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むいむいたん  作者: 無為無策の雪ノ葉
11 深淵攻略
878/999

11-1  ただ、そこに至る戦いを

―1―


 愛しの6畳間の我が家へと帰り、買ってきた晩ご飯とショートケーキを小さな2ドアの冷蔵庫に押し込む。さあ、まずはゲームだな。これが一日の楽しみだぜ。

 TVの電源を入れ、ゲーム機のスイッチを押す。さあて、遊ぶか。


 コズミックホラーなアクションRPGを起動し、地底に潜る。日課、日課。地道な作業が大切なんだよなぁ。


 ある程度ゲームを遊んでいると置いていた携帯のアラームが鳴った。もう、そんな時間か。俺はゲームを一旦中断し、冷蔵庫からコンビニ弁当を取り出す。さあ、遅すぎるくらいに遅い晩ご飯の開始だぜ。


 チャンネルを変え、ちゃぶ台の上に乗った、レンジで温めたばかりのコンビニ弁当を食べながら、俺はテレビ番組を見る。テレビでは、どのチャンネルも特別ニュースをやっていた。こんな翌日に変わろうかという瀬戸際の深夜で特番とかさ、何があったんだ?


 どのニュースも――湾の様子を映しているようだ。


「――湾に落ちた隕石ですが、その影響はなく……」

「津波や地震が起きないのは……」

「それよりもですね、隕石の存在を気付かなかった政府が……」


 何だ?


 隕石?


 ――湾に隕石が落ちた? 何の冗談だ?


 そういえば、後輩の葉月が男漁りのために、そこへ遊びに行くって言ってたよな? あいつ、俺が明日には誕生日を迎えて魔法使いになるってのに、それを馬鹿にしながら遊びに行きやがったからなぁ。ホント、死ねばいいのに。って、そうじゃなくて、あいつ、大丈夫なのか? なんだか、不思議な事に、この隕石落下による被害は出ていないみたいだけどさ、うーむ。


 ニュースの場面が変わる。


 どうも、この番組では――湾に突撃リポートをするようだ。警察? 自衛隊? たちがロープを張り、警戒をしている中、こっそりとそれを乗り越えようとしている。

「ちょっと、ちょっと、今は厳重警戒中です。どんな未知の細菌があるか分からないって話ですから、安全が確保されるまで立ち入り禁止です」

 と、そこで、すぐに警備していた人に見つかり注意される。

「何言ってるの。未知の細菌なんて、そんなSFじゃあるまいし、そんなことで騙されないよ」

「だから、ダメですってば」

 リポーターは警備の人を振り切ろうとして、押し返されている。

「いや、ちょっと話を聞くだけですからー」

「ダメダメ、報道をしたいなら、許可を取ってからにしてくれ」

「何を隠しているんですか、あ!」

 そこで映像が乱れる。突然、視界が倒れ込み、ガチャガチャと酷い音が聞こえる。何だ、何だ? 地面に押さえ込まれたのか?


「おい、報道の自由があるんだぞ。それに、この機材を壊して見ろ、弁償させるからな!」

 カメラに映っていないが、リポーターの騒ぎ立てる声が聞こえる。いるよなぁ、こういう変な使命感のあるリポーター。こういうのってさ、その局のイメージが悪くなるだけだと思うんだけどなぁ。って、これ、生放送なのか?

「どうしました? 何か騒ぎですか?」

 と、そこで、誰か、別の、声だけが入ってきた。誰だ? 女……の子の声? 随分と若いように聞こえるな。

「あ、不味いですよ。水無月さん、マスコミのヤツらです」

 と、そこで一瞬だけカメラの映像が上を向き、誰かを捉えた。しかし、すぐに映像は真っ黒に変わってしまった。TV画面には少々お待ちくださいとだけ表示されている。今、さっき映っていたのは、巫女服の少女だったよな? 一瞬だったけど、そう見えたぞ。何で、巫女さんが……コスプレか?


 何だ? 何で、巫女さんのコスプレした子が、締め切られた中の方から出てくるんだ?



 と、そこで映像がスタジオに切り替わった。何だったんだ? テレビ番組はスタジオに戻った後、よく分からない訳知り顔のコメンテーターたちがあーでもない、こーでもないと喧嘩を始めていた。俺的には巫女服を着たコスプレ少女が気になるな。自衛隊のお偉いさんの娘さんが遊びに来ていて、その子の趣味がコスプレだったとか、そんな感じだろうか。お偉いさんの娘だから、いち早く見学に入れて貰えたとか? うーん。ないな。


 と、そろそろ明日になるな。


 ケーキ、ケーキ。


 誕生日を祝わないとな。


 ハッピーバースデー、俺。おめでとう、俺。


 ついに魔法使い到達だ。は、は、はは、ははは。


 乾いた笑いしかでねぇ。


 ケーキを食べたら風呂に入って寝るか。


 そうやって、俺は布団にくるまりながら、一人寂しい誕生日をさめざめと泣きながら迎えたのだった。迎えたのだったッ! はぁ、哀しいなぁ。


 すやすや。


 ドンドン。


 すやすや。


 ドンドン。


 俺が眠りにつき、しばらくしたくらいだろうか、何かがぶつかる大きな音がする。何だ? まだ出勤時間じゃないだろ? 目覚ましも鳴ってないし……。


 ドンドン。


 何かを叩く音は途切れなく続く。


 ドンドン。


 あー、うるせーッ!


 布団を撥ね除け、起きる。どうやら、誰かが俺の部屋の玄関のドアを叩いているようだ。チャイムも押さずにドアを叩くとか、押し売りか? それとも新聞の勧誘か? いやいや、今更、この時代に? しかも、まだ日が昇っていないような、こんな時間に?


 俺は音を立てないように玄関のドアへと近づき、覗き窓から外を見る。しかし、見える範囲には誰も居ない。何だ? イタズラか?


 ドンドン。


 またドアを叩く音がする。音は足下からしているようだ。は? 覗き窓から見えないように隠れて、ドアの下側を叩いているのか? いよいよもってイタズラか?


 どうする、どうする?


 無視するか? なんだか、怖いよな。ホラーだよな。あー、でも、こんなドンドン叩かれた中、眠れるか? 布団にくるまって小さくなるか?


 ドンドン。


 今度は俺の背後で音が鳴る。


 俺は振り返る。


 そこには、もちろん誰も居ない。いつもの俺の6畳間だ。


 ドンドン。


 もしかして、ベランダ窓、か? カーテンで見えないけど、ベランダに何か居るのか?


 ドンドン。


 俺は恐る恐るベランダ窓に近寄りカーテンを少しだけ開ける。


 そこには……。


 ドンドン。


 ベランダ窓を必死に叩く見知らぬおっさんが居た。な、なんだ、このおっさん。泥棒か? 俺の6畳間を侵略に来たのか!? 渡さねぇ、渡さねぇぜッ!


 じゃなくて、警察だ、警察。


 おっさんに襲われているんですーって通報だ。


 俺は通報しようとして、携帯電話を取り、そこで、表示が圏外になっていることに気付いた。


 へ? 何でだ?




―2―


 とりあえず警察を呼ぶことは出来なくなった。


 どうする、どうする?


 俺は慌ててカーテンを閉め、考える。いや、ホント、これ、どうするんだよ。何で、俺の部屋のベランダにおっさんがいるんだよ。


 ドンドン。


 いやいや、どう見ても普通のおっさんだったよな? 何で、おっさんが俺の部屋を襲撃しているんだ? 俺の家に金目の物なんて何もないし、襲うメリットなんて、何もないよな? 無いよな? しかもここ、2階だぜ? 状況についていけないぜ。さあ、どうしよう。


 俺が考え込んでいる内にドンドンと叩く音は消え、静かになった。へ? 帰った?


 俺はゆっくりとカーテンを捲り、外を見る。だ、誰もいない……。


 何だったんだ?


 俺は部屋の中央、ちゃぶ台の前に戻り、座り込む。さあ、どうしよう。警察に通報も出来ないし、というかだね、怖くて、この部屋から出る気になれないんだが。せめて日が昇って明るくなってからだよなぁ。今日も仕事だし、このまま寝不足で仕事に行くのも、と言っても、これから眠るのも、なぁ。むむむ。


 困った。


 本当に困った。


 俺がそのまま布団にくるまり丸くなっていると、携帯電話のアラームが鳴った。は、はぇ? あ、ああ、朝か。カーテンの隙間からは朝日がのぞいている。外は静かなものだ。布団に包まって考え込んでいる間に朝になってしまったのか。いつの間にか眠っていたか。昨日、いや、今日か、の出来事は何だったんだろうな。まぁ、考えても仕方ない事は考えないに限る。


 とりあえず仕事に行く準備をしないとな。


 買っておいた卵を割りフライパンに落とす。焼く。そのまま塩こしょうを振り、皿の上に乗せる。後は豆乳に青汁粉末を入れて完成だな。お手軽朝ご飯。と、ご飯を食べたらシャワーでも浴びて……ふあぁぁ、眠いなぁ。


 着替え、仕事に行く準備を終える。


 さあ、行くか。


 と、そこで俺は一応、覗き窓から外を見てみる。な、何もないな? 誰もいないな?


 開けるぞ、開けるぞ。さあ、開けるぞ。


 恐る恐る、チェーンをつけたままのドアを少しだけ開け、外を覗く。良し、誰も居ないな。何も無いな。ホント、何だったんだ? 

 俺は改めてチェーンを外し、外に出る。外は静かなままだ。うん、静か……だよな? へ、おかしく無いか?


 う、うーむ。


 とりあえず考え込んで遅刻しても仕方ない。駅に向かうか。


 誰にも出くわさない静かな町並みを駅に向けて歩いて行く。えーっと、おかしいなぁ。こんな静かなはずがないだろう? それに車も走ってない。いやいや、確実におかしいよな。何がどうなったんだ?


 誰も居ない町を、駅を目指して歩く。いやいや、これ異常事態だろ? 何だ、ホント、何が起こってるんだ? 1日でこんな変わるなんてあり得るのか?


「おい、あんた、外を歩いて大丈夫なのか?」

 と、そこで声がかけられた。あー、ちゃんと人がいるじゃん。良かった、俺の錯覚だったんだな。

 声をかけてきたのはアパートの窓から顔を覗かせたおっさんだった。知らないおっさんだな。にしても、どういうことだ?


「何かあったんですか?」

 とりあえず聞いてみる。それしかないよな。

「あんた、知らないのかよ。TVのニュースでも、それに朝からずっと自衛隊の人たちが車でまわって注意喚起をしていただろう?」

 何のことだ? 俺、知らないぞ。というか、出歩くと不味い事があるから、外に人が居なかったのか。いや、でもさぁ、そんな注意喚起をしたくらいで歩く人がいなくなるか? 俺みたいに気づかなかった人や、無視する人が居ても良さそうなもんだけどなぁ。


「すいません、寝てたみたいで気付かなかったようです」

 俺がこう、反応に遅れたのも出社が遅い会社ならではだろうか。今更だけどさ、朝飯を食べているときにニュースでも見れば良かったなぁ。つまり、何らかの事件が起きてるってことだろ? 合法的に会社が休めるじゃん。今日は仕事を休んで1日中ゲームをしていられたのに、何てことだ。

「で、何があったんです?」

 猛獣でも逃げ出したか、テロリストの集団でも現れたか。

「いや、それは、あんた……まぁ、家帰ってニュースでも見てくれよ」

 そのまま、おっさんは窓を閉めて閉じこもってしまった。えーっと、あのー、そりゃあ、ないんじゃないですかねぇ。都会の人は冷たいってんですよー、酷いんですよー。


 にしても、何か異常な事が起きているようだなぁ。えーっと、そうなると仕事どころじゃないよな? な? な? よし、帰ろう。携帯電話も圏外のままだからなぁ。これはしょうがない。


 来た道を帰る。まぁ、一応、駅まで歩いて運行しているかだけでもさ、確認してもよかったんだけどさ。この状況で動いているとは思えないしな。というか、だ。車が通ってないってすげぇよなぁ。どんな魔法だよ。


 と、そんな事を考えながら歩いていると、向こうから装甲車が走ってきた。へ? 車? しかも装甲車? こんな場所を走って良い車じゃないだろ。車が走ってないって思った側からこれかよ。


 装甲車は俺の前で止まる。そして、中からガスマスクをつけた人が降りてくる。

「君、何で、外を歩いているんだね! 朝の放送は聞かなかったのか!」

 あ、すいません、聞いてませんでした。というかだね、俺はガスマスクをしていても普通に喋れるんだってことに驚いているよ。ガスマスクなんて使う事も見る事も無いからなぁ。てっきり喋るとか出来ないモノだと思っていたよ。こう、こーほー、こーほーしか言えない的なさー。

「あ、すいません。聞いてませんでした。それで、今、家に戻るところなんですが、何があったんですか?」

「いや、たいしたことじゃないんだが……」

 たいしたことが無い割には大事になっている気がするなぁ。


 と、その時だった。


 何か、棒状の金属の塊が飛んできてガスマスクの人の頭を打った。ガスマスクの人の首が曲がり、うっと小さな悲鳴を上げて倒れ込んだ。


 へ?


 お、おい。


 今、ヤバイ方向に曲がったよな?


 何が起きたんだ?




―3―


 おいおい、この人、死んじゃったんじゃないか? 落ちているのは――バールのようなモノだ。何で、こんな大工作業で使うような釘抜きが飛んでくるんだよ。ホームセンターにでも行かないと見掛けないような、そんな日常では見掛けない代物だぞ。にしても、これが、俺の方に飛んできていたら……死んでたな。って、そうだよッ!


 俺は驚き、金属の棒が飛んできた方向を見る。そこでは、これから会社にでも行きそうなスーツ姿の女の人がいた。えーっと、何が起こってるんだ?

「こいつらが悪いのよ! 私はただ会社に行こうとしただけ、それだけなのにぃぃぃぃ!」

 スーツ姿の女性は髪を振り乱しながら、こちらへと歩いてくる。えーっと、ちょっと怖いんですけど……。


 と、そこでパスンパスンと空気が抜けるような音が横から聞こえ、こちらへと迫ってきていたスーツ姿の女性が倒れた。俺が、恐る恐る横を見れば、いつの間に装甲車から降りたのか、妙に先端の長い拳銃を持ったガスマスクの人がいた。えーっと、銃で撃った? というか、拳銃だと!?

「いや、あの、その」

 俺は何か言おうとするが言葉にならない。

「大丈夫ですか? 良ければお住まいまで送りますが……」

 こちらのガスマスクの人は女性か? 装甲車の助手席にでも居たのか? というか、だ、装甲車に助手席とかあるのか? 分からないなぁ。っと、そうじゃなくて、だ。

「あのー、倒れている人、大丈夫ですか?」

「そうね、それは……え?」

 突然、ガスマスクの女性が耳元に手をやり、何事かを呟く。

「はい、分かりました。そちらに向かいます。こちらでも、ええ、負傷者一名です」

 そこで、ガスマスクの女性がこちらを向く。

「すみません、お住まいまで送る事が出来なくなりました。必ず指示がありますので、不便とは思いますが、それまでお住まいから出ないようにお願いします」

 いや、あの……、これはどういうことだ?


 ガスマスクの女性が手を振り上げる。それに合わせて、他のガスマスクの人たちが負傷し倒れたガスマスクの人とスーツ姿の女性を回収していく。えーっと、ホント、何が起きているんだ。


「早く戻ってください」

 ガスマスクの人たちを乗せて装甲車は進んでいく。


 俺は一人取り残された。いや、あのー、何なんだよ、ホント、何が起きたんだ?


