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雪江は正義の味方? 3

「そして、佐和さまがわたくしを側室に推すもう一つの理由わけがございました。わたくしが二十歳になるまで嫁に行かなかった、その理由でございます」

 八千代は一度深い息をする。語るのにも勇気がいる様子だった。一体何があるというのか。


「男の人が信用できないのでございます。誰かの妻になりたくないのです」

 

「え? 誰かの妻になりたくないって? 信用できないって・・・・」

 雪江は思わず、そう繰り返して言った。

 男性に対する何かトラウマがあるのだろうか。男性不信のようだ。過去に男にだまされたとか、ひどい目にあわされたとか?


「初めはどんなにいい人でも、年と共に段々と変わっていくかもしれません。いずれはわたくしに飽きて、外に女を作り、やがて正妻としての自分を苦しめるのではないかという恐怖感があるのです」

「あ、だから、その恐怖感があるから嫁にいかなかったってこと?」

「はい、どんなにいい人でもわたくしは、夫婦となる夫を心の底から信じられないと思うのです」


 雪江がわけがわからないという表情をした。かなりの重症だと思う。それを悟り、八千代が言った。

「わたくしが今、その妾の存在、側室でございます。矛盾しているとお思いでしょう」

 雪江はそう考えていたから、素直にうなづいた。


「わたくしは、安寿様のためにもわたくしが一番嫌う妾の存在になる決心をしたのでございます。・・・・・・実は、わたくしの母は妾に殺されました」

 八千代の顔が苦しそうに歪んだ。しかし、それも一瞬で、すぐに物悲しそうな表情へと変わる。


 妾っていうと、愛人ってこと。八千代の母は愛人に殺されたって・・・・。


「実家の小間物問屋は、母の家でした。父はそこに長年奉公していた番頭でした。父は真面目な人で、先代の祖父に認められ、婿に入ったと聞いております。すぐにわたくしも生まれ、店も大きくしていき、何もかも順調でした。でも、祖父が亡くなり、後を追うようにして祖母が亡くなりました。母は嘆きました。当時、わたくしは幼かったのですが、その様子は覚えています。わたくしも近づけないほどにしおれておりました」

 八千代はつらそうに言葉を切った。そして続ける。雪江も黙って聞いている。理子も初めて聞くような表情でいた。


「それから、父の態度が変わってきました。先代もいなくなり、今度は自分が本当の店の当主になったのです。付き合いもあったことでしょう。父の外遊びが頻繁になって、毎晩のように出かけていたといいます。それでも母は何も言いませんでした。他の奉公人が母にそれとなく言ったそうです。かなり派手にやっていると。それでも母は、商売人の外遊びは必須、ただ遊んでいるだけに見えてもやがて商売に返ってくるのだと。あの人は店のためにやっているのだと」


 雪江は、うわ~と思った。

 一昔、いや、ふた昔くらいの耐え忍ぶ女と、派手に遊んで、不満そうな顔をしたら殴り飛ばすような親父を想像していた。耐えられない、雪江にはそんな状況とそんな人たちとの関係を保つなんて、絶対に考えられない。


「もうそれ以上、奉公人たちは言えませんでした。きっと母は、自分の親が自分のために選んでくれた真面目な父のことを信じたかったのでしょう。でも・・・・、父は裏切っていました。父には女がいたのです。別の家に住まわせて、わたくしと四つ違いの娘までいました。外遊びと妾、何も言わない正妻、父は頻繁に朝帰りをするようになりました。母も、父の妾のことはわかっておりました。でも店の奉公人の手前もあります。取り乱すような醜態をさらしたくはなかったのでしょう。ずっと何年も、母は我慢しておりました。でも、わたくしは知っておりました。父が帰ってこない夜、母は一人で涙していたのです。誰にも言えず一人で」


 雪江はぐっと拳を握りしめる。正妻の面子を保つ八千代の母、それをただ、見ているだけしかなかった八千代の苦悩を考えると胸が苦しくなっていた。


「ある晩のこと。大きな料亭で夕餉を取っているという父から、言付ことづけがきました。金が足りないから持ってこいと。そのことはすぐに母に知られることになったのです。母がそのお金を持っていきました。気丈な母です。普通の夕餉ではないと思ったのでしょう。案の定、父は妾と一緒でした。その場に急に現れた母を見て驚愕した父と、したたかに母の品定めをするような目を向けた妾、そしてその子供までがいたそうです。そして母も見たこともないようなご馳走を食べていたそうです。母は何も言わず、ぽんとお金を渡して帰っていきました」


