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中屋敷のティタイム

次の話につなげるため、短いです。

 翌日、雪江たちは昼過ぎに中屋敷へ戻っていた。その足で台所へ行く。夕べのケーキのお礼を言うためだった。


 中屋敷の台所は、中洲の料亭と同じように広く、機能的に作られていた。調理台も背の高い裕子や徳田が自由に調理しやすいよう調節できるようになっていたし、石でできたオーブンもあり、かまども四つある。外の井戸からひいた簡易の水道で洗いものもできた。もちろん、外には冷蔵庫代わりの氷室もあった。今の寒い時期にきれいな氷を作って保存しておけばしばらく大丈夫だった。


 その広い台所の奥にテーブルと椅子があり、ちょっとした合間にくつろげる空間があった。しかし、他の使用人たちは椅子に座ることに慣れていないため、床へ座り込んでいた。だから、座布団も用意してある。その部屋で、雪江は裕子と徳田とお茶をしていた。


「夕べはホントにびっくりした。あんなに感動した誕生日って初めて。ケーキ、すごくおいしかった。どうもありがとうございました」

 雪江は二人に改めて頭を下げた。

「おう」

と徳田が反り返り、威張る。

「あれはな、オレが腕がカチカチになるほど泡立てた」

 裕子もくすっと笑った。

「そうね、電動式の泡だて器があればずっとらくなのにね」

 徳田は熱い目をして裕子に訴えかけていた。

「いや、機械があってもそんなもの、裕子さんのお役に立てない。オレが常に泡だて器になります」


 はいはい、いつもの徳田が熱く愛を裕子に語り掛ける。


「でもさ、機械は電気代がかかるけど、徳田君は無料ただだし、経済的」

と言うと裕子がとんでもないという表情で言った。

「徳田君は電気代はくわないけど、ご飯を食うのよ」

 裕子と雪江が声を上げて笑った。徳田は裕子の役に立てて嬉しいから、二人の皮肉な笑いを全く気にしていない。


「あの時突然、正和様がいらして、雪江ちゃんの育ったところでは生まれた日に何か特別なことをするのか聞いてきたの。お赤飯とか誕生日パーティーとかしか思い浮かべなかったけど、徳田君がケーキって言ったの。それで、雪江ちゃんが出かけてからケーキを焼いたってわけ」

「本当にありがとうございました。やっぱ、あの蝋燭を吹き消す瞬間って、感動する」


 台所ではシンとしていた。夕食の支度をするにはまだ間があった。早朝から起きて仕事をする台所のスタッフは、このわずかな時に休憩をしていた。裕子たちのようにお茶を飲んでくつろいでもいいし、自分の長屋に戻って寝ていてもよかった。


「末吉は? 静かだね。寝てんの?」

「うん、薫ちゃんと休ませている。あいつ、眠いとぐずるし、使いものにならないからな」

「まだ子供だしね」

「うん、午前中はなるべく外してる。今度さ、ここの敷地内に学習所を作るんだってな」

「そういえば、道場の隣に建てるって言ってった。ずっと江戸詰めしている家臣の中にはこの江戸に子供がいる人もいるし、武士の子じゃない末吉とかは、別の時間に商法を学ばせるようにするって計画」

「まあ、別々になるのは仕方がないけど、子供を勉強させるっていうのはいい案だな」

 理想としては子供は皆、同じように机を並べて勉強してもらいたいが、武士と平民の子供は習うべきことが違ってくる。身分制度の濃いこの江戸時代ではまだ無理だった。


 雪江がそんなことを考えていると、徳田が改まって言う。

「なあ、オレ達、ちょっと考えていることがある」

「ん?どうしたの?」

 徳田が少し照れて裕子を見た。

「やっぱ、裕子さんが言ってくれよ」

「何よ、徳田くんらしくない」

 裕子が淡々と言った。


「私達、薫ちゃんと末吉の親になろうと思ってるのよ」

「え? 親って・・・・養子にするってこと?」


「そう、二人とも親がいない。二人を引き取って一人前になるまで見守ってあげたい」

「えっ」

「私達、二人だけなのに広い家をもらったでしょ。なんだか寂しくって、それであの子たちと暮らしてみたいって思ったの」


「あいつら、今は長屋で他の人たちにいろいろ面倒見てもらっているけど、きちんとした自分の居場所がほしいと思うんだ。ああ、ここが自分の家だって、帰ってくる場所」

「うん、それはわかる。で、あの二人は?」

「二人とも承諾してくれた。雪江と正和様にも報告してから、正式に引き取ろうと思ってた」


 末吉は以前から裕子のことを実母に似ていると言って慕っていた。薫もしっかりしているが、まだ一人で生きていくには早すぎた。


「父さんとか母さんとか呼ばなくっていいって言ったんだ。二人とも本当の親のことを覚えているし、でもさ、あいつら、そう呼びたいんだってさ。それで俺のことは厚司父さん、裕子母さんって呼ぶことになった。それなら実の親と区別がつくってさ」


