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雪江、危うし・下編

 ああ、そう、思い出した。


 昨夜は料亭に団体さんが急に入って、大わらわだった。

 徳田くんが、もういいから帰れと言ってくれたけど、早く帰ったとしてもお絹と二人だし、お絹は雪江が帰るまで両親のところにいる。


 落ち着くまで手伝っても、誰も文句を言わない、心配もされない。

 末吉が送ってくれるというので、帰ることにした。その前に生ごみを外へ出してからと、一人で厨房の裏へ出た。その暗がりから誰かが出てきて、羽交締め(はがいじめ)にされ、腹を打たれた。

 雪江は息が詰まり、気を失ってしまった。


 気が付いたら、縛られていた。座敷の真中に寝かされていた。

 雪江が目を開けたのを見て、見張りの若い侍が誰かを呼びに出た。

 すぐさまそこへ現れたのは、いつも料亭へくる豊和のそっくりさん、伸治郎だった。いつもくっついてくる説教年寄りの姿はない。


「おお、目覚めたか」

と、うれしそうな声を出した。

「なんで?私」

「雪江殿、すまない。こんなに窮屈な思いをさせてしまって。すぐにでも自由にしてやりたいが・・・・」

 してやりたいが・・・って。できないんだ。むかっとする。

「雪江殿次第じゃ。ずっとわしのそばにいてくれると約束してくれるなら・・」

 みなまで聞いていなかった。雪江の中の堪忍袋の緒が切れたのだ。


「冗談じゃないわよ。無理やり連れてきて、ずっとそばにいてくれたら、ですって? そんなバカがいたら、ぜひお目にかかりたいわよ」

 伸治郎も若侍も唖然としている。

「どうしてこんなことすんのっ。私を帰してよ」


「・・・雪江殿。わしはそなたと二人で話をしたかっただけじゃ」

「話? 話をしたいだけで人をさらうの? どうしてそう一方的に事を進めるのよ。例え、私があなたのことを好きでも、こんなことをされたら軽蔑する」

 雪江に罵倒されて、伸治郎は真っ青になり、ぶるぶる震えていた。気分でも悪くなったかのように、口を押さえる。

 少しの間、沈黙があった。


「わかった。刀を持て」

 声を搾りだすようにして、つぶやいた。伸治郎は屋敷でくつろいていたのだろう。着流しのまま、帯刀していない。

 見張り役の若侍はどうしていいかわからず、慌てふためいていた。


 伸治郎の言うとおりに刀を渡したら、間違いなく雪江を斬り捨ててしまう。いくら武士でも、人をさらって殺すなど許されるわけがない。しかも、その刀がその若侍のものとわかれば、斬り殺したのは若侍だとでっち上げられるかもしれないのだ。

「お許しください」

と、ひれ伏した。

「そちの刀をよこせ、なにをしているっ」

 若侍は逃げるように、座敷を出て行った。


 雪江もさすがに青くなっていた。しかし、キッと瞬きもせずに伸治郎を睨みつける。

 伸治郎はその視線に硬直していた。目をそらすのがやっとのようだ。


 このまま斬られるのか。

 怖い、怖い。本当はものすごく怖いのだ。斬られて死ぬ、どれだけ痛いだろう。包丁で手を切っただけでも痛いのに、想像できない。そしてそれは一瞬なのか、それとも・・。


 ふと、龍之介の顔が浮かんだ。死ぬ前にもう一度会いたかった。もう一度、抱き締めたかった。(いつも雪江の方から抱きついていくので)

 もしかすると、このまま生きていても、もう二度と龍之介とは会えないかもしれない。彼は大名なのだし、身分が違いすぎる。このまま生きていて、龍之介が奥方をもらったという噂を聞いたら・・・・・そこまで考えただけで雪江の胸は張り裂けそうになった。


