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兄上からの書状  龍之介

加藤家とは?

十六年前の事件に関係しているかもしれない近江水口藩の加藤家。

冒頭で龍之介が一人見張っていたら、その家臣に曲者と間違われて襲われた。

 小次郎の相手の女性はわからない。いつもより気をつけて見ているが、別に変った様子はなかった。

 お絹には、このことを伏せておこうと雪江と話した。小次郎に憧れている彼女にはかわいそうな話である。


 小次郎もやや(赤ちゃん)という事実を突き付けられて、かなり狼狽している様子から、将来のことを考えて付き合っていたわけではないと考えられる。彼の心が落ち着いたら、きっと相手の女性を紹介してくれるだろう。それまではそっと見守ることにした。


 龍之介は旅籠あかりの料亭の離れにいた。孝子から連絡が入り、以前からさぐっていた加藤家の様子の報告を聞くためだ。

 約束の時間よりも早く着いてしまい、座敷に座って中庭を眺めていた。小次郎は瞑想の真似ごとをしている。


 雪江との下屋敷の庭園は思ったよりもおもしろかった。久しぶりに童心に返ったような気がする。

 落ち葉と戯れ、大山と松、岩の美しい景色を眺めた。


 雪江がむきになって追い掛けてきた時は驚いた。事もあろうことに、着物の裾をまくり、足をむき出しにして走ってくるのだ。普通の女子ならば、足を見せることを恥じる。雪江は足が日焼けしていたことから、普段から足を出すことに慣れていたのだろう。それにしてもすさまじい光景だった。


 そして雪江の学問所(学校)の話も聞いた。幼少のころから通い、学び続ける。雪江も江戸に迷いこんでいなかったら、まだ学問所へ通っていただろう。

 学問所が終わると友人たちと何か食べに行ったり、遊んだりもしたそうだ。

 今、ここにはそのようなものは一切ない。さぞかし、不満だろう。


 元の世界が恋しいかと尋ねると、雪江は少しはにかんで、「龍之介さんがいればいい」とかわいいことを言った。

 手をつなぐことも興味深かった。女子の手があのように柔らかいものだとは思ってもみなかった。毎日剣の修行をする龍之介の手は、竹刀だこでごつごつしている。


 龍之介が自分の手を見ていると、小次郎が声をかけた。

「若、手がどうかされましたか」

 ふと、我にかえる。

「いや、なんでもない」

と、一人ニヤニヤしている龍之介だった。


 いつもの食事が運ばれてくるのと同時に、孝子があらわれた。

「遅れて申し訳ございませぬ。出がけに龍之介様宛に書状を預かった次第で」

 袱紗に包まれた書状を龍之介の前に差し出す。

「書状?」

 袱紗の中からあらわれた書状の字を見て、龍之介の顔が曇った。


 それは龍之介の兄、桐野正重からだった。江戸屋敷から甲斐大泉にいるはずの龍之介へいつもこの兄の書状には、ギョッとするようなことが書かれていた。

 甲斐にいなければわからない問いかけが必ず入っている。

 龍之介はその書状をじっと見て、それを開けようとせず、膝の横へ置いた。


「開封せぬのですか?」

 小次郎が不思議そうに言う。

「後で読む。まずは孝子どのの報告が先じゃ」

「は、はあ」

 孝子も何と言っていいかわからず、その書状に目を落とす。


 お膳を運んできた女中が去るのを待ってから、孝子が口を開いた。

「加藤家では、もうずっと以前より正室の生んだ嫡男と側室の生んだ次男との家督争いが続いておりました」

「正室が嫡男を生んだのであれば、事は簡単ではないか。なぜ争いが起こるのだ」

と、怪訝そうに龍之介が言う。


 正室に生まれた嫡男を跡取りにするのが習わしとなっている。もしも、側室同士であれば、先に生まれた男児が跡取り候補とされる。

「それが嫡男は幼少の頃より体が弱く、一年のうち、半年ほどは床に伏せっている様子」

「なるほど、嫡男にもしものことがあれば家督は次男にということか」


「はい、しかし、成長するに従って嫡男の体も丈夫になりつつあり、焦った側室の手の者が食事に毒を盛ることにまでなっていたとのこと」

「なに?毒を」


「はい、ヒ素を少しづつ食事に混ぜていたそうで、その様子を見られた奥女中が罰せられました」

「他にそれを指示した者がいよう。その者は?」


「そのことは握りつぶされ、禁句となっておるそうです」

「むむ、事が公になれば、お家断絶にもなりかねぬからのう。それでその嫡男は今?」

「たぶん、ご無事だと・・・。それ以来、側室と次男は中屋敷に移り、嫡男は上屋敷の奥に別の館を建て、そちらでひっそりと暮らしておる様子。家臣たちもそのお姿を長く見ておりませぬ」

