庭での内緒話 龍之介
朝になり、中奥にて龍之介は成瀬と話した。
龍之介も成瀬が怪しいと思っている。
しかし、彼がどうやって奥女中たちに雪江のよくない噂を立てさせているのか。なぜ、彼がそんなことをしなければならないのか疑問だった。
雪江が成瀬に目通りする以前から、噂はされていた。ということは、雪江個人に対する嫌がらせというよりも、もっと奥深いものがあるように思えた。
雪江は龍之介と一緒に成瀬と話をしたかったが、頑として龍之介は首を縦に振らなかった。すぐに感情的になる雪江がいては話がこじれると思ったのだろう。
それならば、隣の部屋で中の会話を聞いてもいいということで落ち着いた。
隅のふすまを少し開けて、中の様子も見る。一応、お初も一緒にいるが、まるで猫が隣の座敷をのぞきこんでいるいるような雪江の格好を見て、あっけにとられていた。
「新しく来られた助手だそうだな。すると雪江がここへきてから、そちも来たことになるのか?」
龍之介は静かに、そう話し始めた。
手ぬるい。もっと単刀直入に切り出せばいいと雪江が心の中で叫ぶ。成瀬はあれだけ怯んでいるのだから、すこし脅かせばすぐに口を割ると考えていた。
しかし、龍之介はいろいろな話をしてから成瀬の緊張を解いていた。
「奥向きでの噂を知っておるか」
「は?」
「雪江のことをあざ笑うような噂じゃ」
「いえ、存じませぬ」
成瀬にしては即答だった。
「初夜のバタバタ騒ぎも奥女中たちに筒抜けだったそうじゃ。特にお末たちが面白おかしく話していたそうな」
成瀬ははっとした。
「あ・・・・・それは・・・・・」
「わしは、そちが誰かにうまく話をさせられたのではないかと思っておる。奥向きの姫の内情をよく知るそちなら、なんでもわかっているはずだ。何気ない話から巧妙に聞きだされているのかもしれぬ」
成瀬は絶句していた。
「誰に言ったか。その者の名を言うてみよ。すぐにはその者もどうにかはせぬ」
「このままでは、あの雪江も治まらぬのじゃ。知っておろう、雪江の性格を」
「はい」
まるで恐ろしい物の怪のような言い方をする。むかっとして、思わず握りこぶしに力を込める。
「今ならその者だけを処分するだけでいいかもしれぬ。しかし、このまま続くようであれば、わしは奥向きの女中すべてをやめさせて、新しい女中を雇い入れる覚悟もしておる。雪江はそこまでしたくはないようだがのう」
成瀬は真っ青になっていた。
「どうじゃ、事と次第によってはそちの処分は咎めなしとしてもよいぞ」
いいぞ、龍之介と、雪江は心の中で応援していた。もう少しでホシはオチる。まるで刑事ドラマだ。
しかし、成瀬は思いつめた顔をあげて、きっぱりと言った。
「わたくしを・・・・・どうか処罰してくださいませ」
「ん?」
龍之介も成瀬の言葉に面を食らう。
「わたしくが面白半分に、いろいろな奥女中たちにふれまわったのでございます。ですから誰がという特定はできかねまする。わたしくを処分してください」
成瀬は龍之介に平伏した。
雪江は成瀬がここまで頑固に誰かを庇うとは思ってもみなかった。ここまでこじれると絶対に口をわらないだろう。不覚だった。
昨夜から目をつけているだけで泳がせておけばよかった。(雪江、本当に刑事ドラマの見すぎ)
それ以降は成瀬は黙秘を続けた。二言目には、自分を処分せよと訴えるのみだった。
成瀬の処分は、一応、中奥にて謹慎。誰とも会わないというものだった。
昼間、龍之介と雪江は広い庭にいた。
屋敷内はそろそろ晦日の大掃除をしている。それならば、外に出て話をする方がかえって内緒話ができる。
