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加藤家へ

 雪江だけは、早めに加藤家へ着く。

 久しぶりに、龍之介の実母、理子と会い、明知の正室、安寿姫と顔を合わせた。


「このわずかな時に、よくもここまで姫らしくなられたこと」


 相変わらず美しい理子は、上手に褒めてくれる。髪も伸びてようやく自分の髪で結えるようになったし、着物の着こなしも慣れてきたからだろう。

 あとは全く変わっていないはずだ。

 他愛のない話で談笑し、雪江の持ってきたシュークリームをお茶と一緒に食べた。


 理子は龍之介と会うので少し緊張気味のようだった。安寿は雪江の持ってきた雑誌のきれいな写真に目を奪われていたが、理子はどこか上の空だった。

 無理のないことだと思う。産んですぐに引き離された息子との対面ができるのだから。

 雪江は他愛のないことを安寿と話して、理子をそっとしておく。


 やがて、表向きの方から桐野家の殿と若殿が着いたとの知らせがきた。いよいよである。

 一度、雪江は理子の部屋から退出して、父の桐野正重と龍之介と合流した。



 広間の正面に加藤明隆、つまり龍之介の実父とその双子の兄、明知が座っていた。サイドには、先ほどまで一緒だった龍之介の実母、理子と明知の正室の安寿がすまして座っていた。


 その場に、正重と龍之介、その後に雪江が続いて入り、座って挨拶をする。

 龍之介がその場でやっと被っていた頭巾を取った。周囲にはなるべく双子だと知られないためだ。

 龍之介の顔を見た家老たちが、思わず唸る声を漏らした。

 それほど明知と龍之介はそっくりだったのである。龍之介の方が少しふっくらしていて、顔の色は浅黒い。しかし、目鼻だちはそっくり同じだった。


 実父、実母である二人も声が出ないほど見入っていた。安寿も思わず明知と見比べている。

 しかし、明知と龍之介は、お互いの顔を見合って表情を変えない。まるで自分を鏡で見ているように自然にしていた。


 皆が二人を見ていた。何も言わず、二人がどういう行動に出るかを見守っている様子だった。

 最初に動いたのは明知だった。

 ふっと笑いを浮かべ、

「我が分身殿はなかなか男前であるな」

 これは自分もそうだと言っている、明知のジョークだ。


 龍之介もにこりと笑い、

「誠に、忍術を使ったように見事でございます」

という。

 それきり二人は口を閉ざしてしまう。


 本来ならば、二十一世紀ならば、二人は仲の良い双子の兄弟として育ったはずだった。一緒に寝て起きて、時には喧嘩もし、時には母の理子の前で入れ替わってばれたり、興味のあるアイドルや女の子の話もしただろう。

 雪江は一人でそんなことを想像し、目を潤ませていた。


 生まれた世が違うだけで、二人は離れて暮らさなければならなかった。もし、身分が大名ではなかったとしたら・・・・。

 もし・・・を繰り返してもどうにもならないことなのはわかっているが、雪江はどうしても考えてしまう。


 正重と明隆のおざなりの大名同士の会話で、その場が保たれている。理子は食い入るように龍之介を見ていた。


 雪江は少し不安になっていた。龍之介の表情が全く変わらないのだ。感情を隠しているとしか思えない。実母を前にして、もっといろいろな表現があるだろう。しかし、全く関係のない大名家に挨拶に来ているような感じで澄まして座っているだけだ。


 やがて挨拶も終わり、家老たちがその場から座をはずした。

 広間の中にいるのは、身内だけとなった。

 もっと感情的に親子の対面が行われるかと思った雪江はかえってはらはらしていた。


「正重様、正和殿をよくここまで育ててくれました。御礼を申し上げます」

 理子がそう言って、丁寧に頭を下げた。

「正和は弟ですので、当然のことでございます。ちと、野生児になりすぎましたが」

 正重はそう言って笑う。

「兄上」

 龍之介も苦笑する。


 今度、理子は龍之介に向き直った。

「正和殿、これは母として言っておきたいこと。一度しか言わぬ故、許してくだされ」

 龍之介は、肯定するとも否定するとも曖昧な会釈をした。それでも理子の方を向く。


「明知と一緒に生まれたそなたをこの母のもとに置くことはかなわなかった。本当にすまぬと思っている。こんなに不甲斐ない母をどうか許してくだされ」

と、理子は龍之介に頭を下げた。

 皆が理子の行動に驚いていた。


「そのような・・・・加藤家の奥方様が頭を下げるなどと」

 龍之介も頭を下げた。

「奥方様には感謝しております。このわが身をこの世に送り出していただき、誠に有難く思っております。それがしは桐野で何不自由なく、過ごしてまいりました。奥方様に詫びられるようなことなどなにも・・・・・」