「なるほど・・・・側室派からの魔の手から少しでも遠ざけようとしておるのだな」


 加藤家の今の様子は大体わかった。しかし、それと十六年前の事とつながる接点はまだなかった。

 食事が終わり、雪江が顔を出した。デザートを持ってきたのだ。

「モンブランケーキでございます」

と、出された物を見ると、黄土色のソバのようなものがこんもりとしている。その上に、色つやのいい栗が一片のっていた。

「おお、何と見事な。秋でござりまするな」

 孝子はさっそく一口食べる。目を丸くして、いかにおいしいかを表現していた。

「ほう、栗か」

 龍之介は上の甘露煮の栗をちょいとつまんで口に入れた。甘いほくほくした栗が口に広がる。

「わしはもう満腹じゃ、雪江が食せ」

「えーっ食べないの」

 小次郎はおいしそうに食べていた。意外と甘党である。


「この書状が気になって、もう喉を通らぬのじゃ」

 ちらりと伏せて置いてある書状を見る。

「書状? ああ、手紙のことね。気になるなら早く読めばいいのに」

「わかっておる。わかっておるが、嫌な予感がするのだ」

 書状を睨みつける。


「一度くらい手元に届かなんだということにしてもよいのではないか?」

 龍之介は駄目もとで言ってみる。案の定、小次郎が血相を変えて反論した。

「若、なにをおおせられます。そんなことがあれば・・・・」


「わかっておる。兄からの書状がわしのところに届かぬとあれば、大問題じゃ。それを届けた者がその責任を負われる」

 重いため息をついた。ようやく、書状を手にとった。それを見た雪江は座を外そうとするが、龍之介が制した。

「よい、秘め事ではない故」

「そう?」

 雪江はおずおずと座りなおした。

 

 龍之介は書状を開き、読み始める。ため息まじりだったのが、段々と表情が険しくなっていった。

「若、殿はなんと・・・」

「ヤバイ」

 小次郎は龍之介の言葉に眉をひそめた。

「若、それは雪江様の口癖にて、そのようなお言葉を口にしてはどうかと・・・・」

 カチンとくる雪江。

「ちょっと、なによ。そのような言葉って」

「いや、若様ともあろうお方が・・・」

 雪江に喰ってかかられてしどろもどろになる小次郎だった。

 しかし、龍之介はそんなことに構ってはいられなかった。


「兄上はご存じである。わしがこの江戸にいることを。下屋敷でのことも」

「まさかっ」

 これには孝子も驚いている。

「芝のお屋敷のことも御存じだと仰せられるのですか」

 龍之介は孝子にその書状を渡した。

 孝子は内容をかい摘んで読みあげた。


 桐野正重からの書状は、龍之介の様子伺いから始まっていた。甲斐はそろそろ寒くなろう、風邪など引いてはいないかなどだ。

 そして、正重は日本画が趣味で、最近は下屋敷の庭園を描きあげたとのことだった。


 下屋敷と言えば、家臣たちがその庭園に龍之介が現れたと大騒ぎをしていたようだ、しかも女連れだったとのこと。

 この兄は《そんなことがあるはずがない。龍之介はずっと甲斐にいるはずだ。何かの間違いである。もし龍之介が江戸にいるのなら、なぜ兄のところへ顔を見せないのだ。ましてや、あの腕白坊主が女連れであると・・・・。もし本当ならば、それなりの大切な娘であろう。当然、庭園などを連れて歩くよりも以前に、この兄に会わせよう。そのような事実がない故、龍之介は未だに甲斐大泉の陣屋にいると信じている・・・・》などの内容が書かれていた。


 小次郎はその内容にぽかんと口をあけている。孝子は眉間にしわをよせて頭を抱えこんでいた。

 完全にばれていた。書状に書かれていることはすべて遠回しの皮肉だった。


「この手紙、龍之介さんのお兄さんが書いたの?」

「さよう」

「普通なら、江戸にいるという噂があるが、兄に挨拶もせずになにをしているかって叱られるところなのに」


「そう、兄上はいつもそうやって、わしをからかって楽しむ悪い癖がある」

「なんかおもしろい人ね」

「これっ、恐れ多くも甲斐大泉の藩主でござりまするぞ」

 孝子がたしなめる。雪江はぺロリと舌を出した。


「だって・・・龍之介さんがこれを読んであわてるところを想像して楽しんでるみたいなんだもん」

「兄上はもうずっと以前から、わしが甲斐にいないことを知っておったのだ。どこかでわしが正直に打ち明けてくれることを望んでいたのだ」

 もう居てもたってもいられない状態だった。


「小次郎、参るぞ」

「はっ」

 龍之介の言葉に、はじけるように返事をし、立ち上がる小次郎。

「どこへ?」

「兄上に謝りに参るのじゃ」

「孝子もご一緒させてくださいませ。わたくしも殿に謝らなくてはなりませぬ」


 龍之介たちはすたすたと離れを出て行く。雪江はあわてて後を追った。

 料亭の入り口でやっと追い付く。

「待って」

 雪江の声で我に返った龍之介は立ち止り、振り返った。


「雪江」

「行ったきりで帰ってこないなんてこと・・ないよね」

 雪江は目に涙をためていた。そのいじらしい雪江の姿に肌が粟立つ。龍之介まで熱いものが込み上げてきた。


「帰ってくる」

 自分にも言い聞かせるように力強く言った。

 その言葉に雪江はまわりを気にしないで抱きついてきた。

 料亭の入り口なので、入ってくる客、帰る人もいて皆、驚いてみている。しかし、そんなことを気にする雪江ではなかった。


 お互いが大切で愛しい存在になりつつある。


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