前世とのつながり
翌朝、雪江はお絹を起こさないようにこっそり起きて、いつもの旅籠の仕事をしていた。
やはり、体を動かすというのはいい気分だ。
料亭のランチラッシュが終わってから、浅倉たちと話し合うことになっていた。
ゲストルームに入る。久々の椅子に感激する雪江。
「やっぱ、椅子はいいよね。足がらくだもん」
他の皆は、お互い顔を見合わせて苦笑する。
「おっ前、外国人みたいなこと言うなよ。いくら椅子に慣れていたって」
徳田がいち早くからかう。
「そうよ。日本人なんだから。正座もいいものよ。背筋がピンと伸びるし、和服にとっては楽よね」
久美子がそう言うと皆がうなづいた。
「おれが小学生の時、長距離バスで見た光景だけど、斜め前に座っていたおばあさんが座席に正座して座ってた。おれたちには窮屈な正座でも、そのおばあさんにとっては、足を投げ出す椅子の姿勢がいやだったんだろう」
浅倉の言葉に雪江は感心する。
「へ~え、おもしろい。そんなこともあるんだ」
そこへ裕子がジャンボシュークリームを焼いて、ロイヤルミルクティと一緒に持ってきてくれた。
こんな時、江戸にいても家にいるようなくつろぎを覚える雪江だった。本当に皆がファミリーのような気がする。
雪江は加藤家での出来事を話し始めた。
牢座敷での伸治郎のこと、龍之介は双子だった事実、そして雪江の母のことも。
浅倉たちは、誰一人口をはさまず聞いていた。不思議なくらいに。まるで、以前から知っていた事実を聞いているように、特別驚きもせず、平然として聞いていた。
しかし、雪江は自分のタイムスリップのために、皆を巻き込んでしまった罪悪感にとらわれていて、皆の様子には気づかなかった。
「私が江戸へ戻ることになって、あの時たまたま、私の近くにいたために巻き添えを食ってしまって・・・。ごめんなさい。本当にごめんなさい。私一人でこの江戸に戻ってくればよかったのに・・・・。皆の人生を狂わせてしまった。申し訳ないと思っています」
雪江は、テーブルに頭をぶつけるような勢いで、頭を下げた。
皆、黙っていた。部屋がシーンと静まり返っている。
雪江は皆が怒っているんだと思った。雪江のせいで、江戸時代に迷いこみ、大変な苦労をした皆。どうしよう。
クスッと誰かが笑った。久美子かもしれない。それを合図に皆がどっと笑い出した。
「え?」
雪江が驚いて顔を上げる。ここって笑いの起きる場面なの?
「珍しく雪江が神妙になっているからさ。どこまで引っ張れるか様子を見ていたけど、もうおかしくて・・・・」
徳田が大笑いしていた。
「なによ。怒ってるんじゃないの? それとも諦めてるの?」
浅倉が説明してくれた。
「そうじゃない。おれたちは巻き添えを食ったんじゃないんだ。それを知っている。雪江もおれたちも、その時がきたんだ」
「時が来た?」
「そう、おれたちは皆、前世が桐野家や龍之介さんに係わっているってわかった。当然、雪江にも。皆がそろったから来るべき時がきたんだ」
「え・・・・」
浅倉と久美子の前世は、まだ聞いてはいなかった。
「久美子先生は龍之介さんの祖母だった。おれは、桐野家の筆頭家老だった。つまり、小次郎さんや孝子さまの祖父にあたる」
「ええっ、そんなことがわかったの?一体いつ」
「一度、孝子さまが食事に来られた時にばったりと出会ってな、顔を見るなりそう言われた。その時に全部思い出したよ。今は二人分の人生の記憶を持ってる」
「私も見てもらったの。そしたら記憶がよみがえった。加藤家に嫁いでいった娘のことをずっと心配していたわ。双子を出産したことも、跡取りとして残した子供が病弱だったこともね。そして・・・・自分の息子が犯した重大な事件のことも、すべて思い出した」
