利久の受ける苦難(15R・酷いシーンあり)
拷問シーンがあります。
すぐに大牢に入れられた。
利久は長屋に住んでいた行商人ということになっていたからだ。平民が入る牢だった。
大牢には、大勢のゴロつきが一緒に入っているから、その犯した罪の重さ、その性格の残虐さで、中での待遇や地位が決まっていた。
昼間、役人たちに痛めつけられて、今度は牢の中でその腹いせをした。新入りは格好の餌食となった。中には殴る、蹴るの半殺しの目にあう者もいた。
しかし、利久は氣を放っていた。それは自分に触らない方が身のためだという殺気に近いものだった。利久に危害を加えようと考えていない者は平気で近づけるが、利久から何かを巻き上げようとか、痛めつけてその食事を取りあげようとしている輩には近寄れない氣を発していた。
その晩、利久は大牢の隅で、粗末な食事にも手をつけず、座ったままで目を閉じていた。
これから降りかかってくることの重要性を考えていた。
たぶん、利久はこれから拷問を受けることになる。棄教すると言わない限り、ずっと続くことになるだろう。常人ならば、二、三の拷問の果てに獄死になるだろうが、利久は忍びとしてその体を鍛えていた。それがどんなに残酷で非道な拷問だとしても長く生き延びるだろうと考えた。
敵の方が一枚上だった。苦笑せずにはいられない。他の罪ではなく、隠れキリシタンという禁教の罪で利久をこの世から葬ろうとしていた。利久が拷問に耐えることも、そして決して転ばない(棄教)ことがわかっていた。
これは何よりの利久への仕返しだった。直接手を下さずに、堂々と役人がやってくれるのだから。きっと笑ってどこかで見ていることだろう。
翌日、利久はすぐに別の牢へ移された。どこかから大金が払われたとのことだ。その待遇は、揚屋と呼ばれている個室だった。侍や医師、僧などが入れられる牢屋だ。
そこへ豪華な布団までが差し入れられていた。食事も焼き魚付きの豪華なものだった。
すぐに榊だと気づいた。
利久が江戸を出たものだと思っていただろうが、禁教を信仰していたことにより、牢入りしてさぞ驚いたことだろう。
しかし、利久は大牢であろうと揚屋であろうとその食事には手をつけず、ずっと隅に座っていた。眠らないつもりだった。
ふと、これはキリシタンとして行ってはいけない自害になるのかと思ったが、食べたいと思わないし、眠いとも感じなかった。それは違うと思いなおした。
その日から拷問が始まった。
天野という同心が問う。
「利久よ、その方はキリシタンだということだ。この国ではご法度だと存じているであろう。悪いことは言わぬ。今すぐ転べ。そうすればその方はすぐにここから出ていかれる」
天野は利久の返事を待った。
利久を縄でつないでいる下男が、早く返事を申し上げろと利久をつついた。
「いいえ」とだけ言って首を振る。
「そうか、では致し方ない。これより石抱きを始める」
天野は、下男二人に目で合図した。すぐにはじめろと言っていた。
利久は建てられた柱に括り付けられ、十露盤と呼ばれる三角形の木が並んだ上に正座させられた。
その太ももの上へ、約五十キロほどの平たい石板をのせていくのだ。一枚のせられるごとに、脛に三角のとがった部分が食い込んでいく。
三枚目ともなると、ずっと無表情だった利久もピクリと眉を動かした。
もうすでに脛の皮膚が破れ、血が流れていた。痛みと言うよりも痺れていて感覚がなかった。
「棄教すると言え、そうすればこんなに苦しい拷問から解放されるのだぞ」
利久が受けている酷い拷問とは裏腹に、天野はやさしい声を出した。そして利久の目線に合わせるようにして屈みこむ。
「先月も遊女が隠れで捕まってな。それもひどい話だった。旦那になっていた男が、他の遊女に気がうつり、嫉妬深かった女と大喧嘩となった。その男は大勢の前で恥をかかされたと言って、その遊女の秘密をばらしたってわけさ。ちゃんと別れ状をかけばいいものをなあ」