 まぁ、家に帰るか。帰ってニュースとやらを見てみよう。


 その後は何事も起こらず、アパートに辿り着く。まぁ、当たり前か。鍵を使って扉を開け、部屋に入る。そして、そのまま着替え、テレビをつける。


 テレビではどのチャンネルも同じニュースをやっている。暴動が起きている為、外出しないでくださいと繰り返し表示されるだけだ。暴動が起きているって何だよ、意味がわかんねぇよ。

 相変わらず携帯電話は圏外だから、外とやり取りが出来ないし、こんな状況で家に引き籠もれ? それこそ暴動が起きるんじゃないか?


 とりあえず冷蔵庫を確認する。中には……とりあえず2、3日は持ちそうなほどの食材が眠っている。うーむ、買いだめしておいて良かったな。で、どうしよう。


 暴動が起きて携帯電話が圏外になっている割には電力は来ているし、水も出るし、テレビも映る、と。あー、でもガスはヤバイか。卓上IHなんて持ってないからなぁ。ガスが使えなくなったら火も使えなくなるし、そうなったらヤバいなぁ。それまでに、この状況から回復するといいけどさ。

 まぁ、大人しくゲームでもして、時間を潰すか。夢の引き籠もりライフだな。


 さあ、電源を入れてゲームの世界に……と、そこで部屋の電気が落ちた。は、はぁ? これから遊ぼうって時によー、空気を読んで欲しいぜ。


 すぐにカーテンを開け、陽の明かりを取り込む。にしても、ここでまさかの停電? 電気も来なくなったのか? 


 ……。


 う、嘘だろ?


 どうすんだよ、これ?


 とりあえず電気が復旧するまで待つか。


 そして、俺は、日が落ちそうな夕暮れ時まで待ち続けた。しかし、電気はつかない。えーっと、お腹が空いてきたんですが……。


 俺は、とりあえず冷蔵庫を開ける。


 ……イヤな臭いがする。あー、そうか、電気がきていないから冷蔵庫も冷えなくなっているのか。これ、生卵とかは終わったな。とりあえず豆乳だけ飲んでおくか。


 ごくごく、ごくごくっと。ぬるくなった豆乳をお腹の中に入れる。はぁ、お腹が空いたなぁ。何処か、外食に行くか? いや、でも、こんな停電した状況で、なぁ。


 その後もしばらく空腹に耐えながら待つが、それでも電力は回復しなかった。そして日が落ちた。

 俺はランタンとしても活用できるLEDライトを部屋の中央に置き、電力の回復を待つ。あー、これ、今日中の回復は無理かなぁ。


 やる事もないし、寝るか。あーあー、せっかく合法的に休めたのに、ゲームも出来ないなんて1日を無駄にした気分だなぁ。


 LEDライトをベッドそばに置き、電源を落とす。そのまま布団にくるまり目を閉じていると、今日もどんどんと何かを叩く音が聞こえてきた。俺は慌てて飛び起きる。


 どんどん。


 今日もかよッ! 何なんだ、一体ッ!


 布団を跳ね飛ばし、起き上がる。場所は、ベランダ窓の方か?


 どんどん。


 そして、ドンドンという音がガンガンという音に変わる。何なんだよッ!


 ベッドのそばに置いたLEDライトの電源を入れ、小さな明かりを灯す。そのまま灯りをもったままカーテンを開ける。


 すると、そこにはスパナを持ったおっさんがいた。


 は?


 へ?


 おっさんがスパナをベランダ窓に叩き付けている。お、おい、止めろよ!


 ガンガン。


 そして、ベランダ窓が割れた。




―4―


 おっさんのスパナによってベランダ窓が割れる。そして、窓を無理矢理こじ開け、おっさんが部屋の中へと入ってくる。何なんだよ、このおっさんはッ!


「おい!」

 俺はおっさんに叫ぶ。ふざけるなよ、ふざけんなよッ!


 俺の叫び声を聞いたからか、おっさんの足が止まる。LEDライトに照らし出された、おっさんの顔は……普通のおっさんだ。何処にでも居るような普通の人がスパナを持って、俺の部屋に侵入している。

「何のつもりだ?」

 俺の言葉に反応したのか、おっさんがスパナを無造作に振り回し始めた。ちょ、お前、テレビとかゲーム機とか、壊れたら洒落にならんだろうがッ!


「いつも、いつも、ふざけんなよぉぉぉぉ! 遅くまでよぉっ! うるさくしやがってっ!」

 おっさんが叫ぶ。


 へ?


 まさか?


 いやいや、そうだとしても。

「器物破損だぞ。弁償しろ」

 と思うのだ。それに不法侵入だろうがッ!


「うるせぇ、うるせぇ。お前が悪いんだろうがっ! お前がっ!」

 おっさんは顔を真っ赤にして叫んでいる。俺の手元はLEDライトの明かりだけで、何だ、この状況……。

「俺が何をしたか言って貰えませんかねー。どんな理由であれ、ここまでのことをする理由にはならないと思うんですけどねー」

 俺の言葉を聞いたおっさんは、お前がっ、お前がっ、と言葉を詰まらせながらスパナを握りしめていた。

「俺がうるさくしていた、とでも言うんですか? 夜は明かりが漏れないように遮光カーテンを閉めてますし、音がうるさくないようにヘッドフォンをしてゲームをしてますし、余所に迷惑をかける事はしてないと思うんですが」

 そうなんだよな。俺は凄い気を遣っているのだッ!


「うるせぇ、うるせぇ。何時までも遅くまで起きてやがってっ! お前の生活音だけでこっちは眠れねぇんだっ!」

 へ? いやいや、まぁ、確かに遅くまでゲームをしているけどさ。確かに生活音は起きている以上、出るけどさ。それまで消すのは無理だけどさ、でもさ、そんなの、耳を澄まさないと聞こえないような音だぞ。それで、こんな乗り込まれるとか、おかしいだろッ!


「いやいや、あんた、どの部屋の人ですか。俺はそんな大きな音を立ててないはずですよ」

 そんなことでスパナを持って乗り込まれるとか、異常だろ。


「うるせぇ、うるせぇ。お前が悪いんだ」

 そう言うが早いか、おっさんはスパナを持って俺に殴りかかってきた。って、おい、障害事件だぞ。どうする、どうする?


 ……。


 振りかぶったおっさんのスパナの動きがゆっくりに見える。何だ? どういう状況だ? スローモーションで、何で、こんな?


 俺の体が自然に動いていた。


 おっさんのスパナを躱し、そのまま一回転し、回し蹴りを放つ。おっさんが、うっと呻き崩れる。俺は、それを横目に、転がるようにベランダへと出る。ベランダに置いてあったサンダルを掴み、そして、そのままベランダの格子に手をかけ、飛び降りる。


 あ。


 ここ、2階だった。思わず流れで飛び降りてしまった。


 俺は膝を曲げ、衝撃を吸収するように着地する。おー、痛くない。何というか、軽業師みたいな、カッコイイ着地だ。俺って、こんなにも運動神経が良かったかなぁ。とりあえず手に持っているサンダルを履こう。


 と、それどころじゃないッ!


 どうする、どうする?


 とりあえず警察か? 交番か?


 ……。


 あー、しまったッ! 俺、寝間着じゃん。財布も着替えも、あのおっさんが居る俺の部屋ん中じゃん。持っているのがLEDライトだけとか……。でも、部屋に戻るのは、なぁ。


 とりあえず交番に行って、それからだな。交番で警察の人に事情を話して、一緒に部屋へ来て貰おう。そうしよう。


 暗闇の中、LEDライトの明かりを頼りに交番へと走る。サンダルだけはあって良かったよ。素足だったら洒落にならなかったな。


 その途中、ガンガンという音とバチバチと何かの火花が散っているのが見えた。俺は慌ててLEDライトの明かりを消す。

 火花の明かりのみの薄暗い中、目をこらしてみると、若者2人が金属バットで自動販売機を叩いているのが見えた。えーっと、俺のご近所さんは何時から修羅の国になったんだろうか。


「おい、今、明かりがなかったか?」

「敵か? いや、でも、まずはお宝ゲットしようぜ」

 若者は金属バットで自動販売機を叩き続ける。真面目に、この若者たちは何がしたいんだ? それに、何で、誰もいないんだ? 普通、通報とかするだろ? って、そうか、今、携帯電話は圏外で、さらに停電中だもんなぁ。こういったことをする輩も出てくるか。


 俺は若者たちに絡まれないように注意して、隠れながら、交番へと走る。


 いやぁ、停電中だからか、本当に真っ暗だなぁ。


 と、突然、真っ赤な火花が燃え上がった。空にも届かんという勢いだ。へ? 明るくて助かるけど、何が起きた? 火事か?


 不安に思いながらも走り続ける。交番へと走り続ける。


 何故か、燃え上がっている炎と交番の方向が一緒だった。


 そして、辿り着いた先、交番が燃えていた。俺の嫌な予感、予想通りに交番が燃えていた。な、何が起きているんだ。


 燃えている交番の回りには人がいる。若者も老人も、男性も女性も、様々な人がいる。関連性が見えない人たちが燃えている交番を囲んでいる。何だ、何が起きているんだ? 黒魔術か何かの集会か?


 そして、燃えている交番から、手が、火に包まれた人が、

「た、助け……」

 その燃えている人を、周囲の連中が金属の棒で押し戻す。


 囲んだ人々は、それを楽しそうに笑って見ている。


 お、おい。人が、人が、何で、助けないんだ。何が、何が、起こっているんだ?


「おい、今、物音がしなかったか?」

「敵がいるのか?」

 燃え盛る交番に集まっている人々が、キョロキョロと周囲を見回し始めた。ま、まさか、俺の存在に気付いた?


 や、やばい。逃げろ。


 こんな集団に捕まったら、何をされるか分からないぞッ!




―5―


 どこをどう走ったのか、俺は公園に辿り着いていた。暗闇の中、俺は公園の遊具の中に隠れ、座り込む。何なんだよ、一体、何が起きているんだよッ!


 こんな、こんな状況でッ! くそッ!


 あー、お腹が空いた。喉も渇いた。公園の水飲み場、水が出るかな? あー、でも、この隠れている場所から出たくない。と、とりあえず、日が昇るまで、ここで耐えるか。はは、何が起きたんだろうなぁ。あー、お腹が空いた。


 俺は膝を抱え、じりじりとした焦燥の中、日が昇るのを待つ。長い。長い、長い。長い、長い、長い、長い。俺、虫が嫌いだからなー、こんな虫がうようよいる外で、じっと耐えるとか苦痛だよなぁ。


 ……。


 そして、戦慄の夜が明けた。


 俺は陽が出てきたところで遊具の中から、外へとでる。


 は、はは。眠いなぁ。お腹空いたなぁ。喉が渇いたなぁ。何で、こんな事になったのかなぁ。


 ……。


 考えても仕方ない、とりあえず水を飲むか。


 公園の水飲み場へと歩き、蛇口を捻る。しかし、水は出なかった。おい、水はライフラインだろ。こういうのは災害時とかでも大丈夫なんじゃないのか。マジかよ……。何が起きているんだよ……。あー、これから、どうする、どうする? いや、待てよ。今なら、そうだよ。


 そうだな、とりあえず自分の部屋に戻るか。持てるだけ荷物を回収して……で、何処に行こう。何処に行くんだよ。そのまま部屋に居るって選択肢は、もう、無い。しかし、だからといって何処に行くんだ? 交番は……燃えた。燃えていた。頼りにならないだろう。


 ……。


 そうだ、あの装甲車。


 自衛隊の人? だったよな。あの人たちを探そう。そして、保護して貰う。そうだ、それが一番だ。


 はぁ、帰るか。


 俺はとぼとぼと自宅への道を歩いて行く。ふと見れば、コンビニなどのお店が崩壊していた。昨日のうちに何者かに襲撃されたのだろう。コンビニの中のモノは……盗まれているだろうな。何が起こったか分からないが、何で、こんな極限状態みたいなことになっているんだろうなぁ。


 寝間着とサンダルのまま、道路をとぼとぼと歩く。車は――走ってないな。民家の横を通ると、中で人の気配がした。何やら、震えて息を殺しているようだ。そりゃそうだろうな。こんな、暴徒がいるような状況で、いつ自分の家を襲撃されたら、って思ったらさー、そうなるよなぁ。


 一夜で破壊された町並みを歩き、麗しの、いや、憩いの場だったマイアパートに辿り着く。不思議に人と出くわさなかったな。まるで、この世界に俺しか居ないかのようだ。


 俺は自室に入ろうとして……鍵がない事に気付いた。あー、そういえばベランダから飛び降りたんだもんな。当然か。だが、しかしッ! こんなこともあろうかとー。俺はガスメーターボックスの裏に隠していた合鍵を取り、部屋に入る。


 中には――誰も居なかった。あの俺が蹴り飛ばしたおっさんの姿は完全に消えている。部屋が荒らされた様子もない。ベランダ窓が崩壊していなければ、昨日の出来事が夢だと思えるんだけどな。


 俺は大きくため息を吐き、そして、トイレに入った。我慢していたからね、仕方ないね。


 ……。


 水は流れた。貯水タンクに水がたまっているからだろうな。さてと、持って行ける物を持てるだけ持って出発するか。と、まずは着替えだな。


 まずは寝間着から厚手の服に着替える。はぁ、やっと戦える状態になったって感じだよー。寝間着は防御力が低いからな。自宅を警備する上でも、それ重要だったからな。気持ち的な問題だけど、覆っている部分が多くて、厚手ってのは安心するよなぁ。特にさ、こういう状況だとね。


 着替えやLEDライトなどをリュックに詰めていく。財布も持ったから、これで無一文じゃないぞ。硬貨があるから、自販機で買い物もッ! って、電気がきていないから無理か? あー、でもー、自販機ってさ、災害時って何か特別な動きをするんじゃなかったか? うーむ、よくわからんな。まぁ、お金は重要だよな。


 武器は――あった方がいいのかなぁ。あの自販機を叩いていた若者や、交番を襲っていた連中を見ると、何か武器を持っていた方が安全な気がするな。でもさ、武器になりそうなものなんてあるか? それこそ、俺の家で探すよりも、ホームセンターか何かに向かって借りた方が早そうだ。チェンソーとかさー。でもさ、そこに行くまでが、怖いよな。


 うーむ。


 俺はとりあえず自室にあった工具箱を開ける。中はインパクトドライバーに、プラスとマイナスの精密ドライバー。それにスパナか。お? 金属で作られたものさしがあるな。ちょっと硬めだし、これがいいんじゃないか。ドライバーやスパナを持ち歩くのは、逆に俺が危険な人物だと思われそうだからなぁ。それで襲撃されたら、洒落にならないぜ。1メートルほどの金属のものさしだけど、結構、武器になりそうだ。よし、これがいい。


 さあ、色々と準備が終わったぞ。俺は横から物差しが覗いたリュックを背負い、外に出る。

 さあ、出発だ。


 ……。


 あ。


 ――こんなことなら自転車でも買っていれば良かったなぁ。




―6―


 とりあえず目指すべきは自衛隊の駐屯地かな。さあ、出発進行だー。


 って、場所、何処だ? 行くべき場所が分からないぞ。どうやったら辿り着けるのか調べようにもネットには繋がらないし、車も走っていないから、タクシーを呼ぶ事だって出来ないだろう。ま、真面目に困ったぞ。まずはコンビニに行って地図を――って、コンビニは暴徒によって破壊されていたようだし、近付くのは危険そうだなぁ。となると図書館か。近くに図書館ってあったかなぁ、それすら、わからん。こんなことを相談出来る人もいないし、あー、もうッ!


