女子二人の夜
その夜、いつものように龍之介と明知、安寿の四人で夕餉を済ませた。いつもならお茶を飲みながら、雪江と安寿は他愛のない話に花が咲くが、今夜は安寿も言葉少なだった。
眠くなっていた。昼間ずっと外にいたから疲れたのだろう。
双子たちはそんなことに気づかず、のんびりと剣の稽古の話をしていた。これでは二人が腰を上げるのはまだまだかかるだろう。ここで雪江が言わなくては安寿も休めない。横になりたいはずだ。そう思って、二人の話が一段落する頃、龍之介に声をかけた。
「ねっ、私達ちょっと疲れちゃったみたい。奥へ戻ってもいい? お二人はこのままどうぞ。ごゆっくり」
二人とも疲れたと聞いて、わずかに心配そうな表情を見せた。けれど雪江が元気よく立ち上がったから安心したらしく、再び話を戻していた。
雪江はお初に、安寿は奈津に手をひいてもらい、奥向きへ向かう。薄暗い灯りを頼りに廊下を歩いていた。以前は手をひいてもらうことをためらったが、暗い廊下で着物の裾を踏み、転びそうになったことがあった。大きな腹をかかえてヒヤリとしていた。それからはお初の手を遠慮なく取っていた。安心の手だ。
「安寿様、なんか疲れちゃいましたね」
「はい」
すぐにでも布団に入って寝転びたかった。
「明日、帰っちゃうんだよね」
そう、安寿たちは明日の昼過ぎに帰ることになっていた。もっと話したい。けれど疲れていた。無理して腹がはっても困る。
「はい、あっという間でした。お名残り惜しいとしか申せません」
安寿も同じ心境のようだ。
そうだ。最後の夜なのだ。
この次なんて予想がつかなかった。二人とも出産を控えている。母になったら、もうこんなことはできないだろう。
やはり、もう少し一緒にいたい。話がしたかった。ふと思いつく。寝転んでの話ならできるかと思った。
「ねえ、このまま私の部屋で一緒に寝ようよ」
そう提案していた。そしてお初に問う。
「ねえ、いいかな? もう少し話していたいの。そのまま寝ちゃってもいいし。龍之介さんにそう言ってみてくれる? 男どもはそれぞれで寝るわよ。ねっ、ねっ」
お初を振り返った。
「安寿様次第にございます」
そう言われて、安寿はこっくりとうなづいた。承諾してくれた。
その返事を聞くと、すぐさま、お初は中奥へ奥女中の一人を送った。雪江が言ったことを龍之介に伝え、許可をとるのだ。
「とりあえず、寝る支度をしてから私の部屋へ来て」
絶対に龍之介は許してくれると確信していた。
安寿はひとまず自分の居室へ戻っていった。雪江も着替え、夜の洗顔や歯を磨いて準備をした。その間に、奥女中たちがてきぱきと動く。
奥の寝所に二つの布団が敷かれていた。その、雪江だけの寝所には、たとえ龍之介であってもいきなり入ってくることはない。雪江の許可なく入れないプライベートな空間だった。
少しして安寿と奈津が現れた。
奈津がひどく感心していた。
「奥方様同士がご一緒にご寝所を、そのようなこと、初めてでございます。お初殿も顔色も変えず、機敏に指示をだされ、驚きました。この奈津も見習わなければ・・・・」
雪江はお初が褒められてうれしく思う。
さすがお初だった。雪江の奇行に慣れていた。もう以前のようにいちいち驚き、息を飲むお初ではない。まず、雪江の突然の要望にどうすれば応えられるのかを、瞬時に判断することを考えるようになっていた。
奈津が何やら一人でブツブツ言っていた。
「なるほど、前代未聞のとんでもないことを告げられても、即座にどうあるべきか判断し、姫様にどうすれば一番いいのかということを考え、実行するのでございますな。それがこの奈津にできるのか。ううん、できる、できないということではなく、やるのじゃ。よいな、奈津、よいな」
一人で奈津が、盛り上がっていた。自分で自分を応援している。お初と比べられたように思ったのかもしれない。そんな奈津の姿に、安寿が少し心配になったらしい。
「奈津、わたくしはそなたにあまり無理なことは言わぬ。だから、そう思い詰めてくれるな」
「いえ、安寿様、わたくしは安寿様のためなら、どのようなことでもやり遂げる覚悟でおります。些か驚くかと思いますが、ええ、きっとやり遂げますともっ」
なんとなく、一人で熱くなっている様子。
「ごめんね。私が急に変なことを頼んだから、奈津さんが・・・・・・」
コソコソと言ったつもりだった。
「雪江様っ。わたくしのことは奈津、ただ、奈津とお呼びくださいましっ。以前にもそう申し上げたはずでございますっ」
奈津が厳しい声で訂正していた。
「あ、聞こえちゃったんだ。はいはい。奈津、安寿様をお頼み申します」
「雪江様が、このわたくしに・・・・・・そのようなことを、ああ」
