ガーデンランチ2
そこへやっと上機嫌そうな正重が現れた。
「遅くなって済まなかった」
そういう正重が、少し口を動かしていたのを雪江は見ていた。
「お父上さま。まさか、もうつまみ食いをしたんじゃないでしょうね」
ついそう口走っていた。
それが責めの口調に聞こえたらしく、龍之介が窘める。
「雪江、言葉が過ぎるぞ」
正重は、そんな雪江の言葉など気に留めずに破顔した。
「いや、申し訳ない。皆を待たせて済まなかった。ちょっと寄り道をしていたのでな」
そう言いつつ、正重は宴席の中央に座った。
「寄り道? 兄上はもうかなり前にこの屋敷に到着されていたと聞きましたが」
「寄り道って、まさかっ。あっちの方?」
ギョッとする。やっぱりそうかと思う。雪江には思い当たることがあった。
「うむ。一緒にここへ参ったのでな、皆と一緒にあちらの様子を先に見てきたのだ。なかなかぞ。あれは全部、雪江が用意したのだな」
やはり正重は、あっちへ足を向けたのだ。
「あっちはお父上さまが食べちゃだめです」
「雪江、なんということを言うのだ」
事情を知らない龍之介に、また咎められた。
「だって・・・・・・」と口ごもる。
「よい。わしが悪いのだ。皆をここで待たせておいて、先に別の方でつまみ食いをしていたのだから」
「まさか・・・・・・、兄上がそのようなことをするなど、信じられぬ」
龍之介の中には、武士たる者がつまみ食いをするという図が頭に浮かばなかったらしい。正重がそんなことをしたという事実に、龍之介が打ちのめされたような顔をする。
明知も安寿もその話の意味がわからない。キョトキョトと正重と雪江の顔を交互に見ていた。
「この庭のさらに奥まったところへ、別の宴席を用意してくれたのだ。そちらには雪江が特別に作ったという菓子が並べられておってな。ここへ来る前にそちらをちょいと覗いてきたというわけだ」
「別の・・・・宴席でございますか。一体、誰のために」
さすがの龍之介もそっちまでの情報は入っていなかったらしい。雪江に説明せよと言わんばかりの目を向けてきた。
「あっちは別の人たちのために用意してもらったの。お礼の意味のクッキーを焼きました。サンドイッチは徳田君に頼んで作ってもらっています」
正重の招待状にはこの旨が書いてあった。
「このほど、弥助の金を取り戻した我が藩の乱波たちへお礼をしたいとのこと。雪江がその者たちへの宴席を特別に設けてくれたのだ」
それを聞いて、皆が納得したとばかりに息をつく。
「そのようなこと、存じませんでした」
龍之介は、自分がそのことを知らなかったことが恥だと言わんばかりに頭を垂れる。
「それはなんと行き届いた心づかいでしょうか。藩主の姫が、その功績を称え、そのような形で感謝の意を表するなど、聞いたことがございません。皆、さぞかし喜んだことでございましょう」
明知がそう言ってくれた。そこまで褒められると照れる。
「なんか、乱波さんって、夜のイメージでしょ。こんな昼間からは外へ出ないかもしれないし、この天気じゃ、黒装束も暑いでしょうけど、招待したら来てくれるかなって期待してたの。さすがに私達と一緒だと気兼ねして食べられないかなって思って、別の所に用意してもらいました」
そういうと龍之介が吹きだす。
「乱波と言えど、いつも黒装束を身につけているわけではない。雪江の言いぐさだと、忍びとは夜しか動けぬ魔性の者たちのよう」
「えっ、違うの」
人並み以上の技を持ち、任務に携わるのだ。普通の人ではないだろうと考えていた。
「あたりまえだ」
「まじでっ。じゃあ、どんな格好してんの? 昼間も堂々と動けるの?」
「普通の侍だ。昼間も動けるに決まっている」
「侍のふりをしているってことね」
雪江は、どうしても忍びは夜しか行動を起こさないと思っていた。
「いや、ふりではなく、我ら桐野家の家臣なのだ。ただ、たまに特別の任務を受けおるだけのこと」
雪江はそう言われてもまだ納得できないでいた。
「雪江の言うようにいつも黒装束でいては、目立ってしかたがない。本当の忍びとは誰の目にも止らず、その場にいる、そして探ることではないのか」
龍之介が幼子に諭すように言った。
「そうだけど。けどさあ、忍者は忍者らしくいつも黒いのでいてもらいたいよね。安寿様もそう思うでしょ」
そう言って安寿に同意を求めるが、さあと首をかしげてかわされた。
「乱波がどのような姿をしていてもよいではないか。雪江、皆、喜んでいた。なにやら珍しい菓子をとな。よく礼を言ってくれと言われている」
「ええ~っ、そんな間接的なお礼より、直接本人たちに会わせてほしいんですけど」
雪江が正重にそんな口をきいたから、龍之介が慌てて窘めた。
「ゆきえっ、何を言いだすかと思えば、そのような無理難題をっ」
「いいじゃない。ちょっと顔を見せてくれるだけでいいんだから。だってさ、さっき普通の侍の格好をしているって言ったでしょ。それなら、ここにも顔を出せると思わない?」
会わせろという雪江の要求に、さすがの正重も困惑した表情を見せた。
「ん、さあ、どうであろう」
「ねえ、みんな若いの? それとも熟練した人たち? 普段はお父上さまのお側にいるの? ねえ」
しつこく食い下がる。今ここで彼らの情報をもらわなければもう知ることはできないと思ったからだ。
「もうよさぬか。乱波のことはいつも謎。それでいいのだ。誰も知らぬ方が良いこともある。兄上もよく知った顔だと思っていてもその実、彼らの本当の顔は別にあるのかもしれない」
そうだった。利久を思い出していた。特に変装をしなくても別人にみえた。その表情と姿勢を変えるだけで年齢も人柄も変わることを雪江がよく知っていたのだ。
「あ、はい。わかりました。もう訊かない。ただ、今回のこと、乱波さんたちって本当にすごいって思ったの。だから・・・・」
「その雪江の気持ち、彼らにはもう十分伝わっている」
雪江は、正重にそう言われて満足げにうなづいた。