 ……お腹空いた。


 適当に、それっぽい方向にぶらぶらと歩くか。運が良ければ装甲車に会えるかもしれないしな。


 歩く。


 とにかく歩く。


 すると、ちらほらと人の姿が見えた。ただ、何かに怯えているのか、すぐに隠れてしまう。いや、まぁ、その気持ち、俺も分かるよ。まともな人間なのか、暴徒なのか、区別がつかないもんな。誰だって襲われたくないもん。下手に話しかけて、襲撃されたらって思うよなぁ。外を歩くなんて、俺がアクティブ過ぎるんだろうか。いや、でもさ、俺以外にも同じように行動し始めている人がいてもおかしくないよな? ないよな?


 しばらく歩いていると大きな声が聞こえてきた。何だ、何だ? こんなみんなが怯えて引き籠もっているときに騒いだら凄い目立つと思うんだけどな。いや、でも家でじっとしているのに耐えられなくなってきたのかな。


 俺は騒ぎの方へと走る。まぁ、本当は、こういう時に面倒ごとなんて避けるべきなんだろうけどさ、なんというか、野次馬根性だよなぁ。ちょっと、離れて様子を見て、危険そうならすぐに逃げだそう。


 騒ぎの現場では――バットを持った3人の男連中が暴れていた。バットで建物を叩いている。そして、そんな3人の男たちの足もとでは、すがりつくような形で見知ったおっさんが「やめてくれ」と叫んでいた。

 あそこは、俺がよく利用していた定食屋じゃないか。あそこって味はそこそこ美味いし、量があるからがっつり食いたいときは、すげぇ良かったんだよなぁ。って、なんで、その定食屋が襲撃されているんだよッ!


「やめろッ!」

 俺は思わず男たちの前に出てしまった。


「なんだ、お前」

 バットを振るっていた3人の男たちがこちらへと振り返る。は、へ、ほ。やってしまった。普段の俺なら関わり合いにならないように無視を決め込むはずなのに、本当にやってしまった。


「何故、そんなことをする」

 俺の声、震えてないよな?


「みたんだよ」

 3人の男たちの1人が呟き、こちらへと歩いてくる。

「な、何を」

 何を見たんだよ。

「ここの店主が、その先にあるコンビニに入っていくのを、よぉ!」

 いや、コンビニくらい、普通に入るだろ。入らないのか?


「だ、だから、言っているじゃないですか、それは知り合いの店だから、心配で……」

 そう言いながら定食屋のおっさんがよろよろと立ち上がる。


「うるせぇ、お、俺は知っているんだからな、お前は、あの暴徒どもの仲間だ!」

「そうだ、そうに決まってる」

「こ、これは制裁だ」

 う、うーむ。なんでコンビニに寄ったら暴徒の仲間になるんだ?


「バットを持って店を襲撃しているお前たちの方が、余程、暴徒みたいだがな」

 だよなぁ。どう見ても、こっちの方が暴徒じゃん。悪いヤツらじゃん。


「う、うるせぇ」

「お前も、こ、こいつの仲間だな!」

「制裁だ、制裁だ」

 バットを持った3人の男たちが、俺の方へ歩いてくる。やべぇな。


 俺は背中のリュックから金属のものさしを取り出す。こう、ライトサーベルよろしく、シュタッとな。


「お前、やる気か」

「って、こいつ、何を持っているかと思ったらものさしだぜ」

「ものさしでどうするつもりなんだよ、ちゃんばらごっこか」

 う、うるさいなぁ、これしか手頃な物がなかったんだよッ!


 男たちがバットを振りかぶり襲いかかって来る。


 ……。


 やっぱりだ。俺は、ヤツらの動きがゆっくりと、しっかり見えていた。遅い。そして、俺の体が軽い。何でだ? 俺、こんなにも運動神経が良かったか?


 俺は最初の男のバットを金属のものさしを使い滑らせるように受け流す。そして、そのまま駆け抜け、そのみぞおちに金属のものさしを捻り込む。男がうっと呻き崩れる。その横を抜け、次のバットを持っていた男の手首に金属のものさしを叩き付ける。男ははひっと情けない声で鳴き、バットを取り落し、痛そうに手首を握っている。俺はその流れのまま、体を回し、どうしたら良いのか迷っている三人目の男の顔面へと飛び上がり、膝蹴りを叩き付けた。三人目の男ははふわぁと鼻血を垂らしながら仰向けに倒れる。


「あがっ」

「いてぇ、いてぇ」

「鼻が、鼻が」

 3人の男たちは情けない顔で俺を見ていた。


「もっと痛い目にあいたくなければ、何処かへ行け」

 俺がそう言うと、男たちは情けない怯えた表情で肩を貸し合いながら走って行った。あの様子なら仕返しとかはなさそうだな。


 にしても、だ。


 なんなんだ、この状況。




―7―


「ありがとう、ありがとう」

 定食屋のおじさんが俺の手を取り、何度も、何度もお礼を言う。

「しかし、酷いですよね。ホント、何が起きているんでしょう」

 定食屋のおじさんも首を横に振る。

「僕も分からないよ。急にこんなことになって……」

 そうだよなぁ。何が何やら……。

「あ、そうだ」

 定食屋のおじさんがぽんと手を叩く。

「お腹空いてないかい?」

 いやまぁ、空いてますが。いきなりですなー。

「空いてます」

 俺が言うと定食屋のおじさんは嬉しそうに笑った。

「そうかい。もし良かったら、ここで待って貰えないか? 助けて貰ったお礼がしたいんだ」

 定食屋のおじさんは、そう言うが早いか、入り口が半分壊された建物の中へと入っていく。いや、この状況だぞ? さっきまで大変な目にあっていたのに、この切り替わりよう、大丈夫か?


 ま、まぁ、それでも、定食屋のおじさんの好意だ、少し待ってみるかな。


 日が昇ったお昼時、俺は腕を組み、ゆっくりと、ゆったりと待つ。しばらくすると、定食屋の中から美味しそうな匂いが漂ってきた。少しだけ、中を覗くと暗闇の中、焼けたフライパンと燃え盛る炎が舞っていた。フライパンの横では土鍋が火にかけられている。

「おじさん、暗くないかい?」

 俺は声をかけてみる。LEDライトなら持っているからな。

「あー、待っててくれよ。もう何年も続けているからね、これくらいなら目隠ししていても大丈夫さ」

 おじさん、格好いいなぁ。まぁ、長く続けるってのは、こういうことなのかもなぁ。


 しばらくして出てきたのは、懐かしの焼き肉定食だ。うん? 懐かし? いや、俺、先週食べたところだったよな? なんで、懐かしいって思ってしまったんだろう。まぁ、いいか。

「うちのオススメの焼き肉定食だよ。しかも、今回は肉が良いからね」

 定食屋の中から椅子とテーブルを外に持ち出し、その上に焼き肉定食を並べる。さすがに味噌汁はないが、土鍋で炊いた大盛りご飯にがっつりお肉、さらに大盛りキャベツだ。最高だぜ。


「いただきます」

 俺は割り箸を割り、がっつりと食べる。美味い。最高だ。そうだよ、この味だよなぁ。俺は、この味が食べたかったんだ。忘れられなかったんだ……。


 思わず涙が出てきた。

「おいおい、どうしたんだい」

「おじさんの焼き肉定食が美味くて、また、この味が食べることが出来て、それが嬉しくって……」

 言葉にならん。


 とにかく食べるぞ。


 美味い。美味い、美味い、美味いぞー。


 定食屋のおじさんも椅子に座る。

「しかし、この国はどうなったんだろうね」

 おじさん自身も食事を始めながらぽつりと呟く。本当にな。

「まぁ、あんなやつらばかりじゃないさ」

「そうだね。君みたいな人もいるしね」

 俺なんてたいした人間じゃないけどな。にしても、だ。


「おじさん、よく料理が出来たな」

「ああ、うちは非常電源を用意していたし、まだガスも残っていたからね」

 へー。このおじさん、用意がいいな。

「と言っても、何時までも持つわけじゃ無いからね。せっかくの食材を腐らせるのも勿体なかったからね。今回は贅沢に作ったよ」

 なるほどなー。まぁ、そのお陰で俺は美味しく焼き肉定食を食べる事が出来たわけだ。


 俺たちが食事をしていると、周囲に人が集まり始めた。なんだ、なんだ? また何か襲撃とかされるのか。


「何やら美味しそうな匂いに誘われて」

「ああ、この匂い、安心するな」

 何処にこれだけの人が居たのかと不思議になるくらいに人が集まってくる。そういえば、この状況になってから1日が経っているんだもんなぁ、皆、お腹が空いているよな。それに温かい料理を食べるのも難しくなってるしさ。


「ああ、良かったら食べていくかい」

 定食屋のおじさんが嬉しそうに立ち上がる。


「いいのかい?」

 周囲の人が喜びの声を上げる。

「もちろんだとも! 少し待ってて欲しいな」

 定食屋のおじさんが店の中へと入っていこうとする。

「おじさん、ちょっと待ってくれ」

 俺は定食屋のおじさんを引き留める。そして、壊れた扉の前に立つ。

「この扉、外してもいいかい? その方が中が明るくなるだろうからさ」

「あ、あー、ああ、うん、すまないね」

 定食屋のおじさんは、少し何かを思い出しているかのように言い淀むが、最終的に許可してくれた。

 壊れた扉を外し、建物の横に置く。


 俺はそのまま建物の横で腕を組み立つ。料理が運ばれ、集まった人たちが美味しそうに食べ始める。にしても、だ。この人たちもさっきの騒ぎは気付いていただろうに、無視していたんだよな? それが騒ぎが終わったと思ったら出てくるんだから、なんというか、ちょっと色々と考えるよなぁ。まぁ、わざわざ口に出して言わないけどさ。


「ごちそうさま、美味しかったよ」

「おかわりが欲しい」

 定食屋のおじさんは料理を作り続け、どんどん運び続ける。


「美味しかったよ」

「ごち」

 人々は満腹になって幸せそうだ。


 ……。


 えーっと。


「おやっさん料理、ありがとな」

 いやいや、そうじゃないだろ。


「ところで俺は公民館に避難しようと思っているんだが、おやっさんも一緒にくるかい?」

 料理を食べていた男の一人がそんなことを言い始めた。公民館か。意外とアリな選択肢じゃないか。公民館や学校って災害時とかの避難場所によく使われるからな。

 じゃなくて、だ。


 俺は片付けをしていた定食屋のおじさんのところへ駆け寄る。

「おじさん、いいのかい?」

 俺の言葉に定食屋のおじさんは首を傾げる。そして、俺が言いたい事に気付いたのか、少し小さく笑い首を横に振る。

「こんな時だからね。余らせても捨てるだけ、それなら皆が喜んでくれればいいよ」

 そうは言うがね。お代くらいは貰ってもいいんじゃないか? この人たち、タダ飯が当たり前だと思っているんだぞ? 俺の時は、お礼だからってのがあったけどさ、この人たちは騒動の時も無視して、都合がよくなったら出てきて、それでタダで食べる? なんというか、厚顔無恥というか、ずうずうしいよな。


「おじさん、料理のお代だ」

 俺は定食屋のおじさんにお金を渡す。

「いや、受け取れないよ。今回は僕の気持ちだからね」

 それでも俺は定食屋のおじさんにお金を握らせ、首を横に振る。

「久しぶりに美味しい物が食べる事が出来て感動したんだ。これにお金を出さないのは俺の矜持が許さないよ」

「嬉しいね。そこまで言うのなら、僕も貰っておくよ」

 定食屋のおじさんがお金を受け取ってくれる。


「あ、ああ! 自分も払うよ」

「あ、俺も」

 俺の行動を見た何人かがお金を置いて行く。とてもじゃないが、定食のお代にはほど遠いような金額を置く人も居たが、それでもお金を出そうともしない人よりはマシだった。まぁ、お金をだそうとしてくれるだけ、まだまだ捨てたもんじゃないよな。




―8―


 皆が、これからのことを相談している。最初はこの国と政府に対する愚痴に始まり、どうしてこうなったのか状況の確認、現状の把握、そしてこれからのこと。


「公民館に行くのが一番だと思うんだ」

「あそこは発電機もあったはずだからな」

 結局、皆で一緒に一度公民館へ行こうという話になった。特に小さな子どもの居る家族などが中心になって決まってしまったようだ。まぁ、皆が安全を求めているからな、安全そうな場所に移るのが優先だよな。にしても発電機がある公民館とか凄いな。それを知っている人がいるってのも凄いと思うが。


 さて、俺はどうしようかな。当初の予定では自衛隊の駐屯地に向かおうと思っていたんだが、皆で公民館に集まって騒ぎが収まるまで待つってのも有りかもなぁ。それに、それだけ人が集まっていれば救助の人たちが来る可能性も高くなるかもしれないしな。


 この選択、アリか。


 定食屋のおじさんが俺の方へとやってくる。

「君はどうするんだい? 僕は公民館に向かってみるよ。君のような人が一緒だと心強いな」

 うーむ。俺も向かうか。そうだな、向かってみて、こりゃダメだってなったら、当初の予定通り駐屯地に向かえばいいわけだし、行くだけ行ってみるか。


 定食屋の前で一緒になった人々と団体行動をするのだ。みんなで歩いて目指せ公民館だな。てくてくっとな。30分ほど歩くがまだ目的の公民館は見えてこない。そこまで遠くないという事だが、小さな子どもがいる、この団体だとなかなか目的地へと進まないなぁ。うん、時間がかかる。


 にしても、徒歩、か。車の方が楽だからな、車で移動したいなぁ。何故、車で移動しないかを聞いてみたら、意外な答えが返ってきた。


 ――車は全てガソリンが抜かれている。


 なんじゃそりゃ。意味が分からない。全ての車のガソリンを抜くって大変な作業だよな? あり得ない話だぜ。抜いたのは誰だ? どうやって抜いた? そして、なんで、誰も、それに気付かなかったんだ? 俺はちょっと無茶苦茶過ぎる話だと思ったんだぜ。


「いくら何でも、それは大げさな話でしょう」

「確かに、全ての車のガソリンが抜かれているというのは言い過ぎたかもしれない。でも、よその家の車の事なんて分かるか? 知り合いや、皆の家の車がそうなっていたら、そう思うしかないだろう」

 あー、なるほど。確かになぁ。知らない人の敷地に入って調べるわけにもいかないからなぁ。俺は歩きながら何気なく路上に止まっていた車の中を覗いてみる。給油メーターが0になっていた。あー、確かに、自分の家もこれで、知り合いの家もこうで、路上もこんな感じならさ、全ての車のガソリンが抜かれていると思うな。でも、どうやって? ガソリンを抜くなんて、そう簡単にはできないよな? 時間もかかるだろうし、こぼしたら大変だ。なんだか、悪い事が起きている嫌な予感しかしないなぁ。


 さらに1時間ほど歩き続け、やがて公民館が見えてきた。


 それは俺が想像していたものよりもずっと大きな建物だった。ぱっと見、美術館などにしか見えない。俺は、もっと、こう、寄り合い所みたいな小さな建物を想像していたから、驚きだな。これが都会のぱわーってヤツかッ! 確かに、こんな大きな建物なら皆が集まるのにうってつけだし、発電機もありそうだ。


 大きな建物に取り付けられた入り口と思われるガラス扉を見れば鍵が掛かっていないようだった。ガラス扉の横の壁には竹製の長箒が立てかけられ放置されている。つい最近まで人がいたとしか思えない状況だ。

 ガラス扉に手をかけようとして、俺は慌てて飛び退いた。と、扉の取っ手に芋虫がいる。怖いッ! もう、この取っ手触れない。

「おいおい、どうしたんだ……ああ、これか」

 現れた男は無造作に芋虫を払い飛ばす。お、おい、やめろよ、べちゃぁってグロいことになるだろ。ひ、ひぃぃ。


「あ、後で、その取っ手、きれいに拭いておいてくれよ」

 ホント、頼むからな! 俺が二度と触れない取っ手になってしまうからな?