隠れにも一人一人の事情があるだろう。
「遣り切れないのはその遊女だ。愛しい男に裏切られ、隠れだとばらされ、この石抱きも気を失うまで続けたよ。その後にも酷い拷問に耐えた。始めはその男を恨んでいるようなことを言っていたが、後にはすがるような声で男の名を呼んでいたな」
役人は拷問をしながらこうした話術も使うと知っていた。しかし、その話はまんざら嘘ではないのだろう。
「その遊女は今・・・・」
突然利久が口を利いたから、天野は驚いていた。
「初めてしゃべったな。その方は苦悶の声さえ上げぬから、喉でも潰されておるのかと思っていたところだ」
天野は利久が反応したことがうれしかったようだ。
「ン、その遊女だったな。女は三度目の拷問、体中に焼き鏝を押し付けられてその晩、獄死した。あそこまでやられていたら、たとえ転んだとしても自分では生活できなかっただろうな。牢を出されてもどこかで野垂れ死にしていたかもしれぬ」
天野の言い方だと、獄中死した方がその遊女のためだったとも受け取れた。
「のう。その方もまだ若い。やり直すのなら今のうちぞ。体が動かなくなった時に転んでも遅いのだ。今なら足の怪我だけで済む。すぐに治って働けるだろう。かわいいお内儀でももらって普通に生きていけ、それが人としての幸せだと思わんか」
利久は、口を利いたことを後悔していた。今更そんなことを聞いても利久にはその心を曲げる意志はなかった。
六枚目の石がのせられても、利久は顔色一つ変えることなく、座っていた。同心たちの中に動揺が広がっていた。こんな拷問は初めてだった。皆がこの利久を常人ではないと認めていた。
「人なのか、それともまやかしか」
と後ろでささやかれた。しかし、人である証拠、血が流れ出ていた。
「次」
天野の指示が出された。
下男がアタフタしていた。他の同心が下男を叱り付けた。
「何をしているっ、七枚目だ」
下男たちは責めたてられて、青い顔をして七枚目の石を持った。その石板が利久の腿に乗せられる時、一人が手を滑らせた。
「あっ」と声を上げた時は既に遅く、五十キロもの石がどさりと荒々しく落とされた。その衝撃で、利久の脛から嫌な音がした。それと共に夥しい血が流れてきた。
勢いよく石板を乗せられたため、三角の部分が脛の骨を打ち砕いたのだ。
「あ、たわけっ」
何が起こったのか天野にはわかったのだろう。下男たちもその出血の多さに慌てていた。
「おいっ、やめだ。石川先生を呼べっ。すぐに石をどかせろ」
下男たちが一枚づつ取っていた。
誰もが脛の骨が砕けたことがわかった。しかし、当の本人の利久だけがまるで何事もなかったかのように涼しい顔をして座っていた。
天野がそれを見て唸った。
「心頭を滅却すれば火もまた涼し、か」
痛みなどは利久の心を揺さぶることはない。しかし、もう走れないと感じていた。骨はくだけていた。それを元通りにすることは不可能だった。ということは、利久はもう二度と以前のようには走ることはできないのだ。
忍びとしての一番の武器、防御と言える、誰よりも早く走ることのできる脚だった。一日として鍛錬を怠ることはしなかった自慢の脚だ。
子供の頃、山の中を駆けるその走りはお光の方が早かった。それが悔しくて毎日ずっと山の中を走り回った。たとえ雨が降っても同じように駆け抜けられるように走った。すぐにお光に追い付き、追い越せるようになった。そして、背が伸びて、お光が女だったと気づいた頃、お光の父である長までを抜く俊足となっていた。
その時の達成感は忘れられない。
利久はその時のことを思い出していた。
下男たちが慎重に一枚一枚おろしていた。それに従い、血が段々と通うようになり、再び痛みの感覚が戻ってきていた。同時に傷口からの出血も多くなっている。