 きっと耐えられない。いや、絶対に。

 そうかと言って、この目の前にいる伸治郎のいいなりになるのはもっと嫌だった。死んだ方がましかもしれない。


 よく考えてみると、この人も悲しい人だ。幼いころから自分のわがままを通してきたのだろう。それが年ごろとなり、あの娘がいいと思えば手に入れられたのだろう。殿さまのお手付きという言葉があるように、女は黙って従うより他なかったのだろう。

 しかし、心の中までは自由にならないのに。でも、雪江と同じ恋愛で心を痛めている。好きでも身分違いでどうにもならないこと、相手が好きなのに振り向いてくれないこと。


 先ほどまで刺すような雪江の視線が憐れみを帯びて、変わったことに気づいたのだろうか。伸治郎が雪江を見た。そして、二ヤリと笑う。いつもの自信満々の豊和笑顔になった。


「いや、斬ってしまうことはいつでもできる。このままここへ置こう。わしの言うことを聞くまで」

 雪江は、こっちのアイディアもいやだと思った。

 そこへ見張りの若侍が戻ってきた。いつもの年寄り侍を連れている。


 年寄り侍は、伸治郎が雪江をさらったことを知らなかったのだろう。座敷に入り、その様子を見て、さっと顔色を変えた。

「伸治郎様、なんということを・・・・」

「じい、すまぬ。つい・・・」

 年寄り侍は、力なくヘナヘナと座りこんだ。


「いえ、じいが悪うございました。あの時、軽々しくあのお方の名を口にしたばかりに。この不始末はじいが決着をつけまする。ここで、じいは腹を切ってお詫びを・・・」

 今度は年寄り侍が腹を切ると言いだして、若侍はギョッとなり、年寄り侍を後ろから羽交い締めにした。

「ええい、離せ」

「いえ、なりませぬ。榊様が切腹なさいましたら、今後誰が伸治郎様をお守りするのですか。それにこのことが表ざたになれば」


「お家断絶」


 雪江の死角に誰かいた。その暗がりに立つ者の声だ。

 その言葉にハッとなる年寄り侍こと榊だった。

「とりあえず、今宵は眠り薬を煎じまする。一晩寝かしておく間に座敷牢を作りましょう。そこへ閉じ込めておけば誰にも知られずに済みます」

 その言葉に伸治郎は心を動かされた様子だった。


 伸治郎はちらりと雪江を見て、

「よし、玄庵、そちに任せる。この奥座敷に牢を作らせよう」

と言って、伸治郎は座敷を出て行った。榊もあわてて後を追う。

 

 暗がりにいる玄庵と呼ばれた者は、見張り役の若侍に「薬を煎じてくる。猿ぐつわをしておけ」と命令して出て行った。

 今度は若侍と雪江の戦いだった。サラシを手に近づくと雪江が大声でわめく、騒ぐ、罵倒する。しかし、雪江は手足の自由が利かない。それでも必死に抵抗した。

 若侍は、猿のほうがまだましとでも言わんばかりに顔をしかめていた。双方が肩で息をしている。

 雪江は、若い侍をめがけて、毛虫が地を這うように体を動かしながら近づいていく。半分茶髪の髪をふり乱して、高い声は出さず、ウオ―という低いうなり声を上げた。この方が迫力を増す。

「わああああ」

 若侍は化け物でも見るように、叫び、後ずさりをした。

 雪江はこんなホラー映画があったなと思っていた。おもしろいように驚いてくれる。


「なにをしているのだ」

 先ほどの玄庵という者が戻ってきた。雪江はチッと舌を鳴らす。もうちょっとでこの若いヤツを追い詰めるところだったのに・・・。こいつが恐怖で飛び出せば、騒ぎを聞きつけて誰かマトモな人がきてくれるかもしれないと思ったのだ。


