ハプニング
身支度を整えて寝所へ向かう。
先を行くお初が明かりを下に向けて、足元を照らしてくれた。
本当に一つ一つ、人の手がかかっている。雪江だけが行動すればいいというわけではないことが実感された。
寝所へ入った。
昨日と違う絵の屏風と行燈、布団も数段ゴージャスになっている。別に昨日と同じでいいのに。
節子からきちんと正座をして、龍之介を迎えるように言われている。しかし、龍之介はなかなか来なかった。足は痺れるし、肩は冷えてくるし、どうにも落ち着かない。
控えの間にいるはずの節子たちに話しかけてみる。
「ねぇ、先に寝ててもいいかな?」
「それはなりませぬ」
と、節子の厳しい返事が即、かえってくる。
やはり、だめか。
「じゃあさ、お布団の中に入ってていい?」
「それもなりませぬ」
「え~、なんで?」
「姫様は、眠ってしまわれますので」
雪江の性格をよく読んでいる。
そこへやっと龍之介が現れた。
一応、言われた通りに手をついて頭を下げ、龍之介をお迎えする。
顔をあげた途端、
「遅いっ」
と一言、言ってやった。
「姫様っ」
と、控えの間から叱責が飛んでくる。
「なんだ、ご機嫌斜めだな」
「あったり前よ。何時間待ってたと思ってんの」
「姫様っ」
とまた言われる。
龍之介もたびたびの叱責に声をひそめて、
「節子もご機嫌斜めだな」
と言った。
もう雪江は待ちくたびれて、早く作戦会議を終わらせて眠りたかった。
雪江は早速、龍之介の頭から布団をかぶせて内緒話を始めた。
雪江の作戦とは、まず控えの間にいる節子とお初に用事を言い渡し、一度外させる。その誰もいない状態で、噂の種になるような話をわざとしてみるのだ。もしも、その噂が翌日広まっていれば、確実に第三者が聞き耳を立てているとわかる。
そう龍之介に言うと、
「よくもまあ、そういう知恵は働くのう」
とあまりうれしくない言い方で感心された。
「じゃあ、早速、龍之介さんは喉が渇いたからって言って、お水をもらって。たぶん、お初が行くと思う。そしたら、私が節子さんに私の部屋からお香を取ってくるように頼むから」
「あい、わかった」
結局のところ、龍之介もこういった企みは結構好きそうだった。きらきらと目を輝かせている。
龍之介はわざとらしい咳をして言った。
「あ、済まぬが水をくれぬか。なんだか喉がおかしくなって・・・・」
控えの間から小さい声が「はい」とかえってきた。
やはり、お初が行くのだろう。
台所までの往復約十分程度と考えて、お初が控えの間を出たら、すぐに節子に言わないといけないので、耳をすませる。
お初が立ち上がったような衣擦れの音がした。しかし、そのすぐあとに、節子の「あっ」という声とドタンという何かが畳に倒れる音がした。
雪江と龍之介は顔を見合わせる。
「お初、お初、どうしたのじゃ、お初」
節子の緊迫した声がした。
なにか起こったらしい。龍之介は一足先に布団から飛び出していた。
雪江も飛び出して後を追う。控えの間に入った。
お初が倒れていた。節子はどうしていいかわからず、おろおろしている。
龍之介が抱き起そうとするのを雪江がとめた。
「だめ、原因がわからないから動かしてはだめなの。息はしているから、とりあえず横を向かせて」
高校の一日看護で習ったことだった。気を失っている人は、息をしているかどうか確かめて、とりあえず横を向かせる。嘔吐物からの窒息を防ぐためだ。
お初の顔色は青く、冷や汗をかいていた。一応、胸元を広げ、呼吸がらくにできるようにした。
すぐにお初は目を開けた。しかし、顔色は青いままだった。
節子が突然叫んだ。
「成瀬どの、おらぬのか。成瀬どのは」
「え?」
節子の叫びで、他のふすまが開き、杉原入道の助手、成瀬が姿を現した。
「すみません。中で何が起こったのかよくわからなくて・・・・・」
「そんなことより、お初を・・・」
お初はおびえるようにして、みんなを見ていた。あわてて起き上がろうとしたが、雪江が制した。
「寝てて、たぶん貧血。さっお医者さん、見てください」
と、成瀬に道を開けた。
成瀬はかすかな声で、
「あかりを」
と言った。
龍之介が行燈ごと引きずってくる。雪江もろうそくの明かりをお初の頭の方へ持ってきた。
お初の青白い顔があらわとなった。
成瀬は震える手で、お初の目の下を調べ、
「一時的に血の気を失い、倒れたものと思われます」
「だから、私がそう言ったじゃん」
雪江は吐き捨てるように言う。
龍之介が目で、よせと言っている。
「気分は? いつから悪かったのですか?」
一応、成瀬は医者らしいことを言った。
「今日はずっとお腹が痛くて、食欲もなく・・・」
お初は言いづらそうだった。
そうだ、雪江は知っていた。お初は一昨日ぐらいから生理が始まっていた。女同士だから言わなくてもわかる。実は雪江も同じ日から始まっていたのだ。お初が「姫様も」とつぶやいたから。
成瀬は別の病気を考えているようだった。
「うむ? それはいつごろからですか」
と突っ込んで聞いている。
胃のあたりを触る。
「ここか?」
「いえ、もっと・・・・・下の方で・・・・」
龍之介ははっとして目をそむけた。
「わしは向こうへ行っている」
若い女中には、医者以外の男の目は嫌だろうという配慮からだった。
「下腹部痛、つまり生理痛。私も一昨日から始まったし、おんなじよ。お初の方が出血が多いみたいだから辛かったわね」
おどおどしている成瀬にイらついて、雪江はずけずけと言った。
お初がつぶやいた。
「そういえば姫様も・・・・えっ?」
と口ごもった。
「生理中とは? それは月のもののことでございますな。なるほど、お初は出血が多いと・・・しかも食欲がなく、今日はあまり食べていなかったため、血の気が一気に下がり、倒れてしまったと・・・・さすが姫様」
褒められたが、生きた心地はしなかった。つい、口走ってしまった。余計なことを。たぶん、誰も気づいていないよね。
「あ、あの、成瀬さんはどうしてここにいるの?」
節子が成瀬の代りにすました顔で言う。
「成瀬どのは、ほとんどの夜、こちらにおられます。寝泊まりは中奥ですが、奥医でございますゆえ、いつも姫様がお休みになられるまでは、奥に控えております」
発見した。節子とお初以外の人物を。