「はいはい」

 男は無造作に扉を開ける。ガチャリっとな。

「必ず拭いてくれよ!」


 そんなちょっとした出来事もあったが、公民館の中へはすんなりと入る事が出来た。自動ドアじゃなくて良かったな。電気がきていないから自動ドアだったら開かなかっただろうからな。うん、壊して入るとかしたくないもんなぁ。でも、それだったら、さっきみたいな芋虫との遭遇もなかったのか?


 皆で、夜、眠るための布団を取ってきたり、それを外に干したり、部屋を確保し、掃除を行う。併せて、常備されていた保存食なども確認する。なんというか、準備の良すぎる公民館だ。そりゃあ、これだけ揃っていたら、ここに行こうって話になるよな。


 小さな子どもたちが文句を言わず、遊ぶでもなく、小さいながらも出来る事を見つけてお手伝いしている。偉いな。子どもなんて、こういう時はさ、普段と違う環境ではしゃいだり、遊び回ったりするようなもんだと思うんだけどな。そういう子どもがいないのは――何度も言うが凄いな。これも教育が行き届いているって事なんだろうか。


「立派な子どもたちばかりですね」

 俺が聞くと、大人たちは首を横に振った。

「僕たちも意外なんですよ。普段はやんちゃばかりしているんですけどね」

 ん? 普段とは違うのか?

「昨日の事を思い出せよ。山口さんちのツトム君は、こんな時でもいたずらばかりしていたじゃないか」

「あー、でも、山口さんとこ、見ないな。一緒に来なかったのか?」

「家族で逃げたんだろうよ」

 ん? そのいたずらっ子のいる家族、消えたのか? また何だか嫌な予感しかしない話だなぁ。


 寝床の準備をし、ろうそくの明かりの中、お湯を入れるだけのインスタント食品を皆で食べ、外に干して綺麗になった布団で眠りにつく。


 俺が眠りについてしばらくしてだろうか、大きな叫び声が上がった。多分、そんなに寝ていないよな? まだ真っ暗だしさ。


 なんだ? なんだ?


 俺は枕代わりにしていたリュックを手に取り跳ね起きる。俺の周囲でも人々が慌てて起きた気配がする。そして、誰かがろうそくに明かりをつけた。


 どんどん。


 がんがん。


 何かを叩き付ける音と大きな叫び声。獣のような叫び声だ。

「なんだよ、なんだよ」

「何が起こったんだ?」

「怖いよー」

 皆、ろうそくの明かりに集まり、怯えている。なんだろう、何故、この人たちはこんなにも怯えているんだ?

 俺は立ち上がりリュックを背負う。そうだな、考えても仕方ない。とりあえず様子を見に行こう。音は入り口――ガラス扉の方かな? ガラス扉だから、そのまま外の様子が見えるよな?


「お、おい、様子を見てきてくれるのか?」

 見てくるさ。虫以外なら怖い物なしだ!


 俺は部屋の外に出て、そこで手に持っていたLEDランタンの電源を入れる。さて、この耳障りな音はなんだろうな。




―9―


 ガラス張りの扉の向こうではスパナを持った男が暴れていた。


 えーっと。


 へ?


 ガンガンとガラス扉を叩き、何やらうめき声を上げている。いやいや、そこ、鍵なんてかかっていないからな。普通に扉を開けて入ってくればいいだろ。一体、何のつもりだ?


 ガラス扉の向こう、扉を叩いている男の後ろにも人影が見える。LEDライトに照らし出されたそいつは、何やらポリタンクから液体を振りまいている。ん? 何だ? 何を……って、もしやッ!

 俺は慌ててガラス扉を開ける。すると扉を叩いていた男がこちらに気づき、倒れるように殴りかかってきた。俺は振り下ろされたスパナを金属のものさしで打ち払い、そのまま体当たりをぶちかます。男はうめき声を上げ、大きく尻餅をつく。俺はその横を抜け、ポリタンクから液体を振りまいている男のもとへと走り出す。


「おい、何をするつもりだッ!」

 俺が声をかけるとポリタンクから液体を振りまいていた男が驚いたようにこちらへと振り返った。

「俺、俺、俺! 燃やす。すべて燃やす」

 男は気持ち悪い笑顔を浮かべている。って、マジで燃やすつもりかよッ!


「やめろッ!」

 俺は男の手を取り、ポリタンクから液体が流れ落ちるのを止める。

「何をする! お前、敵だな! 敵だぁ!」

 ポリタンク男が泡を吹きそうな勢いで騒ぎ出す。いやいや、何なのこの人。

「そっちこそ何をするつもりだ!」

 そうだよ、気でも狂ったのか?

「燃やす! 燃やす! 燃やすのだぁ!」

 ポリタンク男が大きな声で叫び暴れ出す。

「どうした?」

「何かいたか?」

「敵か?」

 その叫び声に誘われたのか、ポリタンク男と同じように虚ろな目をした男たちが次々と現れる。何だ? 暗闇に隠れていたのか? こっちはLEDライトの明かりだけだからなぁ……って、のんきに考えている場合か。


「あ、ああ! 敵だ。邪魔者だ」

 ポリタンク男が悲鳴のような声を上げる。それに応えるかのように現れた男たちが手に持った得物を構える。

 一人は木刀を、一人はゴルフクラブを、一人は金属バットを、一人はチェンソーを、って、おーい、一人恐ろしい得物を持ってるやつがいるぞ。何だよ、チェンソーって。殺す気かよ、俺を殺す気か!?


「おいおい、そんなものを持ち出したら危ないだろ? 人を殺す気か?」

 俺の言葉に男たちは答えない。ただただ、ぶつぶつと呟くばかりだ。あー、もう洒落にならないぞ。俺の方の援軍は……誰も建物から出てくる気配がないな。うん、俺一人か。


 建物を燃やされても洒落にならないし、こんな凶器を持った連中に乗り込まれても洒落にならないし、あー、俺がなんとかするしかないのか? 今までろくに喧嘩もできなかったような俺が?


 俺は手に持った金属のものさしとLEDライトを見る。こちらの武器が貧弱すぎる。これでなんとかしろって無理があるだろ。

 男たちが手に持った得物で殴りかかってきたのを逃げるように大きく後退して避けながら俺は考える。


 何か武器は、武器になるものは!?


 何か!?


 と、そこで俺は、ガラス扉の横に立てかけられた竹製の長箒に気づく。そうだ、これなら!


 俺は幽鬼のようにふらふらと得物を振り回す男たちから逃げ出し、手に持っていたLEDライトを口にくわえ、長箒を手に取る。くそ、こんなことなら頭につけるタイプのLEDライトにしておけばよかったぜ。いや、今はそれよりも、この長箒をッ!


 ……。


 これは竹で作られた簡単な箒でしかない。ああ、どう見たって武器じゃないよな。


 だが、今、この瞬間、俺が手にした瞬間、これは槍となった。そうだ、これは槍だ。けっして箒なんかじゃない、少しデザインの変わった槍だ。情けない思い込みかもしれない、でも、武器のない現状では、そう思わないと……!


 暴徒の一人、チェンソーを持った男が突然、こちらへと駆け出してきた。突然、機敏に動き出すんじゃねえよ!


 チェンソー男が振りかぶる。俺は手にした竹製の槍を突き出す。竹製の槍がチェンソー男の手を叩き、その衝撃でチェンソーが落ちる。俺はすぐさま竹製の槍を引き戻し、そのままねじるように回転させ、チェンソー男のみぞおちを穿つ。男は苦痛にうめき、そのまま崩れ落ちる。何度も何度も繰り返してきた行動だからな、体が覚えているぜ。今更、こんな……って、俺、いつ何度も繰り返してきた? いやいや、考えている場合じゃないな。


 まずはこいつのチェンソーを拾ってっと。最強武器ゲットだぜー。


 俺はそのままチェンソーを握り、動かす。あれ? 何にも反応しない。も、も、もしかして燃料切れ? それとも最初から燃料が入っていなかった? 何にせよ、動かないなら、これ、巨大なゴミじゃないか。


 俺は迫ってきていたゴルフクラブを持った男にチェンソーを投げ捨てる。男はゴルフクラブを盾に防ごうとするが、チェンソーの重さでゴルフクラブが折れ曲がり、そのまま倒れる。


 すぐに次の木刀と金属バットの男が迫る。俺はすぐさま竹製の槍と金属のものさしを拾い、突き刺す。竹製の槍が振りかぶっていた木刀を抜け男の体をえぐる。金属のものさしがフルスイングされようとしていた金属バットを押さえ込む。そして、俺は金属バット男に膝蹴りを食らわせる。金属バット男は苦悶にうめき崩れ落ちた。


 よし、後は?


 LEDライトに照らされた遠くではポリタンク男が、またもポリタンクから液体を振りまいていた。後はあいつかッ!


 俺は夢中でポリタンクから液体を振りまいている男の背後に忍び寄り、その首筋に金属のものさしを叩きつけた。ポリタンク男は、げぅと一言うめき、前のめりに倒れ込んだ。


 ガラス扉前のスパナ男も倒れ込んで動かないようだ。よし、制圧完了。にしても、こいつら、何だったんだろうな?




―10―


「おーい、誰かー!」

 俺は公民館の中に呼びかける。


 ……。


 しかし、反応はない。


「おーい、誰か来てくれー!」

 もう一度呼びかけるが反応はない。えーっと……。


「もう安全だから手を貸してくれッ!」

 再度呼びかけるとやっと公民館の方から動きがあった。

「大丈夫なのか?」

「何があったんだ?」

 公民館の方から恐る恐るという感じで明かりを持った人々が現れる。そして倒れている男たちを見て、小さな悲鳴を上げた。

「ひぃ、何だ、こいつら」

 そりゃあ、驚くよな。俺も驚いた。

「いきなり襲われたんだ、気をつけてくれ」

 まだ倒しただけで気絶させたわけでもないからな、突然起き上がり襲ってくる可能性もあるしね。

「こいつらが、あの、さっきの」

「ああ、そうだ。こいつらを縛り上げる、何か紐でも持ってきてくれないか?」

 縛り上げておかないと危険だからな。

「あ、ああ! 奥にあったはずだ。す、すぐに持ってくる」

 俺の言葉を聞いた男たちが慌てて頷く。ふぅ、これで一件落着かな。にしても、ホント、こいつら何なんだろうな。停電は続くし、変な奴らに襲撃されるし、国には早くなんとかしてもらいたいぜ。そのために税金を払っているんだもんな、うんうん。


 周囲を警戒しながら、しばらく待っているとロープを持った男たちが戻ってきた。

「こ、これ!」

「縛るぞ!」

 男たちが倒れた襲撃者たちを縛り上げていく。これは任せても大丈夫そうだな。


「こいつ、これ、この匂い、ガソリンじゃないか?」

「いや、灯油だろ」

「ここを燃やすつもりだったのか?」

 ホント、危ないことをしようとしていたよな。で、だ。


「そろそろ、俺は中に戻ってもいいっすかね? 疲れたから休ませてくれ」

 本来なら、俺は、こんな武装した連中相手に無双できるスペックじゃないんだからな。無理したから疲れちゃったんだぜ。

「あ、ああ! 後は任せてゆっくり休んでくれ」

「おう、俺たちで大丈夫……って、痛っ! こいつ、噛みやがった」

 倒しただけで気絶させた訳じゃないからな、本当に大丈夫か?

「いてて、気にせずに休んでくれ」

 噛まれた男の人は、苦笑いしながら、噛まれた手をぶらぶらと振っている。大丈夫そうだな。


「じゃあ、お言葉に甘えて少し眠るよ」

 俺は公民館の中に戻る。俺は、部屋にいた心配そうな顔で駆け寄ってきた人たちに、安全になったことを説明し、そして眠りについた。


 ……。


 ゆさゆさ。


 ……。


 眠ってからどれくらいの時間が経っただろうか、俺の体が揺さぶられる。

「んあー?」

 何だよ、もう少し眠らせてくれよ。

「おい、あんた、起きてくれ」

 何だ、何だ?


 俺は大きく欠伸をし、のびをしてから覚醒する。差し込んだ日差しがまぶしい。もう、朝か。

「ゆっくり休んでいたところ、すまないな。こっちだ」

 何だ? 何だ?


 俺は起こしに来た男に連れられ、入り口、ガラス扉の前へと案内される。何があるってんだ?


 そこには身動きがとれないようにロープで縛られた男たちがいた。ん? 昨日の連中か。って、え? そこで俺は異常に気づく。

「まさか、殺したのか?」

 男たちが息をしていない。


「まさか、やめてくれ!」

 皆が慌てて首を横に振る。

「朝になって、急に苦しみだして」

「あ、ああ! そうなんだよ、そして、そのまま」

 死んだ、と。何なんだ。夜、凶暴化して、朝になったら死ぬとか、何か変な病気でも蔓延しているのか? やめてくれよ、何だよ、この状況。

「と、とりあえず、気味が悪いな」

 俺の言葉に皆も頷く。


「こんなことが続くのか?」

「早く助けに来てくれよ」

 だよなぁ。誰か助けてくれよ。


「とりあえず、ここなら救助を待つにしても過ごしやすいはずだ。助けが来るまで頑張ろう」

 そう言った男の意見に賛成したわけではないが、それしか方法がなさそうだった。


 こうして、皆で公民館の生活を続けることになった。


 突然、死んでしまった暴徒たちは、申し訳ないが埋葬することも出来ないので異臭が発生するまえに皆でコンビニまで運び、その冷蔵庫の中に突っ込んだ。いや、まぁ、電気が来ていないから冷える訳じゃないんだけどさ。安置する場所もないからなぁ。


 数日の我慢と思いつつ、日数が過ぎていく。偶に、夜、おかしくなった人たちに襲撃されることもあったが、その頻度は多くなく、皆で協力して、なんとか撃退することができた。

 日にちが経つと突然いなくなる人も出てきた。最初の頃に暴徒に手を噛まれていた人なんかもそうだ。多分、ここでの生活に耐えきれなくなったんだろう。


 そして、俺たちが、もう助けは来ないのかもしれないと思い始めたときに変化は起こった。


「お、おい! 来てくれ」

 暴徒が襲ってこない昼だっていうのに何なんだ? 少しはゆっくり眠らせてくれよ。

「早く、危ない!」

 俺はすぐに金属のものさしと箒部分を取り払いただの竹の棒と化した竹箒、いや、竹の槍を手にして外へと出る。


「こっちだ」

 男の案内で人の気配がなく、廃墟と化した町を進み、そして、俺は絶句した。


 まだ形を保っていたコンビニの中には女性と小さな女の子がいる。そして、それを取り囲むように暴徒たちが集まり、コンビニの電源が切れ、閉じたままになっているガラス扉を叩いていた。


 は?


 へ?


 何で?


