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明らかにされる十六年前の真実

 理子は、十六年前になにが起こったかを語り始めた。


 加藤家に双子が生まれ、後から生まれた子が桐野家へ養子に出された。すべて手筈は整っていて、その夜遅く、理子の侍女だった綾がその子を抱いて駕籠に乗せられ、加藤家を後にした。

 なにもかも安泰に見えた。双子のことも、家老たちと医師たちしか知らない。

 理子は産後の肥立ちもよく、ホッとしていた時だった。


 生後一カ月の明知が初めて熱を出した。幼すぎて投薬もできず、医者たちもなす術がなく、おろおろしながら見守るしかなかった。だが、赤子の生命力は思ったよりも強く、やがて熱も治まった。

 皆は胸を撫で下ろしたが、それは最初の出来事でしかなかった。それからというもの、幼い明知は二月ふたつきに一度は必ず熱を出すか、咳きこんで呼吸困難となった。

 医者たちは片時も目を離せずにいた。


 皆が病弱な明知のことで、疲労と心配が山場を迎えていた時、綾からの書状が届いた。理子が近況報告を書いた書状を送ってから、少し時がたっていた。もちろん、明知の体のことは書いてはいない。


 綾は桐野の若殿の側室になり、子を身ごもっているとの知らせだった。そして、龍之介は風邪一つ引かずにすくすくと育っているとのことだった。

 母親の理子には嬉しい限りの知らせだった。わが身を犠牲にしてまで、他家へ行ってくれた綾の幸せとわが子の成長。

 それを当時、理子の夫、藩主の側近として務めていた実弟の吉野高次にだけ言った。


 実の弟ならば、密かに理子と龍之介の成長を喜んでくれると思ったのである。しかし、高次の反応は違った。

 なぜ、体の丈夫な方を他家の養子にし、医者が付きっきりで見ていなければならない子を加藤家に残したのかとなじったのであった。


 生まれた時は、双方とも健康だった。いや、健康そうにみえた。

 医者の話だと、明知は人よりも少し喉と肺が敏感なのだそうだ。成長に従って、熱の出る頻度は少なくなり、元気に外へも出られるようになるだろうとの見立てだった。

 だから、理子も高次も明知のことは長い目で見守ろうとしていた。

 そんな時、殿の側室が男児を生んだ。それが伸治郎である。

 高次はますます不安に陥った。

 もし、このまま明知になにかあれば、側室の子がこの加藤家を継ぐことにもなるかもしれないからだ。


 明知がまた、何度かのひどい咳きこみで呼吸困難を引き起こした時、高次のたくらみはますます膨らんでいった。

 一度、養子に出した子を今更、返してくれとは言えない。だから、桐野家にいる龍之介をさらい、明知と交換しようという考えだった。浅はかとしか思えないことだが、例え見つかったとしても向こうは養子の次男である。双子のうち、どちらでもかまわないのではないかと思った。


 桐野家の屋敷内の地図を手に入れ、いつも龍之介が寝ている座敷を確かめる。奥女中に高次の手の者をしのびこませ、手引きをしてもらう。寝ている龍之介をさらい、無事に加藤家まで連れてくることができたら、明知を連れて、朝方までに桐野家へ戻すという手筈になっていた。


 身のこなしの敏捷な、忍びの心得のある侍二人を従えて、高次は新年を迎えて半月ほどたった寒い夜に行動を起こした。

 その結果、桐野の侍二人が死亡し、綾が行方不明になった。高次たちは捕えられ、加藤家に内密で引き渡されたのだった。


 高次は、自分のしでかしたことの重大さにふるえていた。誰も傷つける気はなかったという。ただ、子供を交換できたらそれでよかったと繰り返し言っていた。

 しかし、綾までを斬られている。忍び込んだ時、龍之介の寝ている座敷の前にいたそうだ。勇敢なる綾は、突然の押し込みの族にもひるまず、身重の体で戦っていた。刺客の一人がその綾を斬ったそうだ。


 桐野の殿、当時の正重の父は、ご公儀には届けないかわりに、この罪人は責任を持って処分をするようにと、忍び込んだ三人と奥女中一人が加藤家に返された。もちろん、三人は切腹、奥女中は遠い故郷へ帰された。


 理子は気丈にも淡々と話した。

 明知も仮面をかぶったかのように、表情一つ変えずに聞いていた。

 雪江はショックな内容に、口に手を当ててなるべく声を洩らさないようにして聞くのがやっとだった。


「桐野では、綾が斬られて池に落ちたそうじゃ。すぐに助けようとしたらしいが、どこにも姿がなかったそう・・・」

「あ・・・・」

「池の水を全部すくいだして、泥の中までさぐったが、綾はいなかった。消えてしまったのじゃ」


 ああ、その時母はタイムスリップしたんだ。そう言えばずぶ濡れだったって聞いている。理子も同じことを考えていた。


「今ならわかる。綾は斬られて池に落ち、産気づいて、なんとか腹のややを助けようと・・・その世へ飛んだのじゃな」

 雪江もうなづいた。

「高次は・・・・弟はのう、小さい時からいつもわらわを一番に考えてくれていた。遊ぶ時も手習いをする時も一緒で。わらわの腰入れの時も、わらわを守ると言って、どんなお役目でもいいからとついてきてくれた。子ができた時は大層喜んでくれて、双子とわかった時もわらわの味方だった」


