おでん鍋を囲んで 龍之介
孝子は旅籠「あかり」の離れで、龍之介たちを待っていた。いわゆる、ランチ会談といったところだろう。下屋敷にいて、どれだけ話を聞くことができたかの報告だった。
「皆、口を割らぬのです。わたくしが十六年前のことを切りだすと、さっと顔色を変えて知らぬの一点張りで逃げて行ってしまいまする」
やはり、重要なことを隠しているのだろう。
「江戸家老の新田吉保どのは、それ以上、事を表ざたにされるとわし一人の腹を切るだけでは済みませぬぞと、反対に脅かされましてなあ」
新田にそう言われては、さすがの孝子も何も言えず引きさがるより他、手立てはなかっただろう。そうなると、桐野家の家臣の中では誰一人として口は開かないだろうと推測できた。
孝子は孝子で、せっかく十六年前の謎を究明しようと張り切っていたのにわからず終いで面目なさそうにしている。
ランチが運ばれてきた。
もちろん、海老フライ定食だったが、徳田の方から試食をしてくれと焼きうどんも一緒についてきた。ここでの食事は、いつも徳田が試しに不思議な食べ物を作ってくれる。最近、孝子も頻繁にきているらしく、試食の批評も様になっている。
お茶を持ってきた女中に、だしと醤油の香ばしさがうどんによく絡まっていて美味だと批評を伝えていた。
いつもなら必ず顔を出す裕子も今日はいないらしい。雪江には龍之介たちが来ていることを知らせてはいないが、徳田から聞いてひょっこりくるかもしれないと少し期待をしていた。それかまだ、幽霊のような表情でうろうろしているのだろうか。
「もしも近江水口藩の加藤家と係わりがあるのでしたら、誰かを加藤家に送り込んでみてはいかがでしょう」
孝子はもうその気である。忍びの心得のある者を奉公人として送りこむようだ。
一応龍之介も了解したが、少しさぐってもわからないようだったら、やめさせるつもりでいる。これ以上、へたに動いても藪蛇になっては困る。
龍之介はある覚悟をしていた。兄の正重に話を聞こうと思ったのだ。正重ならば、確実に知っているはずだ。未来の藩主となるのなら、いいことも悪いこともすべて知っておきたいと言えば、教えてくれると思う。あの兄ならば。
孝子の方から奉公人を加藤家に送り込んで、新たな報告が来たら集まることにして龍之介と小次郎は長屋へ帰って行った。
長屋には関田屋からいろいろな冬支度が届いていた。箱火鉢、湯たんぽ、冬用の寝具などが、雪江たちのものと龍之介たちのものまで四人分あった。
箱火鉢は重宝する。干物を炙ったり、餅なども網で焼ける。鉄瓶に湯をかければ熱燗もできる。
「これはこれは、関田屋には頭が下がりまするな」
小次郎も同じようなことを考えていたらしい。干物を買ってくると言いだした。
湯たんぽもまだそれほど寒くはないが、雪の降りそうな夜は布団の中にこれがあるだけで十分温かく眠れる。
湯たんぽは中国から入ってきて、漢字で「湯婆]と書く。「婆」は妻という意味で、妻の代わりにこれを抱いて暖をとるという意味だったらしい。
夕食は、雪江とモンチッチ・末吉が重い鍋を下げて持ってきた。
お絹が炭を熾して火鉢に入れてくれていたから、家の中は暖かだった。そのせいか雪江は今朝とは別人のように上機嫌だった。
お絹が鍋をへっつい(かまど)である程度温めてから、火鉢の炭の上に五徳をおいて、そこへ鍋を置く。すぐに湯気が出てきて、おいしそうなおでんがグツグツといいはじめていた。
皆、火鉢を真ん中にしておでん鍋を囲む。末吉も一緒に食べていくことにした。
お絹が朝の残りご飯をおにぎりにしてくれていたから、それと一緒におでんをつつく。
「うちの近くにはね、一昼夜開いているお店があって、冬になるとこんな感じのおでんがいつでも買えるのよ」
皆、忙しそうに口を動かしながら、未来の店とは便利なものよと感心している。
しかし、それを聞いた末吉は素っ頓狂な声をあげた。
「いっ、一昼夜って・・・。その店の奉公人はいつ寝るんですかい?」
奉公人の立場から考えるところが末吉らしい。
「何人かが交代で働いているの。昼間働く人と夜中に働く人」
「ひゃ~っ、お天道様が出ているときに寝て、夜中に働くんですかい?ありゃりゃりゃ」
声変わりしていない少年の声は、長屋にびんびん響く。同じような声をしているお絹でさえ、顔をしかめた。
「うるさいな、モンチッチ。黙って食べなさい」
叱られ慣れている末吉は一度だけうるさいと言われても怯まない。
「いつ店へ行っても誰かいるんで?」
「もち、そうよ」
「夜中でも? 朝方でも? 誰もお客がこなくても?」
「そう言ってるでしょ、年中無休なのよ。お正月も休まずやってるんだから」
「ひえ~っ、正月もォ、勘弁してください。正月の神様が怒っちまう。ひえ~っ」
「末吉に働けって言ってないでしょ」
と、雪江は末吉の頭を小突いた。
さすがに末吉も黙り、おでんを食べることに専念し始めた。
多少騒がしいが、このあどけない末吉のおかげで雪江も立ち直ったのだろうと思う。
わずかな間、静かになった。
しかし、また末吉が口を開いた。
「あ、そうそう。今日の昼間、雪江姉さんがお侍さんに斬られそうになった」
急に思い出したのだろう。
末吉が大きな声でそう叫んだ。しかも話の途中経過から切りだすから、「侍に斬られそうになった」の一言で、龍之介は口の中のご飯でむせこみ、小次郎もこんにゃくを大きいまま丸のみして目を白黒させ、お絹は食べていた玉子の半分を畳の上へ落としてしまった。
「バカモンチッチ」
雪江が末吉を小突く。
「だって、徳田の兄貴があわてて駆けつけてったぞ。雪江姉さんがお侍を殴ったから、刀を抜きかけたって、徳田の兄貴が土下座をして謝ったから、なんとか命は助けてもらったって・・・」
龍之介、小次郎、お絹はそれを聞いて固まってしまっていた。
「あ~もう。徳田くんはレベル一のことを十にも膨らませる名人なの。大げさったらありゃしない。全然なんでもないから」
雪江はあわてて否定をするが、火のないところに煙はたたぬ、十分怪しい。
「では聞くが、徳田殿が土下座をしたというのは本当なのか」
と龍之介が聞く。
わずかに視線をずらし、ぼそっと答える雪江。
「本当」
「では侍が刀を抜きかけたというのは?」
小次郎も聞く。
畳に目を落として、眉間に皺を寄せて答える雪江。
「本当」
「じゃ、雪江がお侍さんを殴ったってのは?」
とお絹が聞く。
すべてを諦めたように目を閉じて答える雪江。
「本当」
「じゃあ、末吉の言うこと、全部本当じゃないか」
お絹はあきれ顔で、やれやれと呟きながら、他の玉子を箸でつかむ。
龍之介も小次郎もあからさまに眉をひそめる。
「それは結果。それに至るまでには原因というものがあったの。原因になる事件が」
「で?」
お絹がパクリと玉子にかぶりついた。
「わかったわよ。はじめからきちんと話すから。そうすれば私が殴った理由も理解できるから。これじゃまるで私がいきなり侍を殴ったみたいじゃない」
雪江ならやりかねない勢いを持っていると誰もが思っていた。