社会人デビュー
電車の中で前にも味わった事のある感覚を思い出す。
推薦入学によって僕は受験勉強をロクにせずにすんなりと高校入学を果たした。
この年から公立高校の普通科の推薦が始まった事で推薦入学を狙う中学生が増え、倍率はどの高校も難関だった。
僕は頭が悪い方で、担任の先生からも無理だと言われていたがダメ元で挑戦。
まさかの合格で、棚から牡丹餅状態。
おかげさまで残りの中学生活ものんびりできた。
緑のブレザーにグレーのスラックス、エンジ色のネクタイは学ランの中学生からしたらとてもオシャレな気がした。
カバンも自由な物を使えるのが嬉しい。
何より、自分の町ではなく少し離れた市にある学校へ電車で通うという新鮮さ。
僕には中学入学以来の期待と不安の中、電車から外の景色を眺める。
高校でも楽しい日々を過ごせると思っていた。
あの精神的苦痛はまだ治ってはいなかった。
高校に入ってからも、あの教室の雰囲気には慣れず具合いが悪くなる。
せっかく環境が変わって心機一転と思っていたのに、ここは変わらない。
放課後には部活の勧誘で慌ただしい。
顧問の所へ情報が入ったのだろう。
陸上部顧問から直々にスカウトも来た。
僕はサッカー部に入る事を決めていた為、やんわりと拒否をした。
そんな日々も長くは続かなかった。
入学して2週間が経つ頃、僕の症状は悪化していた。
学校へ行くのも嫌になり、週1でしか通わなかった。
あの教室の空間が耐えられずにいた僕にとってまだ見知らぬ人と一緒にいる事が症状の悪化に葉っぱをかけた。
甘やかして育てた祖父母は、無理に学校に行かせる事はしなかった。
僕の体調を心配しての事だろう、『学校行かないの?』とは聞いてくるがそれ以上余計な事は言わなかった。
担任と祖父、僕の3人で話した結果、自主退学ではなく1ヵ月の休学というカタチにしてもらい、1ヵ月後に今後の結論を出すという事になった。
休学期間に登校したのは2、3日でしかなかったが、やはりあの空間は慣れず僕の居場所は学校にはなかった。
1ヵ月後、僕は学校を辞めた。
今の状態ではまともに授業なんて受けれないと判断し、自主退学の道を選んだ。
祖父母がなけなしの貯金で入れてくれた学校を1ヵ月というスピード退学で辞める事の申し訳なさ、高校卒業という1つの学歴を失う事のハンデを背負ってこれからの道を考えなければいけない。
最後まで自主退学を反対していたのは叔母と従姉妹だった。
自主退学という事後報告を受けた2人はカンカンに怒り、延々と僕にお説教。
あの時から僕にとって2人は怖い存在としか思えなかった。
『爺婆が入れてくれた学校を辞めてどうするの!?』
『アンタには爺婆に大きな借りが出来た!
何とかして恩返ししなさい!』
『高校辞めてフラフラするくらいなら仕事しなさい! その給料で高校入学に費やした費用を爺婆に返しなさい!!』
全ての言葉が痛かった。怒り口調でガンガン言われて、自分自身が完全否定されてるかのようにさえ思えた。
僕は声をあげて泣いた。
爺婆の期待を裏切った自分、それを引き起こした自分の精神的苦痛になる自分が嫌になった。
僕が普通の道のりを踏み外したこの時から、僕自身の心はまた大きく変わる。
1ヵ月後、気持ちも楽になり落ち着いた所で僕は町中にある個人営業のスーパーでバイトする事にした。
時給は750円。これが僕自身の評価の値段。
15歳の仕事自体未経験の僕には妥当な評価。
このスーパーで、僕の社会人としての基盤と歪んだ恋愛感情が作られる。
社会人デビューはカッコいいモノでは無かった。
青果部でレタスやキャベツ、白菜なんかを包装フィルムとかラップで包んで値札を貼る。
ひたすらそれの繰り返し。
朝8時~夕方5時まで野菜を切って、ラップ巻いて値札貼って出す。
ちょっとしたライン作業。
周りは30代~60代のオジサン、オバサンばかり。
話なんて全然合わない。
色んな話されても僕にはチンプンカンプン。
それでも毎日同じ作業を繰り返し続け、黙々とこなす。
唯一の救いは僕の配属された青果部のリーダーが僕を孫の様に可愛がってくれた事だった。
出勤した日には必ず僕にお小遣いで500円をくれる。
僕はその500円を使わずに家に帰って貯金箱に入れる。
あっという間に貯金箱は満杯。
何を買うわけでもないので、また次の貯金箱に貯め始める。
リーダーの可愛いがりはそれだけではない。
会う人会う人に孫みたいだって言いまくってる。
まんざら僕も悪い気はしない。
いつしか僕はリーダーと同じ時間に出勤する事になる。
僕に仕事を覚えさせ、自分のポストを譲りたいのだろう。
仕事をドンドン教えてくれる。若い僕はドンドン吸収し覚えていく。
リーダーは一ヶ月休み無しで働く。休憩もロクに取らない。
忙しい時は僕も巻き添え。若さもあり体力に自信はあったがさすがに堪えた。
その時にリーダーの仕事ぶりを尊敬した。
入社して3ヶ月が経つ頃、店の従業員とも仲良くなり仕事も覚えて楽になってきた矢先の人事異動。
僕は系列店の鮮魚センターに飛ばされた。