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看病の長い夜

 小次郎のところに、すぐさま布団が敷かれ、慎吾とおのぶが寝かされた。

 熱っぽく、体の不調もあって慎吾はいつもよりもぐずっていた。今は力なく、ぐったりとしている。

 そこへ、以前のポニーテールの医者がきた。



「ヒャッヒャッ、同じような髪形になったのう」

 雪江を見て、愉快そうに笑う。


「私もどうか看病させてください。水痘なんて怖くありません」

 お信乃が悲痛な声を出す。心配なのだろう。

 子供は泣いただけでも体が熱くなる。お信乃も慎吾の体温に気づいていたが、ぐずっていたせいだと思っていたのだ。


 雪江はお信乃にやんわりと言う。

「あのう・・・、大人がこれにかかると重症になるそうですよ。ものすごい熱と水泡の後が残ってしまうって聞いたことがあります」

「いいんです。私はどうなっても」

 老医者が、雪江とお信乃を見て、

「この娘の言う通りじゃ、子供は軽く済むが、大人は熱が出て寝込むし、そのきれいな顔に水泡の後が残ったら大変じゃぞ」


 老医者は、二人の様子を見て、後でかゆみ止めの軟膏を取りにくるようにと言い残して帰っていった。熱があるうちは、こまめに水分補給をしなければならない。


 その晩、慎吾の祖母の美里と雪江が二人を看病することになった。下男も板の間に控えている。もらってきた軟膏を塗ると、かゆみが治まってきた様子で慎吾が落ち着いてきた。

 お信乃の夫だった新吉も心配だったようで、慎吾の顔を見に来たが、お信乃と顔を合わせて気まずそうに帰っていった。


 慎吾とおのぶが寝入ると、美里は雪江に寝るように言った。病人の様子がわかるように行燈の火を絶やすわけにはいかない。後で下男が起きてくるというので、雪江は先に寝かせてもらうことにした。夜も更けている。

 美里は慎吾たちの枕もとに正座していた。雪江は慎吾たちの足元に横になった。


 しかし、目をつぶるといろいろなことが頭の中を駆け巡ってくる。

 どうしてこの姑と嫁はあそこまでこじれてしまったのだろう。

 離縁されたと聞いた時は、美里のことを鬼のような姑だと思った。しかし、実際の美里を見ると一時の感情でののしるようなタイプではない。物事をきちんと見据えて、物を言う感じだ。


 では、お信乃と夫の新吉の仲が悪いのだろうか。新吉が浮気をしたとか、暴力をふるったとか・・・でも、この姑ならばその息子を叱り飛ばすだろう。我慢しろとか、夫の浮気は妻のせいだと理不尽なことは言わないと思う。

 お信乃が何か、しでかしたのか。彼女を見ているだけでは何とも言えないが、離縁されるほどの大それたことができるような性格ではない。


 あれ? お信乃は離縁されたっていう。美里はお信乃がすべて嫌になって、家を飛び出したって言ってなかったっけ? お信乃が出ていったから、新吉が世間の笑い者になっているって・・・・。


「雪江さん、眠れないのですか?」

 静かな落ち着いた声がする。

「お母様がいないそうですね。私が子供の頃、・・・・こんな母はいない方がいいと思っていました」

「えっ」

 美里は思いだしているのか、暗い壁を見詰めていた。


「母は、今の履物屋に奉公していた者でした。その頃の若旦那、父ですが、お手がついて私が生まれました。母はそのまま嫁として入ったのです。でも、祖母が母を嫌って、事あるごとに冷たい仕打ちをしました。母はその吐け口として私にあたりました」


 美里の母は、なにをしても祖母に嫌味を言われたらしい。そして、美里がなにか失敗をしても母親のせいになった。

 手習いや三味線の稽古をしても誉められて当たり前、うまくできなければ母親が悪いと言われる。そのために美里も必死になって稽古をし、模範的な子供になろうとした。


 味方のいなかった母親は、最初から美里に暴力を振ったわけではないが、美里が反抗的な目で見たと言って、一度手をあげてからは、腹いせに殴るようになった。それでも母親としての罪悪感があるのだろう。殴ったあとは「ごめん」と言って泣いていたという。

