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お絹の悩み事3

「この世の中には、どこにも完璧な人などおりません。そうでございましょう」

 孝子がそういう。

「そうだよね」

 それはわかる。誰にでも不得手はあり、失敗もする。勘違いもする。その繰り返しで、人は少しづつ丸くなり、その失敗の数が減っていくのだ。


「たとえ、どんなに優れたお人であろうとも失敗は致します。長年勤めてきた者であっても間違いを侵します」

「そうなんだね」

 時には他人が完璧に見える。失敗などない、悩みもないように見える。

「誰にでも弱いところはございます。だから、そういうときは人に甘えてもいいのです」

「えっ、人には弱いところを見せない方がいいのかと思った」


「まあ、そういう場合もございます。けれど、そういうふりをすることも大事なのです。人を頼るということは、その人を信用していること。人は頼られると、気をよくして何かをしてやろうという気になりものです」

「それってさ、お内儀が使用人に頼れってこと?」

 そんなことをして、ますますだめなお内儀だと思われないか。


「そうでございます。人は一人では生きてはいけぬもの。助け合わなければ、いざという時、足元をすくわれかねませんから」

「ひえ~」

 なんとも怖い響き。足元をすくわれるなんて。


 孝子も雪江が納得していないことがわかったようだ。

「では、こうしましょう。今まではお内儀が、使用人たちと争うかのような話でございました。そうではなく、そのお内儀はその家、店のために頑張ろうとしていることをわからせるのです。たぶん、その使用人たちも同じ気持ちだと思います。そのためには、自分だけでは力がたりないから、力を貸して欲しいという方向に持っていくのでございます」

「ああ、目的は同じだから、一緒にやっていこうって言うのね」


 なるほど、今までは同じチーム内でもめていたわけだ。しかし、練習を重ね、他チームと試合をするとき、一緒に勝とうという、一致団結して頑張ろうというのに似ていた。いくら上手な選手でもすべての守備を守ることはできない。それは自分のチームメイトに任せて信用すること。

 孝子の言っていることはこれに近いのだろう。


「今までその使用人たちは、こんなお内儀に何ができると侮っていたことでしょう。それでは仲間割れをしているようなもの。けれどこの店のため、お家のためとあれば、同じ目的に向かって一致団結できるのです。家のため、旦那様のために自分のできないことはお互いに補いながら、やっていけばよろしいかと存じます」

「へえ、なるほどね。お内儀さんって、いつも人よりすごくないといけないのかと思ってた」


「ほほほ、それではすぐに息が上がってしまわれますぞ。たまには誰かに甘え、任せて、息をぬかなくては」

「そっか、そうだよね」

 

 自分に自信のある人も、その仕事を誰かに任せるということは勇気がいると思う。

「人にはそれぞれ秀でているものがございます。なにもすべてを人に任せろとは申しません。その者のいいところを見つけ、任せればいいだけのこと。いろいろと文句を言う者は、案外人の事をよく見ているのです。責任感もあるかと思います。そういう者には自分の片腕になってもらい、自分がいないときは任せる、そこまでさせてもいいかと思います」

 孝子のいうその人物が、お華のことだとすぐにわかった。孝子もうすうす勘づいていたのだ。そうか。お華を煙たがらずに、頼りにして任せればいいのか。それが人を変えようとせず、自分が変わることなのだ。


「いかがでございますか。お分かりになられましたでしょうか」

「うん、ありがとうございます。たぶん、わかりました。さすが、孝子様」


「それはわたくしの考えではございません。甲斐の国をかつて治めておりました武田信玄公の行ったことでございます」

「えっ、武田信玄?」

 話がもっと古くなる。


「信玄公が跡取りとして甲斐の国を治めなければならなくなった時、もうすでに力があり、癖のある家臣たちをまとめるのに苦労したそうです。力づくで抑えつけ、言うことを利かせようとしても不満が出てきます。謀反も起こることでしょう。それでは一国を治めたとは言えません」

 そりゃそうだ。武田節にも「人は石垣、人は城」と歌われている。


「そこで信玄公は、自分もその家臣たちの中に交じり、軍事を一緒に同じ目線で話し合うということをされました。普通ならば、御屋形様がいて、その家臣がいる。しかし、信玄公は自分も二十四将の中に入ったのです。もちろん、最終決断はご本人がされますが、それもトコトン話し合い、皆が納得してからでございます。それは皆を信頼し、信頼されていたからだと存じます。自分が頂点に立たず、同じところから、それとなく切り盛りをすればいいのです」


