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相変わらずの龍之介

久しぶりに第三部が始まりました。よろしくお願いいたします。

「ねえ、龍之介さん、お絹ったらね、ももちゃんにさ、思いっきり泣かれてて、私が行ったらお絹も半泣きだったのよ。そいでさぁ」

 

 夕餉のひとときだった。

 雪江がお茶を飲みながら、今日の出来事を話してくる。


 側用人の小次郎が嫁をもらっていた。土屋正次の養女、絹代。つまり、長屋で一緒だったお絹のことだ。子が産まれてから祝言をする予定だったが、小次郎が一刻も早く、お絹を妻と迎えたいと言った。それで腹の大きい花嫁が、坂本小次郎のところへ輿入れしていた。


 それからまもなく無事に女の子が生まれた。名を百と書いて、もも、と言う。結構丸々とした丈夫そうな女の子だった。一番大喜びをしたのは雪江だった。

 なにしろ、同じ敷地内にある小次郎の屋敷に、お絹がいる。もう駕籠に乗って長屋まで通わなくてもいい。いつも必ずお初が一緒についてくるが、それさえも振り切って上がり込むこともある。


 さらに雪江もややを身ごもり、もうすでにぽっこりと腹が出ている。

 妊娠初期に利久の死と重なって、つらい思いをした。だから、龍之介も、雪江が毎日のようにお絹のところへ行くことを咎めなかった。それで雪江が元の元気を取り戻してくれればいいと思った。

 小次郎もふさぎ込んでいた雪江のために、お絹を急いで輿入れさせたのかもしれない。


 が・・・・・・。

 こう毎日、よく通えるものだと感心させられる、というか、呆れてくる。


 子が生まれたら生まれたで、一日中入り浸っていた。

 今はまだ、お絹も産後で大変だろうから、雪江が通っては手伝いをしているらしいが、そろそろ元の生活を取り戻さなければならないと思う。それよりも平穏で静かな生活をお絹にあげなくては。


 火事で、この桐野の中屋敷に仮住まいしていた明知と安寿たちも立派に立て直された屋敷へ帰っていった。あちらもほぼ同じくらいに身ごもっている。


 明知は、龍之介と同じ日に生まれ、同じ顔を持つ。育った環境は全く別なのに、二人ともそれほど口を利かずともお互いに考えていることが手に取るようにわかった。食べ物の好みも少し塩辛いつまみが好きで、それを口にしながら、ちびちびと酒を口に含むように飲む。

 最後の夜、二人でそうやって飲んでいるのに気付き、笑った。


 一緒に育ってはいないから、兄弟とはいわない。大名家に生まれず、二人一緒に育ったら、どうだっただろう。仲良くやっていたと思う。そして同じような時期にお互いの妻が身ごもった。これも不思議といえる。

  雪江に言わせれば、よく似た双子(一卵性)は元々一人として生まれる卵が自然に二つに分かれたのだという。それならば本当に我らは分身だった。


「ねえ、龍之介さんってばっ」


 雪江の大声で我に返った。何か話していたらしい。見ると雪江がふぐのようにパンパンに頬を膨らませて怒っていた。

 ぎょっとしたが、それを顔に出してはいけない。もっと怒るからだ。

「まったくもうっ。全然私の言っていること、聞いてなかったでしょ」


「いや、そんなことはない。聞いておった」

 少し視線をそらして、そう言った。


「う~そっ。聞いてなかった。じゃ、私、なんて言った? 一字一句間違えないで言ってみて」


 龍之介はため息をついた。雪江は時々、こういう他愛のないことでむきになる。子供っぽいのだ。

「ねえ、言ってよ」

 しつこい。仕方なく、龍之介は雪江の声色と口調を真似して言った。


「うっそ、聞いてなかったぁ。じゃ、私、なんて言った? 一字一句、間違えないで言ってみて」


 そういうと、雪江が目を丸くして息を吸い込んでいた。

 出るぞ。雪江のキイ~となる怒鳴り声が。


「そうじゃないったらっ。明日、お絹のところへ持っていく田所屋のおまんじゅう買ってきてって言ったのっ」

「なんだ、そんなことか」

 さらりとそう言ってしまった。これにも反応している。案の定、雪江は目を吊り上げる。


「そんなことって、欲しいものがあれば、拙者に直接言えって言ったのは龍之介さんでしょっ。まったくもうっ」

 また、膨れていた。いや、膨れているのか? それが最近の顔だったかもしれない。


 このところ、雪江の食欲はものすごくなっていた。悪阻があった時は水しか喉を通らない状態だったから、皆が心配していた。


 それが少しづつ食べられるようになり、それがうれしくて、つい、そんなことを言ってしまったのだ。

 もう十分ではないのか。ややが腹にいるときは二人分食せということは聞いたことはあるが、雪江は三人分食べているように見える。

 まだ、雪江はぶつぶつと文句を言っている。うるさくなった龍之介は言った。


「わかった。明日の朝、早速、蒸かしたてのまんじゅうを買ってこさせよう」

 たちまち、雪江の顔が笑顔になった。

「キャ~っ、やった。やっぱり龍之介さん、大好き」

 そう言われて、わずかに顔をニンマリさせる龍之介であった。


「ねえ、龍之介さん、煮物、食べないんだったら私にちょうだい」

 雪江がまだ食べていた。

 龍之介は少し酒を飲み始めていたから、まだ、膳のものには手をつけていなかった。それほど腹も空いてはいないし、残しても台所役人の徳田たちに申し訳なく思うから、芋の煮物の入った小鉢を雪江に差し出していた。


