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ついに初夜か? 龍之介

 襖の向こうから、雪江の調子のいい返事が聞こえてきた。小姓が襖を開ける。

 龍之介が入ると、すぐ後ろで静かに閉じられた。


 だが、すぐ目の前にはあるはずのない屏風が置かれていた。座敷内はかなり薄暗い。それに、なにやら尋常ではない雰囲気が漂っていた。


 なんだ、この異様な氣は・・・・。殺気? いや、それほど鋭くはない。

「雪江」

 呼んでみたが、返事はない。

 屏風をまわって、座敷の中央に敷かれている布団を見た。一つが盛り上がっている。

 

 雪江は、もう布団に入って寝ているのか?


 別に深く考えず、布団に近づこうとした。その時、何かが屏風の陰から飛び出してきた。

 咄嗟に体を翻し、それをかわした。

 しかし、バランスを失って倒れこむのが雪江だと認識した龍之介は、雪江を抱え込んで敷いてある布団の上に転がった。


 布団の上でバタンという音がし、雪江かと思われた盛り上がりの布団の中身が見えた。懐巻き布団が丸めてあった。

 雪江は転がるときに、わずかに「キャッ」と声を発したが、大した衝撃はないはずだ。

 

 中のバタバタという音に、控えの間にいる節子が声を掛けてきた。

「どうかされましたか?」

 龍之介は平気な声をだす。

「なんでもない。雪江のお遊びじゃ」

と、返事をした。


 そして、声をひそめて、雪江に問う。

「なにをするのじゃ、なぜ、わしを襲おうとした」

 雪江の目は、怒っていた。


 キッと龍之介を睨み、プイっと目をそらしてふくれっ面をした。

 なぜ、雪江が怒っているのかわからない。奥向きへ来いというから来たのに、この歓迎ぶりは納得できない。こっちの方が怒りたいくらいだ。


 だが、今日のところは仕方がない。話があって来たのだから。雪江には雪江の事情がありそうだ。

 まず、怒っている理由を聞き出すために、話すことが必要だった。それには、準備がいる。


 龍之介は、息を深く吸い込み、控えの間にいる節子たちに聞こえるように、声を張り上げた。

「のう、雪江。やはり、わしは祝言までは待てぬ。今宵はたっぷりと楽しむことにするぞ。気をらくにいたせ」

 雪江はその言葉に、目を剥いて声も出ない様子だった。

 龍之介は雪江を抱きすくめ、頭から布団をかぶった。

「ヒィ~」

と、雪江が体をこちこちにしている。


 布団の中なら、ひそひそ声も聞こえないだろうという考えだ。

「安心せい、なにもしない。今夜はただ話をしにきただけじゃ」

「え? それ、本当?」

 暗闇の中、雪江が大きな声を出す。

「しーっ、声が高い」

「あ、ごめん」

 今度は囁くように小さい声で、しおらしく謝ってきた。


「なぜ、突然、わしを襲ったのじゃ」

「あ、それは・・・・いろいろとあって・・・・」

と、言葉を濁す。

「いろいろとは何じゃ。わかるように申せ」


 雪江は少し間をおいて、

「じゃ、言うけど。今夜来ること、なんで私には内緒だったの? 節子さんに聞いても、龍之介さんが来るか否かは申し上げられませんの一言だったのよ」

「ああ、そのことか。わしが夜、奥向きへ渡るということは、まわりも雪江も変な誤解をすると思うてな。だから、節子にだけ話をしに行くからと、他の者には他言無用と言ったのじゃ」


「あの人が思いっきり勘違いしていたのよ。いつもスッピンなのに化粧をしろとか、夜着を豪華なのに着換えろとか、髪を洗ったことも叱られたし。それでもあの人は、龍之介さんがここへ来るって絶対に言わなかったの」

