シャルロット・カリヨンの思い出・上
―1―
「いやー、これは快適な旅になりそうじゃないか」
カリヨンは船室の窓枠に手をかけ、外を流れる海景色を楽しんでいる。
「カリヨン、こういった船旅ものんびりできていいじゃないか」
カリヨンは外の景色を見ながら、いつの間に用意したのか、手に持っているアダンの葉を一口囓っていた。
「カリヨン、カリヨン、あまりアダンの葉を囓っていると船酔いするぞ」
私の言葉にカリヨンは可愛らしくちょびちょびと囓っていたアダンの葉を吐き出しそうになっていた。
「ごほん、ごほん。ウィル、どうだい? 今日は天気も良い、散歩がてらデッキに出て、他の乗客に挨拶でもしようじゃないか」
船窓から外を覗いていたカリヨンが、とても素晴らしいことを思いついたといった笑顔でこちらへと振り返る。
「カリヨン、他の乗客に挨拶なんて、君らしくないじゃないか。どういった気持ちの変化だい?」
私の言葉にカリヨンは肩を竦めるだけだった。このカリヨンのことだ、船室に閉じ込められて、代わり映えのしない景色を見続けることに飽きたのだろう。
カリヨンは動きやすい白のドレスの上に黒のカーディガンを羽織り、日よけ帽をかぶる。歩行補助を兼ねた魔法杖を手に持ち、こちらを見る。
「他の乗客に挨拶をするのは淑女のたしなみだろう?」
楽しそうな、皮肉を込めたカリヨンのその言葉に私はため息が出てしまう。
「カリヨン、今度は何を企んでいるんだい?」
「ウィル、こんな、豪華な客船に、私たちを途中から乗せてくれたんだよ。挨拶するのは当然だろう?」
ただ、カリヨンは微笑むだけだ。これが普通の友人ならば、その言葉に納得しただろう。しかし、彼女は、あのカリヨンなのだ。
私は、ただ、何事も起こらないように、と祈ることしか出来なかった。
今や日の昇る勢いと言われる新興国のグレイシアを出発し、わずか60日ほどで、神聖国へと向かう快速外洋豪華客船グロリアス・セシリア号。神聖国との友好を記念して、その神聖国の女王から名前を譲り受けた世界最速の客船である。海に住む魔獣をものともせず、今までの何倍もの速度で神聖国とグレイシアを行き来する夢のような船だ。
今まであった通常の船とは違い、船内ではなく、甲板の上に3階建ての建物をのせているのが特徴だ。これは海洋国家であるホーシアと友好関係にあるグレイシアが、その国の居住船を参考にしたと聞いている。甲板に作られた建物は1階層が船員施設に、2階層が客室と遊戯室、食堂、3階層は客室のみとなっている。屋上には艦長が操る操舵室が、船内部分は全て機関室になっているとのことだ。
ちなみに私たちの部屋は3階の3号室になっている。通常は一人一部屋なのだが、無理を言って乗せてもらった関係上、私とカリヨンの二人で一部屋を使っている。そう、私たちは無理を言って乗せてもらっているのだ。
このグロリアス・セシリア号は、本来、私たちでも乗るのが難しい船なのだ。
私たちは、帝国領内にあるホーシア(そう先ほどのべた、そのホーシアだ)という海洋国家にまつわる事件に巻き込まれ、その解決の報酬もかねて、ちょうどホーシアで補給を行っていた、このグロリアス・セシリア号に乗せてもらうことになったのだった。
私たちは途中乗船のため、未だ、他の乗客に挨拶を行っていない。乗っているのは上流階級の人間ばかりであろうから(それが貴族位を持っていたとしても)ただの治癒術士でしかない私では挨拶に向かうのに、かなりの勇気が必要なのだ。しかし、この豪華客船に乗せてもらっている以上、このまま挨拶無しというわけにもいかず――私は困っていた。
カリヨンは、そんな私の考えなど気にせず、この豪華客船を我が物顔で歩いて行く。
「見たかね、ウィル。木材中心の船かと思えば、真銀を使っているぞ。確か、グレイシアには真銀の鉱山があったと聞いたが、何、贅沢なものじゃないか」
カリヨンは何やら船の壁を叩き、材質の確認なども行っている。甲板を歩いている人の姿は見えない。上流階級に位置する人間ばかりだろうから、客室か、食堂室か、遊戯室などくらいにしか行かないのだろう。船員の姿が見えないのは、この新型船の特徴である、船内部分にある機関室が仕事の中心だから、だろうか。
「まずは1号室と2号室から順番に見て回ろうじゃないか」
カリヨンは1号室へと向かう。その時の私は、カリヨンが挨拶ではなく、見てと言った意味を理解していなかった。
1号室についたカリヨンは何も言わずに、扉に手をかけ、そして、意外そうに少しだけ首を傾げ、その客室の扉を開け放つ。
「おいおい、カリヨン、それは失礼ではないかね」
しかし、カリヨンは私の言葉には耳を傾けず、そのまま客室の中へと入る。
「大丈夫だ。見たまえ、ウィル。この部屋は使われていない」
確かに、カリヨンの言葉通り、その部屋には誰もいなかった。部屋の使用感もない。最初から無人の部屋だったのだろう。カリヨンはそんな1号室を我が物顔で中へと進み、そして、その姿が消えた。
「カリヨン、カリヨン! カリヨン、何処へ!?」
見れば、客室の床が外れ、穴が開いている。カリヨンはらしくない不注意で、この床を踏み抜いてしまったのだろうか。私がずかずかと客室に入り込もうとしたカリヨンを止めていれば、なんとかなったかもしれないのに、なんてことだ。
「おいおい、ウィル、あまり騒がしく叫ぶものじゃあないぜ」
穴の下からカリヨンの声が聞こえたかと思うと、カリヨンはすぐに現れた。
「やれやれ、私がフライの魔法を使えなかったら死んでいたかもしれないな」
魔法用の杖を持ちふわふわと浮かぶカリヨンが楽しそうな顔でそんなことを言っていた。
「カリヨン、無事だったのか。これは酷い。すぐにでも操舵室の船長に苦情を言わなければ……」
「待ちたまえ」
すぐにでも操舵室へ向かおうとしていた私をカリヨンが止める。
「ウィル、君の、その直情的なところは好ましい長所でもあるのだが、今は不要だ。よく考えても見たまえ。この客室は使われていなかった。その理由だよ」
カリヨンは穴を飛び越え、客室に用意されていたベッドや机などを調べている。
「カリヨン、どういうことだい? 私にも分かる言葉で言ってくれよ」
私の言葉にカリヨンは少しだけ調べ物の手を止め、こちらへと振り返る。
「部屋に問題があったから無人の部屋だったのさ。例えば、床に穴が開いているなんてね」
床に穴が開いていたから使われていなかった?