「ありがと。なんかさ、最近、すぐにお腹が空くの。すごいよね、赤ちゃんも一緒に食べてるって感じ。それはそうと最近のおかず、味が薄くない?」

 龍之介は箸をおいた。

「いや、別に。気づかなかったが」

「そう?」

 雪江が受け取った小鉢から、里芋を箸でつまみ、口に入れていた。咀嚼し始めて、目を丸くした。


「ん~っ、ちょっと」

「な、なんだ」

 芋が喉に詰まったのかと思い、腰が上がる。

「おいしいっ、龍之介さんのお芋の方がずっとおいしい」

 そんなことか。驚いただけ損をしたようだ。


「そのようなことはあるまい。見た目は同じ煮物だった」

「そう、見かけは同じ。でも味が違う。私の方が味付けが薄い」

 それを確かめたくても、もう雪江の小鉢には残っていなかった。


「絶対ずるい。なんでっ」

 龍之介はずるいという言葉が嫌いだ。とたんに機嫌が悪くなる。

「わしはずるいことなどしてはおらぬっ」


「じゃあ、なんでこんなに違うのよ。ああ、だから最近は満足度が低いと思ったの。私のお膳だけ、たぶん薄味になってる。なんでよっ」

 雪江は、龍之介がそう企んで作らせたかのように責めたてていた。

「知らぬっ、そんなに気になるのなら裕子殿に聞くがよい」


「あ、それもそうね」

 そう言って、雪江はどっこいしょとつぶやきながら立ち上った。

「え、今、聞きにいくのか」

 こういうことはものすごく行動的だった。


「なによ、聞けばいいって言ったでしょ」

「そうだが・・・・」

「じゃ、ごちそうさま。また、後でね」

 雪江は、龍之介をその場に残して、一人でさっさと出て行った。


 もう裕子は、自分の家に戻っているだろう。そちらへ行くのだと思われた。まあ、いい運動になる。この屋敷内なら、心配いらないからだ。


 龍之介も食事を終え、自分の部屋に戻っていた。

 そこへ驚くほどしょんぼりした雪江が戻ってきた。


「どうした」

 この世の終わりを見てきたかのような、絶望感たっぷりの顔の雪江。その理由を聞くのも恐ろしいが、事情を知らないと、こちらもうかつなことが言えない。


「ん・・・・・・」

「叱られたのだな」

 雪江が驚く。


「なんでわかるの」

 まるで自分の未来を言い当てられたようだ。

「そなたの顔を見れば誰でもそのくらいわかる」

 そうため息交じりに言った。

「そう? そうかな」

 これほど感情を顔に出す単純な娘は見たことがない。


「あのね、龍之介さんとおかずの味付けが違うって、裕子さんに抗議したの。そしたら自分の分だけでなく、龍之介さんの物まで食べたって、まずそこで叱られた」

 龍之介の脳裏に、あの毅然とした裕子がその表情も変えずに一言で叱る、そんな姿が目に浮かんできた。

「食べ過ぎだって」

 ほうら、やっぱりそうだ。


「わざと味付けを薄くしてあるんだって。量もカロリー計算してあるから、それ以上食べちゃいけないんだって」

「ほう」

 かろりィとはなんぞや。


「あまり食べ過ぎると体重が増えすぎるから。脂肪がつきすぎると、体ってその先まで血管を巡らせようとするから、貧血したり、出産の時に大出血を起こすんだって」

 その言い方だと少々わかりにくいが、要するに食べ過ぎるなということだ。


「お腹、空くのにィ」

 雪江は恨めしそうだ。

「ややの分まで食べなくてもよいのか」

「うん、それはバランスよくいろいろと食べられない昔の人たちが、そう言って食べてたらしい」


 雪江の言う昔の人たちというのは、雪江がいた時代からさかのぼって昔という意味だと知っていた。

「お百姓さんの嫁は臨月まで外で働くし、食料事情もそれほどよくないから、二人分食べなさいっていわれたんだって」

「なるほど、雪江はそれほど動ないし、きちんと食べているからな」


「うっ」

 雪江が言葉に詰まる。図星だったからだ。

「そっ、それに・・・・・」

 雪江の顔が曇る。

「甘いものも控えるようにだって」


 それは田所屋のまんじゅうをさしていた。

「あ、まんじゅうもだめなのだな」

 雪江がこっくりとうなづいた。


 そのしょんぼりしている姿を見ているとかわいそうになるが、少し気が楽になった。

 あの裕子から食べ過ぎてはいけない、甘いものはだめだと叱られたのなら仕方がないのだ。

「では、まんじゅうはなし、ということだな」

 その瞬間、雪江が睨んできた。

「えっ、裕子殿がダメだと申すのならしかたがないであろう」


「そうだけど・・・・・・じゃ、文月堂の海苔せんべい買ってきて」

「えっ、よいのか」

「だって、せんべいは甘くないもんっ。海苔はミネラルたっぷりだし」

 雪江のわけのわからない言葉にそれとなく騙されているようだ。しかし、龍之介も甘くない菓子なら良いのだろうと思った。

「わかった。明日、買いにいかせる」

 そういうと雪江の顔が満面の笑みになる。


 ん~、やはり顔が丸くなった。まるで満月のよう。めでたいのか、否か。

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