甘い果実
「ちょっとっ、どこ触ってるんですか?!‥‥そこは本当に‥‥やめろってーー‥‥‥」
青傑高校の寮で断末魔がキンキン響く。安心してもらいたいのは、女性が襲われている訳ではないということだ。では誰がこのように不埒に聞こえる悲鳴を上げているのか、寮生の中で唯一の男といえば鳴神遠矢である。
彼の事の顛末を息抜き程度に聞いてもらいたい。
「ふぅ‥‥‥今日は本当に密度が濃かったなアリス、お互い風呂にも入った訳だし、ロビーに降りてみないか?良いだろ?」
「うん、そうしよっか」
遠矢は黒のジャージを、アリスはフリルの付いた可愛らしい寝間着を着用してA階のロビーに足を運ぶ。
ロビーは食堂とは反対側に位置しているので今まで訪れたことは無かった。寮が一つの棟になっているので空間的には大きいものだろうことは食堂から察することが出来るが、雰囲気などは行ってみなければ分からない。
自動ドアが開いてロビーが露わとなる。全体的に木調の家具や床のフローリングで揃えられていて暖かい印象を受けた。照明の明るさも一般的な白く光るタイプではなく、オレンジに近い色合いを発していた。
寮の存在がホームなものなのだと感じさせた。校内のカフェテリアが似たようなデザインだが、どうしても余所行きな風になってしまう。
横長のソファーが多数あり、その中の一つに二人は腰を沈めた。
すると、コロコロと滑車の付いた無機質なロボットが近寄ってきた。ロボット言ってもアンドロイドを思わせるような人型ではなく、ホテルの給仕が食事などを運ぶあれに近いものだ。
「何かご用件はございますか?」
機械音声であることは違いないが、自然な女性の声でロボットが尋ねる。
遠矢はこのロボットがロビーの担当をしているのだと理解した。
「コーヒーをくれるかい?ブラックで良いから」
「私もコーヒー!でも砂糖とミルクたっぷり入れてね」
「かしこまりました」
注文を受けたロボットはガラス扉の中へ一旦消えていった。
「とーや、あの声どこかで聞いたことない?」
「確かに聞き覚えがあるな‥‥‥どこで聞いたんだろうか」
機械の音声は基本的に管理しているエーアイソフトによるものだから、逆を返せばここで使用されているエーアイソフトは別の場所で使われているということだ。
「アリス、もしかして青傑戦の時の声じゃないか‥‥‥多分そうだと思う」
「あっそうだね!でも私は今日あの声を科目選択の説明会の時に入り口にあったやつで聞いた気がするんだけど‥‥気のせいかな?」
「いや、俺はその時聞いていなかったが、予想だが学校全体の管理システムを担っているのは全部同じものなのだろう。だとすれば辻褄が合うんじゃないか」
「なるほどっ、流石とーやだね」
アリスの賞賛の声を含み笑いで返して談笑を続けた。
「とーや、テレビを見ない?折角、独り占め出来るんだし」
アリスは壁掛け型のフィルムテレビを指差して遠矢に提案して来る。
「ああ‥‥‥でもリモコンは無いのか。いや、無くても大丈夫か」
「どして?」
「こういうことだ。‥‥テレビを点けてくれないか」
遠矢がそう言うと本当にテレビが点いて、ニュースキャスターが現れた。
「そっかあ、AIか!」
「その通り」
アリスには今まで執事が付いていたものだから疎かったが、最近のAIは部屋のすべてを把握しコントロールすることは容易いのだ。
アリスにはとても新鮮に感じられたのであろう。AIに様々なことを命令して点けたり消したりを楽しんでいた。
最初の方は遠矢も微笑ましく眺めていたが、『良いムードにして』と言って、照明を変えさせたりするものだから、遠矢は一喝しておいた。
そこからは大人しくなり真面目にテレビを見始めた。しかし、数分もしないうちにそのリラックス空間は消え失せることになった。
先輩達がロビーに降りてきたからである。十人ほどがゾロゾロと。勿論のこと、全員が女生徒である。
濡れた髪が可愛らしい寝間着に掛かり、普段とは違う色香を皆が纏っている。この中に、鈴と茜は見えなかったので、まだ部屋にいるのだろう。
一人の長い髪をタオルで纏めた生徒が遠矢を見てニヤリとする。それに続くように数人、そしてすべての視線が遠矢へと向けられる。
リーダー的な人なのだろうか、ボーイッシュな茜ほどの身長の生徒が遠矢の方へ進み出てきて声を掛けた。
「雨宮さんと鳴神くんやろ、うちは寮長の毎熊紗千。以後よろしく」
関西弁だろうか、訛りを包み隠さず挨拶に用いてくる。関西弁はポピュラーだから恥ずかしがるものでもないだろうし。
「よろしくお願いします」
二人は丁寧に頭を下げた。寮長なんていたのかと今になって思ったが。
「それにしても、普通はそちらさんから挨拶に来るのが筋とちゃいます?」
「失礼しました、気を付けます」
「分かればええんや」
毎熊はそう言いながら、遠矢に急接近して胸部を撫でてくる。
「鳴神くん?」
「はあ‥‥何でしょう?」
「案外ええ顔しとるやないか、皆もそう思うよな」
「「うん!」」
「ありがとうございます」
遠矢は目の前のふしだらな女性をどう扱うか困惑していた。狩人である熊はその困惑を見逃さない。
