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雪江、いよいよ釈放? いえ、解放

 次の日の午前中。

 久美子と裕子が、雪江の所を訪れていた。

 胎児の検診だ。裕子と顔を合わせるのは久しぶりだった。体重測定をしていた。もう全然怖く?ない。


「よく頑張ったわね。体重はそのままだけど、お腹周りは順調に大きくなっているの。それって、雪江ちゃんの脂肪が落ちて、胎児が成長しているのよ」

 裕子に褒められた。

 それは雪江自身も感じていたことだ。腹は重くなっていたが、動くことはもうそれほど億劫ではない。


「これならいつでもお屋敷に戻ってもいいわね。ねえ、先生」

 裕子が、久美子に同意を求めていた。

「そうね。明日は駕籠に乗って、安寿様の所へ遊びに行くんでしょ。たぶん、その後は疲れるから、その様子を見て、二、三日後にお屋敷へ帰るってことでどうかしら」

「あ、それ、うれしいかも」


 そう、明日、龍之介と久美子が付き添ってくれて、加藤家へ遊びに行くことになっていた。

「あの少女のままの可憐な安寿姫、もうお母さんの顔になっているのかな。ちょっとだけ向こうの方が先輩なのよね。でも、私の方がお腹、大きいかも」

 明日が楽しみだった。


 無事に定期検診は終わり、久美子は旅籠の方に戻った。裕子も薫に、後を頼んで帰っていく。

 お初はもう朝からいつもの用事をたすために、屋敷へ帰っていた。薫と二人きりだった。

 

「外へ出よっ」

 爽やかな海風が吹いている。薫は、いつものように紙と筆、携帯用の墨を入れる壺を手にしていた。

 雪江は海を眺めながら、後ろにいるはずの薫に話しかけていた。

「ああ、よかった。絶対に大丈夫だって自信はあったけど、体重を計ってもらうまで不安もあったの。もうすぐお屋敷へ戻れるって、うれしい。薫ちゃん、毎日来てくれて本当にありがとう。もう少しでこんな生活も終わるからね」


 雪江は、薫のうれしそうに返す言葉を待っていた。しかし、何の返事も返ってこない。

 どこかへ行ってしまったのかと後ろを振り返った。薫はそこに立っていたが、どこか浮かない顔で地を見つめていた。心、ここに在らず、のようだ。雪江の話を全く聞いていなかったらしい。薫らしくなかった。いつもなら、薫は雪江の嬉しいことは自分のことのように喜んでくれるから。


「え、薫ちゃん? どうしたの」

 そう尋ねて、初めて我に返ったらしい。なにやら怯えたような表情になっていた。

「あ、いえ。申し訳ございません。少しぼうっとしておりました」

「どうしたの? 薫ちゃんらしくない。なんかあったの」 


 そう言えば、今日は顔を見るなり、その顔を曇らせていた。それからは、一生懸命に作った笑い顔のように少し不自然だった。。そして今も雪江を真っ直ぐに見ていない。目を合わせたら心の中を探られるように避けている。


「え、本当になんかあったの? ねえ、また末吉に隠していたおせんべいを食べられちゃったとか、この間もらったかんざしを勝手に使われたとか?」

「いえ」


「じゃ、徳田のお父さんにからかわれたの? あの刀の研ぎ師のことで、でもあの人はだめだよ。奥さん・・・・いや、お内儀さんがいるんだからね」


 雪江はつい、二十一世紀の癖で、人の妻のことを奥さんと言ってしまう。

「え・・・・」

 薫は弥助のことで動揺したようだった。一瞬、ドキッとした顔をして雪江を見た。その反応に雪江の方が驚いた。思わぬビンゴ?

「まさか、本気であの人のこと、好きなの」

「いえ、弥助さんはただ、見ているだけで・・・・それだけです」

 言葉では否定をしているが、それでも薫は何か落ち着かない表情だった。雪江に関することなのか。知られたくないことを隠しているのか。それを雪江に相談しようともしない。


 雪江のいない奥向きで、何か騒動があったのかもしれない。いや、それなら毎日帰っているお初の知るところだろう。彼女は別段、変わったことはないと言っていた。


「ねえ、なによ。何か隠してるでしょ。私に言えない事なの? ねえ」

「そんな、決してそのようなことはございません」

 そう言って、薫の目が凄まじい勢いで動く。そして髪が振り乱れんばかりに激しく首を振っていた。

 それって、ものすごく否定しているけど、たぶん、そういうことなのだろう。薫は正直すぎてわかりやすい。隠し事ができないのだ。雪江に関することを隠している。しかし、口を割れといっても絶対に言わないだろう。こういう時は質問攻めにして、その反応を見る、うそ発見器のようにするしかない。


