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桐野家へ

 二の足を踏んでいた雪江だったが、やっと桐野家へ行く覚悟を決めた。

 重い悪阻つわりで、心配していたお絹も少しづつ回復していて、無理をしてでもいろいろなものを食べるようになった。元の元気を取り戻している。お絹は、雪江が桐野へ行くことを自分の事のように喜んでくれた。


「龍之介さんを放すんじゃないよ。時々はお屋敷を抜け出して、顔を見せておくれね」

「あったり前よ。ちょくちょく帰ってくるから」

 

 そう言って、桐野家から届いた豪華な着物を雪江に着せてくれた。

 髪は加藤家でのように、つけ毛をすれば島田も結うことができるが、敢えてこの茶髪をポニーテールにすることを選んだ。ありのままの雪江を見てもらうために。


 桐野の上屋敷へ到着すると、ますます緊張がする。

 ゴクリと唾を飲む。胸がドキドキしてきた。

 龍之介に会えるといううれしさもあるが、やはり、初めて会うことになる父親のことが気になっていた。龍之介とは血のつながりはないから、顔を想像することはできない。

 向こうは雪江のことを知らないし、下屋敷でのデートの報告で、奇妙な娘と言うことでその存在は知っていると思う。


 屋敷の入り口には孝子が待っていた。

「おお、やっと着いたか」

「孝子さまっ」

「雪江殿、待ちかねたぞ」

 緊張している中、知った顔に出会えてうれしくなった雪江は、草履が片方脱げてしまったのにもかまわず、駆け寄って行き、孝子に抱きついた。


「まあまあ、雪江殿」

 孝子は母が娘を抱きしめるようにして雪江を受け止めた。

 孝子の背後に控えていた奥女中たちは、その雪江の行動に目を丸くしていた。しかし、その中でも年配の奥女中が平静さを取り戻し、すぐに脱げてしまった草履を拾い、雪江の足元に置いた。


「雪江様、足袋が汚れましてございます。さあさ」

「あ、ごめんなさい」

 雪江の足袋の汚れを払い落し、子供にそうするように草履をはかせてくれた。

「節子じゃ、わたくしの乳母であった。節子を雪江殿につけたいと思うが、どうじゃ」


 どうじゃと言われても、本人を目の前にして嫌だとも言えない。ポーカーフェイスで、雪江と目を合わせないが、草履のことといい、ものすごく気がきく。

「節子さん、よろしくお願いします」

と、頭を下げる。


「わたくしに敬語は不要にございます。どうぞ、節子とお呼びくださいませ」

「はあ・・・」

 そんなことを言われても、なかなかそうはいかない。慣れていないのだから。


 ツルツルの廊下を歩きながら、孝子がいろいろ教えてくれた。

「龍之介様は元服なされた。上様(将軍)との謁見も済まされ、これで桐野の嫡男になられたぞ。正和さまと名乗られておるのじゃ」

「正和・・・さま」


 それを聞いて雪江は、龍之介が急に遠い存在になったような気がした。別の人みたいだ。

「広間にて、正重様、正和様、家老衆、わたくしの父もおられる。他、正和様の側用人の小次郎が待っておられるぞ」

「は、はあ・・・・」

「雪江殿は正和様の側室ということで、今回の顔合わせになっておるのでそのつもりで」


 孝子が広間にはいり、中へ声をかけた。

「孝子にございます。雪江様をお連れいたしました」


 ひえ~、孝子様までが雪江のことを「様」付けで呼ぶなんて。側室って一体どんな立場なのだろう。子を産んで、初めて認められるようなことを聞いたけど。


 雪江は後ろに控えている節子に小声で言った。

「すみません、節子さん。私、あまり作法とかわからないので、後ろについていろいろ指示を出してくださいね」

「かしこまりました」


 さあ、いざ、出陣。

 大げさだがそんな気分だった。いつもの雪江のままでいられるように、でもあまり無礼にならないようにするつもりだった。

 広間の廊下に座り、平伏する。そして、気合を入れるために、少し大きな声を出した。


「神宮寺雪江でございます」

「よく来た。入るがよい」

 低いよく通る声がすぐに返ってきた。龍之介の声とは違う。父の声なのか?