 一瞬、理子の表情がピクリと動いた。わずかな動揺が走ったのだ。しかし、何事もなかったように笑みを浮かべる。

 龍之介は、母の元で育てられなくても十分幸せだったと言っている。かなりの皮肉にもとれる。龍之介が里子に出された意地のようなものかもしれない。

 それに、龍之介が奥方様というのはなんともおかしい響きだ。立場としてはそうだろうが、ドラマのように一度くらい母上とか呼んでみるかと思ったのに。

 和気あいあいとした涙の対面にはならなかった。肩すかしをくらったようだった。


 もしも、龍之介だけがこの理子から生まれていたとしたら、養子に出されることはなかった。加藤家の嫡男として育っていたはずだった。

 そこまで考えていた雪江はハタと考えてしまった。


 そうなっていたら、今ここにいる雪江はどうなるのだろう。母の綾が桐野へ行く必要がなく、ここにとどまっていることになる。そうなると、綾が父に会わずにいて、雪江が存在しなくなるのだ。

 そう、双子だったから意味があるのだ。双子であったから、理子の苦悩もあり、子を思う心に支配されていた。これにも意味があるのだろう。


「母上、もうそれ以上は正和殿も言えぬと存じますが」

 理子は明知を見る。

 明知は、龍之介を見ていた。

「母が恋しかったなどと申せば、桐野の殿様に失礼にあたります」


 正重はそれには答えず、にこにこしている。

 それもそうだった。ここでの涙の対面は預かった桐野の父に対してきちんと育てなかったことにもなるということだ。

 龍之介は満足そうに明知を見た。言えなかった自分の気持ちを明知が言ってくれたことがうれしかったのだろう。さっきと見る目が違う。優しくなった感じがする。


 

 その時、雪江は気づいた。明知の表情が苦しそうになっていた。熱でもあるのか顔も赤い。

 明知が激しく咳き込んだ。


「あ?」

 ぐらりと明知の体が揺れた。

 龍之介がさっと動いて、倒れかかっていた明知を抱きとめた。

 皆が固唾をのんでいる。安寿はおろおろしていた。

 雪江も近づいた。明知の額を触るとかなり熱い。

「すごい熱」


 理子も動く。

「すぐに明知を横にさせて休ませよ」

 周りも手慣れた様子だった。熱で昏倒としている明知の体を龍之介が理子の腕に渡した。

 すぐに玄庵が呼ばれた。


 その場は騒然となり、雪江たちは別室に移動した。

 雪江は心配でたまらない。泣きそうな安寿の顔も目に焼き付いている。

「大丈夫。明知様にはみんなが付いておられる。いつもそうやって守られておったのだろう。奥方様もなかなか機敏であった」

 父がそう言う。


 しばらくして、明知の様子も落ち着いたとの報告を受けた。

「明知様は先日まで風邪を召されて寝ておられたのでございます。今日はだいぶお加減がよろしいということでしたので、安心しておりましたが」

 ポーカーフェイスの玄庵が来て説明をしてくれた。

「急に熱が上がり、驚きました。明知様自身も驚かれていると思います」

 応急処置を施した玄庵が少し笑い、雪江にいつもの顔を見せた。


 理子も来て、突然の出来事に詫びをいれた。

「今日はせっかくお越しいただいたのにこのような騒ぎになるとは、誠に申し訳なく思っています」

「いえ、明知様が落ち着かれてなによりでございます」

と父上が返答した。


 雪江たちは早々に加藤家を後にした。こんな時に長居をしては失礼になる。

 雪江は最後、理子がわざわざ来て詫びたのは、龍之介の顔をもう一度見たかったからだと感じた。

 その時、一度だけ龍之介が理子に優しい笑顔をみせた。理子も思わず顔をほころばせた。

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