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龍之介 打ち明け話3

 お銚子一本を空けると、今度は別の座敷に通された。今度はお葉、いや珠緒の部屋だった。こじんまりとしているが、品のいい茶箪笥、煙草盆などの調度品がそろっていた。大胆な筆の山の水墨画が床の間に飾られ、そこには小さな白い花が一輪、活けてあった。


 そこへ喜助きすけと呼ばれる男が、台の物(料理のお膳)を運んでくる。喜助は、客と花魁とのことがうまく運ぶように、気を働かせて細々と動く者で、その気配りを二階(遊女の仕事場)を廻すと言った。


 今度の台の物は、小鯛の焼き物と刺身、酢の物、澄まし汁、それに煮物が上品に盛り付けてあった。さらに焼き菓子の載った台もある。酒も次々と運ばれてきた。


 珠緒がその座敷の上座に座った。表情を変えずとも、弥助がここへ来た理由はわかっているはずだった。吉原の番所では珠緒たちに事情を話し、そのことについて話を聞いたと言っていた。しかし、その弥助が、龍之介と小次郎まで引き連れていた。そこに疑念の目が向けられていた。

 あれから、六年がたっていた。この面々でこうして会うのは久方ぶりだった。もちろん、その姿は時を表せているが、この四人の間ではその年月は感じられない。


 珠緒はそれぞれの顔を睨みつけるように見ると、目を伏せていた。

 龍之介たちは、この場で、花魁が一言もしゃべらないことを知っているから、勝手に三人でこの六年間の話をした。そこで龍之介が嫁をもらい、江戸屋敷にいることを珠緒に知らせた。小次郎も子供が生まれたことも話していた。

 そうして、台の物が空になるとそれでお開きとなった。それが普通の初回だった。


 珠緒は、もう龍之介たちがここへ訪ねてくることは、この一度きりだと察していた。なにも言わないが、丁寧に頭を下げた。

「今宵はそなたの顔を見ることができた。本当によかった。元気そうでなにより。体に気をつけるようにな」

 龍之介は、そう言って紫の袱紗の包みを渡す。その中には、珠緒への小遣いのつもりの金が入っている。そして、その下にはお葉宛ての文が忍ばせてあった。


 珠緒はそれを見て、文をたもとの中へ隠す。廓でのしきたりは、客にもらった物、床花チップなどは他の者たちにわかるように、皆の前で開け、見せることが常識だった。

 喜助はすぐさま金を見て、それを大声で披露する。小さな紙きれの文には気づかなかったようだ。


 その文には、弥助の金のことを書いた。その詳細と、龍之介が思ったことを綴っていた。

 弥助がこの妓楼を出た後、すぐに誰かに金をすべて奪われたこと。それがかなり不審だと思ったからだ。

 あの時、弥助は旅支度のまま、妓楼に赴いていた。その格好で妓楼のお内所と呼ばれる帳場で、妓主の近衛門とそのお内儀に会った。そしてその場に呼ばれた珠緒、その面々だけだったらしい。しかし、すぐに話が終わり、弥助は追い出されるようにして、近江屋妓楼を出ている。


 そして、放心状態のそんな弥助が人けのない道に差し掛かった時、若い男にいきなり押し倒され、その懐にあった重い小判の入った袋を奪って行った。

 それは多少なりとも弥助がそのような大金を抱えているとわかった者でないとできない行動だ。普通なら、なにか安心させるような声をかけ、油断したところを襲うだろう。そして、金目の物を持っているかどうか、多少なりとも着物のあちこちを探るはずだった。

 弥助の言うその男は、すぐに懐に手を入れていたということだ。


 解せなかった。そう考えた龍之介は、お葉にその場にいた人、或は弥助が身請けの大金を持ち帰ることを知っていたという人物に、心当たりがあるかどうかを思い出してもらいたいと考えたのだ。

 お葉の身近にいる誰か、としか思えなかった。お葉がそれをどう受け止めるか、お葉次第だった。同じ妓楼から下手人を出すことを拒むのなら、それも仕方がない。

 しかし、金を奪われてから姿を消した者がいないか、周りで急に金回りのよくなった者がいないか、そんなことに気づいたら報告してもらいたいと記していた。そして、また数日後に来るとも書いていた。



**********


 そこまでを雪江に語っていた。

 雪江の気分は、だいぶ落ち着いたらしく、龍之介がそこで言葉を切るとゆっくり起き上った。

「大丈夫か。まだ少し寝ていた方がよいのではないか。のう、久美子殿」


 龍之介は内心焦り、隣の部屋にいる久美子を呼ぶ。

 すぐに久美子が顔を出した。

「あら、もう起きているのね」

 そういって、雪江の前に座った。

「どう? 頭、ふらふらしない? お腹の張りは?」

「大丈夫です」


 久美子は、さらに雪江の顔色を見る。

「そう、大丈夫そうね。じゃあ、今日は「あかり」じゃなくて、お屋敷へ帰ろうか」

「えっ、お屋敷って、あっちへ帰っていいのっ」

 雪江の顔が輝いていた。

「いいわよ。どうせ、明日か明後日には戻るつもりだったんだし、どうせ駕籠に乗るんだったら、一度で済ませた方がいいじゃない」


「あ、そうか」

「あっちは荷物を取りに来てもらえばそれでいいし。帰りたいでしょ。よく頑張ったから、そのご褒美。それでよろしいでしょうか、正和様」

 久美子が龍之介に許しを求めていた。


「帰ってくるか、わしのところへ」

 雪江がキラキラした目で龍之介を見ていた。そんな顔がかわいくて、顔をほころばせる。

「うん、帰りたい」


 大喜びの雪江。しかし、まだその体が心配だった。

「では、先生。ここから直接、屋敷へ帰ることに致します。一応、先生にも今宵、泊まっていただきたいのですが」

 もし、夜中に、腹でも痛くなったら困るからだ。

「わかりました。私もこのままだと心配ですし。そうしたいと思っております。私は一度、「あかり」へ戻ります。支度をしてから、お屋敷へ参上いたします」


 雪江が帰ってくることになった。

 加藤家にはお邪魔したうえ、雪江が迷惑をかけた。後日、またお詫びをしにくるつもりだった。

 明知と安寿は、気にすることはないと言ったが、そこはきちんとけじめをつけなければならないのが武家に生まれた者のすること。

 そしてまた、明知と酒でも酌み交わしながら、ゆっくり話がしたいと思った。



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