普通のショウネン
保育園ではごく普通の園児だったと思う。
新聞のチラシを細く丸めて、フェンシングの剣の様に作りチャンバラごっこ。
給食のデザートに出てくる色んな形のチーズを見ると大好きな車の形が自分に当たると喜ぶ。
ガキ大将でも無ければ、人気者でもない、普通な園児だったと思う。
変わり始めたのは小学校に入学してからだった。
作文や発表会の時になると緊張が高まり、
みんなの前で発表する時には、恥ずかしさが最高潮に達し泣いてしまう。
「どうしたの? 泣かないでちゃんと発表しようね。」
と担任の先生は優しく言うが、
自分でもコントロールできず、周りの友達も不思議な顔をして僕を見つめるせいで尚更泣いてしまう。
(何で泣くんだ? 恥ずかしいの? 僕は恥ずかしいことを言ってるの? どうやったら泣かずに読めるの?)
僕は小さいながらも自問自答した。
解決策は無かった。
通知表にもこの事は毎回書かれ、ちょっとしたトラウマになった。
小学校に通う間、このトラウマとはずっと消えなかった。
そしてもう一つ。
僕は両親がいない事の不憫さを小学生になってから初めて感じた。
学校が休みの次の日には、学校で友達同士が休みの日に何をしていたかの話をする。
どこの学校でも見るよくある光景だが、僕はその時間が好きじゃなかった。
「昨日ねぇ、家族で〇〇市まで買い物に行ったんだぁ♪♪」
「俺はジィちゃんバァちゃん家に遊びに行ったよ!」
「私は〇〇にご飯を食べに行ったの♪」
みんなは父親、母親と一緒に車で遠くに出掛けていた。
僕の祖父母は車も持っていなければ、免許すら持っていない。
遠出するのは電車かバスしか手段がないし、
70を過ぎた祖父母に電車とバスだけの遠出は体力的ににもキツい。
おまけに祖父は仕事の休みがほぼ無い為、家族3人で出掛ける機会も一年に数回。
行きたい場所を祖父母に伝えても、どこにあるのかわからないなんてこともしょっちゅう。
僕はみんなが遊びに行く所、買い物に行くデパート、美味しいレストランには滅多に行けなかった。
行った事のないお店もいっぱいあった。
だから自分の知らないお店の話題が出ると、いつも頭の中で見た事の無い店を想像する。
どんな建物で何が売っていて…
もちろん実際に見る事も無く想像だけで終わってしまうお店が何軒もあった。
それでも小学生なりに現実を把握して、我慢できた。
(僕には祖父母しかいない、車で遠くへ出掛けることは出来ない。
でもただそれだけだ!)って。
授業参観も好きではなかった。
好きな人なんていないだろうけど、僕の場合は意味が違った。
普通の家庭では父親か母親が小綺麗な格好で、教室の後ろからわが子の勉強具合いをジロジロと心配そうに見ているだろうが、僕の場合はその存在が祖父だった。
白髪頭のシワだらけのおじいちゃんがニコニコしながら見ている。
親同士の会話には入らず、ただ僕の方だけを見ている。
当時の僕にはその存在が恥ずかしく、劣等感すら覚えた。
今になって見れば尊敬に値する行動なのに。
自転車で家からわざわざ小学校まで出向き、
ちゃんと僕の勉強する姿を見てくれた。
授業参観だけではなく、入学式、卒業式もちゃんと最後まで居てくれた。
僕の為にちゃんと親としての役割を全うしてくれた。
でも当時の僕には恥ずかしさと劣等感以外の感情はなかった。
ゴメンね、ジィちゃん。
それ以外は普通の小学生だった。
休み時間には友達とグラウンドでサッカーをして、学校が終われば近所の公園で靴飛ばし、一丁前にクラスで一番人気の美貴ちゃんに恋もした。
そしてこの美貴ちゃんが僕の人生の未解決ファイルの一つを作る事になる。