「へえ、すごい。信玄公もすごいけど、それを知ってる孝子様もすごい」

 そういうと孝子が鈴をならすようにコロコロと笑った。


「雪江様も、この度生まれてくる若君に、いつかはこの話をするときがくるのでしょうね」


 孝子がなにげなくそう言った。

 雪江も深く考えず、うん、とうなづく。

「そうだね。そうかもしれません。母上は物知りだって褒められるかも」


 そんなことを思ってほくそ笑む。子供に言うよりも先に、今夜、龍之介に教えてやろうと思っていた雪江だった。孝子の問題発言にはまだ、気づいていなかった。




 翌日、雪江は坂本家を訪れていた。いつものことだから、奉公人たちも雪江にはそれほど気に留めていない。

 お絹は百を傍らに寝かしながら、針仕事をしていた。

「やっぱ、お絹は針が似合うよね」

 ピンと背筋を伸ばし、ちゃっちゃと手を動かしている。その表情も自信にあふれている。そんなお絹に見とれていた。


 若草色のきれいな綸子だった。どうやら子供用らしい。

「ねえ、それって、百ちゃんの着物?」

「そうだよ。産後ずっと縫物は避けていたからね。手慣らしにチャッチャって縫える子供用がいいかなって思って。もう明日には仕上がる」


「すごいよね。本当に。さすがプロだけある」

 お絹も雪江のカタカナを気にしない。褒め言葉だとわかるからだ。


「このお絹様だよ。こんなもの、朝飯前さ。この後、雪江の赤ん坊の肌着も縫ってやるよ。そして・・・・・・」

「あ、それならお役目として呉服部屋に入ってからうちの子のは縫ってよね。そうしないと仕事として認められないかもしれない」


 フンと鼻白む。

「そんなこと、どうだっていいよ。私は縫いたいのさ。けど、まだ早いかな。間がある」

「うん、そうだよ。ゆっくりでいいよ」


「でもいいのかい。上屋敷から腕の立つお針子さんが来ているんだろう。その人たちじゃなくて、私でいいのかい」

「いいに決まってるでしょ。だから、彼女たちは通いなの。必要な時に来てくれる。常勤じゃない。私はお絹を待ってるの。そしてお絹が必要な人員を雇ってほしい」

 そういうとお絹の顔が引き締まった。それだけ責任も感じているのだろう。なによりもやりがいのある自分の本職だった。

 そう、その顔だ。今までお華に押されていた弱々しいいお絹の顔ではなく、その自信に満ちたその表情がよかった。


 この調子で話せばもっと前向きな答えが出せるかもしれないと期待して言う。

「ねえ、あのさ。お華さんのことだけど」

 そう切り出した途端、お絹の顔が曇った。そして聞きたくないとばかりに首を振る。

「やめておくれ。胸が悪くなる。針仕事も粗くなっちまう」

 いきなり、拒否されていた。聞く耳持たずだ。

「このままじゃお絹、どうしようもないよ。どちらかが歩み寄らないとこのままじゃ、他の使用人たちも困るじゃない」



「私が悪いって言うのかいっ。あの人が、あの人が、私を邪険にするんだ。どうすればいいんだい? 私が至らないばかりに申し訳ない。こんな嫁ですみませんって謝れば許してくれるって言うのかい」

 かなり感情的になったお絹は大声をあげていた。

 その声に、寝ていた百が驚き、泣き出してしまった。それにこの会話を誰が聞いているかわからない。

「ああ、ごめんよ。百」

 お絹が慌てて百を抱き上げていた。まだ寝たりないのだろう。眠そうにぐずる。

 この様子ではまともに話などできそうにない。雪江に全く耳を貸そうともしない。


「私の味方は百だけだ」

 まるで、雪江までが敵に回ったと言わんばかりの言い方だった。

「ね、小次郎さんはなんて言ってるの」

「こんな家の中でのこと、小次郎さんには言えやしない。そんなことを言ったら、それこそ、あの人が突っ込んでくるよ。旦那様にそんな心配をさせるなんて、侍の妻としてはあってはならないことだってね」


「ね、お絹。落ち着いてよ」

 雪江がなにか言おうとすると、百を抱いたままクルリと背を向けてきた。完全に拒否されていた。

「あの人のことなら聞きたくないよ」

「もうっ」

「雪江まであの人に丸め込まれたのかい」


 そんな恨みがましいことを言われる。

「そうじゃないよ」

「じゃあ、放っておいておくれ。あの人のことはこれでお終い。私、百を連れて、孝子様と一緒に住もうかと思っているんだ。あのお方は一人で広い家に住んでいるし、なによりも百のこと、かわいがってくれている。呉服部屋の仕事についたら、話してみようと思う」

 そんなことを考えていたのか。愕然とする。


「ねえ、もう少し冷静に考えて。あの人は敵じゃないんだよ。味方なんだってば」

「いや、敵だよ。私はあの人にとって、突然、入り込んできた敵でしかない。さらにあの人の好きだった小次郎さんまで奪って、憎い女なんだ」

「お絹ったら」

 

 お絹はこのつらい現実から逃げようとしていた。そんなことをしても絶対に解決しないのに。大好きだった小次郎を諦めてもいいとさえ、思っているようだ。

「じゃあ、言うけど。お絹がお福部屋にいる時、誰が百ちゃんのこと、見てるの?」

「ああ、そんなこと。誰かを雇うさ」


「じゃ、その人は信用できるのね」

「ああ、そういう人を雇う」


 雪江は、孝子に教えられたことを語ろうと必死だ。

「あのね、ああいう人って、本当は認めて欲しいからいろいろ言うんだって。この家のことを本気で考えているから・・・・」

「わかってるさ。私が至らないからね」


「そんなあ。誰にだって弱いところはあるし、苦手なものもある」

「あの人に不得手なものなんてないのさ。だから、私を見下しているんだよ。やることなすこと、ケチをつけなきゃ気がすまない」


 うまくいかなかった。孝子が話してくれたことは理解していたはずなのに、いざそれをお絹に伝えようとしてもうまく言えないのだった。

 雪江は黙ってしまった。お絹は雪江のことを無視して百をあやしていた。


 そんなことをされても腹は立たなかった。しかし、それだけ頑なになっているお絹のことが悲しかった。お絹が一番つらい思いをしている。けど、雪江もつらかった。

 やっと百が眠ったらしい。お絹がそうっと布団に寝かせた。

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