紅茶 ~アールグレイ~
今回は男性側のほうに視点を置いています
カラン、と客を知らす扉の鈴が軽やかに鳴ると、一人の活発そうな少女が扉をくぐって一人の店員を見つけると、飼い主を見つけた子犬のようにパタパタと駆けて行った。
「店内は走っちゃダメだよ、花音ちゃん」
目の前にかけて来た少女に苦笑を漏らすも、何にする?といつもどうり注文を聞く。
「ん?ん~いつもの!」
「はいはい」
店員の目の前に当たるカウンター席に座り、びしっと手を上げて答える花音に穏やかに微笑んだ後、茶葉を手に取って入れ始める。
この入れる時間帯を短縮してほしい客は結構な数いるのだが、目の前でニコニコ笑っている少女はこの時間も好きらしかった。
初めて花音がこの紅茶専門店に足を踏み入れた時、藤谷優真はここの店長になったばかりだった。
いかにも体育会系の少女が紅茶を嗜むとは考えずらかったのだが見た目で人を判断してはいけない、という言葉を思い出し、丁寧に対応したのだが…
「ご注文は何になさいますか?」
「えっと…ここは、紅茶専門店、ですよね…?」
「ええ、そうですが…?」
そう優真が言うと、少女はワタワタと周りを見回して何か答えなければと必死になっていた。
予想は的中し、少女は紅茶を飲んだことがなかったらしい。
やんわり指摘すると、少女は真っ赤に顔を染め、冷やかしでないことを必死に伝えてきた。
あんまり必死に言うものだから、ついつい吹き出してしまったのだが、それを見た少女は先程よりも顔を真っ赤に染めた。
話を聞くと、どうやら落ち着いて休憩できる場所を探していたらしい。
ぽつりぽつりと語る内容に大分驚いた。他人の自分にそう簡単に語ってよい内容ではなかったからだ。
大丈夫かと思ったが、話さないと分からないじゃないですか、と当たり前のことを切り返されてしまった。
少女が語った内容とは、こういうものだった。
自分の両親はとても不仲で別々に暮らしているのだが、最近なぜか父が自分を引き取ると言ってきたらしい。
勿論、少女の母は猛反対した。何故今頃になって、と。それは少女の問題であるにも関わらず、少女を置いて論議されるその話に、目の前にいる少女はうんざりしてしまったようだ。
家を出たのはいいが友達には家族の事を言っておらず、なんだか気まずいとのこと。
だから、落ち着いて、尚且つ両親が知らない場所を探した結果、ここに行きついたとのこと。
閉店時間間際に持ってこられた話は随分と重たいものだった。最初は断ろうかと思った…が。目の前にいるこの少女は随分疲弊しているらしく、落ち込んだ雰囲気だ。
なんだか追い出すのも可哀想に思えて、閉店時間になっても少女を追い出すことはしなかった。
さすがに、少女も自分が転がり込んできた店の閉店時間は把握していたらしく不安そうにこちらを見てきたが、大丈夫だと言う代わりに微笑んだら、少女もまた、嬉しそうに微笑んだ。
せっかく来たのだから、と優真は紅茶を出そうとしたが、生憎まだ仕入れに行っていなかったため、案外繁盛しているこの店に残っている茶葉は少ない。
考えた末に出したのは…自分秘蔵のアールグレイ。少し高価なものを取り寄せていて、後で飲もうかと考えていたものだ。
こればかりは人に出したことはない。簡単に言うなら境界線のようなもの。優真は、それを目の前の少女にアイスミルクティにして出してやった。
アイスミルクティにしたのは、紅茶を飲みなれていない少女に対する気遣いだった。
香りは少しばかり飛んでしまうが、それでも少女がおいしく飲める方がいいと考えた。
この心境は、この時の優真には自分でもよく分からなかった。…しかし。
「はい、いつもの」
「わあ、ありがとう、優真さん!」
花音のために、結構高価な茶葉を週一で仕入れるほどには、優真は少女への気持ちを自覚していた。
あの日、花音が初めてここにやってきた夜、彼女の両親が血相抱えてこの店を探し出してきたときには、花音だけでなく優真も驚いた。
私たちの娘を籠絡するのはお前か!と的外れにも関わらずとてつもない形相で怒鳴られた時には理不尽さよりも恐怖が勝った。
怖々と事情を説明すると、途端に頭を下げられたが…娘を持つ親はこんなにも恐ろしいものかと新たな情報を脳裏に焼き付けることとなってしまった。
その原因となった花音は申し訳なさそうに頭を下げたが、謝られるようなことは…あったが気にしていなかったので上げさせた。
その後どうなったのかは分からないが、どうやら両親は和解して、今は何と一緒に暮らしているらしい。とても嬉しいと、その花のような笑顔で報告された時には少女と同じくらい嬉しかった。
それからは、週何回かのペースで花音はこの店に来るようになった。
猫舌なのか、ゆっくりとしたペースでアールグレイを飲む彼女の耳元にそっと唇を寄せると、驚いたようにその体が硬直した。
彼女が飲んでいるアールグレイの秘密を囁くと、面白いくらいに真っ赤になった花音の顔。
久しぶりの赤面に笑いが込み上げてくる。しかし、衝動に忠実になってしまうと花音が拗ねてしまって次の言葉が言えなくなることも知っていた優真は必死に我慢する。
「好きだよ、僕の愛しいお姫様」
その言葉に、茹蛸のように真っ赤になった花音を見て、今度こそ笑いが止まらなくなった。からかったんですか!と怒る彼女に、笑いが治まったら訂正しなければいけない。
―――――からかってないし、本気だ、と。