 八千代はそのまま続ける。雪江は怒りに燃えていた。


「父はそれから三日後に帰ってきました。母が乗り込んできたことで、おめおめと帰れなかったのだと思います。でも、それからでした。その妾が店に現れるようになりました。店の者はそれが誰だか知りません。丁寧な対応をし、座敷へあげ、お茶まで出しておりしました。そうすると父が必ずそこへ入っていくのです。母はそのことを知って、段々やつれていきました。怒りを面に現さない強い人でしたが、それが一度折れてしまうと弱いのでしょうね。ついには母は寝込んでしまったのです。母が亡くなる前にこのことをすべてを話してくれました。そして、父を恨んではいけない、こうなったのも自分が至らなかったからだと繰り返し言って・・・・・・母は亡くなりました」

 

 雪江は涙がこぼれていた。悲惨すぎる。


「それから父は反省し、店に専念してくれると誰もが信じておりました。でも、父は母の葬式が終わった後、すぐに妾を家に入れました。後妻として、そしてその娘もです。すぐに妾はわたくしを邪魔にしました。商家の娘としてではなく、将来嫁に行くための修業と称して、他の奉公人と同じ、いえ、もっと過酷な仕事ばかりをわたくしに仕向けたのです。父も何も言えませんでした。妾に楯突く奉公人はどんどんやめさせられ、妾は自分の叔父や弟などの身内を入れたのです。もう店は妾が仕切っておりました。乗っ取られたと同じです。あの小間物問屋は母の家だったのです」


 八千代も涙をこぼしていた。当時の口惜しさが蘇ったのだろう。


「そしてその挙句に妾は、わたくしを他の商家の嫁にやる事を勝手に決めてきました。それは四十過ぎの男の後妻でした。女癖の悪いと評判の男でございました。さすがの父もそれはひどいと思ったらしく、珍しく妾に意見をしておりましたが、聞き入れてもらえませんでした。わたくしが嫁に行けば、跡取りは妾の娘になります。長女としてのわたくしの存在が邪魔だったのでしょう。そんな時、やめていった奉公人が加藤様の城へ来いと言ってくれたのです。そんな扱いをされて、生き地獄でございました。それにわたくしは妾の言いなりになるのは絶対に嫌でした。夜逃げのような形で家を出ました。そして、加藤様の城に勤めることになったのです。もう父にもあの家にも何の未練もございませんでした。妾もわたくしを厄介払いしたかっただけなのでしょう。それからは何も言ってはきません」


 八千代は、理子を見て、次に雪江に視線を向けた。何かを決断したような強い目だった。


「わたくしは妾を憎んでおります。世間でいう妾という存在すべてにも。だから、自分がいつかこの人ならばという人と所帯を持ったとしても、その人がいずれ変わるかもしれない、自分の他に妾を作るかもしれないと思うと、その人を本気で好きになることができないのです。佐和さまは、そんなわたくしの過去も知っていました。それで、敢えてわたくしに明知様の元へとおっしゃったのです。わたくしなら、ご正室の苦悩を望まないと。女の感情をむき出しにし、明知様を取り合うような真似はしないであろうと。その子供も母同士がいがみ合うことを快くは思わないと知っている、その立場をよく知っているのはこの八千代しかいないと」


「そうですけど・・・・・・」

 雪江は納得できないでいた。

 その佐和という人もすごい。そこまで読んで、この八千代を側室に選んだというのだ。

「わたくしは自分のさげすむ側室という存在。ご正室を母と同じような苦しみを与えないと見越しての抜擢だったのです」


「じゃ、八千代さんは安寿姫のためにここへ来たんですね。安寿姫は、八千代さんに嫉妬をしなくてもよかったんですね」

「はい、わたくしはそうするためにここへきております」


「八千代さんは、本当にそれでいいんですね」

 こんなことを言ってはいけなかったのかもしれないが、聞かずにはいられなかった。

「はい、この八千代、我が身をここに捧げるために参りました。明知様と安寿様のために」


 雪江にはそれ以上の事はもう言えなかった。その強い決断に驚いていた。

 雪江は二十一世紀の自分と比べてみる。

 高校生活の自分は、まだまだ子供気分で自分の進路も漠然としか考えていなかった。大学進学してもまだ遊べると思っていた。

 それから普通に仕事をして、誰かと出会い、適当な年齢で結婚、家庭を築き上げる、一年に一度家族で海外旅行ができたらいい、そういうふうに考えていた。

 二十歳で、こんなふうに強い決意を持って、自分を犠牲にしようということが信じられなかった。それを哀れに思うのは勝手な周りの想像なのかもしれない。八千代の中には自分の信念を貫くという誇りのようなものが感じられた。