「じゃあ、先生は理子さまのお母さんになるってこと?」
「そうよ。すべてを思い出した時、雪江ちゃんにも話そうとしたの。でも、雪江ちゃんがある程度、自分でさぐりあてるべきだと感じたのよ。それまで待ってたの。こんなに早く事が運ぶとは思ってもみなかったわ」
「俺と裕子さんは、孝子さまから前世のことを知らされても、その時はピンとこなかったけど、段々断片的に思いだしかけてきて、今はやっとジグソーパズルのピースがそろった感じだ」
皆の前世が、龍之介に係わっていた。
「俺たちは自分で選んで来たんだ。雪江を守るために。巻き込まれて、人生を台無しにされたんじゃない」
徳田が力説する。
「そうね、その鍵は、私たち五人だけが揃えばいいことになっていたのよ」
裕子が続ける。
「私たちを繋ぐ場所はあの学校でしかなかった。でも、学校はいつも他の生徒が大勢いる。雪江ちゃんと徳田くんと私は割と揃うこともあったけど、先生たち二人とは難しかったわね。どうしても五人だけが揃う必要があったのよ」
そうか、地震でもなく、磁場が緩んだのでもなく、雪江の失恋直後の精神不安定のせいでもなかった。
「五人が揃う場面でやっとタイムスリップできるって、なんかかっこいいな。ゴレンジャーみたいだろ」
「うん、それなら徳田くんは黄レンジャー」
「やっぱ?」
皆が声を上げて笑う。
「じゃあ、龍之介さんの赤ちゃんの時のことも、加藤家の事件のこともすべて知っているのね」
浅倉がうなづいて言う。
「そういうことだ。皆の記憶を繋ぎ合わせたら、いろいろなことがわかった。おれはそれ以前に亡くなっていたけどな。おれは一足先に江戸へきて、他の皆がきたときに受け入れられるような基盤を作る役目ももっていた。皆が困らないように。だからその時のために、社会科の先生、特に日本史を選んだんだと思う」
「私は、江戸にきて皆の健康を維持できるように、看護の道を選んだみたい。初めは大学病院で働いていたけど、何か違うって思って、保健の先生になるために、保健婦と教員の資格も取ったの」
タイムスリップして二十一世紀で生まれた桐野の姫を、また無事に江戸へ戻すために、手助けをする四人。そのために、それぞれの役割があったのだ。
「雪江ちゃん、私たちの役目はあなたを無事に桐野家へ戻すこと」
裕子が涼しい顔で言う。
「役目って・・・・」
「そう決めて二十一世紀に生まれてきた私たちは、その役目を終えたら好きにしていいのよ」
と、裕子が続けた。
あれ? なんか流れが他の方向へ流れていっているような気がする。言いようのない不安が募る。
「役目を終えた後は好きにしていいって・・・・どういうこと?」
雪江の問いに、徳田が珍しく真顔で言った。
「俺たちは望めば、二十一世紀に戻れるんだ。何事もなかったように、あの日、あの時に戻ることができる。今、ここにいる人生は使命のためのボーナスだな。本来の生活に戻れるけど、全く同じじゃない。そこは雪江が存在しないところなんだ」
「え? え?」
わからない。まるでSF小説。徳田が続けて説明する。
「この世は、多元宇宙、パラレルワールドになっていて、幾層にも世界があるんだ。雪江が存在しない世界、俺がいない世界もある」
「じゃあ、皆が帰っちゃったら・・・ここはどうなるの?」
「私たちはいなかったことになるわね。帰った瞬間から別の世界になるの。誰一人、私たちを思い出すことのない世界に」
少し淋しげにいう久美子。
「そんな・・・・」
雪江の目から涙がこぼれおちた。
隣にいる裕子が懐から懐紙を出した。
