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江戸一日目

 雪江は寒さと背中の痛さに寝返りを打つ。布団がいつもより固くて目が醒めてしまった。見慣れない染みのある天井、一人分の布団でもう余裕のない狭い部屋。

 すぐに自分がどこにいるのか思い出せず、そのままボーッとしていた。

 ここって私の部屋じゃない。どこか他のところへ泊ったんだっけ。


 夕べのことを思い出すよりも、すぐ耳元で誰かの寝息がしていることに気づいた。ギクリとする。恐る恐るそちらに顔を向けてみると、なんとそこには若い侍の寝顔があった。


 誰? 誰? 誰?

 頭の中はパニックになっている。なんで男の人と寝てるの? 無断外泊でさえ、家族は許してくれない。そのうえ、まさか、知らない間に初体験、しちゃったんじゃないでしょうね。


 あ、でもこの顔、見たことある。

 間近でじっと侍の寝顔を見た。確か、龍之介と名乗ったはずだ。

 鼻も高いし、くっきりとした顔立ちをしている。思ったよりもイケメンだ。こんなに近くで目の保養ができるなんて滅多にないことだ。


 昨夜の出来事は夢だと思っていたが、現実だったようだ。侍たちの斬り合いの真っただ中に転がり込み、負傷した侍と大江戸村のようなところを通り、最後には駕籠にまで乗せられてきた。もう江戸体験は十分だった。まだ、夢は醒めきれていないのか。



 そのままじっと見ていると、どこかでガタガタと戸の開く音がし、障子の向こうで声がした。

「若、寝ておられるのですか。小次郎、ただいま戻りました。入りまする」

 障子が開けられた瞬間、龍之介の目も開かれた。

 至近距離でぱっちり目が合う。


「何者っ」


 入ってきた侍が叫ぶ。それはきっと雪江への「どなたですか」の意味だったのだろう。

 雪江が「えっ」と思った瞬間、龍之介は自分のかたわらに置かれた刀を手にしてぐるりと身を起こし、入ってきた侍も刀に手をかけて、すでに雪江の背後に廻っていた。

 ひい~と唸りたかったが、恐ろしくて声もあげられない。あんたたちこそ、一体何者なの、忍者?


 驚きで身動きができない雪江を見て、龍之介はやっと思い出したかのように破顔した。

「あ、小次郎、この者は怪しい者ではない。夕べ拾ったのだ。確か雪江と申したな」

 雪江はその拾ったという言葉に納得はしなかったが、やっとコクリとうなづくことができた。


 勘弁してよ。刃を抜かなかったけど、もし、こちらが動いていたら斬られていたかもしれない。侍って危なすぎる。刀を持ってるし、全くもう。


 小次郎という侍はまだ納得のいかない表情で雪江を見ている。左手は刀から外れていない。


「若、昨夜はどちらに」

「あ、うん。例の屋敷を見はっていたら、反対に襲われた。」


 小次郎が目を見張って何かを言おうとする。

 龍之介はそれを手で制した。

「わかっておる、そちがいないときにあそこへ行ったのはわしの過ちだった。その危ないときにこの雪江が現れて、命拾いした。ずぶぬれだったし、帰るところもない様子なのでとりあえずここへ連れてきたというわけだ。それよりも小次郎、医者を呼んでもらえぬか」


 小次郎の表情がさまざまに変わる。龍之介の言葉に安心したり、とんでもない、と目が吊りあがったりしている。忠実な家臣なのだろう。

「怪我・・・でございますか、早急に」

 一礼してから、小次郎は足音も立てずに外へ飛び出していった。


「すまぬ、雪江殿。驚かせてしまった。先ほどの者はわしの家臣で小次郎と申す。申し訳ないが、水をくれぬか」

「は、はい、お水ですね」


 四畳半くらいの狭い寝所から障子を抜けて、六畳の部屋へ行く。

 黒塗りのアンティークな茶箪笥(ちゃだんす、着物、雪江の制服も衣紋掛け(ハンガー)にかけてあった。レトロっぽい火鉢に行燈あんどん。その向こうには表に出る戸、かまど、流し、土間があった。

