10-36 スカイは愚かなのです
―1―
今、俺たちはグレイシアの王城の屋上にいる。
俺たちの目の前にいるのはスカイ君だ。
スカイ君が屋上の縁に立っている。それは、あと一歩でも後ろに下がれば、その身は空へと投げ出されるだろう危険な位置だ。
「ち、近寄るな!」
犬頭のスカイ君が叫ぶ。キョロキョロと周囲を見回し、落ち着き無く小刻みに体を震わせている。
「近寄ったら、これ、分かってるっすよね?」
犬頭のスカイ君が震えながらも、半歩後ろに下がる。その手には野球ボールくらいのサイズの丸い球体が握られていた。いや、まぁ、球体だから丸いのは当然なんだけどさ。って、のんきに考えている場合か。
『スカイ、自分が何をしているのか分かっているのか?』
俺の天啓を受けたスカイ君が、睨むようなキツい視線をこちらへと送る。
「分かってる、分かってます! ちゃ、チャンプの方が分かってないすよ」
チャンプ、か。懐かしい呼び名だな。
「世界は終わる、もう無駄なんすよ。お、俺は、何故か、皆みたいに女神様に心酔出来ないし、状況が見えるんで、ああ!」
スカイ君は狂ったように、その犬頭を振り回す。
『スカイ、落ち着け。自分が、自分が必ず女神は止める』
俺の天啓を受けたスカイ君は大きく足を踏みならした。だ、だから、そんなことをすると落ちるぞ。
「チャンプはっ! チャンプは、そんな異形の姿で、ま、魔獣の癖に、くせにっ! わからねえ、わからねぇすよ。強い力を持った人には、人たちには、俺の、俺の絶望なんて、わかんないっすよ!」
スカイ君が叫ぶ。スカイ君、こじれてるな、ヤバいなぁ。
「へへ、この魔道炉があれば、これがここで爆発すれば、被害は……へへ」
スカイ君が濁った瞳で、手に持っている野球ボールサイズの球を見る。自爆するつもりか? 世界が終わりそうだから、皆を巻き込むってか?
くそ、仕方ない。
スカイ君の話は後でちゃんと聞くとして、とりあえず大人しくなって貰おう。
――[エル・スリープ]――
あー、とっさに睡眠の魔法を使ったけど、これ、スカイ君が後ろに倒れ込んだら大変な事になるか?
「ああ! チャンプすか、チャンプすね!」
スカイ君が頭を抱える。あれ? スリープが効かない。上位魔法化しているのに効かないだと。
「へへ、知らなかったんですか、ギルドマスターに精神系の魔法は効かないすよ」
な、何だと。冒険者ギルドのギルドマスターに、そんな特典があったのか。
「あー! 冒険者ギルド! 冒険者ギルド! 冒険者ギルドが、う、動かなくなったのに! 麻痺しているのに! そのギルドマスター特典だけは残ってるなんて!」
スカイ君の瞳が虚ろだ。
「チャンプが凄いってのは、俺も分かってるんですよ。こんな駄目な俺を、昔からの知り合いってだけでギルドマスターにもしてくれて、だから、俺は、一生懸命、それこそ、冒険者ギルドのギルドマスターの権限で不正を行ってでも恩を返そうって、へへ」
スカイ君の壊れたような笑い声だけが屋上に木霊する。
「それが、それが、それが! 俺なんて、冒険者ギルドが無くなったら何にも出来ないじゃないすか。俺に価値が、価値なんて! あー!」
スカイの言葉を聞き、14型の表情が変わる。いや、元から能面のような顔は何も変わらない、その纏っているオーラが変わったのだ。そして、もう一人、ミカンが静かに腰の刀の上に手を乗せていた。
お、おい、スカイ、それ以上は止めろ。14型とミカンは、お前を殺してでも止めるつもりだぞ。止めろ、止めてくれ。
「へへ、もう終わりっすよ。俺には何もないんですよ。でも、でもすよ。俺、俺1人が終わるなんて寂しいじゃないすか」
犬頭のスカイの顔が歪む。
「も、もう……ひ、ダメなんですよ。チャンプ、恩を仇で返すようになって、申し訳ないす」
スカイが犬頭を下げる。そして、それを狙っていたかのように14型とミカンが動く。馬鹿、止めろ。
俺は14型とミカンの進路上へと動き、2人の動きを封じる。
「チャンプ……?」
スカイが不思議そうなモノをみるようにこちらを見る。
『スカイ、自分にはこれしか言えない。自分を信じてくれ。必ず女神を止める!』
ただ、スカイ君に信じて貰うしか、ない。スカイの状況は、アレだ。突然、リストラを言い渡されたサラリーマンみたいなもんだ。そりゃあ、ショックを受けるよ。特に他の生き方を知らなかったら、自殺を考える事だってあるだろうさ。そりゃあさ、俺もさ、今までは自殺者にさ、死ぬなら人に迷惑をかけずに、人知れず死ねって思ってたよ。でもさ、少し分かるんだよな。独りぼっちは寂しいもんな。巻き込みたくなる気持ち、分かりたくないけど、分かるんだよ。だから、俺の言葉が届いて欲しいんだよ。
「チャンプ……」
スカイがゆっくりとこちらへ足を踏み出し――そこで一陣の風が吹いた。魔素を操作し、風が吹く事なんてあり得ない状況になっていたはずの屋上に風が吹いた。
「へ?」
スカイ君の体が空に舞う。
スカイ君がこちらをみて笑う。
「ダメっすね……俺は……」
そして手に持っていた魔道炉を投げる。
「この程度が、俺には……相応しい終わりか……た」
スカイーーーッ!
魔道炉はスカイの手を離れ遠くへと飛んで行く。ちぃッ!
――《永続飛翔》――
《永続飛翔》スキルを使い、飛ぶ。間に合うかッ!?
――《魔法糸》――
《魔法糸》を飛ばし、気絶しているスカイを結びつける。くっ、こいつ無駄に重いぜ。
魔道炉は!?
スカイによって投げ捨てられた魔道炉までの距離は遠く、《魔法糸》では届きそうにない。
しかし、そこに迫る者がいた。
14型ッ!
14型が飛び、魔道炉を空中でキャッチする。そのままくるりと体勢を変え、屋上方向へと投げる。おー、強肩だ。まるでレーザーのような。
そして、屋上ではミカンが仁王立ちで待っていた。飛んできた魔道炉を片手でキャッチする。さすがはミカンだぜ。2人のファインプレーだな!
……ん?
まるで、野球のような、そうだ、そうだよ!
野球があったか!
そうだよ、そうだよ。
セシリーとの勝負、野球なら、いいんじゃないか?
あー、でも、この異世界で適当なルールの野球だもんな。野球って名前で呼ぶのはおこがましいか。言うなら『やきう』か。ははは、そうだな。
「う、チャンプ……?」
《魔法糸》に絡まれたスカイが目を覚ましたようだ。
『スカイ』
たく、人騒がせなヤツだぜ。
「チャンプ?」
が、スカイ君のお陰でやきうを思いついたからな。大負けに負けてチャラにしといてやる。
『スカイ、今回の件、分かっていると思うが、お前に罰を与える』
「はい、何でも従う……います」
スカイはうなだれている。何というか、みんなから殺せコールがおきそうな、これから生きづらくなりそうな、そんな状況だよなぁ。
『女神を止めた後、冒険者ギルドに変わる組織を作るつもりだ。その組織の一トップとして死ぬ気で働いて貰う』
「!」
スカイ君が驚いた顔でこちらを見る。
ふん、死ぬほど働かせてやるからな。