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侍たちの羽根つき

 裕子がにこにこして、多田たちのほうへ近寄っていく。

 多田たちもそれに気づいて、稽古の手を休めた。


「もしよかったら、息抜きとしてやってみませんか?」

 多田が答える。

「羽根つきを・・・か?」


 さっきの裕子と雪江の特訓を見ていたはずだった。しかし、頭の中ではたかが羽根つきという思いがあるのだろう。今更、女子供のする羽根つきをという差別的な考えがあった。

 

「これも足腰の訓練になりましょう。羽の飛んでくる位置と速さ、ご自分がどう動くかの鍛錬にもなると存じまする。いかがでしょう。わたくしたちにご指導を願えますでしょうか」


 裕子にそう言われては、多田たちも断れなくなっていた。

 多田たちは顔を見合わせて、お互いうなづいた。

「まあ、たかが羽根つきぞ」

 それでも、不安な表情で羽子板を持った。

 多田のほか、佐野周一郎、古屋吉之助も羽子板を手にした。


 雪江も息を整えて立ち上がる。

 江戸対平成の対決だった。


 徳田と末吉が竹刀に紐を括り付け、簡単なネットのラインを作った。

 それ以下の羽は無効とした。その代り後ろも横の線もなし、走り回らなければならない。


 裕子がサーブを打つ。

 ネットぎりぎりに飛んだ。もちろん、威力は抜群で、それでもやっと追いついた多田が打ち返そうとするが、明後日の方向へ飛んでしまった。

「やった、ワンポイント」

 雪江が叫ぶ。

 ルールはもっとも簡単にして、打ち返せなかったら一点取られるというもの。サーブは五回打ったら相手側になる。


「今のは本当に羽つきの羽なのか」

 佐野がつぶやいた。古屋も一歩も動けないでいた。


 今度はコートの反対側で次のサーブを裕子が打つ。

 それも佐野は空振りをした。その勢いで床に転がった。

 侍たちは、表情を引き締めた。負けず嫌いというところは人一倍である。しかも、女に負けるなどとプライドが許せないのだ。


 次のサーブも五本目も空振りをした侍チームだった。

 今度は侍チームがサーブを打つ番だった。早々裕子の真似はできない。

 多田が打ち上げる。それを裕子がボレーのようにネット際から打ち返す。羽は古屋と佐野の間にびしっと決まった。

「むむむ。小癪こしゃくな真似を」


 裕子はわざと侍たちを煽って(あおって)いたのだ。本気で立ち向かうように。

 侍たちは、裕子を超えるように羽を打った。後衛の雪江を狙って。

 雪江もピシャリと打つ。しかし、裕子ほどの威力がないため、佐野が簡単に打ち返してきた。それも裕子の背を超えるように高く。

「小癪な真似はそっちでしょ」

 