 およそ、三十畳くらいの広間の上座に、一段高くなっているところがある。その中央に正重らしい人物がデンと座っていた。

 彼の両脇には家老らしい人物が三名と龍之介もいた。小次郎は下座の方に座っていて、孝子はその隣にいた。

 雪江はあまり頭を上げずに畳の上に座りなおした。顔はまだ上げられない。


「もっと近こう、そんなところでは顔が見えぬ。久しぶりにこの正和、龍之介に会うのだろう。ここへ、龍之介の前までくるがよい」


 龍之介の前というと、正重の座る段のすぐ前だった。

 あんなに前? まじで・・・・。


 少しの間、躊躇する。後ろにいる節子が低く囁いた。

「雪江様、殿のお言葉通りになさいませ」

 そうだ、戸惑っている場合ではない。


「それでは、失礼しま~す」


 もう雪江は自分流にすることにした。言われた通りに龍之介の正面に座る。

 龍之介と目を合わせる。

 久しぶりの龍之介だった。元服して、月代を剃っている。双子の兄、明知そっくりだ。


 雪江はうれしくなって、思わず小さく手を振る。

 龍之介も一瞬だが、顔をほころばせた。

 すかさず、後ろの節子が叱りつける。

「お二人とも、殿の御前でござりまするぞ」

 龍之介まで一緒に叱られてしまった。

 雪江はあわてて平伏した。


「よい、面を上げよ」

 二人の様子に苦笑していたらしい正重だ。

 雪江はこの時、大きな深呼吸をした。


 やっと父に会える。産まれてから父の存在は全くなかったのだ。もしかしたら、犯罪に手を染めて、姿を隠しているのかもしれないとまで考えたことがあった。

 父親の顔が見られる。ドキドキしていた。どんな顔だろうか。どんな人なんだろう。


 雪江は正面から正重を見た。

 正重は、くっきりとした目鼻立ちで、三十四、三十五歳には見えないくらい若々しい。すごく優しそう。

 初めは悪戯っぽい目をキラキラさせて雪江を見ていたが、次第にその顔から笑みが消えていった。

 あれ? 段々怖い顔になっていくような・・・・・。どうして?


 思わず龍之介を見る。龍之介も正重の変化に気づいていた。

 なんか、まずいことでもしたのかもしれない。

 他の家老たちも正重の表情に気づいて、顔を見合わせていた。

 正重は厳しい顔で雪江を見ていた。


 家老の一人が声をかけた。

「殿、いかがなされましたか」

 正重はそれでも無言で雪江を見ていた。睨みつけるように。

 龍之介も声をかける。


「兄上、雪江になにか・・・・」

 正重の表情が動いた。


「ゆきえ、雪江と申したな。確か姓は神宮寺とか。なぜ神宮寺なのじゃ。そなたの親はどうしている」

「あ、あのう・・・・」

 なぜ、神宮寺と言われても困ってしまう。どう返事をしていいのか、どう説明していいのかわからないでいた。


 戸惑う雪江の代わりに龍之介が返答した。

「雪江の両親はこの世にはおりませぬ。母は雪江が赤子の時に身罷みまかりました。神宮寺と言う姓は、雪江を育ててくれた養父母のものにございます」

「両親がおらぬと・・・。では、その身罷った母の名は? 知っておるか。母の名を」


 家老衆がざわざわし始めた。正重の態度が異様だった。

「母は、・・・綾と申します」

「あや・・・・」

 家老の一人が「あっ」と声を上げた。

 孝子も両手で口元を押さえ、腰を浮かせる。

「やはり、やはり、雪江殿は・・・・綾様の・・・・」


 正重の今までの厳しい真剣な表情が緩んだ。今度は優しい目で雪江を見つめる。


「やはり、そうか、そなたは・・・・雪江」


 雪江はもう確信していた。正重は雪江のことをわかっていると。

 胸が高鳴り、手も震えてきた。


 訳がわからないのは、龍之介と小次郎だった。

「兄上、一体何のことでしょう。雪江をご存じなのですか」

 正重は、最初に見たあの悪戯っぽい目に戻っていた。

「龍之介、いや、正和。雪江を知っているも知らぬもない。雪江はわしの娘じゃ」


 ああ、その一言を待っていた。うれしくて涙が出てくる。

「雪江は、わしの側室だった綾が産んだわしの娘なのじゃ」


 正重はいきなり立ち上がり、雪江に駆け寄って思い切り抱きしめた。

「本当に雪江なのだな。本来ならば十六年前に抱いてやれた、わしの・・・・娘」


龍之介が元服して、名前を正和と改めました。 

それでも、龍之介の名前を使って描写をしていきます。


【宣伝】「江戸浪漫・望んだ約束」は正重と綾(雪江の両親)の出会いから事件までの話です。

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