利久はやっと縄を解かれた。もう座っていることができず、情けないがその場にごろりと横になる。
そこへ、獄医なのだろう、真面目そうな青年が風呂敷包みを抱えて駆けつけてきた。
石川医師は、利久の脚をみて天野をギロリと睨んだ。なぜ、ここまで拷問をすすめたのだという責めの目だった。
「これは・・・・・・。ひどすぎる」
石川はぎりぎりと利久の腿を縛り上げて止血していた。
そんな緊張漂う中、利久は他人事のようにして石川を観察していた。
いきなり駆けつけてきて、利久と目を合わせることもなく、患部しか見えていない。自分の関心のあるところだけに集中していた。そんなところが、任務に夢中になると周りのことが見えなくなる利久に似ていた。
「切りはなすしかないか。もうこの膝下は使い物にならない」
石川は、誰に言うのでもなく、ブツブツ言っていた。
利久はその石川の手を掴んだ。
掴まれた石川もギョッとしたが、周りに詰めて固唾を飲んでいた同心たちも驚いた。一瞬、石川が襲われたのかと思ったのだろう。
「先生、どうかそれだけは・・・・・・」
利久は石川の目をじっと見つめてそう言った。
「いや、しかし・・・・。血管がぐしゃぐしゃに切れていて繋ぐことはできない。そうするとここから腐ってくる。やがて全身に広がって死ぬのだぞ」
死ぬのなら脚を失うことくらいなんだという言い方だった。
しかし、今の利久の立場は脚を失っても死ぬのだ。
「どうか、それだけはご勘弁ください。その脚は私の一部です。それがたとえ使い物にならなくても、そこから死が訪れたとしてもいいのです。切りはなすことだけはどうか・・・・私をこのまま・・・・」
天国へ逝かせてくださいという所は飲み込んでいた。すがる思いだった。
天野も他の同心たちも、この利久にそんな人らしい心があったのかと驚いていた。
その場で応急処置をしてくれて、利久は牢に戻された。
止血をし、一応膝下には添え木をしている。骨折した時にあてるが、骨がぐしゃぐしゃになった利久の脚にはどれだけの助けになるかはわからない。
もう膝から下は感覚がなかった。切り落とされても同じだったが、自分の身を守ってくれた大事な脚だった。利久がその命を終らせる時まで一緒に、と思っている。
石川は丁寧に包帯を巻いてくれた。
「さあ、これでいいだろう。だがな、よいか。もし、下の足の色が変わってきたら切断しない限り命の保証はしない。気が変わったら、いつでも夜中でもいいから俺を呼んでくれ」
そう言って石川は利久の肩をぴしゃりと叩いて牢を出ていった。
利久はその後姿を見送っていた。石川の温かい心に手を合わせる。人情味あふれる青年医師だった。こんなところでこんなふうに出会わなかったらきっといい友人になれそうだった。
石川が出ていって、下男が厳重に鍵をかけていた。利久はその下男に告げた。
「私への食事は一切無用。その分は他の者に分け与えてください」
下男は目を見張っていたが、そう伝えておく、とだけ言った。
布団にも寝るつもりはなかったが、それでも石川が自ら布団を敷いてその上に横たわらせてくれていた。
今夜はこれでいいかと思いなおした。石川の心に甘えても。
拷問は明日も続くのだろうか。もう同じことはしないだろう。
石抱きは時代劇にもよく登場します。そして遊女の話もまんざら作り話ではありません。愛しい旦那がキリシタンで、やはり拷問で死に、その後を追うために自分がキリシタンだと訴え出た遊女がいたそうです。
その拷問はこのエピソードよりもひどいものです。こんな拷問を受けても人はまだ生きていられるんだと思いました。でも、キリシタンは自殺はしてはいけないことになっているため、獄中で自害することもできませんでした。ただ、拷問により、天に召されるその日を待つしかなかったのです。