真面目すぎる奈津が感動していた。もう面倒くさくなったので、無視。
そこへ奥女中が戻ってきた。龍之介からの返事をもらってきたのだ。
「正和様、ご承知くださいました。今宵はこちらで雪江様、安寿様もごゆるりとお休みくださいとのことにございます。尚、明知様は中奥の正和様のご寝所にて、ご就寝されるとのことでございます」
雪江と安寿は顔を見合わせた。あの二人が一緒に部屋に寝ようと言うのだ。本来なら兄弟として育つはずだったあの二人。なんとなく、その姿を想像した。うれしかった。
雪江と安寿は、隣同士の布団に入った。
「疲れたね」
「はい。それでも楽しい一日でした」
「よかった」
少しの間、静寂が二人を包み込む。
龍之介と明知は、どんな話をしているんだろう。どうせ、また剣術か、刀の話かもしれない。双子って同じ夢を見るんだろうか。お互い離れていてもテレパシーのような感が働くと聞く。あの二人もそうなるのか。そんなことを漠然と考えていた。
気だるい眠気が襲っていた。安寿と最後の夜、寝転んで話をするつもりだったが、このまま寝てしまいそうだった。
「雪江様?」
安寿が遠慮がちに声をかけていた。
「ん?」
「起きていらっしゃいます?」
「かろうじて、あ、でも大丈夫」
「雪江様も順調のようでなによりでございます」
お腹の子供のことだ。
「そうですね。安寿様の方が先に産まれるんでしょうね」
「はあ、そうなりましょうか。わたくしの方がわずかに早く、身ごもったことがわかりましたが、十月十日と申しますけど、なかなかその通りに産まれることはないようでございます」
それは同感だ。二十一世紀でも予定日はただの憶測でしかない。目安にはなるが、実際にその日に産まれる確率は少ないことは知っていた。しかもこの江戸時代、自分の生理の周期と排卵日を知っている人はいないだろう。
「雪江様は、不安になられることはないのでしょうね」
不安? そう聞こえた。なにが不安になるのだろう。
「雪江様だから申し上げるのですが、時々わたくしは母になるその瞬間が怖くなるのです。産みの苦しみと申します。そのようなこと、わたくしが耐えられるのか、不安になるのです。このようなわたくしはきっと母親失格でしょう」
陣痛に耐えられるかどうか、不安になるということらしい。それは初産の妊婦が皆、思うことだろう。以前、雪江もそれを考え、悩んだこともある。
「私だって一応、不安にかられます。けど、大勢の女性がその苦しみを経験して、耐えてきたんです。そんなふうに思うと大丈夫かなって思うんです。もし、不安になって夜も眠れなくなりそうだったら、そういう時は久美子先生に相談してください。あの人なら的確な返事をしてくれます。出産経験者でもあるし、一人であれこれ考えるより、どんどん言っちゃってください」
「ああ、本当にそうですね。産みの苦しみは大変ですが、それは耐えられるということなのでございますね」
「うん、そう考えると少しは気がらくになるでしょ」
「はい」
「安寿様は細いけど、案外そういう体形の人の方がポンって簡単に産めちゃうらしいの。おじいちゃんが言ってた。私みたいな骨盤が広そうなタイプの方が難産、多いんだって」
外見でお尻が大きいから安産と決めつけるのは間違いということ。
そんな雪江の話が百パーセントわかっていないとは思うが、安寿が納得してくれたようだ。少し声に元気が出てきたから。
「そう、母も兄とわたくしを産んでくださいました。苦しくてもう二度と繰り返したくないと思うのであれば、二人も産もうとはなさらなかったはず。ああ、そう考えると・・・・もう心配などしないようにします」
「うん、それがいい。楽しいことを考えましょう。赤ちゃん、どっちに似ているかな。両方が男たちに似ていたら、私達の赤ちゃんって双子みたいになるかもしれない」
「ああ、それはまことにそうなるかもしれません」
「ねえ、産まれたら、またここへ泊りにきて。赤ちゃんと一緒に。お座りができるくらいになったら、二人を並べてみようよ」
「まあ、それは・・・・はい。ぜひ、そうさせていただきます。今からそう明知様にもご承諾いただき、必ず赤子と一緒に参ります」
「うん。絶対だよ」
「はい」
「私は自分のお乳で育てるつもり、そしてできる限り、自分で赤ちゃんの世話をしたい」
「雪江様らしいと思います。わたくしも手をかけられることはやろうと思っております」
それからしばらく二人での会話が続いた。そしていつのまにか雪江と安寿は寝入っていた。
あと数か月で臨月を迎え、雪江と安寿は母になる。
そして、武家の奥方同士が繋ぐ絆、それはこれからも続くことだろう。