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13,想いを隠した日





ラーウムの所で食事を終え、ボロ屋に帰宅した私達は、興味津々にうねるツタ達の前で歯を磨く。


エリーの下手くそな歯磨きチェックをして、磨き残しを仕上げている途中でエリーがモゴモゴ舌を動かした。

くすぐったいなら手を上げる筈なので、これは何かを話したいのだろう。


「なんだ、緊急の用事じゃなければ、今喋るんじゃない」

「ふぁー」


はいの返事か、えー? の不満声か、果たしてどちらかは分からないが、幸いにもすぐ仕上げ作業は終わった。


コップの水を口に含んで、べっと土の上に吐き出してから、エリーは言った。


「あのさ、オーグラー」

「なんだ?」


今度は身体を拭くぞ、逃げるなよ、と布きれを絞りながらエリーを見る。

エリーは拭かれたく無さそうにジリジリ家の中へ後退していきながら、ボソボソと小さな声で喋った。


「……その、アンタはさ……アタシの、ことを……」

「うん?」

「…………」


黙ってしまった。


睨みつけたわけでもないし、喋るなと言ったわけでもないし、怒ったわけでもない。

なのに口をつぐんでしまった。


足元に視線を落とし、どこか怯えたように口を閉じるエリー。

一体どうしたと言うのだろう。


私は布をパンと叩いて広げながら、片眉をあげた。


「何だエリー。しおらしくしても、体を拭くのはやめないぞ」


エリーは頬を膨らませてむくれた。


女の子の考えることは分からないが、女の子はキレイにしてなきゃならんだろう。


私がジリジリ前進して迫ると、エリーは家の中に飛び込んで、狭い家の中の逃走経路を目で確認。

エリーがすばしっこい野生児であるというのは昨日散々学んだので、私はエリーの斜め後ろの一点を指差し、目を見開いて叫んだ。


「あああ!!」

「!?」


ぱっと、エリーは自分の斜め後ろを振り返った。

素直で可愛いお子ちゃまである、うむ。


その隙を逃さずに私はエリーの胴体をがばりと抱えこんで、ブカブカ黒服をぬがし、泥のついた長靴を引っこ抜き、袖の汚れたシャツをひんむき、膝小僧に穴の開いたズボンをすっぽ抜き、オムツのようなごわごわパンツを掴んでほん投げた。


我ながら上達っぷりが素晴らしい。

誰にも自慢できないが。


エリーの胴体を抱えたままごしごし拭うと、エリーはじたばたと手足を滅茶苦茶に動かして暴れた。


「くそー! ぶひゃっ! このっ! だましやふひょわっ!」

「人聞きの悪い。部屋の隅に芋虫が転がっていたのを見つけてビックリしただけだ」

「ちくしょー! 明日の目玉焼きに入れてやる! 細かく刻んでふりかけてや――っぎゃはははは!!」


捕まえるのには成功したが、涙目でがむしゃらに暴れるエリーのかかとが私の顎にヒットした。

どこを拭こうが爆笑するエリーだが、脇腹と足の裏はめっぽう弱いらしく、その時ばかりは攻撃の当たり所に的確さが増す。


ぜえぜえ犬のように喘ぎつつ、何とかエリーの体を拭き終え、ジンジンとした痛みを発する顎をさすりながら私は言った。


「割れたぞ、どうしてくれる」


髪も拭かれてより一層ボサボサ頭になっているエリーは鼻白んで、少々気まずそうに唇を尖らせた。


「……あのくらいで割れる訳ないだろ?」

「あのくらいだと? 星がとんだのにか? あんまりだ。まったく、いつまでこんな生活をしなきゃならんのだ」


早い所風呂をくれラーウム、と思いながらブチブチと恨みがましさが滲む言葉を呟く。


するとエリーは一瞬、……ほんの一瞬、緑色の瞳を心細げに揺らした。


もしや泣くのかまずいぞ待て待て本気で怒ったわけじゃない、と身を引いた時には、何故かエリーは憤怒の表情で叫んだ。


「ッうるさい!! 黙れ!」


さっきまで笑い転げていたくせに、一瞬で怒るとはどういうことか。

泣いたカラスがもう笑うとはよく言ったもの――――いや笑ってない、滅茶苦茶怒っている。


目を吊り上げ、歯をむき出し、鼻に皺を寄せ、私に吠えてばかりだった近所の土佐犬みたいな顔。


何故だ? と、呆ける。

私の眼前で噴火直前の火山のような危険極まりない空気を纏ったエリーに気圧され、思わず一歩下がった。

そんな私を見て、仁王像すら参りましたと頭を下げそうな怒りを集約した顔になったエリーが、がなりたてた。


「ふざけるなよ! そもそもアタシは、体を拭けなんて、頼んでない!」

「あ、あぁ、そりゃそうだが――」

「アタシが頼んだのは、クラスの連中を食べろって事、それだけだ! 余計な事をすんな!」

「…………」


それはそうだ、その通りだ。

だけどエリー、お前、何をそんなに怒っているんだ?


女の子はこういうものか? 

男には分からない、揺るぎない、確固たる大事な何かに、私が触れたのか? 


――淑子、エリーは一体何に怒っているんだ? 

