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雪江の作戦 その三

「小次郎様、こんなところにいらしていたのですか? このような忙しい時に呼び出したりしているのですから、それなりの事情がお有りなのでしょうね」

 かなり苛立っているようすだった。言葉の端はしに険がある。

「は、はあ、とりあえず、あちらへ」

 

 まだ、小次郎は呼びだした口実を考えていない様子だった。雪江がまいた種だが、心の中で頑張れ、と応援することしかできない。

 節子の姿が見えなくなると、お初が打ち掛けを持って現れた。


「あ、姫様、よかった・・・・」

 お初が涙ぐんでいた。

 また、迷惑を掛けてしまった。胸が痛む。


 すぐに、女中の着物の上に、打ち掛けを羽織って廊下を急ぐ。これならちょっと見ても、その下に女中の着物を着ているとは気づかない。

「さあ、お君はもうずっと布団の中で震えております」

「やぱっ、ごめんなさい」

 小走りになる。

 

 すぐに雪江の部屋へ戻り、お君に着物を返した。雪江も自分の着ていた着物を身につける。

 雪江は、お君とお初にきちんと頭を下げて謝った。


「本当にごめんなさい。大変なことを頼んじゃって、すみませんでした」

 二人は恐縮してしまって、雪江よりも低く頭を下げようと畳に額をべったりつけている。

「姫様、頭を上げてくださいませ。困ります」

「そうです。見つからなかったのですから、どうか・・」


 ちがう、見つからなかったからいいんじゃない。これで終わってはいけないのだ。多大な迷惑を掛けたのは事実なのだから。きちんと謝らなくてはいけない。


 それが身分の低い人であっても、人間関係の基本だと思う。龍之介もそういうタイプだ。今の自分がいるのは家臣たちのおかげだと。だから、自分が悪いと思ったことは素直に認めてきたと。


 お君は雪江が部屋を出て行ってから、本当に昼寝をしていたらしい。のんきな娘である。しかし、お初が帰ってきて驚かれ、事の重大さに真っ青になったという。


 雪江がどこへ行ったのかわからなかったからだ。行った場所が分かっていれば、たまに様子を見ることもできるし、呼びもどすこともできる。しかし、雪江が外へ行ったとして、なにか起こったとしたら、対処のしようがなかった。


 そして、二人が最も震えあがったのは節子の存在だった。初めは寝ているということで、節子も部屋へは入らずにいたのだが、そろそろ起こした方がいいと、部屋に入りかけた。

 中からお君が「少し頭が痛いから、そっとしておいてくれ」と言って、なんとか留まった。夕食近くになり、それでも頭が痛いのであれば、杉原入道を呼ぶと言い始めて、二人は生きた心地はしなかったと語った。


 ちょっと台所の手伝いをしに行っただけなのに。こんな不自由なことが付きまとうのか。中屋敷へいったらなんとか改善できないものか、雪江は思案にくれていた。


 節子はカンカンになって戻ってきた。

「姫様、もう起きてもよろしいのでしょうか」

「もう大丈夫です。よく寝かせてもらったから」

 雪江は何事もなかったかのようににっこりと笑った。


 その日の夕食は、父と龍之介の三人でとる。

 雪江が切ったネギ、野菜は煮物に入っている。八田の作ったカレイの煮つけも出てきた。台所で働く皆の手に感謝していただくことにした。


「ところで、雪江。今日の午後は何をしておったのじゃ」

 父の問いにぎくりとし、雪江の箸が止まった。

 父はにこやかだが、雪江の目を真っ直ぐに見ている。


 それは一体どういう意味なのだろうか。

 ただ、単に何をして午後を過ごしたのかという意味のない質問なのか、それとも午後、寝ていたことになっていたから、具合はどうなのかという問いなのか、それとも本当の行動を話せという意味なのか。


 龍之介を見ると涼しい顔で食べていた。

 小次郎がチクったのかわからない。

 自分から自白してしまうと返ってまずいことになりかねない。どうしようと考えていると龍之介が言った。


「まさか、兄上にウソはつきまい。のう、雪江」

 あ、完全にばれてる。父もおおよそのことは知っているのだろう。

「はあ、ばれてたんだ」


「当たり前だ。小次郎はわしの側用人ぞ。いくらしゃべるなと凄まれてもわしにはきちんと報告する」

「私、凄んでませんし、口止めもしていません」

「どっちでもいい。さあ、兄上に全部白状するんだな」

「白状だなんて、人聞きの悪い」 


 龍之介のようにぽんぽん皮肉が飛び出す方が気がらくだった。父のようににこやかで何も言わないタイプの方が怖い。これはきちんとすべてを話した方がいいと判断する。


「実はお屋敷探検で、節子さんがいない時に湯殿番のお君を連れてきて、私の身代わりとして寝かせました。私はそのお君の着物を着て、台所の方へ行きました」

 まるで子供の作文のように報告する。

「まったく」

と、龍之介がブツブツ言う。


「ほう、台所へ。なぜじゃ」

「以前、手伝っていたのが料亭だったので、台所だったらなにかお手伝いができるんじゃないかって思ったんです」

 下働きの女中、薫の話をした。雪江が野菜を洗い、刻んだことも。

 父は自分の食べている野菜を見て、目を細める。


 噂の主犯を探していることは言わなかった。

「私、このまま屋敷の中でじっとしているのはいや。何かしたかったんです」

「台所でか?」

「そうですね、できたら台所を手伝えたら楽しいと思うんですけど」

 父は言う。


「そなたが台所を手伝えば、一人の人手がいらなくなる」

 ハッとして父を見る。相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。決して雪江を責めているわけではない。


「そなたが気まぐれに手伝うとしたら、いない時はどうなる? 誰かの負担となろう。そなたを姫と知っていて、上の人間が本当に適切な指示が出せるのか。いずれも迷惑なのだよ。人それぞれの役割分担があるのだから」

「はい」

 父の言う意味がわかった。姫だから何でもしていいわけじゃない。姫だからと言っても気まぐれに人を巻き込んではいけないのだ。周りの人は生活のために働いている。


「わかりました。今日はどうもすみませんでした」

と頭を下げた。

「別に台所へ行ってはならぬということではないぞ。邪魔だてせねば話をするのもよかろう」

 雪江はハッとして父を見る。


「兄上、全く、兄上は雪江に甘すぎる」

 龍之介はぷりぷり怒っていた。

 まさかそう簡単に雪江の行動を許すとは思っていなかった様子である。

「そなたの夫は厳しいのう」

と父は笑った。

 そして、中屋敷へ引っ越したら、関田屋の隠居、つまり浅倉先生に来てもらって、書の手習いを受けることになった。


 食事が終わり、父は自分の部屋へ戻っていった。龍之介と二人きりになった。

poi

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