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雪江の作戦

 湯殿番のお君の着物を着た雪江は、廊下に誰もいないのを確かめてから速足で歩く。

 奥向きと中奥の交差する境に台所があるのは知っている。

 新人女中として、周りの話をさぐろうと思ったのだ。雪江が入り込みやすいところといったら、台所しかない。


 台所で働く女中たちは、雪江の顔を知らないはずだ。下っ端の女中たちは、お目見え以下と言って、身分の高い人とは顔を合わせられない身分だからだ。たとえ、出会ってしまっても、その人の目に止まらないように振る舞わなければならない。大体は頭を下げて、立ち止っている。

 雪江は噂話を自分の耳で聞こうと思っていた。どんな噂話を聞いても、その主犯格以外には腹をたてないように自分に誓って、台所へ入って行った。


 年配の女中が目ざとく雪江を見つける。

「おや、見かけない顔だね。新人かい? 節子様からなにも聞いていないけど」

「あ、えっと、今日だけ見習いとして来ました。節子様は今、中奥に行っておられます。お忙しいようなので、私、一人で来ました。よろしくお願いします」

と、ぺこりと頭を下げた。

 少し白髪交じりの女中は、雪江を品定めするように、上から下までなめるように見る。


「へえ、体も大きくて力もありそうだし、よく働きそうだ。助かるよ。名は?」

「はい、えーと、私はお・・きえと申します」

 ゆきえのゆを取って、きえ。


「おきえかい。わたしはお時、あっちはおすみに、お幸、薫だよ。そしてあそこにいるのが台所方の八田さん」

 一度に全員の名前を言われても覚えられるかっ、て思ったが、ニコニコして一人一人に会釈をした。


「じゃ、早速だけど、この野菜を洗ってきておくれ」

「はい」

 ネギやら大根、青菜がぎっしりと籠に入っている。ひょいと持ち上げる。側にいた薫が手伝おうとしてびっくりしていた。


「力あるんですね」

 薫はまだ小学生のようだ。体も小さく、力もなさそうだ。こんな子供まで働いているんだと思った。知らなかった。

「うん、大丈夫。井戸は外?」

「はい」

 薫はうれしそうに先に外へ飛び出した。

 かわいい。「あかり」で働く末吉を思い出す。


 薫が井戸へ走り、タライを出してくれた。そこへ水を汲んで野菜を洗うのだ。

 薫は手際よく水を汲む。こうしたつめたい水仕事は、薫の仕事なのだろう。手がかさかさで、あかぎれができている。


 薫も一緒に洗おうと野菜に手を出すが、雪江はその手を制した。

「薫ちゃん、いいよ。今日は私が洗う。その手は少しでも休めたほうがいい。早くあかぎれ、直さないと」

 薫は雪江の言葉にきょとんとしていたが、雪江の言っていることが自分の手のことだとわかり、うれしそうに恥ずかしそうに笑った。


「薫ちゃんはいつからここで働いているの?」

「もう三年になります」

「え、一体今、いくつなの?」

 十歳だったら、七歳の時から働いている計算になる。まさか。

「もうすぐ十四になります」 

 薫ははにかむように言う。


 十四歳になる? 栄養が足りていないのか。そんなに苦労をしてきたのか。

 雪江は唖然としてしまった。

 それを感じたかのように、薫は付け加えて言った。

「わたし、小さいから」

 いつもそう言われているのだろう。

「ごめんね、そういう意味じゃなかったの」

と言うしかない。

 気にしていませんからと言う代わりに、にっこり返してくれる。


 雪江がたわしで大根を洗うと、いい頃合いで上から水をかけてくれる。洗い終わると別の籠を用意してすぐにおけるようにしてくれた。


 この子、気がきくし、空気も読める。すごい。


 こうしたことは年齢でもなく、持って生まれた感覚なのだろう。ある程度経験を積めばできるかもしれないが、十四歳でこうパッパと合いの手を入れるのはなかなか難しいことだ。

 ちょっと噂のことを聞いてみようと思う。


「ね、この奥向きには姫様がいるんでしょ」

「はい、ついこの間、帰ってきたばかりです」

 自分のことのように嬉しそうに話す。しかも帰ってきたって・・・・なんか嬉しくなる。

「どっかへ行ってたの?」

 わざと聞いてみた。どんなふうに言われているか確かめるのにちょうどいい。

「さあ、場所はよくわかりませんが、どこか遠くでお育ちになったと聞いております。だから少し普通の姫様と違うとも・・・おおらかなお方だということです」

「ふーん」


 おおらかね、物は言いようで、悪く言えば、大雑把ということだ。

「なんか、最近その姫様のこと、面白い噂がたってるって聞いたんだけど知ってる?」

 薫の顔がとたんに曇った。

「あれは・・・・ひどすぎます。台所では皆、怒ってます。姫様の事を話題にして笑うなんて、それはお殿様を笑うことだって、私たちは思っています」

 薫の言葉にじ~んとする。なんていい人たちなんだろう。

 思わず抱きしめたくなる。


「じゃあ、どこの人たちがそう言ってるの?」

「さあ・・・・たぶん、呉服の方かお末の方たちだと思います」


 ふ~ん、呉服は雪江たちの着物を仕立ててくれるところだ。お末は雑用をする女中たちのことで、実はお君もこれに値する。


 一度、呉服部屋の方から年配の呉服用人と助手を一人連れて、雪江にあいさつにきたことがあった。雪江は殆ど着物を注文しないが、普通の姫は一日に何度も着替えたり、暇さえあれば新しい反物を見たりしているらしい。