「何で昼間に暴徒たちが?」

「わかんねえよ! それよりも、あれ!」

 あ、ああ。このままだと、あの暴徒たちに、あの親子? は襲われてしまう。


 た、助けないと。




―11―


 暴徒? (こいつらを暴徒と呼んでいいのか、もはや分からない)たちはコンビニの中に入れないのか、その入り口を叩き続けている。まったくゾンビみたいな奴らだ――いや、ゾンビだったらどれだけ良かったか。こいつらの特徴として、夜行性、扉を開けて建物の中に入ることが出来ない為、壊して侵入してくる、武器を持って襲いかかってくる、そんな凶暴性がある。しかし、それでも彼らは人なのだ。話しかければ返事をするし、反応する。ちょっと、いや、かなりか、情緒不安定な人なんだよな。そりゃあ、捕まえていても朝になれば消えているとか、見張っていたら自殺するとか、怖いところしかないけどさ。


「あいつらがゾンビだったら、どれだけ楽か」

「それだったら、俺たちは全滅するエンドしかないことになりますよ」

 俺の独り言を拾ったのか、となりの男が答えてくれる。確かにゾンビ映画なら全滅エンドになっちゃうよなぁ。


 で、どうするか、だ。


 コンビニを囲んでいる暴徒の数は4人。多分、俺でもなんとかなる数だ。要は、あの親子を助けるかどうか、だよな。まぁ、そんなの考えるまでもないことだよな。


「ちょっと行ってくる」

「無理しないでくださいよ」

 無理も無茶もしない。俺だって命は惜しいもん。だから、無理だって思ったら、あの親子には悪いけど、逃げる。それでも出来るだけのことはやる、それだけなんだよな。


 俺は竹の棒にしか見えない槍となぜ未だに武器として持っているのか分からない金属のものさしを手に持ち、コンビニへと歩く。

「ちょっといいかな?」

 コンビニを囲んでいる4人に話しかける。


 コンビニの透明な自動扉を叩いていた男たちがゆっくりと振り返る。

「な、な、な、なんだよ」

「な、にゃ、な、何のつもりだ?」

 会話は――出来そうか。


「何をしているかと思って」

 俺が問いかけると暴徒たちは嬉しそうに笑い出した。

「お仕置き、お仕置きだ、お仕置きだよ」

「こいつらは、わ、わ、悪いやつだ」

 う、うーむ。夜の連中よりは、まだ会話になるけどさ、やはり同じような感じだなぁ。親子二人は、コンビニの中のレジカウンターの陰に小さくなって隠れている、か。


「中の親子と会話したいんだけどさ、通してもらえないかな?」

 俺の言葉を聞いた暴徒たちは首を傾げ、ゆっくりと何か考え込み、そして動き出した。

「こ、こいつ、敵だ」

「な、仲間だ!」

 暴徒たちが襲いかかってくる。


 暴徒の一人が手に持った黄色い塊をこちらへ投げつけてくる。


 それはレモンだった。


 レモンをまるでボールのように、黄色いレモンボールが、って、なんでレモンだよッ! 俺は手に持ったものさしでレモンボールを打ち落とす。だから、なんでレモンだよ。


「ひゃあ、こ、こ、こいつ!」

 レモンを持っていた男が慌てふためく。そして、逃げ出した。

「ま、ま、待ってくれよ」

 それにつられるかのように他の男たちも逃げ出す。


 ……。


 えーっと、何だったの、これ? ま、まぁ、危機は去った。とりあえずコンビニの中でおびえている親子を助け出すか。

 閉じられていた電源の入っていない自動扉を手で押し開け、中に入る。うわ、レモン汁がこびりついているよ。

 電気の通っていない薄暗いコンビニの中には何もない。食料や生活用品など、すべて持ち出された後だ。ガラーンとしているな、ガラーンと。

「もう大丈夫ですよ」

 俺が声をかけるとレジカウンターの陰でおびえていた親子が弱々しく立ち上がり、こちらへとお辞儀する。

「ありがとうございます」

 そして、女は顔を上げる。その顔には、こちらを誘惑でもしたいのか、どこか媚びたような蠱惑的な雰囲気が漂っていた。何だ? 何か嫌な顔だな。まぁでも、返事はしておくか。

「困ったときはお互い様ですから」

 俺がそう言うと、足下に幼女を抱えた女は驚き、えっという顔をした。ん? 何だ?

「あれ? 覚えてない? 私、私だよ!」

 女が話しかけてくる。誰だ? 俺は薄暗いコンビニの中で女の顔をよく見る。

「あ……」

 俺は思い出した。思い出したくなかった。こいつは、こいつは、神楽坂恵美。俺が大学生だったときの知り合い、そう知り合いだ。

「神楽坂、か」

 そうか、こいつは、こいつでも母親になっているのか。

「もう、昔のように恵美って呼んでくれればいいのに」

 神楽坂は化粧の濃い顔で微笑む。こんな時でも化粧をしているんだな。

「神楽坂、その子は?」

 俺が聞くと、神楽坂は慌てたように足元の幼女を隠した。

「えーっと、この子は、そ、そう! 親戚の子ど……」

 神楽坂が何かを言おうとしたところで足元の幼女が「ママぁ」と不安そうに呟きながら抱きついていた。どう考えても、その子、お前の娘だよな? お前、なんて言おうとしたんだ?


 慌てた神楽坂は幼女を抱き上げ、そしてあやすように動かしながら、嬉しそうに笑った。

「真白ちゃん、この人が本当のパパだよー」

 そして、そんなふざけたことをささやいていた。はぁ? ふざけんな、突然、何を言い出すんだ?

「パパ……なの?」

 幼女は驚いたような顔でこちらを見ている。いやいや、ごめんな、違うからな。

「ええ、あなたと私の子供。あの後……」

「ちょっと待て」

 神楽坂、こいつは何を言い出すつもりだ?

「神楽坂、俺とお前が関係を持ったことはないはずだ」

「え? でも……あっ!」

 神楽坂は何かを思い出したのか、しまったというような顔をしている。そう、俺は魔法使いだからな。言いたくないけど、言いたくないけどさ!

「ご、ごめんなさい。ちょっと勘違いを」

 神楽坂はてへぺろって感じで舌を出している。こいつは、こいつはッ!

「あの頃の私は純真で、あなたが好きだったから、だから関係を大事にしていたのにね」

 そして、そんなふざけたことをのたまった。


 神楽坂恵美。


 こいつのことは思い出したくもない俺の汚点だ。


 大学に通い始め、同じサークルということもあって自然と仲良くなり、そして、俺は、そう、当時の俺は付き合っているつもりだった。馬鹿な俺は、こいつと話すのが楽しくて、遊ぶのが楽しくて、そして何も見えていなかった。


 俺が同じサークルの奴から関係を持ったという話を聞くまでは……。


 こいつは、サークルの男のほとんど関係を持っていた。

 信じられるか? 俺は奴らから「昨日、あいつとやったんだけど、彼氏が一番って言ってたぞ」とか「彼氏なら手綱握っておけよ」とか言われたんだぞ? 俺は、一度も関係を持っていないのに、それ以外の奴らに、だぞ?

 そのことをこいつに問いただしたとき、こいつは「え? ただの遊びだよ?」なんて何で怒っているのって感じで言いやがったんだぞ?


 俺はすべてが信じられなくなり、一人サークルを去り、そのままこいつを避けるようになった。


 俺が魔法使いになることになった元凶だぞッ!


 それが、それがッ! こんなところで会うなんて……。


 もう会うこともないと思ったのに、最悪だ。最悪の気分だ。


 その最悪が、嬉しそうな表情で俺を見ている。




―12―


「おい、どうしたんだ?」

 俺をここに連れてきた男が話しかけてくる。しかし、俺はそれに答えることが出来ない。

「ああ、さっきの親子か。無事だったんだな」

「はい、彼が助けてくれました」

 俺は何も言葉にすることが出来ず、ただ、やりとりを見守るだけだ。

「ああ、なぜかものさしと箒を手放さない変わった奴だけど、ホント、頼りになるんだよ」

 やりとりは続く。って、えーっと、俺ってば、そんなイメージなんですか。いや、あの、その、確かに金属のものさしはあまり役に立っていないし、もっと丈夫な物に取り替えた方が活躍するのだろうけども、だろうけども!


「はい、そうですね」

 神楽坂が改めてこちらを見る。俺は、その視線から逃げるように顔を背けることしか出来ない。


「そうだ。この先の公民館で集まって救助を待っているんだ、もし――」

 おい、馬鹿。もしかして、その先は……。

「もし良かったら、親子二人で俺たちと一緒に、どうだろうか?」

 男の言葉に神楽坂は嬉しそうに頷く。

「はい、お願いします」

「ママ?」

 小さな女の子は神楽坂の服を掴み、不安そうな顔でこちらを見ている。そうだよな、神楽坂がどうしようもない奴だったとしても、この子には罪がないもんな。助けないと。


 こうして、救助を待つ仲間たちに神楽坂親子が加わった。


 しかし、状況は変わらない。


 昼は食料を求め、近くのスーパーやコンビニへ向かい、夜は狂った人々を追い払うために戦う。そんな状況が続くと人々は疲れ果て、諦めにも似たなんとも言えない表情を作るようになり始めた。そう、異変が起きてからすでに二週間近くが経とうとしているのだ。この極限状態で二週間。食料も水も人の心も……限界だ。


「なぁ、そろそろ、ここを移動しないか?」

「いや、それよりも少し遠出してでも食料を探してくるべきだ」

「しかし、最近は昼間でもおかしくなった奴らが出だしたんだぞ?」

「だから、こそだよ」


 食料も少なくなり、先が見えない状況が続けば、皆、心に余裕がなくなる。


「とりあえず、動くにしても食料は必要だ。まずは食料を探しに遠出してみないか?」

 一人の男の意見に皆が賛成する。そして、神楽坂が手を上げた。

「私が行きます」

「いや、しかし恵美さん、それは危ないよ」

 男は引き留めようとするが、神楽坂の意思は変わらないようだ。そうだよな、そうだったよな。無駄に正義感があって、まっすぐで、皆の為に頑張る、そういう風な奴だったよな。いや、俺の目が曇っていて、そう見えていただけなのか。俺はこいつが許せないけど、でも、そういった性質が偽りだったとは思いたくない。


「すまない、任せるよ」

 神楽坂を含む五人が食料を探しに出て行った。


 少し遠出すると言っても夜には戻って来ることが出来る距離のはずだった。しかし、夜になっても次の日になっても、神楽坂たちは戻ってこなかった。


 皆が不安に思い始めた、その日の夕方頃、五人のうちの一人が戻ってきた。息を切らせ命からがらといった様子だ。

「デパートで襲撃され、やられ、恵美さんが、一人、残って……」

 襲撃、されたのか。


「そうか……」

 皆が顔を沈める。


 助けには――いけないよな。二次災害になりかねないし、な。しょうがない、しょうがないよなぁ。


 しかし、そこで俺の服を引っ張る小さな存在があった。

「ねえ、ママ……は?」

 神楽坂の娘の真白ちゃんだ。あいつにパパだって言われたからか、俺になついてくれている。


 ……。


 そうか、そうだよなぁ。


 俺はしゃがみ、真白ちゃんの顔をのぞき込む。

「ママはね、ちょっと困ったことになったみたいなんだ。だから、俺が助けに行くからね」

 娘を一人にするわけにはいかないよなぁ。ホント、神楽坂は俺に迷惑をかけてばかりだ。最低の奴だ。


「お、おい、あんた、でも」

 俺の考えが分かったのか、周囲の人たちが引き留めようとしてくる。しかし、俺は首を横に振る。

「自分一人で行ってきます。あいつの娘の真白ちゃんを頼みます」

 はぁ、俺、すごいかっこつけているよなぁ。命の危険があるっていうのに、まるでヒーロー気取りだ。物語の主人公にでもなったつもりか。でもさ、こんなことで後悔したくないからなぁ。


 行くぜ。行ってやるぜ。もうヤケクソだぜ。


「デパートの場所だけ教えてください」


 俺はデパートの場所を聞き、そこを目指し走る。俺を送り出す皆が見えなくなり、公民館が見えなくなった辺りで息が切れた。


 ぜーはー、ぜーはー。


 こ、これ、無理だ。普段、そんなに運動をしていない人間が、走り続けるとか無理だ。


 俺が息を切らして、座り込んでいると、その視界に素晴らしい物が見えた。自転車だ。おー、ママチャリ。文明の利器。そうだよ、何も馬鹿正直に俺の足で頑張る必要なんてないじゃん。ガソリンが必要な車やバイクが動かなくてもさ、自転車なら問題ない。


 俺はよろよろと立ち上がり、投げ捨てられたママチャリにまたがる。


 お借りします。


 俺はママチャリを漕ぐ。おー、これは楽が出来るぜ。


 ……。


 1時間も漕ぎ続けると息が切れ始めた。自転車も――キツい。確かに走るよりは楽だけどもッ! さらには周囲が暗くなり始め、何かにぶつかりそうで怖くて速度も出せない。選択をミスったか? いや、出発の時間が悪い。これ、たどり着く頃には深夜だよな? こんな明かりのない中、自転車を漕ぐとか無理じゃね? しかも、夜だから、おかしくなった人たちに襲われる危険性も高まるし、いや、ホント、ミスった。


 自転車を漕ぎ続けると弱音しか、出てこないなぁ。


 でも、それでも向かうって決めたのは俺だからな。


 頑張るぜ。




―13―


 暗闇の中、自転車を漕ぎ続けていると俺の視界前方が真っ赤に燃え上がった。明るくなったなぁ――じゃなくて、だ。もしかして、燃えているのか? 何か大きな建物が燃えているのか? 嫌な予感がする――いや、嫌な予感しかしないッ!


 急げ、急げ。


 なりふり構っている場合じゃないぞ。


 俺は隠し持っていたLEDライトを取り出し、電源を入れる。この状況だ、目立ってしまうとおかしくなった人たちの襲撃が――怖い、いやいや、とか、そんなことを言っている場合じゃないからな。あの燃えている方角へ急げ、だ。


 息が切れるまで全力疾走で自転車を走らせ、そして、燃えている建物が見えてきた。炎に包まれた巨大な建物は、まるで周囲を照らす灯台のようだ。こいつは、やべぇ。この中に入るのか? 冗談抜きで二次災害になりかねないぞ。


 こんな、いくら小さめと言っても、それでも広いデパートの中を、どこにいるかも分からない数人を、炎が燃え広がり逃げ道を奪い続けている中を――くそ、どんな無理ゲーだよ。どうする、どうする?


「ひひひひ、ひ、ひ、ひ、ひ、ひ」

 自転車にまたがり考えていると松明? のような物を持った男がふらりと近寄ってきた。

「このデパートの中で人を見なかったか?」

 俺はダメ元で聞いてみる。


「ひひ? 悪い奴らがいた。だから、燃やす。燃やした。お前も仲間か?」

 俺は男の問いかけには答えない。くそ、こいつが、いや、こいつらが燃やしたのか。おかしくなっていても、ある程度会話が出来るから、人の姿そのままだから、だから、俺は迷ってしまう。くそ、くそ、くそ、くそぅッ!


「いや、違う。仲間じゃない。だから、ちょっと中に入って様子を見てくる」

 俺の言葉を聞いた男はふらふらとゆらめいていた動きを止め、何か考え込み始めた。

「やはり、敵か?」

 そのたいまつ男の問いに、俺は答えない。


 俺は、そのまま勢いよくペダルを回す。そして、そのまま――自転車ごと、燃え上がっているデパートへと突っ込む。あー、こういう場合、本当なら水でもかぶって入るべきなんだろうなぁ。それともハンカチでも口に巻いて、か?


「おーい、誰かいないかッ! 神楽坂ーッ! 無事かッ!」

 俺は叫びながら、呼び続けながら、燃える一階を自転車で走り抜ける。電気が来ていないからか防火シャッターなどが動く気配はない。燃え続けるだけ、か。急がないとやばいな。


 ……。


 ここには、いない、か。となると上だな? 食料を探しに来たんだから、地下の食料品売り場に居てもおかしくないんだろうが、今は、こんな状況だからな。火が広がっている中、地下に立てこもる人は居ないだろう――そう俺は信じたい。


 俺は自転車から降り、動きの止まったエスカレーターを駆け上がる。ここからは歩きか。


「神楽坂ーッ! どこだ! 返事をしろッ!」

 俺は二階でも呼びかけながら、叫びながら、探し続ける。くそっ、煙を吸ってしまいそうだ。

 俺が煙にむせ、小さく咳をしたときだった。俺の前方に、そのまま歩いていたら危なかったであろうタイミングで男が降ってきた。

「けけ、けけ」

 天井に張り付いていたとしか思えないこの男は、手に砕けたマネキンを持っている。こいつ、もしかして、上から襲いかかってきた?


