八重
薫たちが張り替えた障子を、雪江が運びこむ。
お末頭の井上が、雪江の動きに感心していた。
「あ、おきえって言ったね。力があっていいね。もう少し手伝ってくれるかい?あの千里と薫はもう自分のところの長屋の掃除に行っていいっと言っとくれ」
「はい」
気に入られるのはいいが、あの子たちと別行動になるのはいささか心細かった。
外に出て、千里と薫に井上から中を手伝えと言われたと伝えた。
薫は困惑していた。
「おきえさんは? どこへいくの? 誰かが一緒にいないといけないんでしょ。私も一緒に行く」
千里は、薫の態度に驚いている。
「なんで? どこへ行くって言ったって、お屋敷内なんだから」
「それは・・・・そうだけど」
薫は雪江のことを心配してくれているのだ。
笑顔を向ける。
「大丈夫よ。井上さんの手伝いなんだから。もし、お初様が来たらそう伝えてくれる?」
「はい」
八重が反応した。
「お初様って、あの姫さまのお世話役の?」
「なぜ、おきえさんがお初様に? あ、もしかしたら、おきえさんってお初様のお部屋方かなんか?」
お部屋方とは、上級の女中が自分の身の回りのことを手伝わせるために、個人的に雇った人のことだ。その方が都合がいいかもしれない。
「ええ、まあそんな感じです」
あいまいに返事をしておく。
八重は目を輝かせていた。かなり興味がありそうだ。
「じゃあ、おきえさん、姫さまをご覧になったことある?」
どきりとする。雪江に、雪江を見たことがあるかってこと?
千里が怪訝そうな顔をする。
「お世話役はお目見え以下でしょ。そんな機会があっても無理」
「ちょこっと見るだけならって思うんだけど、そんな機会ってないのかな」
「ええ、まあ。ちょこっとなら・・・・・」
「え、あるの?」
「いや、よく顔は見えませんでした」
と答えると、八重はがっかりした顔をした。
「ああ、八重ちゃんは若様が好きなんだもんね。ご正室の姫さまにも関心はあるのよね」
と、少しからかうように千里が言った。
なぜ、ここに龍之介が出てくるのだろう。
「若様を知ってるの?」
「そう、八重ちゃんは昔、甲斐にいたころ、若様と一緒に遊んだことがあるんだって。それが自慢なんだよね」
そういう千里の言葉に、八重ははにかんでうつむいた。
「一緒に遊んだ? 知り合いなの?」
と雪江は少し的外れなことを言う。
「子供の頃、若様はいつも外で剣の稽古をしてされていました。時々、私たちの住む長屋にまで来て、私たちと一緒に遊んだりしたことがあるだけです」
「へ~え」
こんなかわいい娘が、龍之介と知り合いと聞いて少し動揺する。
「姉上が呉服部屋を志願し、江戸屋敷に入った時、私も行きたいと・・・・。それで一生懸命にお針の稽古をしました。やっとここまで来られたのに、体の調子を崩してしまって・・・・」
八重はそう語りながらも、少し悲しげだった。
「八重さんは若様が好きなんだ」
雪江がつぶやく。
「そんな、恐れ多いことを・・・・」
恋敵? いや、八重は呉服部屋の見ならいのお針子。身分が違う。しかし、龍之介の目に止まれば、側室になれる。
そこまで考えると、雪江に怒りと嫉妬の炎がメラメラと燃えたのだった。
もし、そんなことになったら、絶対に許さない。もちろん、龍之介をだ。
「八重? 起きてていいのかい?」
雪江たちの背後で声がした。八重の表情が明るくなる。
「姉上」
振り向くとそこに呉服部屋の百合絵がいた。相変わらず華やかだ。
百合絵は薫と雪江を見る。
「ああ、確か台所の・・・・」
「はい、薫でございます。そしておきえさん」
「ああ、そうそう」
百合絵は思い出して、改めて雪江を見ていた。