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お絹の悩み事5

 話が終わり、雪江はこのまま龍之介と一緒に自分の屋敷へ戻ろうとした。

 それを察して、お絹が引きとめた。

「ねえ、雪江。帰らないで、一緒にきて」

 そこにいるお絹は、心細そうななんとも頼りない、いつもの強気なお絹ではなかった。まるで別人のようだ。一人で、あのお華が待つ部屋へ戻りたくないのだ。雪江としてもこのまま放ってはおけない。

「わかった」


 二人でお絹の部屋へ向かった。

 雪江には、二人がお互いに自分という存在を認めて欲しいと思っていることがわかっていた。お絹も散々お華の悪口を言うが、それはそれだけ気にしている存在だからだ。二人が歩み寄って、一緒に家のことをやれたら絶対にうまくいくのに。けど、どちらも自分からは折れたくないのだろう。強情な二人だった。


 すると先を行くお絹の足が止った。

「えっ」

 どうすれば二人が仲良くなるか、考えていた雪江は、そのお絹の背中にぶつかりそうになった。

「急に止らないでよ」

 

「しぃ」

 お絹が振り返り、人差し指を口にあてる。なんだろう。

 

 耳をすますと、お絹の部屋の方から歌声が聞こえてきた。それは優しい声。お華が子守唄を歌っているのだ。やはり途中で百が目を覚ましたらしい。

 お絹はそこに立ったまま、じっとしてその歌声を聞いていた。お華の歌声は幼子はもちろん、大人にも心にしみわたる、優しさがあった。こんな歌が歌える人に絶対に悪意はない。いい人に決まっている。


 どのくらいそうやって聞いていただろう。お華の歌が終わり、ぼそぼそと百に話しかける声がした。どうやら寝入ったらしい。

 やっとお絹が動いた。

「戻りました」

 そう言って、障子を開ける。

 その声掛けに、お華も頭を下げた。

 百は布団に寝かされてスヤスヤと寝息をたてていた。

「お二人がここを出てすぐに目を覚まし、ぐずっておられました。今やっと寝たところでございます」

 お華はそう報告する。百の小さな手を掛布団の中にいれた。


 お絹は何も言わない。気まずい雰囲気が続く。

「あ、お華さん。どうもありがとう。さすがだよね。やっぱり、お華さんに頼んでよかった。ねえ、お絹。そう思うでしょ。ねえ」

 雪江がわざと明るくそう言った。しかし、お絹は黙ったままだ。

 お華も居心地が悪いのだろう。その腰をあげようとした。


 雪江はお絹の意地っ張りに呆れていた。今が仲直りのチャンスなのだ。ここでお華に優しい言葉をかけ、これからも頼むと言えば、お華も嬉しいはずだ。それがわかっていてもできないのだろうか。

 少々イライラしてきた。二人をここに残して帰ってしまおうと思う。


「じゃあね。私、あっちへ帰る。弥助さんのこと、よかったねえ」

 わざとそう言って部屋を出ようとした。その時、足元にあったデンデン太鼓を蹴ってしまった。がらんがらんと派手な音をたてた。

「あ、ごめん」

 その音で、せっかく眠っていた百が再び泣き出した。


「あっ」

 二人の手が、百に伸びた。しかし、お互いの手に気づき、双方がその手をひっこめた。そして、お絹とお華がお互いを見て、下を向く。

 二人の間で、百が泣いていた。かわいそうに寝足りない状態が続いていた。

 おろおろしているのは、雪江だった。

 ちょっと、どっちか早く百を抱き上げてよ、と思う。


 お絹がぼそりと言った。

「お華・・・・・・。抱いてやって」

 聞こえなかったのか、お華が動かない。

「抱いてやって、百を」

 そう言った。今度ははっきりとした声で言ったから、お華もすぐに百を抱き上げた。そしてさっきの子守歌をハミングする。すると百も泣き止み、またウトウトし始めた。

 よかった。お絹がお華に心を開いたのだ。そして百の世話を譲った。


 お華が百を抱きながら、部屋の片隅に置かれていた仕立て途中の着物に目を向ける。

「あの・・・・・・綸子は百様のものでございますか?」

 お絹はぱっとそれを見て答えた。

「ああ、まだ仕上がっていないけど、そうだよ。百の綸子。手始めに小さい物から手慣らしをしようと思ってね」

 そう言いながらもまだ、お互いの目を見ようとしない。


「お忙しい御新造様が、あのような見事な物をいつのまに・・・・・・」

 お華が思わず洩らした一言だった。

「えっ」

 それは褒め言葉に聞こえる。


「お絹の手にかかれば、あんなもの、簡単だよね。だってお絹はずっと武家に仕える人たちの着物、打掛けなんかも縫ってきたんだもんね」

 雪江がまるで自分のことのように自慢した。その言い方がおかしかったのか、お絹が苦笑している。

「まあ、雪江の口からあんなものっていうのは納得できないけどね」

 そう言われて雪江はペロリと舌を出した。


 お華が驚いていた。

「まあ、そうでございましたか。わたくしは裁縫が大の苦手でございまして、縫物のできる人、ずっとうらやましく思っていました」

 お絹が意外そうな顔でお華を見ていた。やっと二人は目を合わせた。もうお華はお絹のことを師匠と呼ばんばかりに目を輝かせている。すごいと思っていることが傍からでもわかった。