「その事を怒っているのか?」

「そっ、節子さんが知っていて、なんで私が知らされないのか、訳わかんない」


 龍之介はため息をつく。

「まったく・・・・・おなごというものは、どうでもいいことを・・・・」

 思わずブツブツと口に出してしまった。

「どうでもよくないわよ」

 雪江の声が大きくなった。

「しい~っ」


「そいで、どうして私の攻撃がわかったの? 影でも映ってた? 布団をかぶせて懲らしめてやろうと思ったのに」

「あれだけの邪まな気を発していれば・・・・」


「邪まな気?」 

 暗闇でわからないが、睨みつけられている気配がする。

「あ、いや。失言じゃ。許せ」


「そいでさ、」

「まだ、何かあるのか」

 ため息まじりになる。

 まったくおなごというものは・・・・。いろいろと細かいことが気になるものだ。


「お風呂、一人で入ってんの?」

「はあ?」

 龍之介らしくない、素っ頓狂な声を出した。

「声が大きい」

 雪江にたしなめられる。


「ふろ? 一体なんのことだ?」

「あのさ、湯殿番に洗ってもらってんの?」

「湯殿番? あ、ああ、いるがそれがどうした」


 とたんに雪江の声が荒々しくなった。

「どうしたもこうしたもないわよ。むっちむちの白い足とか見つめてんじゃないでしょうね」

 なぜ、そんなことで怒るのだ。白い足とはなんのことだ。

「くやし~い」

 雪江が布団の中で、龍之介の顔をぽかぽか叩く。


「やめろ、やめなさい」

 たまらなくなった龍之介は、一時布団の外へ避難した。

「若様?」

 また、節子の声だ。

「あ、大丈夫だ」

 しかたがなく、また布団の中に入る。


「なぜ、そんなに湯殿番で怒るのだ」

「だって、若い女中に体を洗ってもらうなんて・・・・」

「わしの湯殿番は男ぞ」

 それを聞いた雪江は、息を飲んで黙った。

 どうやら、とんでもない勘違いに気づいたようだった。それは他愛のない雪江の悋気りんき(嫉妬)だった。


「それで? 他に怒っていることは?」

「もう・・・ない」

 恥ずかしいのだろう、かなり小さな声で言う。

「そうか、よかった」

 雪江は黙ったままだ。


 おなごには、いや、雪江には普段の会話が大切なことがよくわかった。

 小さな疑問や不安、勘違いなどが起こったら即座に解決しないと、このように自分で妄想が膨れ上がり、襲われることになる。

 若殿を襲う正室なんて、聞いたことがないぞ。

 

「今夜、ここへ来たのはこの奥向きでの噂のことじゃ」

「ああ、龍之介さんの耳にも入ったんだ」


「雪江も存じておるか。小次郎が聞きつけてきてのう。雪江の言ったことが大きな噂になっていると」

「そうなの、私が言ったことに悪評がついてる。私の言うこと、やることを聞いている人ってすごく限られているのに」


「雪江の身辺にいるのは・・・・・控えの間にいる・・・」

「節子さんとお初」


「節子は孝子殿の乳母であろう。仕えている人の噂を立てるということは考え難い。そのお初とやらはどうなのじゃ」

「お初もよくしてくれている。今、あの人がいなくなったら、私、なにもできないの。私に悪意を持って噂を流しているんだったら、私の世話も適当になっちゃうと思うけど」


「うむ、そうか・・・。しかし、その二人しか知らぬことが表に出ているのだ」

「そう・・・ね」

 二人で考えこむ。


「たぶん、節子さんとお初にはこの噂、耳に届いていないんだと思うの。下っ端の女中たちの中で、面白おかしく言われているみたいだから。あの節子さんの耳に入ったら、ただじゃすまない」

「そうだな」


「ね、今夜のことはなんて言われると思う? 色魔の雪江、大満足とか?」

 雪江は冗談っぽく言ったが、龍之介は立腹していた。

「これはわしの妻になる桐野の姫への冒とくじゃ、許せぬ。中屋敷に移るときは、奥女中すべてを入れ替える」

「え・・・やめさせるってこと?」

「その噂をしたものも、それを聞いて笑うものも皆、同じ罪」


 雪江は龍之介の怒りにあわてていた。

「だめ、やめてよ。私だって迷惑しているけどさ、ほら、私って噂のように姫らしくないじゃん? 間違ってはいない。噂をしたくらいでやめさせたら、今度は新しく来る人だって居心地悪いと思う。やめさせられた方もよくは思わない。そんなことをしたら、この桐野家が悪く思われるかもしれない。私は大丈夫だから、もう少し待って」


 龍之介も必死の雪江の哀願に、落ち着きを取り戻した。

「そうか・・。雪江がそう言うのなら、もう少し様子を見ることにする。ただし、その噂を流した張本人は見つけ次第、罰するつもりだ。よいな」

 雪江はゴクリと唾を飲み込んで、

「はい」

と答えた。


「じゃ、夜も更けてきた。休むとするか」

 龍之介は、被っていた布団を雪江に掛け直すと、行燈の火を吹き消し、隣の布団へ入った。

 家臣たちは、今宵が二人の初夜と思っているが、龍之介は祝言を迎えるまでは待つつもりでいる。まあ、先に雪江から襲ってこなければの話だが。


 雪江の手が布団から伸びて、手探りで龍之介の手を取った。二人、暗闇で手を握る。

「おやすみなさい」

と、小さな声がした。


「おやすみ」

と龍之介も返した。

 握る手にギュッと力が入った。

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