深淵エピローグ
真紅妃を握った手に肉を貫いた嫌な感触が残る。葉月の背中からは真紅妃の先端が覗いており、相手に致命の一撃を与えたことを教えてくれる。
終わった。
俺は、知り合いを、知った顔を――殺した。
その瞬間だった。
世界が灰色に染まり動きを止める。
何だ? 何が起こっている?
俺の体が動かない。瞬きひとつ動かすことすら出来ない。世界が止まり、俺の意識だけが浮いているような、そんなイメージだ。
そして、そんな灰色に染まった世界の中、目の前の葉月の背後から、一人の少女が顔を覗かせる。この世のものとは思えない、作り物めいた容姿の少女。
その少女が俺を見て笑う。俺の心の奥底から恐怖を感じさせる表情で、楽しそうに笑う。
そして、少女は口を開いた。
「おお、セラよ。死んでしまうとは何事だ」
……?
こいつは、何を言っているんだ?
「こういう展開だと、さっき出会ったときと同じことを繰り返しているみたいだよね。早い再会、お疲れ様です。おっとー、心配しなくても大丈夫だよ。今回、私は手を出さないから」
さっき出会った? 俺が、何時、何処で、こんな少女と? この容姿だ、何処かで出会っていれば忘れるはずがない。
「私は、ちょっと説明に来ただけだから。私ってば、親切さんだからねー、こういうフォローが出来るんだよー」
少女は可愛らしく微笑む。俺には、それが、ただただ、恐ろしい。
「まず、隕石って言ってたアレね。アレ、宇宙人だったんだよ。いや、あのジジイは上位存在とか言っていたかな。あのジジイってコレね」
少女の隣に、一瞬にして、黒い液体として溶けたはずのフミチョーフ・コンスタンタンが現れる。爛れていたはずの皮膚は元に戻っている。
「おおっと。思わず再生しちゃったぜ」
何をしたんだ? この少女は何をしたんだ?
「話を戻すよ。その宇宙人がね、宇宙を旅しているときに、ひとつの惑星にぶつかってしまったんだって。前方不注意だよねー。しかも、よく見れば知性体も居たようだ。これは悪いことをしたって思ったみたいなんだよね。まぁ、その宇宙人は人とは思想も考え方も、何から違うから、本当のことは分からないけどね。で、その宇宙人、惑星を元に戻すときに、ぶつかったときに一番近くに居た知性体を参考にして、その記憶から再生させたみたいなんだよね」
少女が身動きの取れない俺の顔をのぞき込む。
「分かるよね。その惑星って言うのが、この星。そして、その参考にした知性体というのが、ここにいる、葉月せらだよ」
宇宙人? 上位存在?
「このジジイの受け売りじゃないけどね、遺伝情報とか、そういうのを参考にして再生したみたいだけどさ、その宇宙人、迂闊なことに、葉月せらの意識も参考にして再生したみたいなんだよ」
嫌な予感がする。
「宇宙人様には人の識ってのが分からなかったんだろうねぇ。葉月せらは、この世界が憎らしくて、常々、自分の思い通りにしたいと思っていたんだよ。そして、宇宙人様は、そうした、自由に出来るのが元の世界だと勘違いした。いや、勘違いしたのかも分からないけどね」
少女は笑う。邪悪に微笑む。
「普通の一個人が、いや、普通だった一般人が、神としか思えない、何でも自由に出来る力を手に入れたら、どうなるかな? 思うままに、その力を使っちゃうよね? いやー、私もね、長く生きて反省することも多いんだよ。このときは若かったなって、ね。深い苦悩ってヤツだね」
言葉と裏腹に少女の顔は苦悩に歪んでいるようなことはなかった。そこにあるのは愉悦、優越感だけだった。
「この後も色々あったんだよ。聞き分けのない人を導く為に色々と力を見せたり、調整したりねー。まぁ、私も若かったから、自分の力で、世界を作り替える楽しさに夢中になってね、ゲームのような、私が夢見た、剣と魔法の世界に無理矢理作り替えようとしたからさ、反発が凄い、凄い」
目の前の少女は手を後ろに組み、楽しそうに頭を揺らす。
「で、その還らざる時の果てにさ、モブらしくゴミのように捨てた存在が生きていて再会出来るとは思わなかったからね。ちょっと感動したんだよ」
少女は、わざとらしく悲しそうな表情を作る。
「と、解説も終わったから私は元の場所に戻るね。『先輩』は、そこで同じ時、同じ場所をくるくると、ぐるぐると回っていればいいよ。これも私の慈悲だよねー」
その言葉とともに少女は消えた。
そして、世界に色が戻る。
俺の目の前には驚きの表情のまま真紅妃に貫かれた葉月――元のままだ。今のは何だったんだ? 夢か?
でも、これで終わったんだよな。
俺は周囲を見回す。しかし、黒い液体は消えていなかった。黒い液体はうねり、周囲を飲み込んでいる。
な? なんだと!?
見れば、真紅妃で貫いたはずの葉月が黒い液体と化し溶け始めていた。馬鹿な!?
葉月は完全に黒い液体と化し消える。そして、黒い球体の隣に葉月の姿が生まれていた。
「あー、びっくりした」
無傷の葉月は驚いた顔のまま、胸の部分を――俺が真紅妃で貫いたはずの部分をさすっている。
「先輩は人殺しだねー。容赦なく顔見知りを殺すとか、サイコパスだよねー」
葉月が笑う。
「何故、生きている!」
「私は神、神になったんだよ? この世界の核を殺すことが出来るとでも思ったの? 私が死ぬときは、この世界がなくなるときだよ」
葉月が笑う。
「先輩にはお返しをしないとね。私を驚かせたんだもの、それはとびっきりのお返しをしないとね」
俺の体に黒い液体が絡みつく。
「私が作る、私が今考えている新しい世界で、勇者の経験値になる雑魚になってもらおうかなー」
液体が俺の体を這い上がってくる。
「お前は、お前は、何を……」
「それにここに来た人たち。ここまで来るくらいだから優秀なんだよね? この人たちも変えてしまおう。私の邪魔をした罰だよね。何度も何度も、死んでも生き返って殺される、そんな存在がいいなぁ。先輩、何か良い案があるかな?」
「お前は何を言っている!」
黒い液体が俺の首元まで這い上がってくる。
「まだまだ、上手く出来ないからね。私が自分の力を上手く使いこなせるようになるまで、そこで眠っているといいよ」
黒い液体が俺の顔を、体を全て覆う。
そして、俺は黒い闇に包まれ視界を奪われる。
やがて、闇は俺の意識をも奪っていった。
俺は眠る。
俺は闇の繭に包まれ眠る。