 お絹もそれを感じていて、まんざらでもない表情をしていた。


「いや、このくらい、なんでもない。それよりもいろんなことをてきぱきやるお華に、苦手な物があったとはね。意外だよ」

「いえ、わたくしなどまだまだ未熟者でございます」

 そう言うがお華も些かうれしく思ったらしい。

 はにかむような笑みを見せていた。

 いいぞ、このまま話をうまく持っていけば・・・・、二人は仲よくなれるだろう。


 雪江はもう少しお絹の自慢話をしようと思い立つ。


「お絹はもうすぐ私の呉服部屋を仕切ってもらうことになってるの。これから生まれてくる子供の着物とか、大忙しよ」

「まあ、御新造様が、まあ」

 しきりに感動していた。その顔は別人のように輝いている。今までさえない御新造だと思っていた人が、すごい人だと気づいたようだ。


「それで、お絹が働いている間、百ちゃんを誰かに託すんだけど・・・・・・、ねえ、誰がいいと思う?」

 わざとそう言ってみた。

 お華の顔が、ぱっと明るくなったが、またすぐしぼんでいく。

 自分がやりたいと思ったのだろう。けれど、その役をやらせてもらえるかわからないから、がっかりしたらしい。


 雪江がチラリとお絹を見た。ここでお絹が一言、言うべきだ。そうすればうまくいく。しかし、まだお絹も素直になれないらしい。じれったい。しかし、雪江が言うのではなく、お絹がお華に直接頼まないといけない。


 雪江が黙りこくっているお絹を睨みつけた。それでやっとお絹が口を開いた。

「あのう、・・・・私が呉服部屋に行っているとき、百の面倒を・・・・」

 そうだ。雪江が心の中で応援していた。


 お絹がきちんとお華の正面に座る。

「お華、私が呉服部屋で働いているとき、百の面倒を見てもらえますか。百のことを安心して託せるのはお華しかいない。どうか、お願いします」

 そう言って、ずっと頑なだったお絹が頭を下げた。

 驚いたのはお華だった。お絹から頼まれて、頭まで下げてきたのだ。恐縮していた。

「御新造様にそんな、頭をあげてくださいまし。そうおっしゃっていただければ、わたしはいつでも喜んで百様のお守りを致します」

 お華も深々と頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 お絹もやっと顔をあげて、嬉しそうにお華を見た。

「ありがとう。これで私も動けるよ」


「けれど、本当に私でよろしいのでしょうか」

 まだお華が戸惑っているらしい。

「きちんとしてくれるお華だから、頼むんだよ。大事な百のことだから」

「はい」

 そう言われて、やっとお華もうなづいた。


 お華が涙ぐんでいるようだった。百を抱くその手が震えていた。

「あ、大丈夫?」

 雪江が手を差し伸べ、百を抱いた。

 それまでスヤスヤと眠っていた百が、急にまたぐずる。

「ああ、ごめん」

 

「雪江、そんな抱き方じゃだめだよ。子供はね、安心してその身を任せられる人とそうでない人を感じ取るんだ。ああ、また起こしちゃったね」

 お絹が百を雪江から受け取る。ピタリとぐずりが止った。

「ねっ」

 そう言われておもしろくない雪江。

「どうせ私はそうでない人ですよ」

 口をとがらせて拗ねてみた。


「そういう意味じゃない。雪江はね、まだぎこちないんだよ。落としたら困るとか、泣くかもしれないって思ってるだろう。そういう思いが赤子にも伝わるし、抱き方にも差が出るのさ」

「は~い。そういうことにしておきましょう。私だってそのうちに自分の子供を抱っこするんだから」

「うん。不安だね。雪江が母親になるってことがさ」

「お絹っ」

 そんなことを言いあっていたが、まだお華は涙ぐんでいた。


「お華・・・・・・」

 お絹が近寄る。

「申し訳ございませんでした。御新造様。すべてはわたくしが、・・・・・・。意地を張っていました。本当に申し訳なく思っています」

「そんなこと・・・・・・悪いのは私の方」


 お華はぶんぶんと首を振る。

「絹代様が坂本家に嫁がれ、すぐに百様がお生まれになりました。当初、百様を任せられてうれしかったのです。毎日、百様のお世話をすることが楽しくて仕方がありませんでした」

「知ってるよ。よくやってくれていたもん」


「けれど、御新造様が床から離れて、百様の面倒を見られるようになり、正直に申し上げますと、寂しかったのです。もう百様の面倒はみられないのかと、百様を取られてしまったような気持ちになったのです。愚かな女でございます」

「そんな・・・・・。私はただ、いつもお華に任せきりで申し訳ないって思ってた。自分の子なのに、人に頼り切りで、ダメな母親だって思われたくなくて、必死に頑張った。お華の手を煩わせたくないって思ってね。そうでなくても忙しいのに」


 二人はお互いの本心を知り、その行き違いに驚いていた。相手には良かれと思っていたことが、向こうはそう思っていないということ。ありがちだ。

「なあんだ。二人とももっと早く自分が思っていたことを言えばよかったんだよね。百ちゃんの面倒をもっと見たいとか、いつも任せてばかりいて悪いねとかさ。声かけって必要だよね」

 お絹とお華がお互いを見て、うなづいていた。今までのけん制しあうような間柄はなんだったのだろうと問うようだ。

 

「日本人ってさ、言わないで察することが美徳っていう考えがあるけど、やっぱりちゃんと言葉にして言ったほうがいいよ。褒め言葉とか感謝していることは絶対に口に出して言った方が何倍にもなって相手に伝わる」

「日本って、大きな話だね」

 お絹が目を丸くして笑う。


「そうよ。日本人はそういう感情を表すことが下手なの。武家の侍は感情を顔に出さないってことがいいらしいけど、そういうことがまだまだ後世に残っちゃってんのよね。うれしいならそう顔に出せばいいのに。そして言葉に出すってこと、すごく大事だと思う」

 二人がうなづいていた。

 もう大丈夫だろう。この二人はこれからいろいろ話し合って、この坂本家のために団結してやっていくに違いない。


「じゃあ、行くよ」

「うん、ありがとう。雪江」

 お華も笑って頭を下げていた。



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