「泣かなくてもいいのよ。雪江ちゃんはなにも覚えてはいないんだから。私たちがそもそも存在しなかったのなら淋しくないでしょ」
「そうなんでしょうけど・・・・そんなの嫌」
いなくなったとしても、思い出として心に残しておきたい。別れはつらいけど、忘れたくない。そう、思い出を消されたら・・・・そんなに淋しいことはない。
ああ・・・・でも、ここで泣いたらだめだ。せっかく皆が二十一世紀に戻れるのに、足を止めたらだめ。皆は雪江のために、家族や友人と別れて江戸時代へきてくれたんだ。使命としても大きなことなのだ。もうそろそろ開放してあげないといけない。
雪江は涙をぬぐって、無理して笑顔を向けた。
「わかった。私は大丈夫。私のためにどうもありがとうございました。皆のことを忘れてしまうのは悲しいけど・・・・ごめん、ちょっと」
それ以上は言葉にならず、雪江はゲストルームを飛び出した。はだしのまま、中庭に飛び出す。
別れ間際に雪江が悲しんでいたらいけない。これ以上、泣き顔を見せたくなかった。
しかし、ゲストルームでは皆が困惑していた。
「今の話には、肝心なポイントが抜けていなかったか? おい、徳田」
「えっ先生。俺っすかっ」
「そうね、徳田くんがきちんと説明してなかったわねえ」
と、久美子。
「だめじゃないの、雪江ちゃん、とんでもない勘違いしてあんなに泣いているわよ」
と、裕子。
「え~っ、俺? みんなが途切れ途切れに言いたいことだけ言うから・・・・ちゃんと話が終わってなかったのに・・・・」
「行ってこい、ちゃんと説明してこいよ」
「は~い。なんかあんな別れの言葉の後、雪江に逆上されそうだな」
「だから、あなたが行くのよ」
と、裕子が淡々と言った。
「俺ってかわいそ」
徳田はゲストルームを出て、中庭に行く。他の皆は障子を開けて様子を見ていた。
「いやあ、雪江。まだ言ってないことがあった」
「えっ、お別れ? もうつらいから、さっさと行っちゃって。浅倉先生も行っちゃったらこの旅籠はどうなるのか考えていたのよ。残される方としては深刻な問題なんだからね」
さっと涙をぬぐう。
「ん~、ここを建てた先生がいなくなるんだから、旅籠はなくなる?それともオーナーが別の人になるとか?いや、それよりも・・・・」
徳田は雪江に説明しようとするが、雪江は全く別のことを考えていて、顔を曇らせる。
「やだ、ここのオーナーがごうつく爺さんだったらどうしよう。ほら、悪代官と大金持ちの商人とのよくない話。時代劇のドラマみたいな。おぬしも悪よのうっていうセリフ」
徳田は、雪江の言葉にハッとする。
「雪江、お前・・・・。まだ、ここで働く気なのか? 桐野の姫ってわかったんだ。当然桐野家で暮すんだろ?働かなくてもいいんだぞ。一日中お菓子食ってても文句言われないんじゃないか?姫様って呼ばれる立場になるんだぞ」
雪江は徳田になにがわかるっと思い、キッと睨んだ。
「そんな楽じゃない。姫って大変だと思う。生まれながらにそういう教育されていればいいけど、私は違う。いつも周りに監視されて、寝っ転がって漫画も読めないなんていや。漫画はないけどさ。いつも正座をしていなきゃいけないし、きっとたくあん足になっちゃう。特に私なんて、礼儀作法とか言葉使いがきちんとできないから、きっと家臣たちにバカにされる。いつも冷や汗かくもん。少しの間とか、一日二日ならなんとかなるかもしれないけど、ずっとって思うと気が遠くなる。そうなるなら、ここで皆と一緒に・・・・あ、ごめん。大丈夫よ。お絹のそばにいる。私も裁縫でも習って、自分の食い扶持くらい稼げるようにするから」
「いや、雪江。あの・・・俺たちはさ・・・・」