「また誰かが私の悪口、言ってるの?」

 以前にも会ったこと、今は中屋敷に雪江がいないから、いない方がいいとか、改めて厄介な奥方だと実感されたのかもしれない。

 しかし、その質問には薫は平然とした顔で首を振る。

「そのようなことは決してございません。むしろ、雪江様には早く戻っていただきたいと皆が申しております。あまりにも退屈過ぎると・・・・あ、わたしったらなんてことを」

 雪江は吹き出していた。

「いいよ、今更、自分でもわかってるもん」


 そうか、そういう事じゃないんだ。では何だろう。他には思い当たらない。雪江自身のことではないのに、薫が直接目を合わせられないこととは・・・・龍之介とか? まさかね。

 しかし、龍之介は最近よく小次郎たちとつるんでいるらしい。お絹がそういう文をくれた。そう言えば、昨日の手紙、少し変だったのを思い出す。


【大丈夫だよ。このお絹が正和様たちを見張っているからね】


 この「見張っている」は「見守っている」の間違いだと思っていた。けれど、それにはおかしい所もあると気づいた。雪江の代りに正和を見守るというのはまあ、なんとなくわかる。しかし、達というのは複数だ。そこには小次郎と弥助もはいっているのか。どういうことだろう。まさか、この三人が雪江のいない間に何かをやらかそうとしているのか。

 そんなことがあるはずがないと思いながらも、薫に聞く。

「もしかして龍之介さんのこと、なんか隠しているの? 私がいない間に羽を伸ばして遊んでいるとか、他の女に色目を使ったとか」


 雪江がそこまで言うと、薫の反応は半端じゃなかった。リトマス紙が真っ青になったかのように、すぐさま顔をこわばらせ、これまたイエスという意味の反応で、首をぶんぶん横に振る。

「いえ、いえ、いえ、とんでもないことにございます。そのようなこと、決して、決して・・・・、あの正和様に限ってそのようなこと・・・・ああ、お許しください。どうか、どうか、どうしよう」


 薫が取り乱していた。そんな薫に雪江の方が驚いていた。

 薫のなにかは龍之介のことなのだ。しかも女のことらしい。雪江は自分の表情が険しくなったのがわかった。まさか、まさか奥女中の誰かに手を出したとか、側室をもらう話が浮上したとか。そんなことを考えて、拳が震えるくらい力が入っていた。そういうことなのだろう。そうでなければ、薫がここまで頑なに供述拒否するはずがない。それは雪江が聞いたらショックを受けるようなことなのだろう。やはり、側室候補なのだろう。奥方が身重の時、そういうことが起こるらしい。そんなことを考える。そして知らず知らず、全身にも力が入っていたらしい。


 次の瞬間、雪江は腹を抑えていた。腹が硬直していた。張る、痛いほどに張っていた。下腹部に手を添えるが、こんな張りは初めてだ。

「あ、イタタ」

 立っていることができず、その場にうずくまっていた。

 薫が驚いていた。持っていた紙や筆を放り投げて、雪江の背を抱く。

「雪江様っ」

「痛い。久美子先生を呼んで」

 着物の帯は、締めつけないようにしているが、苦しい。ここですべてを取り去りたい衝動に駆られる。


 薫がすぐに旅籠の方へ駆けて行き、助けを呼んでいた。


「誰かっ、お久美様を。雪江様が大変です。誰か来てっ」

 薫が泣きださんばかりに叫んでいた。そんなに慌てられるとこっちの方が恐縮してしまう。

「あ、大丈夫。ちょっと休めば平気。そんなに騒がないで、いてて」

 薫がすぐに戻り、雪江を介抱する。


 中庭には、長腰掛け(ベンチ)がある。薫に手を貸してもらい、寄り掛かるようにして、やっとのことでそこへ腰かけた。そして、ゆっくりと息をした。大丈夫、大丈夫だとお腹の赤ちゃんに言い聞かせるようにして、何度か吸ったり吐いたりしていると、少しづつだが痛いほどの張りは消えていった。


 旅籠から、久美子と他の女中が走ってきた。

「雪江ちゃん」

 久美子が慌てていた。

「あ、先生、大丈夫です。ちょっと急に強く張ったから驚いちゃって」

 久美子が雪江の腹を触った。まだ触られるだけでも痛い。思わず顔をしかめてしまう。

「無理しないでね。安定期とはいえ、赤ちゃんがどんどん成長しているから張りやすいのよ。少しでも張ってきたらすぐに休むこと。いいわね」

 久美子がゆっくり優しく撫でてくれた。少しづつ張りが緩んでいくのがわかった。


 やっと大きく息が吸えるようになった。

「あとで椿油を持ってきてあげる。お腹に塗るの。赤ちゃんが大きくなるとお腹の皮膚も伸びるでしょ。オイルを塗ると落ち着くのよ。人によってはこの頃から妊娠線が出始めるけど、雪江ちゃんはまだ、大丈夫みたい」


 そうか、そういうこともあるのか。安定期に入ったから安心していた。それでも油断できない。本当に妊婦って大変なんだと実感していた。



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