 雪江は着物に慣れていないから、どんなものが自分に合うか、流行にそっているとかわからないのだ。きれいな柄だと思ってもそれまでだ。

 この女中用の小袖の着物の方がずっと動きやすくていい。


 冷たい水で山のような野菜を洗っていると段々手が痺れてくる。が、雪江は顔に出さずに全部洗った。そんな顔をしたら薫が気にするだろうから。

 雪江がたちあがると、薫が真っ赤になった雪江の手を自分の手で包みこみ、温めてくれた。


「ありがとう、おきえさん。私のために冷たいのを我慢してくれたんでしょ」


 ジンときた。涙が出そう。この子、なんていい子。末吉なら最後に水を飛ばしてくるだろう。雪江もやられてばかりではない。末吉を取り押さえて、冷たい手を背中にいれることくらいの報復はする。

「まあ・・・・たまにだから」

 洗った野菜を台所へ持って入った。


 お時は忙しそうに、他の女中たちに細かい指示をしていた。

 八田は無言で魚をさばいている。


 そうか、今夜はカレイの煮つけらしい。以前にも食べたが、薄味に仕上がっていておいしかったのを覚えている。

 薫はみんなが使った鍋やまな板などを洗うつもりで、それらを持って外へ出て行った。

「あ・・・」

 雪江は自分がやろうと思ったが、先にお時は雪江に野菜を切るように命じていた。


 薫が気になっていたが、所詮、気まぐれの今日限りのヘルパーだ。今日いくら彼女をかばっても明日はまた冷たい水仕事をこなさなければならなかった。

 そう思い切って、ネギを刻みはじめた。こういう仕事は料亭でやってきたことだから、手際よくできる。

 こういう生活の方が生きてるって感じがする。姫をやりながら、お手伝いができないのか。


 その時、台所へ身ぎれいにした奥女中が入ってきた。なかなかの美人だ。

 雪江が手を止めて見ていると、視線を感じたのか美人と目が合った。ドキリとする。

 しかし、向こうはなんの関心も示さずに、プイとまた視線を前方に向けた。


「後でお茶を持ってきてくれぬか。仕事がもうすぐ一段落するから」

「はい、かしこまりました」

と、おすみが返事をする。

 その奥女中はくるりと向きを変えて、来た方向へ戻っていった。たったそれだけのことだったが、華やかな感じでまだ、その辺りにきらきらオーラが残っているようだ。


 お時は、その奥女中の姿が見えなくなるとため息をついた。

「いい身分だね。お茶くらい自分で入れて持っていけばいいのにさ。新しい姫様が全く着物に執着しないから、毎日遊んでいるくせに」

「え、あの人、呉服部屋の人?」

と聞く。

 さっき、薫から聞いた噂の元らしい人たちだ。

「そうだよ。姫様はここへきてから一着しかまだ仕立てていないらしい。ああいう呉服部屋っていうのは、姫様のものを仕立てるためにいるんだからね」


「へ~え、その呉服部屋には何人いるんですか」

「用人の千里様だろ。さっき来た百合絵さん、るいさん、いしさんの四人。るいさんといしさんは、新しい姫様がこちらに来られてから新しく雇われたのさ。でも、暇しているらしいよ」


「暇だったらいずれは解雇されるんですか」

「いや、新年になって若様と姫様が中屋敷へお移りになる。その時半分はそっちへ行くんだろう。今のうちに仕事を覚えてもらうって寸法だろう」

 あ、なるほど。へたすればその噂の本人も中屋敷へ来るリストに入るかもしれない。


「お茶の用意ができたよ。おきえ、持っていくかい?」

「え、私が?」

「いつも薫に運ばせるんだけど、あの子、力がないから、何度かこぼしてしまったことがあるんだ。奥向きに行くにはいくつも襖があるし」

 お盆に大きな急須、四つの湯呑茶碗。そして干菓子」


 探るチャンスだけど、雪江は顔を見せたらヤバイかもしれない。呉服用人に顔を見られているからバレたら困る。

 そうだ、薫に案内してもらい、雪江が運べばいい。部屋へ入るのは薫だけ。それならば呉服部屋の近くまで行けるし、何か聞けるかもしれない。


「私、どこへ行けばいいかわからないので、薫ちゃんに案内してもらってもいいですか。私が運びますから」

 お時は呆れた顔をする。

「この忙しいのに、二人でそんな仕事をする気かい?」

「すみません」

 お時も素直に謝る雪江にもうそれ以上言わず、

「じゃ、薫と行ってくれ。すぐに戻るんだよ」

「はい」



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