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近江水口藩加藤家 中編

 雪江も奥方の後をそのままついて入ろうとするのを、染子が制止した。


「雪江さまはそのままの入室はなりませぬ。廊下にて平伏し、入れと言われるまで待ちます。よろしいですか」

「はーい」

 いろいろうるさいが、染子は染子なりに心配してくれているのだろう。頼もしく思えてきた。


 大広間の廊下に座る。大勢の視線が注がれるのを感じる。平伏。染子も雪江の隣で平伏している。

 奥方の声がした。

「雪江殿、はいるがよい、さあ」

 横目で染子を見ると、目で行ってよしとGOが出る。


「失礼いたします」

 座敷に入ると、また平伏する。

「もう少し中へ。そしておもてを上げよ」

 今度は若い男性の声だった。龍之介の声に似ている。

 言われるままに、座敷の真ん中まですすみ、一度平伏してから顔を上げた。


「神宮寺雪江でございます」

 見知らぬ顔の中に玄庵の顔があった。少しほっとする。

 そして、雪江の視線は中央に座っている一人の侍に向けられた。


 雪江は思わず息を飲んだ。そこに龍之介がいた。いや、少し違う。総髪だった髪は月代さかやきをそり、ものすごく侍っぽい。そして、痩せた。まるで・・・・そう、別人みたいな。


 そして、気になるきれいな人。龍之介の隣に座って、真っ直ぐ雪江を見ている。怖いくらいの強い視線。雪江よりも二歳くらい若そうだ。

 その横に先ほど会った奥方、理子まさこがニコニコしながら座っていた。

 雪江はまた龍之介に視線を移す。


 顔は・・・・パーツは同じだ。でもどこか違う。痩せたことがそんなに別人にみせるのか・・・。

 理子が皆を紹介してくれる。


 正面から、加藤家嫡男、加藤明知。

 龍之介とは言わない。別人なのかわからない。その隣に座る美女は、明知が迎えたばかりの正室、安寿と言った。

 正室と聞いて、雪江の胸が痛む。向こうも敵視している。そりゃそうだ。夫の愛人なのだから。


 両脇に座っている二人は加藤家の家老だった。雪江のよく知っている玄庵も家老で、元藩医だった。その隣のいおりは、玄庵の息子で、今現在の藩医を務めている。

 全員の紹介が終わると、明知が口を開いた。


「雪江殿は故あって中屋敷に留まっていたが、今日からわしの側室となる。皆の者、よろしく頼むぞ」

 家老たちが「ははっ」と返事をし、会釈した。

 たらっと冷や汗が流れる瞬間。このまま本当に側室になるのか。


 雪江は明知を見た。正面からじっと見つめた。隣の安寿姫も睨んでいるが、そちらは今は気にしてはいられなかった。

 明知が本当に龍之介なのか、確かめなければならない。

 明知は相変わらずニコニコして、雪江を見ていた。


「いかがなされた、雪江殿。まさか、わしの顔を見忘れたのではあるまい。そのようにしてじっと見られると、なにやらこそばゆいのう。長屋でのように、龍之介と呼んでくれてもよいのだぞ」


 雪江の中で、答えが見つかった。にっこり笑う。龍之介と名乗る明知もにっこり笑い返した。ますます確信する。

「あなたは龍之介さんじゃない」

 雪江は明知の目を見て、きっぱりと言った。一同がざわめく。後ろで染子が「これっ」とたしなめた。

 そう、別人。全くの別人だ。この人は、明知は雪江の愛した龍之介ではない。


「ほう、どこが違うか。少し会わぬうちに変わったかのう・・」

 ニセの龍之介は、ニヤニヤしながらまだ絡んでくる。

 雪江はキッとなり、はっきり言った。


「では、申し上げます。まず、龍之介さんなら私のことを呼び捨てにします。それに、そのように私を真正面からニコニコして見ないし。いつもちらりと見て、皮肉を一言。私が悔しがるのを楽しそうにしている。そして、頭に毛があったし・・・・」

「これっ」と染子。これこれ染子と名付けようか。


 ニセ龍之介は頭をなでて、

「これはいつでも剃れるぞ。今朝も整えたばかりじゃ」

「今まで長くしていた頭をいきなり剃ったら、もっと全体的に青白いはず。そして龍之介さんは毎日、外での剣の稽古を怠りませんでした。だから、顔も日に焼けて、もう少しふっくらしていました」

 雪江の意見に皆はあっけにとられていた。明知に対して、ここまではっきりズケズケとモノを言う人もいないだろう。


 明知は頬を撫でて、

「なるほどのう、わが分身殿は健康そうじゃ。頭に毛があるか。はっはっはっ」

 豪快に笑う。奥方もうれしそうだ。

「分身って?」

「そうじゃ、我らは分身なのじゃ」

 

 ここで玄庵がそっと立ち、襖を閉めた。外に聞こえないようにだろう。

 分身っって・・・・忍者が使う、自分にそっくりな人を作る・・・あ、なるほどわかった。双子ってことだ。


 明知は理子を見る。理子はうなづいて説明をし始めた。

「そうじゃ、明知と龍之介は・・・わらわが生んだ双子じゃ。武家ではのう、双子は忌み嫌われていて、畜生腹と言われておるのじゃ」


「奥方様、自らそのようなお言葉を申されては・・・・」

 玄庵がたしなめるように言う。

「よい、わらわが言うのじゃ」


 理子が畜生腹と言った畜生とは獣のこと。双子が生まれると、家名を汚さないように生まれてすぐに片方を抹殺することも珍しくはなかったらしい。龍之介のようにすぐに里子に出されるのはまだいい方だ。