「だから、双子の交換のたくらみは、わらわのことを思っての行為だったのじゃ。わらわの弟として、双子の叔父として、敢えて自らの手を汚す役目を負ったのじゃ」

 実の弟のしでかしたこと、そんな裏の心までわかっている理子。つらかったと思う。


「母上、よくぞ、すべてを話して下さいました。礼を言います」

 明知は胡坐のまま、手を両ひざにおいて、頭を深く下げた。

 顔を上げた時は、もうにこにこしている明知に戻っていた。

「雪江殿、龍之介を頼みますぞ」

というと、明知はすっくと立ち上がり、すたすたと座敷を出ていった。


 理子は立ち去った明知の見えない姿を目で追っている。

「明知には罪はない。罪はないが、おのれが原因で事が起こったことは消すことはできぬ。だが、その重い事実に正面から向き合うことで、いつかは明知が自分自身を許す時が来ると信じたい」


 本当にこの世はつらいことが起こる。どうしてこんなことが起こるのだろうと思う時も多々ある。でも、そのつらい経験から人の痛みに共感できるし、優しくできると思う。


「あの事以来、龍之介は甲斐大泉で育てられることになった。たぶん、再び同じようなことが起らないようにであろう。それから、正重殿が藩主になられてから、時々簡単な書状が届くようになった。龍之介の様子を教えてくれる」

 理子はまた母親の顔に戻っていた。


「それが、この夏、龍之介の所在がわからぬと書いてあって、わらわはまたわずかな疑いをこの加藤家の者に向けてしまったのじゃ。しかし、龍之介は無事で身分を偽って、江戸市中の長屋にいた。甲斐大泉には江戸へ行くと申して、江戸屋敷にはまだ甲斐にいるということにした。子供よのう、時々江戸屋敷には甲斐にいるふりをして、他愛のない書状が届くのだそうじゃ。そのような小細工が通用すると思っているのだから。しかし、正重殿は騙されているふりをして様子をみようと言ってくれた。母としては、叱って屋敷に閉じ込めてもらいたい、危ないめには合わせたくはないからな」

 理子が笑う。


「だが、・・・・龍之介が十六年前のあのことをさぐっているとわかった時、わらわは床に伏してしまった。あの時の悪夢を思い出して。すると、玄庵が町医者をしながら龍之介の様子をみると申してくれたのじゃ」

 ああ、それで龍之介の傷を見るために、いいタイミングで来たんだ。

「しかし、あの夜だけはすべてがうまく運ばなかったと申して居る」

「あの夜って、もしかして、あの?」

 龍之介が一人で加藤家を見張りに行って見つかり、斬られそうになったあの夜のことだ。


「玄庵は、小次郎殿がいないことがわかっておった。しかし、一人では行動を起こすまいと思っていたらしい。小次郎殿もくどいほど念を押して行ったというからのう。それでも注意をしていたが、ちょうどけが人が玄庵のところに飛び込んできて、その手当てが終わった時にはもう龍之介の姿はなかったとのことじゃ。急いで駆けつけたが、事はすでに終わっていた。加藤家の侍が逃げていった先には奇妙な格好をしたおなご、雪江殿のことじゃな、一緒にいた。怪我をしていたが、大したことはなさそうだったので、長屋へ帰るまでを見守っていたらしい」

 ああ、あの時玄庵が見ていたんだ。


「もしも玄庵さんが間に合って龍之介さんを助けていたら、私が来ることはなかったのかもしれない」

「そうなってしまったのじゃ、これもすべてそうなるようになっておったのじゃな」


 やっぱ、玄庵はスパイだった。いろいろなことがすでに報告されているに違いない。


 理子が廊下にいる染子を呼び、籠を桐野へと言うのを制止した。

「ちょっと疲れてしまって、気兼ねなく寝たいと思います。それでひとまず、働いていた旅籠へ行きたいなって思って・・・・」

 理子は含み笑いをする。

「その世とは、この世よりも自由に振る舞えるようじゃのう。少しうらやましいぞ。桐野へ行ったなら、雪江殿が大奥を好きなように変えればよいのじゃ。そのようにずっとかしこまっていたら身が持たぬぞ」

「え、そんなことしてもいいんですか?」

「わらわが申したということは内緒じゃぞ」

と、理子は笑うのだった。

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