 雪江は早くも息を弾ませていた。コートの制限がないので、どんな球も見送ることができないのだ。

 雪江も頑張って遠くに飛ばすが、相手は三人。楽に打ち返してくる。

 侍たちの球は威力はないが、確実にこちらへ飛ばしてきた。裕子も作戦を変えて雪江とコートの半分を受け持つ。

 ラリーが続く。侍たちは裕子や雪江のテクニックをよく見ていて、真似をしてきた。そうするとたまに早い球が飛んでくることもあった。


「初心者なのに、なんでこんなに上手なの」

 雪江が息を弾ませて途切れ途切れに言った。

「ね、毎日剣の稽古をしているお侍さんたち、体力はあるし、反射神経は抜群でしょ。怠けてはいられないものね。命に係わるんだから」


 それでも裕子が打ち返してくれて平成チームが優勢だった。

 最後、多田の打ったものを打ち返そうとして、雪江が派手に転んだ。

 あっと思ったときは、もう床が迫っていて手から転び、膝もしたたかに打った。


「雪江ちゃんっ」

「雪江姉さん」

「雪江っ」


 三人が雪江の名を連呼する。

 さすがの侍たちも雪江という名前に反応した。


「雪江・・・・・さまではあるまいな。偶然にも同じ名前なのであろう・・・・・・のう・・・・」

 不安にかられる多田。

「わしもそう思うたが、姫さまである雪江様は確かまったく別の環境でお育ちになったと伺っておる。まさか、まさかであろう」


 侍たちは、膝をすりむいて袴をたくし上げている雪江を見た。

 恐る恐る、多田たちは雪江に近づいた。

「そこもと、大丈夫か」

 多田はもっていた手ぬぐいを切り裂くと少しばかり出血していた雪江の膝に縛りつけてくれた。


「ありがとうございます」

「いや、なにも・・・。そなたは・・・・雪江…と申すのか・・・・・まさか」


 多田がそこまで言ったとき、道場に十名ほどの侍たちが入ってきた。

「若さまのご稽古なるぞ」

という。


 まず、小次郎が顔を出した。

「やっ雪江様」

「げっ小次郎さん」

 雪江はすっくと立ちあがった。手首は痛いがそれでも羽子板を持ち直す。


 若さまって言った?ってことは、龍之介がくる。

「雪江様がこちらにいると伺って参りました次第です。若様が戻られまして、雪江様を探しておられましたぞ」

「龍之介さんが帰ってきたの。早かったんだ」

 雪江はうれしくてはずんだ声を出した。

「はい、殿はまだ挨拶周りから戻られておりませぬが、若様は今日は初日ですので先に帰ってよしとされましてございます」


 他の侍たちが道を開ける。その間から龍之介が稽古着を着て入ってきた。

 雪江が龍之介のこうした姿を見るのは初めてだった。

 みんながその場に平伏しようとした。

「そのままでよい。道場だ」

と、龍之介がいう。


「龍之介さん、早かったんだ。稽古、するの?」

 龍之介は雪江の袴姿を見て苦笑する。

「雪江もなんだか勇ましいのう。少し薙刀なぎなたでもはじめるか」

「羽根つきをしてたの。龍之介さんもやる?」


 多田と佐野、古屋が突然、ひれ伏した。

「雪江様、姫様とは存じあげず、ご無礼のほど、お許しくださいませ」

と叫んだ。


 雪江はきょとんとして三人を見た。

「何を許すの?」


 龍之介は笑った。

「きっとまた、きちんと名乗らないでいたのだろう。よいよい、そちたちがかわいそうじゃ。雪江はいつもこんなふうにかき回すのでな」

「かき回すってなによ。私はただ、羽根つきをしたかっただけなの」

 雪江はふくれっ面をした。


「今日は挨拶周りばかりで疲れた。ちと体を動かしたくてな」

と、小次郎から木刀を受け取る龍之介。

「龍之介さんの稽古、見てていい?」

「うむ」


 周りの侍たちも正座をしてみている。

 龍之介と小次郎の稽古だった。

 考えてみれば、二人の稽古を見たことがなかった。いつも近くの寺でやっていたらしいが。


 龍之介も小次郎もいつもの表情と違う。真剣な眼差しで、剣を構えて動かない。じりじりと横に動くが、打ち合おうとしなかった。

「すんげえ」

と徳田がつぶやく。

 それほどスキがないらしかった。二人ともお互いをよく知っているし、いつも一緒に稽古をしている。そのお互いのわずかなスキを狙うのだ。

 静けさに、足をする音がよく聞こえる。ピンドロップの静寂さ。

 その時、末吉が持っていった羽子板を床に落とした。

 

 カランという派手な音を立てた。皆が驚いて跳ね上がったとき、龍之介と小次郎が打ち合いを始めた。お互いのスキを見逃さない。

 雪江はその打ち合いに見入っていた。素人目にもすごく気合いがはいっている。息をもつかせぬ勢いに雪江は手に力が入った。


 惚れ直すという言葉はこういう時に使うのだと感じた。

 龍之介も小次郎も普段とは違った凛々しさがあった。雪江の全身に鳥肌がたつようだった。

 二人の打ち合いは、勝負がつかない。近寄ったと思うと離れるし、寄せては返す波のようだった。

 しかし、小次郎が打ち込み、それを際どい角度で龍之介がかわし、木刀をピタリと小次郎の背、ぎりぎりに止めた。


 決まった。

 ほぅと誰もが息をついた。

 二人はお互い礼をして、龍之介が雪江に笑顔を向けてきた。

「すっごい、龍之介さん。二人ともすっごくかっこよかった」

「そうか」

とまんざらでもない顔をする。

「では、雪江にも付き合おうぞ。羽根つきをするか」


 雪江が喜んだのは言うまでもない。

「さっき、こっちの多田さんたちにお相手をしてもらったの。この人たちも上手よ。動きは彼らの方が機敏だし」

 しかし、多田たちは雪江が姫だと知ってしまって、恐縮しっぱなしだった。


「じゃあ、こうしましょう。小次郎さんと私、龍之介さんと雪江ちゃんでちょっとやってみましょうよ」

と裕子が言った。


 最初は裕子と雪江の打ち合いで始まる。

 さっきと同じように、ものすごい勢いで羽が飛び交った。

「これが羽根つきか」

 龍之介が驚いていう。


 雪江は羽子板を手に、腰を低くして裕子のサーブを待った。こっちも真剣勝負だ。雪江はだいぶ、カンを取り戻していた。サーブと同時に動く雪江。

 テニスの素振りでなんとか裕子のところまで打ち返すことができた。これならかなりの威力のある球が打ち返せる。

「やるじゃない、雪江ちゃん。早いわね、カンを取り戻すの」

「裕子先輩にはお世話になってますからね」


 結局、裕子と雪江は龍之介と小次郎を全く無視して、二人で打ち合いをしていたのだった。



 その日の夕餉は、父上に龍之介の初稽古の様子と羽根つきを語った。

 父も長い一日だったはずだが、疲れはみせていない。

 雪江の話に目を細める。

「その興奮の様子では、かなり正和に惚れ直した様子。そうであろう」

 父のその言葉に、雪江は恥ずかしそうに龍之介を見た。

 事実だったから。

「兄上、それよりも雪江の羽根つきは格別でした。あんな速さで飛ぶ羽は見たことがございませぬ。まるで飛ぶ鳥のような勢いでございました」

  

 父は少し酒をたしなみながら二人の会話に耳を傾けていた。


「そう、明日は加藤家に挨拶に参る。正和は頭巾をかぶっていくが雪江もどうだ、くるか」

 加藤家、龍之介の兄と実母がいる。

「もちろん、行きます」

と元気よく答えた雪江だった。ついに龍之介が実母と会うことができる。

 

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