03:闇から光へ、光から闇へ
真っ暗で、息が苦しい。ここには空気が無い。何も無い。美しい星たちが煌々と優しく瞬いているのに、そこへ行くと何故こんなに苦しいの?
やがて星の光は薄れ消えていき、本当の暗黒。暗闇の何も無い怖さ。そして、闇はまた、白く薄らいでいって、まぶた一つ隔てた先の、光の存在。急に湧き上がってくる心からの安息。
ユウは、ベッドの上で眠っている自分の姿に気付きました。
「気が付いたか?」
誰かの声のした方を向くと、そこにいたのはユウのお父さんとお母さんでした。
「……?」
ユウは不思議そうに首を傾げたら、ズキンと頭が酷く痛みました。何か聞こうと話しかけようとした言葉も引っ込んでしまうほどの痛みです。
「大丈夫か、落ち着きなさい」、お父さんがそっと優しく頭を撫でてくれました。
「意識が戻れば心配は無いでしょう」、両親の後ろに控えていたらしい、背の高い看護婦のお姉さんが厳かに言いました。
「では、何かありましたら、コールを押してご連絡下さい」
「はい、ありがとうございます」
そして看護婦のお姉さんは部屋を……目も痛いほど白い部屋の扉を開けて出て行きました。
「あの看護婦さん、昨日の夜、一日お前を見ていて下さったんだよ。退院する時にはお礼を言わなくちゃね」お母さんはそう言って、何か足元の辺りをガサゴソと探りました。一個の赤いリンゴを取ったのでした。
「病院?」
ユウはもう聞くまでもないと思いましたが、一応、訊ねてみることにしました。
「ああ、覚えているか? お前が湖で倒れているのを見つけてくれた人がいてな、その人が病院に連れてきてくれたんだよ」
「湖……」
段々と、暗くて曖昧だった記憶が、断片で一つ一つくみ上げられていって、それが一つの積み木の形のように、確かな記憶へと組み上がっていきます。夜、星空、湖、宇宙、水、……。
「(溺れたんだ)」ようやくそこまでの記憶がよみがえりました。桟橋で踊って、浮かれていて、足が急に滑って、何の手応えもなくなって、冷たい水の中に落ちて……。
「あ、お兄ちゃんだ、お兄ちゃんが助けてくれたんだ」
微かに覚えている、腕に感じた温かさ。あれは右手の手首……そっと左手で撫でてみました。少し痛みが走りました。布団の中を覗いて、見てみると、そこは赤くなっていました。よっぽど強く握って、引っ張ってくれたのでしょう。
「ねえ、お兄ちゃんは?」、ユウは赤い右手を布団から出して、両親に見せました。
「これ見てよ、お兄ちゃん力任せに引っ張ったんだね。こんな赤くなって……ヒドイよね」、ユウはむしろ冗談のように笑って軽く手を振りました。
しかし……お父さんお母さんの顔が下を向いて……顔色も暗くなりました。
「お兄ちゃんが病院に連れてきてくれたんでしょ?」
何も……言いません。こっちを見ようとさえしません。
「…………」
「ユウ」、お父さんはキッと顔を上げ、真面目な硬い表情でユウを見ました。
ユウも、もう顔から笑みは消えています。お父さんの顔から、決して誤魔化したりふざけて聞いてはいけないというのがはっきりと伝わりました。お母さんは、顔を伏せて、膝の上で手と手を重ねて撫でています、落ち着かない心をなだめ静めるように。
お父さんの口が、まるで腹話術の人形のように、カクカクと機械のように動いています。そこから発した何かの言葉は、耳が急激に遠くなっていくように、段々はっきりと聞こえなくなっていきます。
最初の一言二言で、お父さんの言おうとしていることが、それで十分に分かりました。もう、聞きたくありません。お兄ちゃんのことは……もういないのだから。
涙というのがこんなに熱いものなんだと、初めて知りました。
言葉も出ないほどの胸の苦しみを、初めて知りました。
親しい人を失う気持ちの辛さを、初めて知りました。
腫れた右腕から、全てが現実であることを知らしめるように、絶えず痛みを伝えてきます。初め跡を見た時より、ずっとずっと痛みが増してきているようです。しかし、顔の涙は、決してその痛みによるものではありません。
ふと目の前に影が被さりました。小さく華奢な胸が、ユウの顔に当てられました。お母さんの腕の中、ユウは決して目を瞑ることはしませんでした、できませんでした。涙はとめどなく、、母の服の裾を湿らしていきました。涙と鼻水で顔が汚れていくことを、何も構いませんでした。
ユウはたまらなくなって、体を全て預けるように、お母さんのお腹にしがみついて、声を立てて泣きました。少しでも周りの病室に声が漏れないようにと、お母さんの服に口を当てて。…………