明知の心情
明知は雪江を見て、にっこり笑う。
一体どうしたのだろう。近すぎて、雪江はどぎまぎしてしまう。
「母上、拙者にも知る権利がございます。それがどんなことであろうとも、受け入れる覚悟はできております」
「明知、そちがなぜ・・・・それを・・・」
「幼少から暇がたくさんございましたからなぁ。大人のちょっとした引っかかる言葉を次々と繋ぎ合わせますと、いろいろなことが見えてくるのでございます。誰からも聞いてはおりませぬゆえ、ご安心を」
理子はまだ、迷っている様子だった。
「この体がいつまで持つか分りませぬゆえ、どうか教えてくだされ、母上」
「そのようなことを口にするものではないぞ」
理子は眉をひそめて、明らかに難色を示している。
この体って・・・・・明知はもう健康になったんじゃないの?いつまで持つかって、どういうことなの?
雪江の心の中の疑問に、明知は答え始めた。
「たぶん、わしは藩主になったとしても、江戸から近江への往復はできまい。体に負担がかかりすぎる」
「でも、もうお体はよくなったんじゃ・・・」
明知は白い歯をのぞかせて、
「普通の生活ならば支障はないが、あそこまでの遠出はちと無理じゃ、冷たい風に触れるとたちまち咳が出てのう。熱でも出たら面倒なことになる」
「ぜんそくですか?」
「さあ・・・・」
理子は少し血の気が引いたまま、明知を見つめていた。それとは裏腹に、明るい声を出す。
「できるだけ、早く後継ぎを作って、加藤家を安泰にしなければならぬのじゃ、それがわしに課せられた加藤家の嫡男の役目ぞ。父上はまだ、あと十年、いや十五年は頑張ると言ってくれている。その間にわしがなんとかせねばのう。安寿にはかわいそうだが、急がねばならぬ。側室も持たねばなるまいて」
あの時の安寿姫、初めて会った時の視線を思い出した。ピリピリとしていて、突き刺すような目で見ていた。
「しかし、あの安寿が、雪江殿なら側室に迎えてもよいと言った時は驚いた」
そう言えば、明知が大笑いした時にそう言っていたっけ。彼が笑っていることがそんなにうれしいことなのかと少し不思議に思っていたのだ。
そうか、安寿も明知の体を心配しているのだ。彼女も彼女なりに覚悟をしているんだ。このお方は、いつもニコニコと元気に振る舞っているわけではなさそうだ。
「わしも・・・・・」
「はい?」
「わしもそう思った。雪江殿ならば、安寿とうまくやっていってくれるとな」
龍之介と同じ顔でそんなことを言われたらドキドキしちゃう。浮気な雪江である。
「いや、いいのじゃ。もはや桐野の姫とわかってはその気があってもかなわぬこと。雪江殿が龍之介の子をたくさん産んでくれて、その中の一人を養子にもらうと言う手もある」
ああ、双子だからね。
明知の体は、保健の先生だった久美子に聞けば何か助けになるかもしれない。それに知恵袋の浅倉もいる。
「明知様、旅籠の「あかり」に私と同じ世界からきた人たちがいます。中には医学に詳しい人もいるので、なにかお役に立てるかもしれません」
明知は、微笑んでゆっくりと首を振った。
「よいのじゃ、雪江殿。わしには庵をはじめとする大勢すぎるほどの医者たちがついておる。わしはすべてを任せているのじゃ。それでも、その時が訪れたとしたら・・・」
明知は理子をやさしく見つめて言った。
「それも課せられた宿命、わしはそれをただ受け止めるだけのこと」
幼いころから体が弱いために、やりたいことができず、床に伏せっていたのだろう。できない悲しさと思うようにならない体と、加藤家の長男というプレッシャー、そして周りの大人たちの不安そうな顔。それにプラスされた死に対する恐怖。これらを床に伏している間に、受け入れては消し、受け入れては消していたのだろう。
明知も世が世であれば、雪江と同じ高校生のはず。そんな年齢で、重い責任と周囲への気遣い、そして死というものを理解するなんて・・・・。
その明知の心中を思うと、雪江の目からぽろぽろと涙がこぼれてきた。今日はよく泣く日だ。一度ゆるくなった涙腺は緩みっぱなし。
明知は雪江が泣いているのに気づいて、そっと雪江の肩に手を置いた。
「姫、泣いてくれるな。わしはまだまだ大丈夫じゃ、体に力がついてきておる。ただ、幼少の頃よりゆっくりと考える暇があった、それだけのことじゃ。まだまだ死にはせぬ」
「はい・・・」
本当だ、泣いたりしたら失礼だ。それよりも理子、理子の方がずっと辛いに違いない。
理子は、ずっと目を閉じて、明知の言うことを聞いていた。やがて、目を開け、厳しい声を出した。
「わかった。わらわも今日、このことを二人に打ち明けたらもう二度と口にせぬ。金輪際忘れる、よいな」
明知と雪江は真剣な表情でうなづいた。
長くなりすぎるので、明知の心情ということで分けました。