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千里の噂話 2

 肝心なところを全く聞いていなかった雪江。

 ちんぷんかんぷんだった。


 もし、あの八重が龍之介の側室になったら・・・・・。

 ものすごい不安に包まれる。たぶん、耐えられない。


 テレビでも見たことがあった。将軍が毎夜のごとく、若い側室ばかり訪ねていって、正室のところへは足を向けない。そこから大奥の黒い渦巻いた女の戦いが始まるのだ。

 側用人が将軍に、正室のところへも行くようにとすすめるが、渋い顔をするという場面。

 たぶん、この時代に生まれた姫ならば、そういうものだと諦めきれるかもしれないが、雪江はそうはいかない。一夫一妻の時代に育っているのだから。

 でも、どうする? 自分に問う。

 もしも、龍之介が八重を・・・・・・。そう考えただけで、嫉妬の渦が巻き起こった。


 ぐっと握りこぶしを作り、

「まず、龍之介を締め上げて、懲らしめる」

と、つい声に出してしまった。


 ヒッと千里と薫が怯んだ。

「龍之介だなんて・・・・・若様のことを呼び捨てにするなんて・・・・・無礼も程がありますぞ」

 千里が厳しい声を出した。呼び捨てどころか、締め上げて懲らしめるとまで言ったところは無視された。

「ああ、そうでした? ごめんなさ~い」

と、口では言うが、全く心のこもっていない謝り方だった。


 いらいらしていて、頭の中がどうにかなってしまいそうだった。

 薫が心配そうに雪江の顔を見た。

「千里ちゃんの話、聞いてました?」

「え? うん、途中まで・・・・・・」

 薫はやっぱりという目を向ける。そして、小さい子供に諭して言うようにゆっくりと言った。


「百合絵さんが、八重ちゃんを御内証の方に勧めましたが、若様が御内証は必要なしと仰せになられて、その話はなくなり、一時期、期待した八重ちゃんはがっかりして寝込んでしまったということでした」


 雪江は、その薫の言葉を少なくとも五回は反芻してみた。

 ってことは・・・・・何事もなかったってこと・・・・・よね。

「あ、そうなんだ。それで・・・・・」


 八重には気の毒だが安心した。

 とたんに表情が明るくなる雪江。


 この千里は、薫と同じように子供だと思っていたが、なかなかの情報を得ていた。もしかするともっといろんなことを知っているかもしれない。

 少し探りを入れることにする。


「じゃあさ、成瀬っていう若い医者のこと、知ってる?」

 千里はもちろんという顔をした。

「男でこの奥向きに入ってこられるのはお医者様だけですから。それに成瀬さまは・・・・。奥女中の関心が寄せられています。あの方はずっと姫さまのためにずっとこちらに詰めておいでで、いつも夜中にご自分のところへ戻ってこられるのです。いつもお疲れのご様子、ですから、そのときには、わざわざ起きて声をかける奥女中もいるんです」


 あんなおどおどした男でも、ここではそんなに人気があるのか。

 雪江は少し呆れていた。


 もう三人は物置部屋の掃除はそっちのけで、長持ちの上に座り、話しこんでいた。

 掃除をしながらでは、埃が立ち込めてきて息苦しくてたまらない。

「で? あの成瀬はまた朝になるとこっちへ来るっていうわけね」

「まあ、おきえさんは成瀬さまのことまで呼び捨てにして・・・・・」

「あ、すいません」

 つい、言ってしまった。あんな奴に様をつけるのは心苦しい。


「おきえさんは成瀬さまには会っているんですね」

「うう、まあ、会ったというかなんというか・・・・。煮え切らない男っていうか」

「そこがいいんですよ。ちょっと迫るとたじろぐっていうところが。」

「千里ちゃん、迫ったことあるの?」

 薫が驚いた顔をむけた。

 千里が辺りを見回して、誰もいないのにしぃ~と指を立てた。もしかすると盗聴器かなんかがあるのかもしれない的な念の入れようだ。


「ある」

と一言。

 薫は絶句していた。


「奥女中の中で誰が成瀬さまを落とすか、みんなで競争していたんです。このくらいのことしか私たちには楽しみがないんですから。夜遅くまでいて、成瀬さまがこの奥向きを通って帰られる時、順番におにぎりの差し入れをしたり、お酒のおつまみを渡したりしていたんです」

 

 う~ん、面白いことをやるものだと雪江は感心していた。奥女中も家臣たちもみんな、この江戸屋敷内に長屋や家をもらい、住んでいた。よほどのことがない限りは、この敷地内からは出ない。ここが生活の空間になっている。


「千里ちゃんはどうしたの?」

と雪江が聞いた。

「私? 私は・・・・お酒とつまみを用意して・・・・・渡しました。でも、もうその頃、成瀬さまには・・・・いい人がいて・・・その・・・受け取ってもらえませんでした」

「いい人?それって誰?」


 雪江の声に力がこもる。

 成瀬のいい人なら・・・・・あいつが庇う相手にも等しい。


「このことは誰も知りませんよ。内緒です。誰にも言っちゃだめですよ」

 そう念を押した。でも結局は言いたいのだ。

「成瀬さまに差し入れを断られて、本当はすごくがっかりしていたんです。それでちょっと後をつけて行ったら・・・・成瀬さまの長屋に華やかな女性が入っていって・・・・・・ああ、もう普通の関係じゃないなってわかりました」


 千里の語り口調は、もう女性週刊誌の見出しのようだった。早く中を読みたい、知りたいとかきたてる。

「ねえ、それって誰? 知っている人なんでしょ」

「百合絵さんでした」

と、千里はにやりと笑った。


 ショックで声が出ない。

「ちらりとしか見えなかったけど、あれは絶対に百合絵さん。それにちょくちょく、八重ちゃんの病状も見てもらっていたから、例え成瀬さまのところへお伺いしたところを見られても、行く理由があるんです。」

「じゃあ、本当に八重ちゃんのことで相談があったんじゃないの?」

と、意地悪く聞いてみた。


 千里は鼻で一笑した。

「あんなにぷんぷんお香の匂いをさせて、真っ赤な口紅まで付けてですか? そういう相談ならむしろ、地味な格好をするんじゃありませんか? 夜中に男の住まいに身を寄せるんだから」


 千里の方が読みが深かった。雪江も女性週刊誌やらテレビやらで芸能人情報は詳しいが、具体的な逢引の仕方までは知らなかった。

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