表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
134/177

父、登場

 雪江は、叱られた翌日から、食後の散歩で屋敷の敷地内を歩くことにした。

 この日の昼食後、薫が来て雪江のお供をしてくれるという。


 今朝は末吉が来て、雪江のゆっくり歩きに合わせられずにいた。

 末吉がせかせかと先を行く。遅れている雪江を振り返り、走って雪江のところまで戻る。そして、また一緒に歩くが、いつのまにか先を歩いてしまう末吉。この無駄な動きに末吉が疲れたと言いだした。雪江だって、その末吉を見ているだけでかなり疲れたのだ。

 

 薫はちゃんと雪江の歩調に合わせて、三歩ほど後ろを歩いていた。

「ねえ、薫ちゃん」

 雪江は話しかける度に、ちょこちょこと後ろを振り向かなくてはならない。薫の顔を見て話したいからだ。


「ねえ、私の横を歩いてよ。話ができないからさ」

 薫の顔がたちまち曇る。

「あ、滅相もございません。雪江様と並んで歩くなどと」

「いいじゃん。私がいいって言ってんだから」


「いえ、雪江様が許すと申されましても、他の者の目がございます」

 雪江はその返答に、改めて薫を振り返った。


 驚いていた。つい最近までは子供だと思っていた。手を繋ごうと言うとよろこんで手を差し出してきたのだ。今日はバカ丁寧に返事をしていた。急に大人びた薫がいた。


 じっと薫を見る。これで紅をつけたらすごくきれいになるだろう。

 雪江がじっと見ているから、薫は恥ずかしそうにうつむいてしまった。そういう年齢なのだ。ある日突然、大人びて美しくなっていく。

 その薫の表情に、雪江はこれ以上からかわないつもりでいた。


 散歩から帰ると父の正重がきていた。

「ほうら、爺からの手土産じゃ」

 正重が、雪江の大好物のまんじゅうを手にしていた。

「お父上さま。爺などと、まだ先のことでございますよ」

 その言い方が、本当に腹の中の赤ん坊に話しかけているようで笑える。


「よいではないか。赤子は絶対に聞いている。今からこうして話しかけていれば、産まれてすぐに爺と言ってくれるに違いない」

 親バカならぬ、爺バカである。

 正重が、子供好きだとは聞いていた。しかし、まだ見ぬ子供にもメロメロになってしまうとは思ってもみなかった。それでもうれしい。


 父からの差し入れをじっと見ていた。

「さあ、雪江。好物であろう」

 そう言って、箱を開ける。そこにはぎっしりとまんじゅうが並んでいた。


「あ、はい」

 昨日、裕子に甘いものを控えろと注意されたばかりだった。昨日の今日で、いきなりそれを破ることはできないと思った。

 しかし、わざわざ正重が雪江のために買ってきてくれた土産だった。どうしよう。

 雪江が戸惑っているのを感じた正重。


「どうした。うれしくないのか。雪江の大好きなまんじゅうぞ。ここへ来る途中、蒸かし終わるのを待って、買い求めてまいったのだ。食べたくはないのか」

 父ががっかりした顔になる。

「あ、いただきます」

 これを食べたら、また歩けばいいのだ。せっかく来てくれた父をがっかりさせたくはなかった。


 確かに蒸かしたてはふっくらとやわらかで、半分に割ると、しっとりとした餡が入っていた。上質の小豆の味が口の中に広がる。さすがだ。

「う~ん、おいしい」

 至福の時だった。


 正重はそんな雪江を見て、満足そうだった。一つ食べ終わった。すかさずもう一つ、目の前に差し出された。

「ややの分じゃ、爺の分も、ついでに正和の分も食べよ。ほら」

 これも親孝行の一つだと思えばいい。雪江はパクパクと三つも平らげていた。そして食後、三十分後に歩こうと思ったこともすっかり忘れてしまった。


 その日の夕餉は、さすがにこれではいけないと思い、ご飯を半分残した。これで少しは一日のカロリーの帳尻が合うかもしれないという、せめてもの努力であった。


 また二日後に体重測定がある。その日まで増えず、今の体重のままでいること。