 しかし、子供を殴ることが発覚して、頭の狂った女と言われ、田舎に返されたそうだ。田舎でもいる場所がなく、病気にかかり、亡くなったらしい。


「今では、その母の気持ちがわかります。私こそ、母の味方になっていればあんなことにはならなかったと思っています。でも、私もまだ子供だったのです。誉められたことがなく、失敗すれば叱られ、殴られた。私も泣きわめくことをしない可愛げのない子供でしたから、母にとっても不気味な存在だったのでしょう。」

 雪江はただ、聞いているしか術がなかった。

「それでも母の夢を見ます。やさしく笑った顔。いなければよかったなんて思ってすまないと思っています。お信乃を見ていると、まるで私の母を見ているようで・・・」

 美里は声を詰まらせた。


「それならお信乃さんにやさしくしてください。お信乃さんは、一度泣いて実家へ帰っただけで離縁されたと言ってました」

 美里が沈黙する。

「・・・離縁された・・・と言ったのですか?」

「はい」

 美里はしばらく考え込んでいた。


「お信乃は素直で真っ直ぐな気性の娘だと思っていました。しかし、実際に嫁に入ると、家のことは奉公人にまかせっきりで、慎吾が生まれても出掛けたりして、理解に苦しむ行動をしていました。お信乃の友人には私と新吉の悪口を言っていたらしいということも耳に入ってきました。だから、何度となくもっと若おかみらしく、きちんとするように諭したつもりだったのですが」


 あのお信乃がそんなことをするなんて、ちょっと考えられない。


「お信乃は反省するどころか、なにを言われているのか全くわからない様子で、とぼけるのです。こちらも疲れました。極めつけは、慎吾が咳をしていて具合が悪いとき、お信乃は一人で芝居見物に行っていたのです。奉公人に慎吾の世話をするように言って・・・。その晩、慎吾は医者にかかりました。母親がそばにいないことから、泣きじゃくっていて咳が止まらなかったのです。新吉が・・・・芝居から帰ってきたお信乃をいきなり引っ叩きました。それから飛び出して、もう帰らないと言ってきたのです」


「それって、本当にあのお信乃さんの話ですか? なんだかあの人がそんな態度に出るなんで想像ができなくって・・・・」

「そうですね。二重の顔があるのではないかと奉公人も言っておりました」


 雪江は、お信乃が自身番に雪江を隠れキリシタンではないかという投げ文をした話をした。それがばれた時、真っ青になり、ぶるぶると震えていたのだ。美里の話のように、しらばっくれて、したたかな振る舞いもできたはずだ。


「今日のことでも、自分は全く知らなかったという素振りでいたから、私もなにも言わずに慎吾だけを連れて帰ろうと思ったのです」

「今日のこと?」


「おのぶが慎吾を連れて、お信乃のところへ行ったことです。お信乃が連れてこいと言ったそうです。困り果てたおのぶは仕方なく・・・」

「ちょ、ちょっと待ってください。おのぶちゃんは毎朝毎晩、慎吾ちゃんがお信乃さんを思い出して泣くから一目会わせようとして連れてきたって言ってました」

「おのぶが? そう言ったのですか?」

 こくりとうなづく。


「そんなばかな。あの置き手紙にはお信乃に連れてこいと言われたと」

「そう書いてあったんですか?」

「そう書いてあったと・・・お多岐が・・・・。まさか・・・・」

「お多岐さん?」


「年長の奉公人で、家のことはすべて任せられるしっかりものの娘です。お信乃が嫁いでくる前からずっと家の中のことをやっていました。そう言えば、お信乃が嫁いできてから様子がおかしかった・・・・まさか・・・・。お信乃がもう家には帰らないと言ったと伝言を聞いたのもお多岐でした。私たちの悪口を言っていたらしいと聞いてきたのも・・・・」

「そのお多岐さん?」

 美里はうなづいた。唇が震えている。

「朝になって、お信乃さんに聞いてみればわかります。本当に二度と家に戻らないっていったのか、どうか」


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