「玄庵どの、一体この女子は・・・。普通の娘ではございませぬ」

 カチンとくる雪江。また、ウオ―という声を出して脅かした。

「ひい~」

 暗がりにいる玄庵は苦笑している様子だった。


「これを飲ませい。そうすれば、まもなく静かになるであろう。鼻をつまんで口を開けさせるのだ」

「は、はあ、しかし、玄庵どの」

 若侍は一人でやるのかという不安そうな目つき。

「あ、噛みつかれんようにな。その者の歯は丈夫だからのう」

 ますます怯える。もう近づけない。


「玄庵どの、一緒になにとぞ・・・」

 暗がりの玄庵は舌うちをして、行燈を遠ざけた。光が苦手なのだろうか。顔を見せたくないのかもしれない。座敷はだいぶ暗くなった。

「しっかりと捕まえているように」

 縛られていてもくねくねと動く雪江。だが、二人の力には勝てなかった。あっけなく鼻をつままれて、薬を飲み込み、猿ぐつわをされたのだった。

 少しの間、暴れたが、そのままアウトである。


 すべて思い出していた。今考えれば玄庵は、顔を知っている雪江に何か言われたくなかったのだろう。

 玄庵は肩を震わせて笑っている。


「あの見張りの侍は、おぬしを化け物だと言って震えあがっておったぞ。あの光景はいつ思い出してもおかしい」

 おかしいと笑われて不満顔の雪江。はいはい、そうですかとそっぽを向く。

「そちは相変わらずよのう。たのしいわい。そうじゃ、もうまもなく見張り役の女中がくる。よいな。わしが長屋へ出入りしていた医者だったということは伏せておくのじゃぞ。わしはこの加藤家に仕える藩医じゃ。時々町医者もしておるのでな」

 加藤家?ああ、伸治郎は加藤という名字なのか。どこかで聞いたことがあるけど。

 

 玄庵はグンと声を落とし、

「よいな、わしは医者じゃ。従って、人の命を守る。病いや怪我以外でもな。だからわしはおぬしを死なせはしない。絶対にここから無事に出してやる」

 なんという心強い言葉なのだろう。

「ありがとうございます」と声は出ないが、息でそう言う。涙がこぼれた。

「よしよし」と玄庵は笑う。


「そこには寝具がある。自分で敷いて寝るのじゃぞ。そしてそこの木の扉の向こうにはご不浄トイレがある。ここに閉じ込められているが、この中にいる限り安全に眠れる、違うかな?」


 玄庵はにこにこしていたが、急に険しい表情に豹変した。

 眉間にしわをよせ、眉を吊り上げる。やさしかった目はランランと怒りの炎が燃えているかのように恐ろしくなる。口元にはもう笑みはなかった。まるで別人のようだ。

「奥女中か」

 次の間の座敷の障子向こうからかすかな声がした。

「はい、茜と申します」

「入れ」

「はい、失礼いたします」


 さっと障子が開いた。それと同時に玄庵は牢から出て、外からカギをかけた。

 雪江がちょこんと座敷牢の真ん中に座っているのを見て、茜は驚いていた。

「気がついたので縄を解いた。ご不浄にも一人で行かれよう。そちは食事の世話をするだけでよい」

「ハイ」とだけ返事をする。


「言っておくが、この者(雪江)の言うことに耳を貸すのではないぞ。惑わされてしまうかもしれぬ。今は声が出ぬが、用心用心」

 茜という女中は怯えた目つきでちらりと雪江を見た。すぐに目を伏せる。まるで雪江と目を合わせると魂を吸い取られてしまうかのように。


 雪江には玄庵の意図がわかっていた。前の見張りの若侍のように怯えさせるのだ。

「食事の膳は、あの小さな戸から入れる。その時は必ずあの者を座敷の奥へ行かせるのだ。膳を入れたらすぐに閉め、牢から離れよ。牢ごしに手をつかまれたら・・・・そちなど一たまりもない」

 完全に奥女中は怯えていた。


 雪江は玄庵の言葉に合わせて、うつむき加減になり、奥女中を見つめて二ヤリと笑ってみせた。

「わしはしばらく寝てくる。なにかあればすぐにわしを呼びにこさせよ。伸治郎様にはわしから報告しておく」

「はい」

 茜は一生懸命に平静な表情を装って、深々と頭を下げた。


ちょっと雪江ちゃん、悪ノリしすぎ?かも。

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