 男が砕けたマネキンを振り回す。俺はとっさにそれを受けとめ……なんだ? すごい力だ。俺はそのまま突き飛ばされ、吹き抜けのガラス柵に押し込まれる。男が砕けたマネキンを振り回す。俺はよろよろと立ち上がり、男の足を蹴る。男はそのまま転け、転けた状態のまま、砕けたマネキンを振り回していた。男が起き上がる気配はない。そのまま夢中になって砕けたマネキンを振り回している。くそ、死ぬかと思ったぞ。とりあえず、こいつは放置して、次の階に、上に。


 俺はマネキン男から離れ、息を吐く。大きく息を吸いたいところだが、こんな煙が漂っている場所ではなぁ。

 俺は動きの止まったエスカレーターを上がる。3階だ。まだ、ここまでは火が上がってきていないな。しかし、下の方はやばそうだ。いくら耐火建築って言っても、限界はあるか。


「神楽坂ーッ! 誰かッ! 誰かッ! いないかッ!」

 俺は、ここでも大きく叫びながら神楽坂たちを探し歩く。


 くそ、見つからない。


 ここが、まだ郊外型の小さめのデパートで良かったが、都心部にあるような十数階建てであったり、本館別館と分かれているような建物だったら、とてもじゃないが探す自信がなかったぞ。まぁ、この小さめのデパートでも探し切れていないわけだけどさ。


 って、まさか地下じゃないよな? あー、少しでも覗いてみてから上に上がれば良かった。今から下に降りるのは無理だぞ。


「誰かッ! 返事をしてくれッ!」

 俺はもう一度、声をかけながら探し回る。


 そして、ついに見つけた。


 段ボールを防壁のように積み上げた一角があり、その先に神楽坂たちの姿があった。

「大丈夫かッ!」

 座り込み、苦痛に耐えるように足を持っている男と、その男を励ましている神楽坂。俺が声をかけたことで、やっとこちらに気づいたのか、驚いたようにこちらへと振り返る。


「え? 何で?」

 神楽坂は驚きの表情のまま固まっている。

「助けに来た」

 俺は倒れた男を助け起こそうと手を伸ばす――が、手を振り払われた。

「だ、だまされるな。助けに来た? ぬか喜びさせるつもりだろ。あいつみたいに騙すつもりなんだろ? 他の人はどこに居るんだよ! まさか一人で来たとか言わないよな!」

 何があったんだ? 何故……って、いやいや、今はそんな場合じゃない。


「ここも危ない。下の階は燃えて、火が迫っている」

「何を言って……いや、本当なのか?」

 男も何かが燃えている匂いと漂ってきた煙に気づいたようだ。

「本当だ」

 俺は改めて手を伸ばす。

「大丈夫か?」

「大丈夫なわけがあるかっ! 他に助けは、助けはっ!」

 俺は首を横に振り、そして神楽坂を見る。


「彼、足をひねったみたいなんです」

「そうか」

 俺は男に肩を貸し、そのまま立ち上がらせる。

「痛いっ!」

「時間がない我慢してくれ。状況を、今の状況を逃げながら教えてもらってもいいか?」

 俺の言葉に神楽坂が頷く。


 とりあえず、早く逃げるのが先決だな。




―14―


 神楽坂と俺とで肩を貸し、足をひねった男を運ぶ。

「おい、どこに行くんだ? 上に行くのか? おい!」

 男は混乱しているのか、わめくばかりだ。

「下に降りるのは――もう、無理だ」

 燃えているからな。何より煙がやばい。


「神楽坂、何があったんだ?」

 俺が聞くと神楽坂は疲れたような表情で大きく息を吐いた。

「このデパートで食料品を探しているときに、一緒に来ていた山内さんが、突然、襲いかかってきたんです」

 襲いかかってきた?

「奴は、連中のスパイだったんだよ! あいつが襲いかかってくると同時に仲間連中がぞろぞろと現れだしたからな!」

「他の二人は逃げ遅れて……」

 そうか。あ、でも、その逃げ遅れた二人のうち一人は助かってるぞ。ちゃんと公民館に戻ってきたからな。じゃなければ、俺が動いていないわけだしさ。


「わかった。とりあえずは、ここから逃げよう」

「屋上に逃げて大丈夫なの? 非常階段に向かった方が……」

 非常階段か。防火扉が動いていない現状で階段は危険な気がするなぁ。


 と、そこで、俺たちの背後の方から、何かを引きずるような、這い回るようなぺちぺちとした音が聞こえてきた。

「おい、まさか」

「あんた、助けに来てくれたんだろ。後ろ、確認してくれよ」

 俺が肩を貸している男は弱々しいことを言っている。いや、あのさ、俺も怖いんですが……。

 音は俺たちを追いかけている。


 あー、もう!


 俺が振り返ると、そこには――四つん這いで髪を振り乱した太めのおばさんが居た。えーっと、どちら様でしょうか?

 俺の視線に気づいたのか、太ったおばさんはニヤァと笑う。そして、こちらへと四つん這いのまま駆けてきた。いやいやいや、立って走ろうぜ。

「神楽坂、この人を頼む」

「え?」

 俺は神楽坂の返事を待たず動く。すぐ近くの、お店の中に置かれていた傘を手に取る。

「止まれ! それ以上近寄ると敵意ありとみなし……」

 俺の言葉を無視し太ったおばさんは俺たちへと迫ってくる。ちぃ、会話にならないのかよッ!


 俺は太ったおばさんをひっくり返すように、傘をゴルフスイングの要領で打ち上げる。太ったおばさんは、動いていた勢いを止め、四つん這いのまま大きく後方へと飛び跳ねる。まるでカエルか昆虫のようだ。何だよ、その運動神経。おかしいだろ。


「死ね、死ね、死ね、いいぃぃぃぃ」

 四つん這いの太ったおばさんが泡を吹きながら叫んでいる。どんなホラーだよ!


 太ったおばさんが、再度、俺の元へと迫る。太ったおばさんが跳ねる。まるで俺を押し倒そうとでもしているかのように跳ねる、跳ねる!


 しかしッ!


 俺は、その顔面に飛び膝蹴りをぶち当てる。太ったおばさんは、その勢いのままべちんとカエルのようにひっくり返った。し、死んでないよな?

「ひぐぅ、ひどい、ひどいぃぃ」

 太ったおばさんは鼻を押さえ、元気に転がっていた。大丈夫そうだな。さ、行くか。


「お、おい、とどめを刺さないのかよ」

 男の言葉に俺は肩をすくめる。

「俺に殺人鬼になれと?」

 人殺しは……だめだよなぁ。

「で、でもよぉ、元気になって、また襲いかかってきたら……」

「いいから、行くぞ」

 俺は無理矢理男の肩に手を入れ、歩き出す。まずは逃げるのが先決だ。


 止まっているエスカレーターを上がり、屋上に出る。


 屋上は――無事だな。小さなデパートだからか、屋上が駐車場になっているようだ。ちらほらと投げ捨てられた車の姿が見える。まぁ、どうせガソリンがなくて動かないんだろうけどさ。


 えーっと。俺は周囲を見回す。


 屋上はこうなっているのか。


 ……。


 よし、あった。


「こっちだ」

 俺は、そちらへと案内する。


 そこは、下へと降りるスロープだった。屋上が駐車場だからな、車が上がってくる為のスロープがあると思ったんだよ。ちょうど良いことに、こちらのスロープには火が来ていない。これなら、普通に下まで降りることが出来るだろう。

「あんた、この道……このために、屋上に来たのか!」

 男は何やら驚き、尊敬のまなざしでこちらを見ている。いやぁ、照れるなぁ。本当は屋上に上がってから気がついたんだけどな。それにスロープ側に火が来ていないのもたまたまで、ただ運が良かっただけしな。本当は、屋上なら下に降りる為の手動式の降下装置でもあるかなぁと思っていただけだしさー。


「そう、彼はすごいんです」

 神楽坂が緩やかな瞳でこちらを見ている。その神楽坂の言葉に、俺は寒気がした。何だろう、まるで何かに絡め取られたかのような、そんな恐怖を感じる。

「あ、ああ。神楽坂、急いでここを離れよう」

 嬉しそうにこちらを見ている神楽坂と視線が合った。俺はすぐに顔をそらし、そのままスロープへ向かう。


「逃がさん」

「やはり、来た」

「悪魔、悪魔だ」

 しかし、スロープ側には三人の男が待ち伏せしていた。うん、あー、火が来ていない場所だもんな、待ち伏せされるか。

「お、おい、あんた、駄目じゃないか! どうしてくれるんだよ! あー、従うんじゃなかった!」

 隣の男がわめき始める。いや、従うんじゃなかったってさ、あんた、その足だと他に向かう選択肢なんてないじゃん。


 三人か。他に狂った人たちの姿は見えないし、ここを乗り切れば――うむ。


 なんとかなるか? でも、得物はさっき手に入れた紳士物の傘だけだしなぁ。


 まぁ、でもさ、やるしかないよな。

「ここを抜ければ、なんとかなるはずだ。この三人は俺がなんとかする。神楽坂、任せても大丈夫か?」

 神楽坂は俺を信頼した目を返し小さく頷く。あー、うむ。


「俺が相手だッ!」

 俺は大きく叫び、三人の注意を向ける。


 さあ、正念場だぜ。




―15―


 相手は三人。


 一人はデッキブラシを、一人はビリヤードのキューを、一人は高枝切りばさみを持っている。おい、一人だけ凶悪な物を持っているぞ。それは人に向けたら駄目だろ、危ないだろッ!


「こいつを」

「まずは」

 デッキブラシとビリヤードのキューを持った男が俺の方へと迫る。もう一人、凶悪な得物を持った方は向こうへ――ちぃ、神楽坂たちの方かよッ!


 俺はとっさに傘を構え、神楽坂の方へと走っていったはさみ男へ投げ放つ。紳士物の傘はまっすぐに飛び、はさみ男の後頭部を打った。はさみ男が、うっと叫ぶとそのまま倒れる。

「神楽坂、気にせず進め!」

 まずは一人。後は俺の方に迫ってきた二人だな。


「よそ者だ!」

「つかまえろ!」

 男たちがデッキブラシとビリヤードのキューを馬鹿みたいに振り回しながら迫ってくる。それ、自分たちの振り回した得物同士でぶつかるんじゃね?


 俺はデッキブラシを振り回している男の方へと近寄り、タイミングを見計らい、振り回されたデッキブラシをうまく脇へと抱え込む。このまま――って、こいつ、めちゃくちゃ力が強いッ! 引っ張られるッ! が、それでも、このままやらさせてもらうぜッ!


 俺はデッキブラシを脇に抱えたまま、体をひねるように回転し、回し蹴りをデッキブラシ男の後頭部に浴びせる。男が呻き、デッキブラシを手放し倒れる。

 俺はそのまま体勢を立て直し、手に持ったデッキブラシをもう一人の方へ――キュー男の方へと捻るように放つ。螺旋を描いたデッキブラシがキュー男のみぞおちへと突き刺さる。俺は、そのまま捻り込ませる。

 キュー男は吐き出すように口から黒いドロドロとした液体を垂れ流し崩れ落ちた。よっし、倒した。にしても、俺、凄いな。なんだか、本当に体が軽い。俺、こんなに運動が出来たか? 何だろう、何かが乗り移ったかのように、何でも出来るぞ。って、今は考えている場合じゃないな。


 俺はこちらを見て驚いている神楽坂たちの方へと走る。

「待たせたな。ここに、こちらにまで火が迫ってもおかしくない。急ごう」

「おいおい、何だよ、何だよ! あんた、格闘技でもやっていたのか? まるでアクションスターみたいじゃないか! あー、あんたがいれば大丈夫だ! どんどんやっつけてくれよ!」

 嬉しそうにわめいている男に、俺は肩を貸す。さあ、急いで逃げるぜ。


 出来るだけ急いでスロープを降りていく。俺の額から大粒の汗が流れ落ちる。あー、隣が燃えているからな、凄く熱いぜ。熱いけどさ、煙がこっちに来ていないのが救いだよなぁ。


 よし、もうすぐ地上だな。


「おい、あんた、う、後ろ!」

 肩を貸していた男が突然、暴れ出した。俺が後ろを振り返ると、先ほど倒したはずのキュー男が口から黒い液体を吐き散らしながら、こちらへと恐ろしい勢いで迫っていた。おいおい、何だよ、こいつッ!

「は、はやくなんとかしてくれっ!」

 俺は肩を貸していた男を神楽坂に任せデッキブラシを構える。さあ、こいッ!


「力、力、力ぁぁぁ! 女だ、女だっ!」

 キュー男は口から黒い液体をあふれさせながら、支離滅裂なことを叫んでいる。


 俺はキュー男を目掛けてデッキブラシを突き出す。デッキブラシが回転し、うねる。キュー男が急停止し、人としての反応を無視した勢いで横へと避ける。な、躱しただとッ!

「俺の、俺の力だぁぁぁ!」

 キュー男が乱暴に腕を振り回す。何だよ、その力。脳のリミッターでも解除したのかよ!


 俺は慌てて飛び跳ねるように後ろへと下がる。くそ、一発で躱されるのならッ!


 俺はデッキブラシを構え、そして、キュー男を目掛けて突きを放つ。何度も何度も、突きを放つ。無造作にも見える連続突き。キュー男が突きをかわすが、その躱した先にも突きを放ち、何度も、何度も、そして躱しきれず俺の突きを食らう。一発もらい足を止めたところへ繰り返し突きを放つ。

 キュー男は俺の連続突きに耐えきれず、そのまま倒れ込んだ。ホント、こいつら、何なんだよ。


 倒れ込んだキュー男が動く気配はない。


「おい、やったの……か?」

 足をひねり、神楽坂に寄り添っていた男の言葉。おい、フラグを立てるんじゃねえよッ!


 その言葉が悪かったのか、キュー男の体から黒い液体がはじけ飛んだ。肉が弾け、液体が飛び散る。そして、避けた肉の塊から、何かが生まれる。まるで昆虫の脱皮だ。


 キュー男の体内から筋肉が生まれる。

「ば、化け物!」

 神楽坂たちが悲鳴を上げる。


 筋肉が、肉が、骨が、新たな生き物が生まれる。


 生まれたのは俺よりも一回り大きな鬼だった。どうなってるんだよッ! 元の体よりも大きな物が生まれたぞ! しかも角まで生えてやがる。何なんだよ! いつから、この世界は化け物が生まれるようになったんだよッ! 質量保存の法則とかないのかよッ!


「俺は生まれた。最高の気分だ。さっきまでの頭痛が嘘のようだ」

 鬼は、腕を回し、足を曲げ、自分の体の動きを確かめ、そして祈るように空を見る。雰囲気が変わった? もしかして、言葉が通じるのか?

「なぁ、言葉が……通じるのか?」

 俺は恐る恐る問いかけてみる。すると鬼は楽しげに笑い、口を開いた。


「ああ、もちろんだ。先ほどまでの頭痛が嘘のようだ。払っても払っても消えないもやがやっと晴れた。すがすがしい気分だ」

 さっきまでの狂った時よりも、会話になるようだしさ、ずいぶんとまともになった感じだな。

「そうか。それじゃあ、そういうことで」

 俺は後ずさるように鬼と距離をとる。しかし、鬼が待ったをかける。

「まぁ、待て。俺は素晴らしい力を得た。その力を使ってみたくなるのは道理だと思わないか?」

 鬼の笑みは深い。いやいや、無理しなくてもいいと思いますよ。


「まずは……」

 鬼の姿が俺の前から消える。なッ!?


