは答えた。
「えっと、何というか、人喰い鬼の伝統ってヤツッスね。肉は生で食べるのが正式なんスよ」
「ええ? お腹壊しそう」
「あ、その辺は大丈夫なんス、ほら、クマとかが生の魚食っても下痢しないでしょ?」
そっか、とエリーは納得する。
しかしラーウムは少々不思議そうな顔を私に向けた。
「傍にアモルさんが居るのに、エリーは気づかなかったんスね。……その、アモルさんって、もしかして……」
「っ!」
びくりと肩を揺らす。
流石にばれたか、逃げる算段を整えなければ、と岩に腰かけていた尻を僅かに浮かす。
果たしてラーウムの走力は一体どの位の物なのか。
パワーがありすぎることはよく分かるが、森の中で追いかけっことなればどちらが有利なのだろう。
いやそんなもの決まっている、あの山菜採りでラーウムは山歩きも得意だという事は証明済みだ。
くそ、油断しすぎた!
おいエリー! 二手に分かれて混乱を誘うぞ!
とエリーにアイコンタクトを送るがエリーの視線は魚の煮つけに釘付けだ。
絶望する私を見ながら、ラーウムはおそるおそる言った。
「もしかして……、菜食主義なんスか?」
さりげなく尻を戻す。
斜め上の質問に、私は頷きかけたが、そうすると人間を食えないというエリーにとって芳しくない返答になると気付き、動きを止める。
あー、と適当な音を発しながら、私は答えた。
「その……野菜一筋と言うほどではないな。ただ、肉は苦手な部類だ」
ラーウムはぱっと顔を綻ばせる。
「だからアモルさん、俺を怒らなかったんスね!」
「うん、まぁ、その、……食の好みというのは色々だからな」
「ですよね! あ、そうだ、大丈夫っすよ、エリー。俺はエリー食べません。エリーとは、美味しい魚と山菜を食べます」
エリーに向けて、真摯に頷いてみせるラーウム。
しかしエリーは食われる心配は何故かしていなかったらしく、うん、と1度頷いただけで魚にかぶりつき続けていた。
けれど、その口元は美味しいものを食べている時の嬉しそうな形ではない。
うつむきがちなフードの中を覗き込むと、エリーは緑の瞳を不安に染めていた。
あの落っこちた日以降、時々出てくるその顔。
今日は一段とその色が濃い。
……どうしたエリー、やっぱり喰われるのが心配なのか?
それとも私が肉を苦手と知って、ちゃんとクラスメイトを食えるかどうか危惧しているのか?
もぐもぐと、まるで作業のように魚を食べ終えたエリーは、魚の油と煮汁でベトベトの手を私に伸ばす。
あぁ、ちり紙か、とポケットに手を突っ込んだが、エリーの手はそのまま私の薄汚れたシャツを掴んだ。
「! こらエリー、お前、私のシャツが――」
「ラーウム」
私は叱るのも忘れ目を丸くした。
ラーウムも元々零れ落ちそうなでっかい目を更に見開いた。
エリーが、空いた片手で、フードを取っ払ったからだ。
黒い布きれの向こうから、赤色が現れる。
日の光のさしこむこの場所で、エリーの赤いクルクル頭は、鮮やかに輝いた。
こんがらがった爆発頭も、日があたると綺麗に見えるものだと感心する。
私の頭に日があたったところでテカテカするだけだと言うのに羨ましい。
フードに覆われていた影が消えたことで、眩しそうに細められた緑色の瞳が、ラーウムに向けられた。
エリーは、たどたどしく、声をひっくり返しながら、ひどく緊張した様子で言った。
「あ、アタシは、アタシの名前は……――ルボ」
「う、わ、ぁああああ!!!!!」
エリーの自己紹介を遮って、ラーウムが絶叫した。
これまでラーウムは小声でお喋りをしていたのかと思うほどの、森中に響き渡るような物凄く大きな叫び声だった。
慌てて耳を抑えた私は、ラーウムに文句を言う。
「おいラーウム、お前うるさ――」
「かっ、カザイの……魔女!!」
ラーウムはエリーを指差して、河原に尻もちをついた。
腰が抜けたらしい。
何故か、その顔は恐怖に染まっていた。
かざいの魔女?
なんだそれは、とエリーの周囲を見回すが、そんな魔女っぽい奴は何処にもいない。
幻覚でも見たのか、とラーウムを見直すが、ラーウムはガチガチと歯を震わせて、いや、歯だけではなく頭の天辺からつま先までブルブル震わせて、言葉にならない音の羅列を口から漏らしていた。
「……お、おい、ラーウム、お前一体どうしたんだ」
人間の肉を一定期間食べないでいると発狂するとか?
いや、だからと言って私は自分を食わせる気はないぞ。
しっかりしろラーウム、と1歩近づくと、私のシャツを掴んでいたエリーもつられて1歩進んだ。
ソレを見て、ラーウムはひぃ! と情けなく怯え、まるで悪魔に微笑まれたかのような、真っ青な顔をした。
今までにない反応に私が戸惑っていると、エリーがフードをかぶり直して、私のシャツをくいっと引いた。
「……オーグラー、かえろう」
「え? いや、その前にラーウムを――」
「アタシが居なくなれば戻る」
エリーが、機械のような平坦な声で言った。
エリーが居なくなれば恐がらなくなるというのか? 何故? どういう事だ?
疑問ばかりが頭の中に浮かぶが、ラーウムの視線がエリーに釘づけで縮みあがっている姿を見れば、ラーウムがエリーを恐れているのは分かった。
何故なのかはまるで分らない。
エリーは自己紹介程度で人を爆破させるような子供ではないぞ。
今にも気を失いそうなラーウムの肩に、私は手を伸ばした。
「ラーウム、お前、何をそんなに怖がって――」
ラーウムの肩に私の手が触れた瞬間、それが何かの契機になったらしい。
腰を抜かして動けずにいた筈のラーウムは、ハッとした様子で私達から飛びのく。
それからそのまま勢いを殺さず川に駆けこんで、あっという間に対岸へ渡り、びしょぬれで森の中へと走って行ってしまった。