それに、見間違えでなければ、さっきエリーは怒る前に――……。


言葉を発せずに立ち尽くす私の前で、歯をギリギリ鳴らしたエリーは、私をきつく一睨みして勢いよく背を向けた。

さっきまでの和やかな空気は掻き消えている。


私に見えるのは赤い爆発頭だけ。

エリーの表情はうかがえない。

けれど絶対に、その顔に笑みは浮かんでいないのは分かる。

 

あの不細工顔は怒りに歪んで……いいや、もしかしたら。

もしかしたら、あの震えた緑の瞳は――。


何か言おうと手を伸ばすが、何と声をかけていいか分からず、その手は所在無さげに彷徨って、結局私の横に降りる。


そして私の前でエリーは――――――……パンツを履いた。


おもむろに。


今の今まで怒りと張りつめた空気に呑まれて重要視していなかったが、エリーはすっぽんぽんなのだ。

当たり前である。

何とも決まらない、シュールな絵面だ。


エリーも思ったらしく、パンツ一丁でフグのようにムッスーっと頬を膨らませているのは、後ろからでも分かった。

が、流石に爆笑は憚られる。


噴出さないように頑張って深刻な顔を装うが、堪えきれず幽かに肩を震わせる私に、エリーはひどく面白くなさそうにジロリとした視線を寄越す。


ついさっきまでの怒りの権化みたいな空気はどこかに散っていた。

明るくなったり張りつめたり戻ったりとせわしない。


私はふっと体の力を抜いて、エリーの前に回ってゆっくりと膝をつく。

何だよ、とエリーは相変わらずのフグ顔でボソボソ言った。


私はポリポリと頭髪の隙間を掻いて、口の端っこを持ち上げる。


「……悪かったな、エリー」


そうだ、肩の力を抜いて考えれば簡単だ。

エリーが怒るのは当たり前だ、全身を擽られるのに抵抗しただけなのに、おじさんにネチネチ嫌味を言われているんだから。

そうだ、それに怒ったんだ。


――きっと、瞳が揺らいで見えたのは気のせいだ。

何しろ私の老眼鏡は汚れていて、細かい所が良く見えない。


私はエリーのクルクル頭の上にぽんと片手を乗せて、苦笑した。


「ほんの冗談なんだ。既に私には尻が割れる呪いが掛かっているから、顎には呪いが掛からん」


絡み合っていて、拭いたのにまだ少々埃っぽい髪の毛をくしゃくしゃ弄りまわすと、小さなエリーの頭がぐらぐら揺れた。

エリーは私をチラリと上目使いに見て、小さく言った。


「……オーグラー」

「なんだ?」


エリーは、年寄りが入れ歯の位置を調整している時のような、モゴモゴとした口の動きを見せる。

外に出たがる言葉を、乾いた唇が何とか抑え込もうとしているみたいだった。


見つめていれば、緑の瞳に不安の色が乗って、私の機嫌を伺うかのように小さく瞬く。

言葉が出てくるのを少しの嫌な予感と共に待ちながら、手のひらの下の小さな頭を、くしゃりと撫でた。


すると、……小さく。

本当に小さく、口が開いた。


「あんたは、――――ア、タシを、嫌いに、なったら、」


途切れ途切れに、ようやっと紡がれていく言葉は、か細く揺れている。


偉そうに堂々と喋るエリーはどこかに隠れ、縮こまった小さなエリーが、私の薄汚れたシャツを、まるで引き留めるかのように掴んだ。


さっき見たのと同じように、緑の瞳が、心細そうにふるえた。


「……どっかに、行っちゃう?」


――――嗚呼、と私は目を見開く。


その言葉と、見上げる瞳に、私の胸はぎゅうと絞られた。


けれど、――――けれど、これは知らんぷりをしなきゃならない。

気づかなかったことにしなければならない。


でなければ、私は。 

エリー、私は――。


お前を嫌いになろうが好きであろうが、いつか、近いうち、元いた世界に帰るんだ。


私は、人を喰らう生物がいる世界は好かない。

意味不明の危険な動植物がいる世界は好かない。

バンパイアにも会いたくないし、人喰い鬼の友達だって欲しくない。

人間だって、食べたくない。


それに。

淑子の墓が、ここにはないのだ。


仕事が辛くても、寂しくても、私は、淑子と過ごしたあの世界に、帰るのだ。


私はエリーのモジャモジャ頭から手をそっと放して、無理やり微笑んだ。


「馬鹿を言うなエリー、お前が私の顎を蹴り上げた程度で、私はお前を嫌いになりはしない」


エリーは数回瞬きをした後、八重歯を見せてひひっと照れくさそうに、むず痒そうに笑った。


……そうだ、正解だ。


今ここで正直に告白すれば、私は燃やされてしまうかもしれないのだから。


「明日は、自分でやれるもん!」


自分で脇腹をこすっても、流石に爆笑はしないのだろう。

エリーは元の偉そうな顔に戻って、腰に手を当て、自信を持って宣言した。


「……ほう、そりゃ、お手並み拝見」


私は笑ってみせた。


果たしてその笑いは、これまで罵声と唾を飛ばすメタボ上司に向けたものと、一体どんな相違があるのか、私にはまるで分からなかった。





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