両腕を遠矢の首に回して胸に胸を押し付けてきた。
「私のとーやになに‥‥‥ごもごも‥‥」
すぐさま反応したアリスが毎熊を引き離そうとするが、他の先輩によって阻まれて弄ばれ、悶絶している。
「どういうつもりなんです?毎熊さん」
「何や嬉しくないんか?こんな女の子が密着してるんやで」
「いい加減にしないと、力づくで引き剥がしますよ」
「ええやんちょっとくらい。唯一の男子生徒なんやで」
毎熊がそう言うと、数名の先輩が遠矢の手足を体を押し付けながら束縛してきた。
色んなシャンプーの匂いや女性の香りに酔ってしまいそうになっていると、ソファーに押し倒された。
「新入生には教育が必要やな」
毎熊一味は台詞を言った後、遠矢の肉体を触りながら柔らかい女性の部分を見せつけてきた。
そして冒頭に繋がる訳である。
耐え切れなくなった遠矢は振り解いて、体勢を逆転させた。遠矢が毎熊を押し倒しているようにも見える。
毎熊は一言
「鳴神くんのえっち、でも君にならええよ」
ウィスパーヴォイスで囁いた。
そこから10分程の記憶は遠矢にはない。だが、何か大切なものを失った気がした。
いや、記憶を失ったというより無理やり記憶から消去したのかもしれない。自尊心を著しく傷付けられるものだろうことは記憶が無いにしても予想がつく。
ハッと目覚めるとソファーに遠矢とアリスだけが寝そべっていただけで毎熊らは既に姿を消していた。甚だ自由人である。
アリスは涎を垂らしながら寝ていたので自分よりは酷い目に遭ってないだろうと安心した。それからアリスを揺すって起こし再びソファーに深く埋もれた。
一段落付いた頃、鈴達もロビーに入ってきた。遠矢から生気が抜けているのを見て二人共動揺したが、毎熊寮長の名を出すと『ああ』と苦み走った顔をしたので二人にも手を出していたのだろう。
「なんだー、私以外の全員犯罪心理学専攻するんだあ。私もそうすれば‥‥‥でも座学嫌いなんだよね」
茜は肩を落としながら独り言のように話す。
ジャージであってもピンク色であるからやはり茜は女の子らしい。
「まあ茜が一緒にいないというのは寂しいが、人には向き不向きがあるし‥‥結局自分にあったものを選ぶことが一番賢いと俺は思うぞ」
「そーだよ、茜。茜には茜しか出来ないことがあるんだから」
「それに、クラスは同じなんですから。元気出してください茜ちゃん」
皆、茜に思う所は同じである。問題の中には捉え方次第で見え方が一変するものもある。今回は良い例だった。
「ありがとうみんな!クヨクヨしてても仕方ないよね、やっぱり持つべきものは友達だわ」
茜が妙に青春じみたことを言うものだから三人は互いに視線を重ねて肩を竦めた。
遠矢はコーヒーが冷めてしまったので、鈴と茜の飲み物を注文するついでに替えを頼むことにした。
テレビの近くのソファーに四人は席を移して、鑑賞しながら他愛も無いことを談笑していると、頼んだドリンクが運ばれてきたので暫くはそれを啜っていた。
女性の割合が多いために、民主主義お得意の多数決制によって恋愛ドラマを見ることになったのだが、三人がチラチラと遠矢を窺い見てくるものだから気まずいったらしようがなかった。
『あなたの過去なんて僕には関係ないんです!あなたが辛いなら僕が全部受け止めてあげます、僕はあなたに特別なことは何一つ求めません。だってあなたといる時‥‥‥僕はこれ以上無いほど幸せなんです』
『俊くん‥‥‥‥でも私』
主人公らしい女性が決心をつけられず悩んでいるところを、男性が熱い抱擁で一緒になろうと言っている。
お決まりのパターンだと思うのだが、三人とも涙を流しながら二人の行く末を見守っていた。
二人が夜の街中で熱い接吻をしようかというとき
『ピコンピコンピコンピコン』
情熱的なシーンを単調なリズムで遮る。
「もーう、なんなの?!空気読めないなー」
アリスは頬を膨らましてお怒りのご様子だ。
どうやら何らかの緊急性のあるニュースが後に控えているらしい。
『皆さん、こんばんわ。本来ならこのままドラマを放送する予定ですが、緊急速報です』
「こんばんわじゃないし」
茜がブーイングを起こした。
「茜ちゃん、静かに!」
「分かったわよ」
鈴が茜を小声で牽制する。
『自らを選ばれた人間だと名乗る通称:顔無のテロリスト集団がただ今テロ行為を実行したという声明文が届きました。繰り返します――――――――――』
『顔無はユダヤ教の選民思想を元に、この世界において我々こそがこの国を導くべき存在であることを宣言する。そこで愚民らに我々の正当性を訴えるために既に二人の生け贄を神に捧げた。生け贄を捧げたのだ。愚かな警察にヒントを与えるがその死体には首から上がない。繰り返そう、首から上がない』
『そして、まだこの儀礼は終わっていない。我々がこれを完遂するのを妨げられるものはこの世には存在しない。我々は選ばれた人間だからである』
放送が終わった後、鈴と茜が首を傾げている中、遠矢とアリスの二人は針で心臓をプツリとやられたような顔をしていた。
事件の闇は予想以上に深かった。




