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雪江の新たなる試練

龍之介は元服して、正和という名前に変わりました。

会話では正和と言いますが、描写では龍之介とさせていただきます。

 それから十日がたった。


 雪江は、父の正重と将来の夫、龍之介と三人で夕食を取っていた。

 正重が中央に座り、両脇に龍之介、雪江が座った。

 こんな日が来ようとは思っても見ない光景だった。

 姫としての身分と正室として迎えられる幸せをかみしめていた・・・はずだった。


 正重は、二人をまぶしそうに見て言った。

「今、この甲斐大泉藩はこの上屋敷と下屋敷の二つだけじゃ。新年早々に行われる二人の婚礼に間に合うよう、中屋敷を拝領された。その屋敷を二人の好きなようにするがいい」


 龍之介は、先にこのことを知っていたのだろう。

 涼しい顔をして、

「かたじけのうございます」

と言っている。

 雪江は、やっと父の側で暮らせると思った矢先に、別の屋敷へ行かなければならない寂しさを感じた。


「そんな・・・・せっかく会えたのに」

「それほど遠くない所じゃ、会いにきてくれるな」

「はい、それはもちろんですが」


 龍之介は、不満そうな顔をしている雪江に言った。

「父上は、わしが雪江を迎えようとしていた時から、この上屋敷の敷地に別館を建てようとしていたのだ。雪江が武家の娘として育っていないことを知っていたし、この奥向き(妻子が住むところ)に住むには、ちと荷が重すぎるかもしれないと申されてな」

「あ・・・・」


「中屋敷は、浜町にある屋敷を拝領されることになった。今、大工を入れて早急に改築させておる。年明けの祝言には間に合うだろう」

「ありがとう存じます。お父上さま」


 まだ言い慣れない言葉であるが、雪江はなるべく正重の前では武家の女性になるように努めようとしていた。父には心配をかけたくないし、恥もかかせてはいけないと思っている。自分が失態や変な行動をすれば、家臣たちは当主である正重を笑うかもしれない。そういう事情が、いつもの雪江らしくないおとなしい雪江を作り上げていた。


「裕子どのと徳田殿を料理長として迎え入れる交渉をしている」

「えっ?」


 龍之介を見る。

「旅籠あかりでは、かなり渋っておったが、雪江のためということで、先ほど関田屋から了解の返答があった」

 雪江の目はうるんでいたかもしれない。うれしくて龍之介を見る目が霞んできたからだ。


「じゃあ、厨房にオーブンを作ってくれる?」

 龍之介はオーブンからパンやケーキが焼けることを知っていた。

「もちろん、そのつもりだ。関田屋が作ったあの旅籠の厨房を参考に作るつもりだよ」

「やった~。超ラッキーって感じ」

 雪江は着物の袖が捲れ(めくれ)あがるのも気にせずに、両手を上げて伸びをして、大声を張り上げた。

 正重はちょっと驚いた表情で、苦笑する。

「あ、申し訳ございません」

「いやいや、その方が雪江らしい。そのままの雪江であってもらいたいのじゃ」


 そう思ってくれるのはありがたい。雪江もできたらそうしたい。でも・・・・・。

 今までの長屋での生活とは一変していた。気軽に外へ出かけられないし、周りの侍女たちもずっと澄ましてばかりいて、雪江と冗談を言って、大笑いしてはくれない。つまらなかった。


 三人でこうして夕食をするのは、これで三回めだった。いつも雪江は奥の自分の部屋で、一人で食べる。たまに正重が声をかけてくれて、こうして中奥で食べることができた。


 龍之介は奥へはめったにこなかった。幼少の頃、ここで過ごしていれば馴染みもあっただろうが、彼は甲斐大泉で育っている。見知らぬ女ばかりの場所は居心地が悪いのだろう。


 食事が終わると女中たちがお膳を下げた。それと入れ替わりにお茶を持ってきた女性がいた。どこか気品があり、やさしそうな美人である。前回も彼女がお給仕してくれて、彼女が他の女中と違うことは雪江も感じていた。


 他の女中たちは、雪江とは目を合わせない。節子でさえ、雪江の喉元あたりまでしか目線を上げない。しかし、この女性は雪江と目が合うとうれしそうに微笑むのだ。そして、父の正重の刀を受け取ったり、羽織を取る姿も見かけている。


 もしかすると、もしかするのかも・・・と考えていた。雪江のカンだ。

 龍之介もお茶をもらって「かたじけない」と礼を言う。他の女中には礼はいちいち言ったりしない。

 雪江もお茶を受け取り、「ありがとうございます」と言った。また、微笑んだ。

 雪江が彼女の姿をずっと目で追っている。その様子に正重が照れくさそうに白状した。


「恵那じゃ、これへ」

 恵那と呼ばれた女性は、お盆を下に置くと膝まづいて座った。

「恵那は、正室だった貴世の侍女であった。貴世が身罷った後、ずっとわしを支えてくれたのじゃ」

 

 やはり、父の良い人だった。わざわざ側室としてではなく、身の回りの世話をする世話女房として側にいるだけで幸せなのだろう。

 それなら父も淋しくないはずだ。安心して、龍之介と中屋敷へ行ける。この感じのいい人なら。


 食事が終わり、正重は座を立った。それを見送ってから腰を上げようとしていた龍之介を捕まえた。

「ね。ちょっと話があるのよ」

「ん?」


「龍之介さん、なんで奥の私の所へ来ないの?」

「えっ、いや、雪江のところへは祝言を上げてからの方がいいと思っているからな」

 雪江は龍之介の言う意味を改めて考え、赤面する。

「そうじゃないわよ。そういうことを言ってんじゃないの。なんで、私は一人であそこにいなきゃいけないのかって」

 龍之介は声をひそめる。


「何かあったか」

「ん・・・・別に特には。でも、居心地悪い。皆が私のことを見てる。監視しているというか、侮蔑している目で見てる。何か私が変なことをすると密かに笑っている、そんな感じの雰囲気なの。あんなところに一日中いると気が狂いそう」


「うむ、雪江は元々側室扱いだったのだ。それが急に藩主の娘ということになり、家臣たちの嫉妬をかっているのかもしれない。それで、なにか変わったことをすると好奇の目でみる」

「ちょっと、淡々と説明してんじゃないわよ。そんな妬みの渦の中心にいる私のことを考えてよ。あそこに一人でいるくらいなら、長屋の方がいい。まだ、結婚したわけじゃないんだから、「あかり」へ戻っていようかな」


「いや、それはならぬ。また、いつ何時さらわれるようなことがあってはいけない」

「私をここへ閉じ込める気? ねえ、お願い。明日だけでいいから、「あかり」へ行かせてよ」

 雪江にそう攻め立てられて、しかたなく、龍之介はうなづいた。

「仕方がない。明日だけだぞ」


 イエ~ィと小躍りした雪江であった。


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