3-73 異質な
―1―
小さな手が女王だったものを押しのけ、その中から異質な存在が現れる。
異質な存在がこちらを見、周囲を見回し、もう一度、こちらを見る。
女王だったものを脱ぎ捨てて現れたソレは異質だった。
人の型へと無理矢理に蟻を押し込めたかのような姿。
髪のように伸びた触覚。
球体関節のような体。
金色に輝く金属で出来た小さな、それでいて女性らしいラインを持った歪な人型。
金色に輝く複眼。
楕円に長く伸びた羽。
まるで羽蟻が少女の真似をしているかのような異質な存在。
俺は吹っ飛ばされた体を持ち上げ、異質な蟻を見る。なんなんだ、なんなんだ。グロい、キモイ。とても同じ生物とは思えない不快感を与えてくる姿だ。
「おいおい、こんな存在、聞いたことがないんだぜ」
キョウのおっちゃんが震えながらこぼす。うん、俺もない。
「な、な、なんだよ、なんだよ、あれ」
ジョアン少年がカチカチと歯を鳴らしながら震えている。うん、異常だよね。見ていると不快になってくる存在とか、もうね。
人蟻が歩き出す。歩こうとし、足の使い方がわからないのか、そのまま転ける。そして転けたまま、芋虫姿だったときのように体を動かそうと蠢く。い、異常な光景だ。
にしてもせっかくの巨体を捨てて人型になって何がしたいんだ? 人型になるメリットなんて道具を使えるとかくらいだろう? 人には知恵が――なんて言うのならば、異形の力も人の知恵も持った存在の方が強いだろうしさ。スケールダウンして、パワーダウンじゃん。
「シャーーーーーー」
人蟻が辺りを振るわせる超音波を発する。うげ、音が痛い。
音を受けてか、周囲に居た無数の蟻たちが穴の中へと消えていく。な? どういうことだ。
人蟻が再度、立ち上がり、フラフラとしながらも2本の足のようなもので歩こうとする。まるで初めて歩くことを憶えた赤ん坊のようだ。
「だ、旦那、旦那は何も感じないのか? 俺は駄目なんだぜ、アレを見ていると恐怖で……足が、う、く、ぜ」
キョウのおっちゃんがその場にうずくまる。え? どういうこと?
「あ、あ、あ、ああああああああ!!」
ジョアン少年が大きく叫ぶ。そして、そのまま盾を構え、がむしゃらに走り出す。ちょ、危ないって。
「シャーーーーーー」
再度、人蟻が発した音によって辺りを振るわせる。なんつう不快な音だ。って、うん? 字幕が見えるぞ。ただの叫びではない? もしかして言葉が通じるのか? え? こんな不快な生物が対話出来るって言うのか?
―2―
『言葉が通じるだろうか?』
俺は人蟻に天啓を授けてみる。ジョアン少年やキョウのおっちゃんには、さすがに先程の超音波が言葉としては聞こえないようだ。ま、当たり前の話だけどさ。でも、俺には殺すって言葉に見えるんだよな。なら、もしかしたら対話出来るかもしれないじゃん。
ジョアン少年は人蟻から発せられる不快な音に足を止めそうになるが、それでも歯を食いしばって耐え、また人蟻へと駆け出す。
天啓を授けられた人蟻は何か違和感を感じたのか、2本足で立ったままキョロキョロと周囲を見回している。ジョアン少年の存在は視界に入っていないようだった。ま、まさか、俺の言葉がわかるのか……よ、よし、もう一度だ。
『この言葉がわかるだろうか?』
俺は天啓を授ける。
「シャーーーーーー」
俺の天啓を受け、再度、不快な音を発する。やはり、反応しているのか?
しかし、人蟻は俺の思いを無視し、そのまま恐ろしい勢いでジョアン少年に飛びかかった。ジョアン少年は飛びかかった人蟻をなんとか大盾で食い止める。ほっ、大丈夫か。
『離れろ』
俺はもう一度だけ天啓を飛ばす。しかし、人蟻は俺の天啓など聞こえていないかのようにジョアン少年の大盾に噛みついている。そして、そのまま、その体からは考えられないほどの力でジョアン少年を押し潰していく。って、のんびりと見ている場合か。
俺は矢筒にサイドアーム・アマラを突っ込み、鉄の矢を取り出す。そして素早くコンポジットボウに番え、放つ。
鉄の矢がジョアン少年を押し潰し、その喉元へ噛みつこうとしてた人蟻の脳天に刺さる。いや、そのまま人蟻をすり抜ける。え? なんだ?
ジョアン少年の上に居たはずの人蟻の姿が消えていた。
俺は人蟻の姿を探す。何処だ? 何処だ?
人蟻は自分が脱ぎ捨てた女王の殻の前に居た。そして先程と同じように歩こうとし、また転けていた。な、何をしているんだ? 何で、そんなことを繰り返す。も、もしかして練習しているのか?
……この、のんびりと練習している間に殺れるんじゃないだろうか。ジョアン少年も大盾に潰されしばらく動けそうにない。キョウのおっちゃんはうずくまり、何やらぶつぶつと喋り始めていた。「ゼンラ帝……」「……裏は」「調査の……」とか文字が見えるな。何だろう、精神攻撃か? うむ、のんびりしている場合じゃないな。
俺は駆け出す。歩く練習をしながら死んでいけ!
一瞬で人蟻の下へと近寄り――俺の敏捷補正を舐めるなよ――スキルを発動させる。
――《スパイラルチャージ》――
真紅が赤と青の螺旋を描き、人蟻を貫いていく。人蟻の金色の外皮が削れ、人形のような体が崩れていき――そして、かき消えた。へ?
俺はかき消えてしまった人蟻の姿を探す。何処だ、何処だ? 何で消えた? 真紅で人蟻を貫いた感触が何も残っていない……ま、まさか、幻だったとでも言うのか?
人蟻はうずくまっているキョウのおっちゃんの近くに居た。あ!
『キョウ殿、後ろだ!』
俺は全力で天啓を授ける。おっちゃん、正気に戻ってくれ!
俺の言葉が届いたのか、突然、キョウのおっちゃんがハッと正気を取り戻す。そして目の前の事態に気付き、襲いかかってこようとしていた人蟻を2本の長剣で向かい撃つ。
しかし、人蟻はキョウのおっちゃんが振るった2本の剣をするりと抜ける。動作が速すぎてまるで剣が体をすり抜けたかのようだ。な、何だ、何だ。
いや、それよりもキョウのおっちゃんが危ない!