 特に男女の双子は、「前世で心中した者の生まれ変わり」と最も忌み嫌われていた。


「この玄庵が生まれる前から、わらわの腹には二人おると診断してくれていた。だから、すぐに引き取ってくれる武家を探したのじゃ」

 なるほど、龍之介は生まれてすぐに桐野家に引き取られたということだ。

 今度は玄庵が口を開く。


「双子であったことはひた隠しにされます。もちろん、腹ちがいの弟君、伸治郎様も存じませなんだ。あのお方が雪江殿をさらった時は驚きましたぞ。龍之介様と一緒の所を見て、明知様だと勘違いされたのも無理はなかったのです。ひゃっ、ひゃっ」

「そうじゃ、それを利用して雪江殿を中屋敷から連れ出した」

と、奥方。


 明知の隣の安寿姫が目を輝かせた。

「では、雪江殿は明知様の側室ではないのですね」

 明知は愛おしそうに姫を見る。

「さよう、姫にも秘密にしてすまなかった。これは雪江殿を無事に中屋敷から出すため、巻いた噂じゃ」

「よかった」


 かわいらしい姫だ。武家の婚礼は、直接腰入れしてから双方が初めて対面すると言う。嫁いだばかりだと言うのに、全身で明知のことを信頼し、愛しているとわかる。明知も安寿姫のことを可愛くてたまらないという目で見ている。

 龍之介にも見せてやりたい。あんたの分身、こんなに素直に愛を表現しているよって。

「わしも安堵した。これで姫に寝首を掻かれることもなかろう」

「まっ」


 姫は真っ赤になった。一途で本当にかわいい。もしもこの姫が龍之介の正室だったとしたら、雪江はそっと立ち去るだろう。とても側室になれない。居座れるはずがない。


「ところで、いつ、どうやって龍之介と出会ったのじゃ。きっかけを知りたいのう」

と、理子が聞く。


「え・・・・」

「これっ」と染子。

「生みの母としてはのう、赤子の時に別れたきりで、龍之介のことは何も知らぬのじゃ。少しばかり玄庵から聞いておるがのう」


「出会ったきっかけですかぁ。何と言っていいのか、突然目の前にいたというか・・・・」

「聞けば雪江殿は龍之介の命の恩人と言うことじゃが、そうではないのか」


 ああ、玄庵に出会ったのは龍之介が怪我を負った時だ。確かに雪江が助けたと言えば助けたかもしれないけど、偶然が重なっただけで・・・・。

 雪江が口の中でブツブツ言っているのを後ろから染子がひそひそと言う。

「それではわからぬぞ」

 染子の声は広間の皆に筒抜けだった。


 その姿に明知はクックと笑いをこらえている。

 このままでは、言いたいことがあっても言えない。奥方様にもどこから来たのか、まだ答えていない。

 雪江はいいことを思いついた。未来から来たと言えば、これから起こる歴史の話になってしまう。それだけは避けたかった。それならば、別世界からきたと言えばいいのだ。ある意味、それは嘘ではない。雪江の世界という話ができる。


 雪江はす~と息を吸い込むと、姿勢を正して大きな声で言った。

「実を申しますと、わたし、この世の人じゃないんです」

 皆が静まりかえって、雪江を見る。

 明知も理子もさすがに驚いていた。


「ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ」

と笑ったのは玄庵だった。


「そうか、やはりおぬしはこの世の者ではなかったか。ひゃっひゃっ」

 この世という意味の違いに気づいた雪江はあわてて正す。

「あ、あのう、別にあの世の人でもないんですけど、言ってみればその世? なんちゃって・・・」


 今までの友達に言えば、冷たい視線を投げかけられるだろう。しかし、ここでは皆が笑った。ひゃ~こんなにレベルの低いギャグ、ウケルんだ。

 明知など苦しそうにお腹を抱えて笑っている。この人は笑い上戸の気あり。


「明知様・・・」

 隣の安寿姫は涙ぐんでいた。

「あまりにも明知様が楽しそうで、安寿はうれしいのです」

「雪江殿はなかなか愉快なお方じゃのう。いっそのこと、ずっとここにおったらいい。分身殿よりもわしの側室にならぬか。毎日笑って過ごせそうじゃ」

「安寿は明知様がいつもそのようにお笑いになられるのでしたら、雪江殿を側室にお迎え致します」

 なんか話がずれていってない?


「ちょっと待ってください。龍之介さんはそんなに笑いませんよ。今の言葉だったら絶対に冷ややかな目で見て、ため息をつくでしょうね。くだらないって感じで」

「ほう・・・・こうか?」

 明知は笑みを消し、冷たい視線を投げつけてきた。そっくりだった。ドキッとするくらい。


「うまい、うまい。めっちゃ、似てる。まじ、ウケル」

 雪江がケラケラと笑った。双子だから当たり前なのに。


「笑うっていいことですね。体温が上がるし、いいホルモンも・・・・体にもいいらしいですよ。周りの人も幸せにしてくれるし」

 本当にそうだ。小次郎の教えてくれた言葉。

「笑うから・・・・」

と雪江が言いかけると、理子がその後を続けて言った。

「幸せになれる」

 驚いた雪江は理子を見る。理子もうれしそうに、目を丸くして雪江を見ていた。


「そなたはそれをどこで・・・・」

「龍之介さんの家臣、小次郎さんから教えていただきました。小次郎さんはお姉さんの孝子さまから、孝子さまは子供の時、あるお方から聞かされたと・・・・」

 理子はじっと雪江を見る。

「本当に不思議な娘よのう。一体何者じゃ」


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