「へ~え、よかったわね。これで徳田君も落ち着くのかもね。年も取っていて貫録も充分なんだけど、精神年齢の方がまだ子供だから」

「なんだよ。オレはとっくに落ち着いてるぞ」

 徳田は巨漢を乗り出して食ってかかった。

「いや、それ、とんでもない勘違いだからね」

と言うと、裕子が子供たちを諭すように言った。


「徳田君はそのままでいいのよ。子供のままで」

 裕子の言葉に、徳田は得意げな表情を見せる。わかってる。裕子は徳田のそういう子供みたいなところが好きなのだ。

「裕子さん、三人の子持ちになっちゃう気分でしょ」

と言うと裕子もわらっていた。



 それから、雪江は数回、節子のところやお絹のところを訪ねていた。もちろん小次郎をお供に連れてだ。

 そして雪江は節子の家の方角に、龍之介の双子の兄、明知の居る加藤家の上屋敷があることを知った。


 あれからずっと会っていなかった。顔はそっくりでも妙に落ち着いた物腰の明知。そしてまだ、あどけない笑顔の安寿を思い出していた。安寿は明知の側室とうまくやっているのか。いろいろ考えると心配になった。



 小次郎とお絹は、今、お互いに恋をしている様子だった。雪江が小次郎を置き去りにしたあの夜は、一晩中ずっと話をしていたらしい。お互いの幼少の頃や今のことまでを語りあかしたという。

 今は雪江が訪ねて行くと、先にお絹の顔を見て腹を撫で、簡単な会話をかわしてさっさと交代していた。

 次は小次郎がお絹と二人で一緒にいる時間だった。いつものように小次郎が恥ずかしそうに中へ入ってくる。

 雪江はお絹の腹に向かって言った。

「はい、お父さんでちゅよ。よかったでちゅね」

と赤ちゃん語?を言って、腹を撫で、立ち上がった。


「本当に、雪江。いつも小次郎さんを連れてきてくれて、なんて言ったらいいか・・・・・・」

「いいの、私が外出するときは小次郎さんを連れて行けと言うのがお父上様のお言葉なんだから。今度また泊まりをさせてやろうか」


「あ、えっ?」

 小次郎が慌てていた。

「雪江様、泊りは周りの者たちにも示しがつきませぬ故、お断わり申し上げます。あの時は若も上屋敷にお泊りになられる予定でございましたから、周りにも知られずに済みましたが、翌日の任務に差支えがございますと、その・・・・・・」

「わかった、そのうちにね。今のままじゃ、本当にわずかな時間でしょ、寂しいかなって思って」


「いいんだよ、雪江。もう十分。こうして時々顔が見られるだけでいいんだ。生まれてからも子供が父親の顔を忘れない程度に来てくれれば恩の字さっ」

 雪江は無理やりニコッと笑い、お絹の長屋から出た。今度はお絹の母のところへ行く。お勝はお茶を用意してくれていた。お絹の近況を話してくれる。

 しかし、雪江は耳で聞いてはいるものの、生返事をしていた。


 雪江は、二人が好きあっていれば、すぐにでも小次郎がお絹を引き取り、一緒に暮らしていくのだと思っていた。でも、今の話だと子が生まれてもこのままの状態が続くかもしれない。

 やはり、侍が町人を妻として受け入れることは難しいのか。


 こうして二人を会わせていることが本当にいいことだったのか、疑問に思えてきた。一時は父親はいないものとして育てるつもりだったお絹。小次郎もお絹のことは気にはなっていたが、まだ今のような恋愛は始まっていなかった。

 二人をたきつけておいて無責任だが、連れ添うことができないのなら、最初から何もしない方がよかったのかもしれないと考え始めていた。


 お勝も雪江の様子に気づく。口をつぐんだ。

「あの二人って、ずっとこのままなんでしょうか」

 お勝がはっとして雪江を見る。

「子が生まれても一緒に慣れないなら、こうして会わせることが本当にいいことなのかって思っちゃって」


 沈黙していた。

 近所の子供がはしゃいで走り回る声がしていた。それをたしなめる母親の声。どこかで赤ん坊が泣いている。


「そうですね。お絹ははじめ、小次郎様のことをあきらめていました。たぶん、雪江様がおっしゃってくれなかったら、小次郎様にも子ができたと伝える気はなかったと思います。私達にも言わなかったかもしれませんね。ててなし子として一人で育てるつもりだったようです。でも今は、たまにこうしてきてくれる雪江様と小次郎様を心待ちにしております。今はそれでお絹も満足しております。あの子の生活にもハリができました」


 それはわかる。しかし・・・・・・。

 小次郎が身分相応の武家の嫁を貰ったら、多分それはできなくなる。龍之介が身を固めた今、側用人もその時期に来ていた。小次郎もその家を継いでいかなくてはならなかった。


「大丈夫ですよ。お絹はここできちんと子を育てていきます。私も他の長屋のみんなもそのつもりでいます。それでいいんです」

 これは一度雪江が悩んだジレンマだった。

「それでいいんでしょうか」

 雪江はつぶやくように言った。お勝はそれが女の生きる道とばかりに、晴れやかな笑顔でうなづいた。


 雪江は反対に晴れない気分のまま、屋敷へ戻っていた。

 お絹のことと、久しぶりに明知と安寿のことを思い出したその夜のことだった。


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