「それなら、穴に落ちたのは君が悪いじゃないか」
「確かにね」
「しかし、君らしくもない」
カリヨンという女は洞察力に優れ、小さな事から全てを見抜いてしまうような、そんな女だ。その彼女が不注意から穴に落ちるだろうか? そう、らしくないのだ。
「それは言い訳のしようもないね。真銀素材の床に穴が見えないように隠されているのだから、確認もしたくは……見たまえ」
カリヨンが話の途中で私を呼ぶ。
「カリヨン、どうしたんだい?」
カリヨンは客室のベッド下から何かを見つけたようだ。
「小さな鍵のように思うが」
カリヨンが持っているのは宝石箱にでも使うような小さな鍵だ。
「これは君が持っておきたまえ」
カリヨンは小さな鍵を私に渡す。
「おいおい、これは窃盗になるんじゃないのか?」
「誰もいない、使われていないはずの部屋なんだぜ? ふむ。それなら、それは後で船長に届けるとしようじゃないか」
カリヨンはそのまま客室の外へと出る。
「何をしているんだい、ウィル。早く、挨拶のために次の部屋へと向かおうじゃないか」
―2―
カリヨンは2号室を素通りし、そのまま私たちの部屋である3号室の前を抜け、4号室へと向かう。
「2号室は良かったのかい?」
「無人の見る価値もない部屋だろうからね」
カリヨンはそれだけ言うと肩を竦める。
そして4号室。カリヨンは客室の扉の前にたち、中の人を呼ぶため、ノッカーに手をかける。そして、そこで少し首を傾げた。
「カリヨン、どうしたんだい?」
「ウィル、人の気配がない」
「なんだい、この部屋も無人の部屋だったのかい?」
カリヨンはこちらへと振り返り、楽しそうにニヤリと笑う。
「いいや、違うね。そして、部屋の中には誰かいないとおかしいはずだ。そう、無人ではおかしいのだよ」
楽しそうな表情のカリヨンに私は嫌な予感がしていた。
カリヨンがノックをせずに4号室の扉を開ける。
その中には……、
中には見知らぬ男性の死体があった。
中年から壮年とみられる男性は頭から血を流し、顔だけを上に向けて、うつ伏せに倒れている。その表情は驚いたまま止まっており、自身に何が起こったのか理解出来なかったと思わせる。
「やれやれ、殺してそのままとは。死体がアンデッド化していれば、大変なことになったと思わないかね」
カリヨンは部屋の中へと入っていく。
「ウィル、ディテクトエレメンタルの魔法を使ってもらってもいいかい?」
カリヨンは死体に近寄り、その状態を確認している。私はカリヨンに言われたとおり、ディテクトエレメンタルの呪文を唱え、確認する。
「少し火属性が乱れているように見えるよ」
「この死体はファイアニードルの魔法で作られたようだ」
カリヨンは楽しそうな表情のまま肩を竦めている。
「犯人は魔法使いのクラス持ちだというのかい?」
「おっと、ウィル、動かないでくれよ」
カリヨンはゆっくりと客室の入口側へと歩き、そして、しゃがみ込む。しゃがんだと思えば私に手を伸ばしていた。
「計る物を」
私はやれやれ、そういうことか、と懐からメジャーを取り出し、カリヨンに手渡す。カリヨンは私からメジャーを受け取ると、すぐに客室の床の何かを計り始めた。
「二つ、いや、三つか?」
カリヨンが立ち上がる。
「どうやら、快適で楽しい船旅になりそうじゃないか」
カリヨンが獲物を狙う鷹のように瞳を鋭くする。
「どうするんだい?」
「ウィル、何を言っているんだい。常識人の君らしくもない。ここは常識人らしく、まずは操舵室にいる船長に報告をすべきじゃないかね」
カリヨンがこちらを見てニヤリと笑っている。
そうだ。死体を見て動揺していたのかもしれない。
まずは、この船――グロリアス・セシリア号の船長に殺人事件が起きたことを伝えなければ……。
こうしてカリヨンと私のグロリアス・セシリア号における、酷くやるせない、そんな殺人事件が始まった。
2021年5月16日修正
なんんとかなったかもしれない → なんとかなったかもしれない