 この家はまだ江戸村の展示用家屋だろうか。


 水道を探すが、見当たらない。

 ふと自分の姿に気づく。浴衣のような寝巻の前がだらしなく開いていてブラが丸見えだった。旅館などに行って、寝て起きると大体こうなっている。

 龍之介にブラを見られたかもしれないとあわてて直そうとした。そこへガラリと戸が開き、きんきん声の娘が入ってきた。


「龍さ~ん、おはよっ」

 乱れた姿の雪江と鉢合わせした。

 ニコニコ顔で猫なで声を出していたその娘の顔が、恐ろしい睨みをきかした顔に豹変したまま、立ち尽くしていた。


 どうして、ここの人たちは声をかける前に戸を開けるのだろう。普通は一声かけてから、返事を待って入るだろうが。


 雪江はあわてて夜着を直し、その娘に軽く会釈した。

「あんた、誰だい?」

 その娘は会釈を返そうともしないでそう尋ねてきた。


「私? 雪江です。あなたは?」

「お絹だよ。向かいの」

 押し殺した怖い声だ。あんた、私を知らないのかい、とでも言いたげな口調。


「あのう、お水ってどこへ行けばあるんでしょうか」

「水?」

「はい、龍之介さんがお水がほしいって・・・・」

 ますますお絹の顔が怖くなる。

「なんだってっ、なんかあったのかい」


「あの・・・龍之介さん、昨夜の傷で、たぶん熱があるんだと思うんですけど」

 龍之介が熱を出しているという言葉に、お絹の顔が引きつる。ちょっと不謹慎だが、この顔の七変化に面白いと思った。


「龍之介さん、熱だって? 高いのかい? どのくらい熱があるの」

「だから、お水を。小次郎さんっていう人がお医者さんを呼びにいってます」


「っるさいね。水はそこの水瓶みずがめの中に決まってんでしょ」

 なるほど、土間にはどっしりとした瓶がおいてあった。

 

 雪江は土間に下りて、瓶の蓋の上においてある柄杓ひしゃくを取った。それと同時に、お絹は上にあがりこむ。蓋をとると中には半分ほどの水が入っていた。

 水、よし。で、コップは? 食器棚は?

 キョロキョロ見回すが、コップらしきものは見当たらない。奥から叱責が飛ぶ。


「ちょいとあんた、水はまだなの? 龍之介さんが水を欲しがってるんだ、早くしなっ」

「あの、コップがないんです。どうやって、お水を持っていったらいいんでしょうか」

 またまたイライラした声が飛んでくる。

「ドンくさいね。柄杓のままでいいじゃないか。この愚図」


 お絹のマシンガンのような悪口攻撃にむっとするが、今こんなところで腹を立てている場合じゃないと思い直す。

 柄杓で水をくみ、そのままこぼさないようにそろりそろりと畳の上を歩いていった。それをいらいらしているお絹が荒々しくひったくる。当然、水は半分以上がこぼれてしまった。


「あ~あ、なにやってんだい。グズグズしているだけじゃなくて、とんだ役立たずだね」

 お絹はそれでも残った水を龍之介の口に運ぶ。

「さ~あさ、龍さん。お水ですよ」

「あ、お絹ちゃん・・・・」

 龍之介は自分で飲もうとしているが、お絹が無理やり口に運び、飲ませている。女房気取りでお絹はうれしそうだ。明らかに龍之介は迷惑している。


「ねえ、お絹さん。龍之介さんが嫌がってない?」

と雪江が言っても、お絹は無視して猫なで声を出す。

「龍さん、もっとお水かい? この愚図がさ、ほとんどの水をこぼしちまったんだよ」

「いや、お絹ちゃん。もう大丈夫。かたじけない。もういいから」

 龍之介は、お絹の腕の中でもがいているようだった。怪我をしているのに、嫌がっているのに。


 雪江の中の何かがプッツンときれた。すぅ~と息を大きく吸う。


「ちょっと、お絹とやら。なんなのよっ。それが怪我人に対する態度なのっ。龍之介さんが迷惑がっているのがわかんないのっ。朝っぱらからきんきん声をだしちゃって、うるせーよ。人の事、愚図とか役立たずとか言うし。むかつくんだよ、あんたって」

と、怒鳴っていた。


 お絹は一瞬、きょとんとしていたが、にやりと笑う。龍之介も唖然としていた。しまったと思う。

「へ~え、案外、骨があるんだね。口答えしてきたか。気に入らないのはこっちのほうさ、いきなりあんたは、私の大好きな龍之介さんのところへ転がり込み、あたしの夜着まで着こんでさ。おまけに二人きりで一晩を明かしたみたいじゃないかっ。龍之介さんは私がずっと前から目をつけてきていたんだよ。それをあんたは横取りするなんてさっ。それにどうしてそんな変な頭をしてるんだい?」


「頭が変?」

 雪江はお絹にポンポン言われて、最後の意味の違う言葉だけを口にした。お絹と龍之介の頭を見る。

「変な頭って言ったんだよ、ほんとに頭も変なのかい」

 シャギーカットの赤茶髪だ。ここでは変に見えるだろう。


 これは豊和のためだったのだ。豊和に褒めてもらいたくて、振り返ってもらいたくてここまで思い切ったのに・・・・。

 そして最後の沙希とのキスシーンを思い出した。再び、ショックと怒りがこみあげてくる。

「あいつのために、染めたのに。許せない、キスなんかして、ぶん殴ってやればよかった」


 雪江は力いっぱい握り締めた右手の拳を、見えない目の前の相手にパンチをするように、ブンと振ってみせた。さすがのお絹もその気迫にたじろぎを見せた。龍之介もぽかんと口を開けて見ている。

 そして、雪江の後ろには小次郎と身ぎれいにした老医者が立っていた。老医師は銀白色の髪をポニーテールにしている。

 えっやだ、みんなが聞いてたの?

 思わず真っ赤になった雪江を見て、老医師はにこやかに笑った。

「殴るとは穏やかな話ではないのう。ひゃっひゃっひゃっ」


 さっさと雪江とお絹の間にいる龍之介の傍らに座り、患部を露わにした。

「さあ、娘子むすめっこは外、外」

 犬を追い払うように手でしっしとやられて、雪江とお絹は外に出た。

 

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