 次の瞬間、俺のみぞおちに鬼の拳が刺さっていた。あ、がッ!


 痛い、痛い、痛いッ! 腹が割ける。死ぬ、死ぬ。


 俺の体が浮く。二、三メートルは飛び上がったんじゃないか? その勢いのまま、俺は地面に叩きつけられる。俺の手からデッキブラシが転がり落ちる。


 鬼は俺の目の前でデッキブラシを拾い、それを折りたたんで――そう、その言葉通りに無理矢理折りたたんで投げ捨てた。そして、俺の体の上に足をのせる。お、重い。俺の体がきしむ。

「俺は神の力を得た。素晴らしい力だ。何でも出来る。これから、俺が、この世界に君臨する。俺に逆らえる者はいない。女は犯し、男は殺す。楽しい、楽しみだ」

 な、何だよ、それ。


 ふざけるなッ!





―16―


「ふざけるなッ!」

 俺は叫ぶ。


 しかし、鬼は俺を無視し――いや、その叫びを無視し、俺を蹴り飛ばした。俺の体が壁に叩きつけられる。痛みに目眩がし、視界がにじむ。


 何だよ、これ。


 人が鬼になるとか、ありかよ。


 鬼は俺が動けないのを見て満足そうに笑い、そのまま神楽坂たちの方へと歩いて行く。神楽坂はおびえ震え、声を出すことも動くことも出来ないようだ。


「おい、来るな! 化け物! なんだよ! 何で、俺がこんな目に遭うんだよ!」

 足をひねっていた男は神楽坂を突き飛ばし、そのまま片足で飛び跳ねながら逃げる。そして、躓き、転け、それでも這いながら逃げる。


「逃げろ、逃げろ」

 鬼は楽しそうに笑っている。そして、男を無視して神楽坂の方へと近寄る。

「こんなでも少しは足しになるか。俺の力を試さしてもらう」

 鬼が舌なめずりをしている。それを見て覚悟が決まったのか、神楽坂の震えが止まる。そして、俺の方を見て、少し微笑むと、鬼へと向き直り、鋭い目でにらみ返していた。お前、何やっているんだよ。逃げろよッ!


 くそ、俺の体は? 動くか? 動くよな?


「何だ、その目は! 怯えろ、震えろ、俺をたたえろ!」

 鬼が叫ぶ。


 何なんだよ、こいつはッ! 狂っていたかと思ったら豹変しやがってッ! こいつは元々こういう性格だったとでも言うのかよッ!


 鬼の手が神楽坂に伸びる。


「俺はッ!」

 俺は肺へ空気を取り込み、嫌なさび付いた味とともに叫ぶ。

「俺はッ! まだここ……にいるぞッ!」

 そして、壁を背に、よろよろと立ち上がる。あー、俺、凄いヒーローしているなぁ。おっさんなのにヒーローしているなぁ。ヒロインが神楽坂なのが残念だが、それでも、さぁッ!


「おい、俺に……びびってるのかッ!」

 俺がもう一度叫ぶと、神楽坂に伸ばしていた鬼の手が止まった。そして、ゆっくりとこちらに振り返る。はは、やっちまったな。


 しかし、これで時間が稼げるはずだ。


「人を殺すという経験も必要か」

 鬼が笑う。


 そして、鬼の姿が消えた。


 俺はとっさに腰に刺し隠していた金属のものさしを取り出し、前方へ捻り込む。


 俺の目の前に鬼が現れる。そして、その腹部には、俺の狙い通り、はかったタイミング通り、金属のものさしが突き刺さっていた。

「ばーか、動きが……単調……なんだよ!」

 俺は火事場の馬鹿力とでも言うべき必死の力で金属のものさしをねじ込む。金属のものさしが鬼の腹部を突き破り、内臓に到達する。


 これでッ!


 しかし、鬼の顔は笑っていた。


 俺の腕を取り、そのままねじ上げる。俺の腕が悲鳴を上げそうな痛みとともに持ち上げられ、鬼の腹部から金属のものさしが抜ける。

「無駄だ」

 鬼の腹部が俺の見ている前で元に戻っていく。まるで映像の逆再生を見ているかのようだ。

 鬼は片手で俺を持ち上げ、そのまま首を締め上げる。俺はとっさに両手で鬼の手を掴むが、その力は一向に緩む気配がない。


 意識が……。


 俺は、鬼の向こうを見て……絶望する。


 神楽坂が逃げていない。


 俺が、時間稼ぎをしたのに、こいつ、逃げなかったのかよ……。


 俺、無駄死になるじゃねえかよ。


 くそ、くそ、くそ。


 こんなところで、こんな無駄死にでッ!


 あー、力が。


 俺に、もっと力があったなら。


 俺がッ!


 あーッ!


 俺の視界が歪み、世界が回る。


 ……。


「諦めたか?」

 もう鬼の顔もよく見えない。笑っているのか?

「にげ……ろ」

 言葉にならない。


 俺は……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 ……。


 そして、それは現れた。


 空を、雲を、夜空を、


 すべてを突き破り、それは現れた。


 朦朧とする意識の中、それは、空から、空を割って、空を突き破り、現れた。


 空から現れた閃光が、俺を掴んでいた鬼の手を突き抜け、切断し、コンクリートの地面に刺さる。


 締め上げられていた力がなくなり、俺の意識が戻る。焦点が定まらない視界の中、俺はそれを見る。


 それは槍だった。


 見る者をひれ伏さずにはいられない女王の威厳を持った槍。


 俺は、


 俺は、


 俺は、この槍を知っている。


 鬼がなくなった方の腕を、手首を持ち、よろよろと後ずさる。


 俺は首もとに残っていた鬼の手を引き剥がし、大きく息を吸い、そして吐き、頭を覚醒させる。そして、その槍を握る。


 槍からは『待たせてしまって申し訳ない、時間がかかって申し訳ない』とでも言いたそうな、そんな想いが伝わってくる。


 待たせた? いいや、ちょうどいいタイミングだったぜ。


 そうだ、約束だ。


 すべては俺たちの約束の為にッ!


 俺は、この槍を知っている。


 そうだ、俺は知っている。


「行くぞ、真紅妃!」




―17―


 俺は真紅妃を杖代わりに起き上がる。ホント、満身創痍ってヤツだな。でも、俺の体は動くし、五体満足だ。


 そして、俺には真紅妃がある。


 何故、俺が真紅妃を知っているのか、それは分からない。でも、真紅妃のことは――俺の相棒のことは分かる。真紅妃があれば、俺は負けない。


 こんなおかしな世の中になってから、変わったことばかりだ。それでも、俺は……。


「一つ聞こうッ!」

 俺は、なけなしの気力を振り絞り声を上げる。切断された方の腕を持ち、慟哭していた鬼がこちらを見る。話は聞けそうか――ならば、改めて聞こうッ!

「お前は人か?」

 俺の質問に、鬼は俺を呪い殺しそうな瞳を向けた。


「俺は人を超えた存在だ。俺は人の枠にとらわれない。何をしても許されるはずだっ! その俺に! 俺に! お前は許されない!」

 鬼は切断された方の腕を持ったまま、怒り、猛り、狂う。どうやら切断した場所は再生しないようだな。


「そうか」

 人じゃない――人ではなくなった、か。


 俺は真紅妃を水平に構える。真紅妃は、その外見からは考えられないほど軽く、俺の手になじむ。


 鬼が咆哮を上げ、無事な方の腕を振り上げる。


 俺は真紅妃を強く握る。


 俺の思いに応えるように真紅妃が螺旋を描き、突き抜ける。


 終わりだ。


 ……。


 勝負は一瞬でついた。


「馬鹿なぁぁ」

 情けない声で鬼が叫ぶ。


 俺の目の前には、胸元に大きな風穴を開けた鬼が居た。鬼の体は再生することなく、力なく崩れ、膝を落とし、そのまま大きな音を立てて倒れ伏した。


 鬼が改めて動き出す気配はない。完全に沈黙している。


 殺した、殺したな。


 俺は化け物を殺した。


 人をやめ、鬼と化した化け物を殺した。


 ……。


 鬼の体液で黒くなった真紅妃を振り払い、その液体を飛ばす。黒い――血ではない、何かの液体。


 ……。


 ゆっくりしている場合じゃないな。今でも隣が燃えている状態なんだ。いつ、こちらまで燃え広がるか分からないからな。


 俺は大きく深呼吸し、ふらつく足に気合いを入れる。


「神楽坂、行こう」

 神楽坂は驚いた顔で俺と真紅妃を見比べているが、今は、そんな時ではないと思いだしたのか、小さく頷き、歩き出した。


 それに、だ。あの這いずりながら逃げた男も探さないとな。あんな状態だから、そう遠くまでは行っていないはずだ。


 俺と神楽坂は歩く、逃げる。


 燃えているデパートを後にし、その光源だけを頼りに歩いているとドカ、バキと嫌な音が聞こえた。

 俺は神楽坂へ待つように言い、音の方へ向かう。


 そこでは、若い男女が一人の男を取り囲み、手に持った様々な得物で殴る蹴る叩きつけるの暴行を加えていた。

 

 若い男女の集団が無言で暴力を振るい続ける。ドカ、バキ、ガコ、グシャ――そういった擬音として聞こえてきそうなほどの嫌な音だ。


「やめろ!」

 俺は集団をかき分け、暴行を加えられ倒れ込んでいる男に手をかける。それは、あの逃げた男だった。口元に手をやる。意識は失っているようだが、まだ息はある。


「何だ? 仲間か?」

「こいつも悪い奴だよ」

「やっちゃおうぜ」

 若者たちは好き勝手なことを言っている。俺は、それを無視して倒れた男に手を入れ、引きずるように持ち上げ運ぶ。


「おい、無視してんじゃねえぞ」

 一人の若者が俺に手を伸ばす。俺は、そいつの鼻先に真紅妃を突きつける。

「散れ」

 もうね、どっか行けよ。


「ヒロくん、やべぇよ。こいつ、やべぇよ」

 俺が真紅妃を突きつけた若者を止めるように、もう一人がそいつの肩に手を置く。


 ん?


 しかし、俺の目の前の若者は反応がない。先ほどまでと様子が変わり、突如、表情が消え、虚ろに何かを見ている。


 そして、口から黒い液体を吐き出した。だらだら、ゴボゴボと黒い液体が吐き出される。

「ヒロくん?」


 な、何が起こっているんだ?


 そして、俺の目の前のヒロ君と呼ばれた若者の背中がはじけ飛んだ。そこからカラスの翼のような真っ黒な羽が生える。

「俺は、空を飛びたかったんだ」

 ヒロ君と呼ばれた若者は虚ろな瞳のまま、そんなことを呟いている。おいおい、ヒロ君、大丈夫かよ。


「俺の空」

 ヒロ君は、そう呟くと背中の翼を羽ばたかせて夜空へと消えていった。えーっと、俺はどうしたらいいんだ? 人に羽が生えるのも異常だが、その程度の羽で人の重量を支えて飛んでいくのも異常だよな? 俺は夢を見ているのか?


「大丈夫?」

 俺がヒロ君が消えた夜空を見ていると、心配そうな顔で神楽坂が駆けてきた。いや、お前、待ってろって言ったよな? 俺、待機しているように言ったよな? こいつは、何で、そんなことも守れないんだよ!


「で、お前らはどうするんだ?」

 とりあえず神楽坂を無視して若者たちへ真紅妃を突きつける。


「ひ、ヒロくん」

「ヒロくーん」

 若者たちは虚ろな表情のまま、口々に訳の分からないことを呟き蜘蛛の子を散らすように消えていった。ふぅ、おとなしく消えてくれて良かったぜ。いくら何でも、人殺しはしたくないからなぁ。


「神楽坂、この人を連れて行くのを手伝ってくれ。距離はあるが、なんとか公民館まで戻るぞ」

 俺の言葉を聞いた神楽坂は首を横に振る。

「でも、食料が」

 あー、そういえば神楽坂たちの目的って食料を探すことだったよな。でもさ、そんなことを言っている場合じゃないだろ。


「それは戻ってからだ。このけが人を抱えたまま探すのか? それに俺だって……」

 俺は、そこで口を閉じる。言いたくても言えないけどさ、俺もさ、元気そうに見えて結構ギリギリなんだよ。


「わかった」

 神楽坂は少し不満そうだが、それでも納得してくれたようだ。ホント、何で、俺は、こいつを助けているんだろうなぁ。見ていて苛つくことばかりなのにさ。


 その後、夜通し歩き続け、なんとか公民館まで戻る。ふぅ、真白ちゃんに母親を届けることが出来て良かったよ。


 公民館の前では小さな女の子とそれを支えるように立つ大人たちの姿が見える。

「ママ……?」

 心配で夜通し起きていたのか、それともあまり寝付けず起きてしまったのか真白ちゃんが俺たちを待っていた。ああ、ママを助けてきたぜ。


 真白ちゃんが、小さな足でとてとてとこちらへ走ってくる。そして、神楽坂の方ではなく、俺の前で止まる。

「お礼、これ」

 そして、手に持っていた何かを俺へと手渡してくる。


 それは不格好なフェルトのワッペンだった。これは猫かな? 真白ちゃんが一人で作れるとは思えないから、周りの大人が協力したんだろうな。

「ありがとう」

 俺がお礼を言うと真白ちゃんは満足そうに大きな笑顔を作った。


 性に奔放な神楽坂だから、父親が誰かは分からないし、あのときのサークルの連中かもしれないけどさ、それでも真白ちゃんは悪くないもんな。俺は神楽坂のためじゃなくて、真白ちゃんのために頑張ったんだもんな。真白ちゃんの笑顔が見られただけでも頑張った甲斐があったよ。




―18―


 俺は傷を癒やす為に公民館で安静にしている。公民館の仲間は、食料を求め、いろいろなところへと足を伸ばしているようだが、昼間にも狂った人々が現れるようになり、状況はあまり良くないようだ。

 まぁ、公民館にまで攻めてくるような連中は俺の真紅妃で追い返すけどな。


 数日ほど、そんな日々が過ぎ、そして、そいつらは現れた。


「な、なぁ、あんた来てくれ!」

 公民館の仲間の一人が慌てたように俺を呼びに来る。はぁ、何だろう? また狂った連中がここの襲撃に来たのか? それならそれで追い返すだけだぜ。

 俺は真紅妃を持ち、立ち上がる。


 そして公民館の外へ出る。


 そこには三人の男女がいた。


「まだ保護されていない人々がこんなにも居たなんて……」

 それは大幣を持った巫女服の少女。

「フィアーが囲ってるんじゃねえか?」

 それは二本の剣を持ったサングラスに革ジャンのうさんくさい男。

「安藤さん、F.E.A.Rですよ。エフ、イー、エー、アールです」

 短槍を持った生意気そうな少年。


 こいつら、何なんだ? 狂った連中とは違うようだが、コスプレじゃないよな? それに武器を持っている時点で危ない連中だよな?