「私にはその心は理解できないけど、八千代さんの言おうとしていることは分かったつもりです。安寿姫にそう言ってもいいですか」


 八千代と理子が顔を見合わせた。

 理子が言う。

「よい。雪江殿からそう言ってくれるか」

「はい、わかりました。これで安寿姫がもう嫉妬をしないで、二人が元通りになってくれればいいんですけど」

「誠になあ」

 八千代はただ、黙って平伏していた。自分のすべてを語り、これからの運命を雪江に託している、そんな様子だった。



 もう陽も傾く夕暮れ時に加藤家を後にした。そんなに長く雪江たちは話していたのだ。


 理子は、明知も八千代が女としての感情を捨てて、奉公するつもりで来ていると知っていると言っていた。安寿もそのことを知っているのではないかと思う。でも、なにか勘違いをして八千代のことを受け入れられないのかもしれない。とりあえず、屋敷に戻ったらすぐに安寿にこのことを報告するつもりだった。

 あの八千代という存在は、安寿が気にすることはなく、味方なのだと。雪江が今日、耳に入れた話を聞かせれば、安寿の心は晴れると思っていた。


 夕餉ぎりぎりに帰り、その足で安寿のところへ行った。安寿はその勢いに驚いていたが、雪江の話を聞いているうちにどんどんとその表情が変わっていった。晴れるどころか、曇っていって泣きそうな顔になっていた。

「申し訳ございません。雪江様、わたくしは気分がすぐれませぬ。少し横になりとう存じます。急で申し訳ございませんが、夕餉は喉を通りませぬとお伝え願います」


 確かに安寿は真っ青な顔をしていた。侍女がすぐさま駆け寄ってきて、安寿を奥の部屋へ連れて行った。

 雪江にはなにがなんだかわからなかった。

 雪江が言ってはいけないことを言ってしまったのか。絶対に安寿は八千代の話を聞いて、気が晴れると思ったからだ。八千代は明知を取り合うような存在ではないと。


 わけも分からず、そのまま雪江は夕餉の場へ座った。

 龍之介も困惑していた。昼過ぎから出かけて、そんなに話が長くなるとは思ってもいなかったらしい。

 しかし、ここでは何も聞いてはこない。給仕をする侍女もいるし、明知が遅れて入ってきたからだ。


「遅れて申し訳ございませぬ。安寿の様子を見てきたところで」

 明知は心配そうだが、龍之介と雪江には穏やかな表情をみせる。

「気分が悪いって・・・・大丈夫?」

 雪江の声かけに、明知は少し間をおいて言った。

「はあ、・・・・・・。泣いていて拙者も会えませんでした」

「泣いてた?」


 龍之介が雪江を見る。

「そなたが加藤家に出向いたこともそうだが、戻ってきてから何か話したのであろう?」

「う・・・・ん、まあね。でもさ、でも・・・・」

 ここでは言えなかった。しかし、雪江が安寿を泣かしたということは明白だった。

「雪江がこんなに遅くなるまで向こうの屋敷にいたということは、誰にも尋常な訪問ではないと見当がつく」


 龍之介が理子に直接聞けと言ったのに、雪江が理子のところへ行ったことが安寿を傷つけたような言い方をしたから、キッとにらみつけてやった。

 絶対に感じ取っている龍之介だが、どこ吹く風で、知らん顔していた。


「ね、ここじゃ話しにくい。この後、湯あみが済んでから、台所の小部屋に行かない? あそこなら夜、誰もいないし、ちょっとした話ができる、借りられるように徳田くんに言っておくからさ」


 黙々と食べていた龍之介が、ちょっと上目づかいで明知を見た。明知は涼しげな顔でうなづいた。

 ここでは込み入った話ができない。しかも、加藤家の奥の内緒話、侍女たちに知られたらまた、事が面倒になる。三人だけで話ができればその方が早い。


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