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里帰り

 旅籠「あかり」に里帰りした雪江。

 今までいた長屋はもう引きはらってしまって、ここへしか戻るところはない。


 旅籠内の料亭では、徳田たちの後を引き継ぐ料理人が特訓を受けていた。徳田たちがここを去っても旅籠には迷惑を掛けられない。味が変わったなど言われないように。

 プリンやケーキなどのデザートは、裕子が中屋敷内で焼いて届けることになっている。


「浜町のお屋敷か。たくさん武家屋敷の並ぶ閑静な所だな。たぶん、あの辺りだぞ。加藤家の中屋敷も」

と、浅倉が言う。


 今日は雪江が特別に里帰りしてくるというので、わざわざ来てくれていた。

「え、あのお屋敷、あの辺りなの?」

 ドキッとする。あの牢座敷を思い出してしまった。一時期はどうなるかと思ったあの場所だ。しかし、当の伸治郎はあそこにはいないはずだ。


「俺、見てきたぞ、桐野の中屋敷の改築工事。他の屋敷に比べるとそれほど大きくはないけど、敷地内は木が多くて軽井沢の別荘みたいだった。テニスコートでも作ろうぜ。台所も広くて、俺と裕子さんの住む一軒家も建てられていた。台所役人としての役職をもらったにしても、すごすぎる」


 ウキウキしている徳田とそれをうれしそうに見守る裕子。しかし、雪江はすぐに顔が曇ってしまう。久美子がそれに気づく。

「どうしたの?雪江ちゃんはお姫様なんだから、暗い顔は似合わないわよ」


 皆がハッとする。なんとなく、雪江が落ち込んでいるのがわかっていたのだろう。

「姫って言っても、名ばかりの姫なんです。一応、建て前は私を姫扱いにしてくれているけど、内心は絶対に認めてもらってない。それどころか、なんでこんな奴が姫様って言われなきゃいけないんだって、見下されてる感じ」

「え、そんなに皆、性格悪いのかよ」

 久美子が苦笑しながら言う。

「それは妬みと嫉妬からくるのよ。雪江ちゃんじゃなくても、誰でもそのシチュエーションなら受けることだと思うわ」


「そう、私が側室としてだったら、まだあんなに風当たりは強くないと思う。でも、皆、私が藩主の娘だってわかったら、こんな娘が?って感じで・・・・・」

「そっちの方の立場もわからなくもない・・・か」

と、徳田。

「ここにいて働いていた時の方がよかった」

「そんなこと言っちゃダメ」

 雪江の弱気な発言を、裕子がたしなめる。


「わかってる。わかっているの。でもね、四六時中見張られていて、寝ていてもどこか緊張しているの。今日、ここへ来ることも噂になっていて、武家の暮しに慣れないから逃げ出すとか言われてる。それに・・・・龍之介さんに、奥向きに一人でいる私に会いに来てって言ったら、もう朝には皆に知られてた。だって、龍之介さんたら、全然奥向きには来ないの。せっかく、同じ館内にいるのに、あれじゃ遠すぎてしまって・・・・」


「で、その発言はどんな噂になってたの?」

と、裕子が言う。

「祝言もあげていないのに、龍之介に奥向きの寝所へきてほしいとおねだりした欲情色魔だって」 

 浅倉と久美子は目を見張った。

 徳田と裕子はぷっと吹き出した。


「敵もなかなか言うわね。藩主の娘を欲情色魔だなんて、恐れを知らないというか、お殿様に知られたらただじゃ済まない事よ。明らかに雪江ちゃんに悪意を持っている人が言ってるわね。それで、そんなことを言いふらす人の見当はついているの?」


「それが・・・・いつも私の周りにいるのは二人だけ。今日も別室で待っているお初と節子さん。節子さんは孝子さまの乳母だったの。私にいろいろ教えてくれる人。だから、わざわざそんな噂を立てるふうには思えない。お初も着変えからお化粧まで、すごくよくしてくれる。私、彼女なしじゃ、なにもできない。彼女が悪意を持っていたら、きっとすごく手を抜くと思う。たぶん、この二人は私の噂自体を知らない、聞かされていないと思うわ」


 雪江はそうまくしたて、喉を潤すために、ゴクリとお茶を飲んだ。


「この噂が私の耳に入ったのは、最近入ってきた部屋子のお秋からなのよ。私の部屋の掃除、片付け、寝具の上げ下ろしとか、してくれる子。この子は行儀見習いとして、商家の実家から奉公に入ってきたんだけど、お絹の知り合いなの。だから、最初から私の味方。だけど他の人たちはそんなこと知らないから、面白おかしく立てている噂を、このお秋にも言ったらしい。初めは私の耳には入れないようにしようと思ってたけど、あまりにもひどいし、大ウソだから、打ち明けてくれたの」


「ほう~。なるほど。まあ良かったというか何と言うか」

「欲情色魔って、ただ、奥向きに来ないのって聞いただけなのに」


 浅倉は、歴史の先生の顔に戻っている。

「大奥っていう映画とドラマがあっただろう。表は男の政治の世界、大奥は妻子の住む女の世界。大名家でも奥向きと言っている。桐野家は殿さまの正室がいないから、そういう戦いはないが、女の嫉妬が絡むと怖いことになる。とにかく、殿さまのことを考えて動く世界だ。将軍様の側室なんか、おしとねの時、声も洩らしてはいけないそうだ」


「え~っなんで?」

 徳田はにたにたしていたが、そのことにびっくりしている。

「女性が将軍様を差し置いて楽しんではいけないそうだぞ。快楽を求めるのが目的じゃないからだ」

「すんごい、男尊女卑」

 雪江も言う。


「そういう世界なんだ。理屈を言っても理解してもらえない」

「将軍の側室のお床入りでは、側室がなにかおねだりしないかどうか、見張りが添い寝をするらしいし」


「そんな環境で・・・、将軍様も大変だね。よかった、俺、将軍様じゃなくて」

 徳田はしみじみとそう感じている様子。裕子が苦笑する。


「そいで、今の奥向きで働いている奥女中も何人か一緒に中屋敷へくるみたい。そんな悪意のある噂をたてられているから、本当は全員、新規に募集したいところなんだけどね。甲斐大泉の家臣の家族が優先らしいから、そうはいかない」


「それはどこの藩もそうよ。普通は自分の藩の身内で固める。その方が団結も強いし、屋敷内の秘密も保たれる」

「屋敷内で、姫のゴシップは出回っているけどね」

と、雪江は苦笑する。少しは余裕が出てきた様子だ。


「あと十五日で屋敷は出来上がるし、祝言も行われる。俺たちも働き始める。そうしたら、周りの女中たちには目を配れるから」

「徳田くん、頼りにしてる。裕子さんも・・・本当にうれしい。先生たち、二人を桐野家に送り出してくれて、本当にありがとう。」

「いいって、その代わりに頑張れよ」

「孝子様もそれまでには甲斐大泉から戻ってくるから、そうしたら奥向きの取締役をしてくれるわ。それまでの辛抱・・・・ね」


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