「いいの。大丈夫って言ったでしょ。私にだって何かできるわよ。体力はあるし」
「本当に桐野へ行かないつもりか」
いつもの徳田らしくない、強い口調だ。
「ごまかすなよ。桐野のお殿様は雪江のお父さんなんだ。会いたいはずだ。お父さんなら別の世界で育った娘でも受け止めてくれると思う」
「でも、もし私を見て、お父さんががっかりしたら? そんな顔、見たくないの。本当に怖いの、こんな娘でいいのかどうか」
しょんぼりした雪江は完全に自信をなくしていた。
「いつもの雪江はどうしたんだよ。いつだって自分中心にやってきただろう? まわりが驚いていても気にせず、振る舞っていたじゃないか」
「それって、自己中(自己中心的)ってこと?」
「人なんて、みんなそうなんじゃないか? まず自分のことを考えてる。地球はそれぞれの自分のためにまわっているんだ」
そうか、そうだよね。
ハッとする。
人の顔色を見て行動するって大変なこと。徳田の言葉に少し気が楽になった雪江だ。
そう、父親に会ってがっかりされても、雪江は雪江だ。猫をかぶることはない、誰かの真似をすることはない。初めに無理してもいつかはばれてしまうだろう。それならば最初から自分らしく振る舞っていよう。呆れられてもいつかは周りも理解してくれるかもしれないし、慣れてくれる? かなと思う。
「そうだね、徳田くん。ありがと。同級生だけど、ここでは伊達に年は取ってないよね。龍之介さんは私のことを知っているから大丈夫。それでも好きになってくれたし・・・。いいよ、もう。徳田くん行っちゃって。私の代わりに豊和を一発殴っておいてね。そいで、沙希は泣かしちゃだめだって言って。それから、学校の角のコーヒーショップのチーズケーキ、私の代わりに食べてきて。そして、いつか甲府へ行ったら、私を育ててくれた祖父母に会ってきてね。私のことは覚えていないとしても、お願い」
「あ、雪江、そのことだけどさ」
「そうね、徳田くんも私のいなかった世界になるから全部は無理よね」
徳田がゲストルームの方を見る。障子を開け放ち、浅倉たちがジェスチャーで早く言えと言っているのがわかった。
「雪江、聞いてくれ」
「え、なによ、さっきから。お別れの言葉はもう十分っていったじゃない。皆待ってるわよ」
雪江は徳田の背の向こうに浅倉たちがまだいるのを見た。
「違うんだ。俺たちは望めば今すぐにでも二十一世紀に帰れるけど、この江戸で一生を終えてからでも帰ることができるんだ」
「え・・・・」
「だから俺たちも先生たちも、ここでの一生を楽しんでから帰ることにした」
雪江は徳田の言葉の意味をよく考えていた。
と、言うことは、みんなこのままずっと江戸にいてくれるのだ。
「じゃ、皆、今すぐには帰らない・・・のね?」
「そういうこと」
雪江は嬉しい半面、今までの悲しい心情を思い出す。
「なんでそういうことを早く言わないのよ。まったくもう」
「へっ」
突然、雪江の口調が変わって、驚く徳田。
「余計なこといっぱい考えちゃったじゃないの、もう」
ゲストルームでは、やっと徳田が肝心のポイントを言ってくれたことに安堵していた。
裕子は冷めてしまった紅茶を入れ直そうと席を立った。
「あらら、雪江ちゃんたら。あの巨大な徳田くんに飛びかかって、首を絞めてるわ」
浅倉も目を細めて見る。
「ほ~お、よかった、徳田で。おれならもうとっくに息の根が止まって、二十一世紀へ強制送還されてるわい」
和やかな雰囲気に、シュークリームを頬張る浅倉だった。
「黄レンジャーとは、ゴレンジャーの中でもちょっと太り気味でずっこけの勇士です。」
ちょっと古いので念のため。