 う~ん、けっこうきついかも。でもがんばるしかなかった。

 明日からちゃんとすればいいのだ。


 しかし、正重は翌日もやってきた。しかもふたたびお菓子を手土産にして。

 連日、どうしたのかと聞くと、この中屋敷に、甲斐大泉の腕利きの刀研ぎ師が来ているとのことだ。刀に興味もあり、正重はわざわざ中屋敷まで通ってきているのだという。

 上屋敷、中屋敷の侍たちの刀を吟味して、必要なら研いでもらうためだった。


 聞けば、小次郎の屋敷に寝泊まりしているらしい。そう言えば、雪江がお絹のところへ行くと、中庭の隅で職人のような人が刀を研いでいた。一度だけ目があった。にっこり笑って会釈してくれた、たぶんあの人なのだろう。


 正重の手土産は最中もなかだった。

 ここの最中は客からの注文を受けてから、皮の中に餡を詰めてくれるから、まだ皮がぱりぱりしていて絶妙な歯触りと小豆の風味が生きている甘すぎない最中だった。


 普段でも雪江はここの最中なら三つは平らげる。正重はそれを知っているから、たくさん買ってきてくれた。

「今日は、奥向きの侍女たちや台所役の方にも買ってきた」


 えっ、台所の方にも・・・・・・。

 そこで雪江の手が止まった。


 ということは、・・・・・・。父上がこれを差し入れてくれていることが裕子にもわかっているということだ。

 ううん、なんかやばい、それはやばかった。ものすごく嫌な予感がしていた。


 もうすでに雪江は三つを食べていた。今、まさしく四つ目に手を出そうとしていた。正重が怪訝そうな顔になる。

「どうした、ほうら、もう一つ」

 差し出した雪江の手に、一つ持たせてくれた。


 う~ん、これはしかたがないよね。

 それも口にする。

 嬉しそうな顔をして正重が見ていた。これも本当に親孝行。


「雪江、明日はなにがいい? ようかんか、団子もいいぞ」

「あ、明日・・・・」

 明日も何か買ってきてくれるという。


「あ、じゃあ、今度はかき餅がいいかな」

 父の顔が輝いた。

「なるほど、なかなかの選択だ。よし、わかった。明日は大田屋のかき餅といたそう」


 まだ、甘いもの以外なら許されるだろう。そんな思いから選んでいた。




 そして体重測定の日がやってくる。


 きっと前回と同じように、夕食後に裕子が計りに来ると思っていた。

 だから、雪江は朝から中屋敷内の庭を散歩していた。そのうちに正重が来るだろう。

 そうしたらかき餅をちびちび食べていればいい。どうしたと問われたら、今日はなんだかお腹がいっぱいだと言うつもりだ。


 喉が渇いたから、直接、台所へ行った。お茶でももらおうと思った。

 そこには徳田がいた。

「よっ、雪江。また散歩か。よく続くな」

「まあね、運動しないと」


「団子食うか」

 徳田が雪江の目の前に、みたらし団子の包みを差し出した。

「えっ」

「いいじゃん。運動したんだから、カロリー消費した分、食べられる」


「ダメだよ。甘いものは食べ過ぎないでって言われてんだから」

 うん、模範解答だ。徳田には食べないと言える。徳田はつまらなそうな顔になるが気にしない。

「ちえっ、つまんねえの。ダメだって言われても、つい食べちゃうのが雪江のいいとこだろっ」

 そんなとこが雪江の長所だと言われていた。どんな姫なのだ。


 そこへ裕子が姿を現せた。

「徳田君、雪江ちゃんに甘いものを与えちゃだめ」

 まるで、犬にエサというような言いぐさだった。

 しかし、雪江はほっとしていた。

 よかった。徳田の誘いに乗らないで、ちゃんと断ることができた。ここで手を出していたら、それこそ裕子の前で言い逃れができなかった。きっと裕子の恐ろしい叱責がくる。


「ちょっとならいいんだろっ。昨日だって大福、食べてたし、その前はようかん、半分食べたよな」

「ああっ、言っちゃだめ」

 真っ青になっていた。まさか、ここで他の日のことをばらされるとは思ってもみなかったから。

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