小次郎とお初が少し間をおいて後をついてきている。
「ねえ、あの助手、絶対に白状しないわよ」
「うむ、わしもそう思う。あの成瀬だけを処分すれば済む問題ならいいのだが」
お初には、雪江の噂が面白おかしく広がっていることを言った。やはり、お初と節子には知らされていなかったのだ。
それを聞いたお初の表情は驚きと、そしてそれが泣き顔に変わっていった。
当の本人があっけらかんとしているのに、お初のほうが悲観的に反応していた。
「ねぇ、成瀬の身辺をあらってみればわかるんじゃない? 成瀬と関係のある人物が奥向きの女中の中にいるんだと思う。恋人でもガールフレンドでもいいから。とにかく面識のある人」
龍之介も雪江のカタカナ語にはいちいち、目をむかなくなった。さらりと受け流す。
「そうだな。あれだけ庇うということは、誰か心当たりがある証拠。自分が処分されても庇う人物がいるはず」
「ね、龍之介さん、もう一度チャンスをくれない?私、今から奥女中として潜伏する。大掃除してるから、そのために雇われたって言ったらわかんないじゃない?」
「え? いや、しかし」
龍之介がまたかという顔をした。
「台所でもいいんだけど、あそこは噂のことを毛嫌いしているから関係ないと思う。別のとこ、一番下のお末たちがいるとこに入る」
お末とは、奥向きの掃除や雑用全般を引き受ける女中たちのことだ。今日は大忙しで掃除に明け暮れていることだろう。
それもわかっていて、雪江がそこへ入るという。
「馬鹿なことを言うな」
そう制したが、雪江は全く聞いていない。
「できたら明日まで。今夜、女中たちの中に泊まってみてあの人たちの話を聞き出してみる。それと成瀬のことも。なにかわかるかもしれないから」
「駄目だ」
「成瀬が謹慎していることはまだ誰も知らないはず。今だけなの」
「駄目だ。そんな無防備なところへ雪江をやるわけにはいかない」
「なんでよ。それしかないでしょ。それかあの医者を拷問にかける? 無理やり自白させよっか?」
少し後ろに控えているお初は、雪江の言動にひいている。
小次郎がそんなお初を見て苦笑した。
「あのお二人はいつもあんなふうに言いあうのだよ。心配はない。正和さまも率直な雪江さまをよく存じているから」
「は、はい」
しかし、雪江の怒りは絶頂に達していた。
「なによ。龍之介の石頭。頑固者、そんなんじゃもてないからね。あったまくる。龍之介のわからず屋」
雪江が脅したり食い下がるが、それでも龍之介は頑としてうんと言わなかった。
さすがの小次郎もここまでの会話はひどすぎると思い、
「若、もう少し声を落としてくださいませ。屋敷内に聞こえまする」
龍之介は涼しい顔をして小次郎に言う。
「小次郎、わしは何も申しておらぬぞ。罵倒しているのは雪江ぞ。なぜ、雪江に直接、うるさいと言わぬのだ」
小次郎は黙る。
雪江は小次郎を見て、
「わかりましたよ。まったくもう。黙ればいいんでしょ。黙ればっ」
と怒鳴った。
その背後から突然、聞き慣れた声がした。
「雪江、お前の声、スッゲー響いてたぞ。お屋敷内の侍たちが騒いでた。若様が姫さまに罵倒されてるって。そんなこと言ったら、龍之介さんの顔がたたないぞ」
そのなれなれしい言い方、ぱっと振り向くと、そこに徳田と裕子がいた。
「きゃー、徳田くん、裕子さん」
雪江は走り寄った。
「どうしてここに?」
「わしが呼んだのじゃ。忙しくしている中、悪かったが」
「ありがとう。龍之介さん。愛してる。最高よ。ごめんなさい」
屋敷内に聞こえるようにわざと大声を張り上げた。