「すいません、ここにどういったご用件ですか?」

 俺はとりあえず下手に出て聞いてみる。狂った連中よりは会話になりそうだしな。


「安藤様、ゆらとくん、あれが持っている槍から強大な反応があります」

「僕はくん付けですか……いえ、水無月さん、こちらのセンサーでも感知しています。間違いなく、あれが今回の原因かと」

 短槍を持った少年はスマフォのような機械をぺこぺこといじっている。

「巴嬢ちゃん、見れば分かるぜ。こいつは凶悪で最悪だ。まったく背水の陣だぜ」

 サングラスのうさんくさい男は楽しそうに口元の端を上げている。

「はぁ、安藤さんではなく、もっと頼りになる人と来たかったですよ、僕は」

「何言ってんだ。俺ほど頼りになるヤツはいないだろ。それにな、ゆらと、俺のことは気安く優兄さんと呼んでいいぞ」

 うさんくさい男が鞘から二本の剣を抜き放つ。西洋剣か。重くないのか? 両手で持つとか大変だろうに……。


「何者で、何の要件ですか?」

 向こうは俺を無視して戦闘準備を始めているようだが、もう一度だけ聞いてみる。


「おう、会話出来るのか! なら、おとなしく俺たちにやられておとなしくなってくれねぇかな?」

「安藤さん、おとなしくおとなしくってなんですか……」

 短槍を持った少年はあきれたように顔へと手をやっていた。えーっと、漫才かな?


「会話をしよう!」

 俺は大きく声を上げる。しかし、俺の言葉は無視された。両手に剣をもったうさんくさい男がこちらに切り込んでくる。一振り目を後方へと飛び躱し、二振り目を真紅妃で受け止める。

「ちぃ、こいつ厄介な! まじ背水の陣だぜ」

 俺は受け止めた真紅妃を、そのまま振り払い、剣を弾き飛ばそうとする――が、それを予測していたのか、サングラスのうさんくさい男はすぐに剣を引き、下がる。

「安藤さん! いきなり突っ込むなんて長物を持った相手に無謀ですよ!」

 その短槍を持った少年の言葉に、うさんくさい男は口元を歪め、剣を持ったまま頬を掻いていた。

「いや、懐に入れそうだったからよ」

「安藤様、ゆらとくん、あれ相手に単騎は危険です。援護は私がします」

 巫女服の少女が懐からお札のようなものを数枚取り出し、指の上に広げる。お札のような物というかお札か。


 にしても、こいつら、こっちの話を聞かないな。なら、もうね。こいつらが言っているようにさ、そう、逆にやっつけておとなしくなってもらうしかないよな!


「こちらの話を聞く気がないなら、聞くようになってもらうだけだが?」

 俺は真紅妃を構える。その言葉を聞いたサングラスのうさんくさい男は大きくため息を吐いた。

「お前ら、フィアーは人の姿をしているからな。騙されそうになるがよ、俺たちは油断するわけには行かない訳よ」

 そうですか、そうですか、それなら仕方ないよな! 俺も覚悟を決めたぜ。


 俺は真紅妃を構え、そのまま突進する。

「この距離なら僕の間合いです」

 短槍を持った少年が前に出る。そして、そのまま俺目掛けて突きを放つ。俺は、それを首の皮一枚で躱す。俺を殺す気か! こいつ、躊躇なく攻撃してきたぞ、どういう神経をしているんだよッ!

 さらにもう一突き。早いッ! 俺は、とっさに、その突きを真紅妃で打ち上げる。そして、その横を抜ける。しかし、俺の眼前にサングラスのうさんくさい男が待ち構えていた。

 うさんくさい男の振り下ろし、俺はそれに併せて真紅妃で突きを放つ。西洋剣と真紅妃がぶつかり、西洋剣にヒビが走る。

「な!」

 サングラスのうさんくさい男の顔に驚きの表情が浮かぶ。しかし、うさんくさい男は、そこで油断せず、もう片方の剣を振り下ろす。俺は、その場にとどまり、真紅妃を風車のように回し、剣をはじく。そして、俺が――しかし、次の手を放つ前に俺の前に、俺の視界を奪うようにお札が飛ぶ。

「距離を!」

 俺の視界が一瞬隠れ、そして、巫女服の少女の声にあわせたかのように、うさんくさい男と短槍の少年は距離を取っていた。


「こいつ強い!」

「ああ、この強さ、間違いなくフィアーだな。人を超えている。まったく、これじゃあ背水の陣だぜ」

 うさんくさい男はヒビが入った剣を投げ捨て、片方の剣を両手で持ち直す。

「タイミング、頼むぜ?」

 うさんくさい男の言葉に巫女服の少女と短槍の少年が頷き、そして改めて短槍とお札を構えていた。


 何をするつもりだ?




―19―


 まず動いたのは巫女服の少女だった。


 巫女服の少女の指に挟まれたお札が飛ぶ。俺へと飛んできたお札が空中で姿を変え、折り鶴に変わる。そして、俺を拘束するかのように、俺の視界を奪うかのように周囲を回る。何だ、何だ? 魔法か? 俺は幻覚でも見ているのか?

 お札で作られた折り鶴によって隠れた視界の中、何かが迫る気配がする。俺は真紅妃に任せ、そのまま振り払う。何かが驚き立ち止まった気配。

 そして、その先から槍が飛び出してきた。後ろに下がり、槍を躱すが、それを追いかけるように高速の突きが放たれる。三段突きだと!?


「ここはお前の背水の陣だぜ?」

 後ろに下がった俺に背後から声がかかる。そこには、いつの間にか両手で持った剣を構えたサングラスのうさんくさい男がいた。

「っ!」

 サングラスのうさんくさい男のかけ声とともに剣が水平になぎ払われる。俺はそれを転がるように回避する。って、この動き、まさか、俺は知っているぞ。やべぇ、やべぇ!


 サングラスの男の剣は止まらない。流れるように袈裟斬りへと動く。その動きを予測していた俺はさらに転がり回避する。しかし、サングラスの男の剣は止まらない。俺を追尾するかのように、流れるまま切り上げられる。俺は自分の予想を信じて転がり避ける。相手の動きなんて見ている暇がないッ!

 そして、次の――いや、しかし、次の追撃はなかった。


 あ、あれ?


 もう一回、切り下ろし切り上げ、そして突きまでが一連の流れだったと思うんだが、どういうことだ?


 次の攻撃はない。


 俺は転がり続け、砂だらけになった顔を上げる。目の前のうさんくさいサングラスの男は剣を振り上げたまま、驚きの顔でこちらを見ていた。

「あれを躱しきるのか。まるで、俺の動きを、俺の技を知っているかのように!」

 必殺技を破られた衝撃でフリーズしている? いや、これ、普通にチャンスだよな?


 俺は真紅妃を持ち替え、サングラス男のみぞおちに石突きを落とす。うさんくさいサングラスの男は、うっと呻き、馬鹿なと呟きながら崩れ落ちた。よし、これで後二人。


「そんな安藤さん!」

「なんてことを!」

 俺は砂埃を払い、立ち上がる。


「よくも安藤さんを!」

 短槍の少年がなりふり構わず槍を構えて突進してくる。

「槍使いか。俺が本当の槍の使い方を教えてやるぜ」

 俺は、それを待ち構え、真紅妃で短槍を叩き折る。少年の驚きの顔。


 俺は、驚いている少年から下がり、距離を取る。そして、その少年を目掛けて高速の突きを放つ。一段、二段、三段、四段、五段、次々と放つ。その風圧に押され、少年の髪が広がる。

「な、な、な、な」

 少年は驚き、わなわなと震え、動きが止まっている。俺は真紅妃を引き戻し、そのまま駆ける。そして、その少年とのすれ違いざま、少年の背に真紅妃の石突きを落とす。少年は崩れ落ち、痛みに、嘔吐しながら転がる。これで後、一人。


 後は、あの巫女服の少女だけか。


「魔よ、滅しなさい!」

 巫女服の少女が鋭い瞳でこちらをにらむ。えーっと、勝負を仕掛けてきたのはそっちだよな?


 巫女服の少女からお札が放たれる。俺はそれを真紅妃で打ち落とし――そこに衝撃が走る。真紅妃と触れたお札が弾ける。うわ、何だ、これ?

「な、なぜ!?」

 巫女服の少女は驚きの表情のまま、こちらを見ている。弾けるとか驚きだな。でもさ、ま、まぁ、そういうものだと思えば、打ち落としながら進めるよな。

 巫女服の少女が表情を変え、にらむような瞳でお札を飛ばす。俺は、それを打ち落としながら巫女服の少女へと進む。真紅妃が触れるたびにお札はバチンバチンと弾けるが、それだけだ。

 そして、巫女服の少女まで迫り、俺は真紅妃を振り下ろそうと持ち上げる。巫女服の少女は怯えたように頭を抱えしゃがみ込む。ちょっと気絶するくらい打ち付けるだけだからな、ごめんな。

 と、そこで嫌な予感がした俺は、その場を飛び退く。


 パアンと乾いた音が響き、俺が居たであろう空間を何かが抜けていった。俺は慌てて、音がした方を見れば、そこには、いつの間にか短銃を構えた古い軍隊の服装を着た男が立っていた。こいつ、いつから、そこに? それに、その銃。さっきの音は、それで俺を撃ったのか?


「その子はね、俺の隊の大切な仲間なんだ。ちょっと待ってもらえるかな?」

 旧式の軍服を着た男は、その頭にのった軍帽を直しながらそんなことを言っていた。

「無形隊長!」

 巫女服の少女がうずくまったまま嬉しそうに声を上げる。こいつらの仲間か。


「そっちから仕掛けてきておいて、虫が良すぎないか?」

 旧式の軍服の男は、俺の言葉に肩をすくめる。

「確かに。少し誤解があったようだ。それは申し訳なく思う」

 と、軍服の男の言葉と同時にもう一発乾いた音が響いた。予想していた訳ではないが、それを感知した真紅妃がとっさに動き、その身で銃弾を受け止める。

「これが答えか?」

「銃弾を止めるなんて人間離れしているな。俺たちとしても魔導隊の意地があるから、仕方ないのだよ」

 旧式の軍服の男が駆ける。


 駆けながら短銃を連射する。パアン、パアンと炸裂音が響き、その都度、真紅妃が受け止める。銃弾を回避するのは俺の運動神経では無理だ。これは真紅妃に頑張ってもらうしかない。にしても、何発撃てる銃なんだよッ!


 と、短銃の音が止まる。旧式の軍服の男はマントのような外套を羽ばたかせ、その下から弾薬を取り出し、短銃に詰める。


 させるかよッ!


 俺は、その隙を突くべく、駆ける。そして、その勢いのまま、膝を付き、転けた。え? あれ? 足が動かない。体が、動かない。


 全身が麻痺したかのように動かなくなっていく。

「悪いね。お前は強そうだったから搦め手を使わせてもらった」

 旧式の軍服の男が俺の前に立つ。何を、何を……した?


 旧式の軍服の男の手が俺に伸びる。くそ、やられてたまるか。


 こんなところで死んで……。


 俺は、そこで意識を失った。




―20―


 俺は真っ暗な世界を漂っていた。何もない。


 ふわふわ、ふわふわと何処かを漂う。


 そんな俺の背後が、空間が歪む。


 空間に、次々と謎の映像が映る。どこかの森林、どこかの砂漠、遺跡……。何だ? 見たことがない風景なのに、どこかで見たことがある風景。こんな、こんな光景が現実にあるはずがない。


 俺はデジャヴを感じる光景を振り払い、目を閉じる。


 そして、俺の目の前に神楽坂が現れる。俺は目を閉じたはずなのに、俺の目の前に神楽坂がいる。


 今の姿ではなく、俺が一番見たくない、昔の、俺がサークルに居た時の姿――俺が一番知っていた姿だ。

 何で、ここは、この世界は、俺の見たくないものを見せるんだ。


「何故、人と関わろうとしないの?」

 神楽坂の姿で、そいつは、そんなことを言う。

「あなたが仲間だと思っている人の名前、一人でも言える?」

 名前……?

「いつだって一人」

 独り?

「あなたが歩み寄らなければ、誰も歩み寄っては来ない」


 ……。


 お前が、それを言うのかよッ!


 お前のせいで、俺がッ!


 と、そこで目が覚めた。


 ……。


 俺は周囲を見回す。どこだ、ここ?


 狭い部屋、ベッドの上、扉は一つ。


 ある程度、清潔感のあるベッドの上のようだが――何だ? ちょっと待て、ちょっと待て地面が揺れているぞ。


 俺は上体を起こす。うん? 意外と天井が低いな。手を伸ばせば天井に届きそうな感じだ。いや、これ、二段ベッドか。それとも物置用の棚か?


 俺は、えーっと、確か、よく分からない奴らの襲撃を受けて、突然、体が痺れて、そうだよ、それで気を失って――拉致られたのか?


 そうだ、真紅妃は?


 見れば、真紅妃は普通にベッド横の壁に立てかけられていた。無事か、良かった。


 俺は真紅妃を手に取り、ベッドから降り、立ち上がる。ここは、どこだ?


 どこかの部屋だよな? 質素な感じだけどさ。しかし、ふらふらと揺れているのが気になるな。何だろう、この感じ、寝台車か? 寝台車の個室って感じだよな。でもさ、そうなると窓がないのが気になるなぁ。


 俺は手足を動かし、指を動かし、どこか体の動きに問題がないかを確認する。怪我はないな。おや? 何だろう、普通に手当してもらっているようだぞ。傷を負ったはずの体に包帯が巻かれている。まぁ、気休めだけどさ。


 外に出る扉は、あっちか。俺は、まだ、少し虚ろな頭を振り、無理矢理覚醒させる。そして、その扉へと向かう。俺が扉に手をかけようとしたところで、扉の方が先に開いた。


 開かれた扉の向こうには、一人の男が立っていた。壮年を過ぎようかという容姿の、貫禄を持った白い制服姿の男。背筋を伸ばし、規律を守るのが大好きといった雰囲気を感じる。軍人か?

「起きたようだね」

 男は俺の背よりもずいぶんと高い。扉はかがまないと通ることが出来ないだろう。圧倒されるな。


「ぶしつけに聞くが、あなたは誰だ? そして、ここはどこだ?」

 白い制服の男が頷く。

「答えよう。自分は……いや、こう言うべきだろう。この艦アマテラスの艦長、本郷大和だ。よろしく頼む」

 何だ? 途中で口調を変えたよな? フランクになったというか……。って、船? ここって船の中なのか? 何で、俺は、そんな場所にいるんだ?


「いや、待ってくれ。俺は、どうして……」

 俺の言葉を制服の男が遮る。

「疑問もあるだろう、だが待ってほしい。自分たちと君の間には悲しいすれ違いがあった。しかし、それを飲んで聞いてほしいことがある」

 制服の男は扉を開けたまま、俺を無視して、その先にあるであろう通路を進んでいく。えーっと、ついて来いってことか?

 まぁ、ここでじっとしていも仕方ないしさ、ついて行くか。この先に罠が待っているなんて可能性はないだろうしさ。何かするなら、俺が気絶しているときにいくらでも出来ただろうからな。


 配管が並ぶ狭い通路を歩いて行く。

「この先に、君に会わせたい者たちがいる」

 会わせたい? 俺、知り合いなんていないぞ。


「頼み事とは何だろうか?」

 俺は歩きながら聞いてみる。えーっと、聞いてみても大丈夫だよな?


「至る所で異常な事態が起きていることは知っていると思う」

 狂った人が現れたり、突然、人が鬼に変わったり、それのことか?


「その異常な事態を引き起こしたのが、一人の男だと言ったら信じるかね?」

 どういうことだ? 一人の男が、この狂ったような、って、そんなことが出来るのか? いや、というかだな、そこまで分かっていて何も手を出していないのか? 俺が見ただけの、現場での印象かもしれないけどさ、国が傾きそうな、国が滅びそうな勢いだったぞ。俺がいた公民館の周辺は世紀末な有様だったぞ。それなのに、何も出来ていないのか?


 で、その一人の男がなんだって?


「その男の名は、フミチョーフ・コンスタンタン」

 フミ……なんだ? なんとかタンタンとか、変わった名前だな。

2021年5月16日修正

それを関知した → それを感知した

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