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利久の遠い記憶

キリスト教に関することで、強い表現がありますが、それは決して冒涜することではありません。歴史に基づき、物語を盛り上げるための表現です。ご了承ください。

 徳田は屋敷へ帰っていった。彼には悪いが少しほっとしていた。

 徳田にはお光の体のことしか話してはいない。利久とお光が忍びだということも知らずにいる。知らない方がいいこともあるから。


 雪江は、この離れならばキリシタンの教えを口に出しても誰にも聞かれることはないと考えていた。利久さえ許せば、ミッションスクールにいた久美子に、キリスト教のことを語ってもらいたいと考えていた。しかし、久美子にも用心してもらわなければならない。誰にも知られてはならないことだった。

 離れならば鍵がかかる。万が一、お祈りをしているときに誰かが入ってきたとしても、奥の寝室に来るまでには距離があった。口をつぐみ、十字架を隠す余裕があるだろう。少しでもお光には残された時間を、望むまま信仰をさせてやりたかった。


 すっかり日も暮れたころ、お光を乗せた駕籠は離れに到着した。

 その駕籠について戻ってきた利久はいつもの行商人の姿に戻っていた。

 気配を感じて、久美子が現れたが、利久の別の姿に絶句している。


 お光は離れの建物を見て驚いていた。

「雪江様、皆さまもいろいろありがとう存じます。あまりにも思いがけないことに本当に嬉しく思います」

と笑顔を向けてくれた。

 しかし、その表情は疲れているようだ。

「お光さん、挨拶は明日でもいいから、早く横になった方がいいです。疲れたでしょ。あの駕籠っていう乗り物はマジで疲れるから」

 雪江の大げさな言い方にお光は笑みを浮かべた。そして、お言葉に甘えて、と早速中へ入り、寝室の布団に入った。


 自分たちの住まいだった長屋を出て、宿屋を泊まり歩き、寺に間借りすることにもなった。いつも誰かが周りにいるということだ。一日として、心休まる時間はなかったのだろう。

 それに駕籠に揺られるということは本当に疲れるのだ。雪江はそれをよく知っている。担ぐ方も大変だろうが、中で捕まりながらもバランスを取りながら座っているのもつらい。


 久美子が簡単な夕食を用意してくれたが、お光はその殆どに口をつけないまま横になっていた。

 利久は心配そうにしている。その様子を見て雪江はそろそろお暇しようと思う。


「あ、私、これで失礼します。徳田くんがそろそろ迎えに来ると思うから、外へ行きます」

 お光にもそっと、また来ます、とだけ言って外へでた。

 利久も会釈をする。


 少し見ないうちにお光はやつれていた。それがショックで見ていられなかったのだ。早くいつもの明るい笑顔のお光に戻ってほしいと思う。

 雪江の心は沈んでいて、誰にも会いたくなかった。そのまま中庭の池のふちに立っていた。もう辺りはかなり暗い。それでも池の鯉が水の中で翻るわずかな水音を聞いていた。


 お光はあとどのくらい生きられるのだろう。たぶん、二十一世紀ならば末期のガンとして、ホスピスなどの施設に入る頃なのかもしれなかった。あの花咲くような笑顔を取り戻せるのなら、雪江は毎日でも通いたいと思う。元気の出るお菓子を作り、笑ってくれる話をたくさんしたいと思っていた。


 暗闇の中、利久が足元を照らす小さな提灯を持って出てきた。暗い中にたっていたのに、雪江がまだ外にいるとわかっていた様子だった。

「お光が寝入りました」

 その言葉にほっとするが、心配もしていた。

「大丈夫でしょうか」

 ずいぶんやつれたという言葉を飲み込んだ。そんなことを言えば、本当にそうなってしまう、そんな懸念をしていた。


「大丈夫です。寺では寝ていろと言っても聞かずに起きていて、掃除の手伝いもしておりましたし、体をゆっくり休めることはしていませんでした。ここならお光も何の気兼ねなく過ごせると思います。本当にありがたく思っております」

 利久が頭を下げていた。雪江は恐縮する。

「いえ、それは私じゃなくて、ここの人たちのおかげです」


 二人、池のふちに佇んでいた。そこからは母屋の賑やかな声が聞こえてくる。泊り客の楽しそうな声、笑いが聞こえていた。

「こちらはずいぶん繁盛されているようですね」


「はい、ここはリピーター、あ、つまり、贔屓にしてくれる人が多いんです。また来たよ、という常連さんで半分の部屋がうまります」

「結構なことでございます。皆さまの対応がよろしいのでしょう」


「あ、私は別ですが、みんな一度来てくれたお客さんの顔、忘れないみたいです」

「気配りが行き届いているのですね」


 利久は遠い星を見つめていた。

 雪江は思い切って尋ねることにした。キリスト教のことを。

「あの・・・・・・もし、お光さんが望めば、久美子先生があっちの教えとか、少し知っているので、内緒で何かできるかと思います」

 わざと耶蘇教という言葉を使わない。利久にはあっちの教えでわかっていた。少し間があった。

 それが少し長かった。雪江は気にしはじめていた。そんなことを言ったから利久が気を悪くしたのかと心配していた。


「わたしがお光に耶蘇教を教えたのです」

 ふいに利久は悲しそうに呟いた。それを悔やんでいるようにも聞こえた。

「お光の胸にしこりがあるとわかり、それが少しづつ大きくなることが私たちの恐怖でした。いえ、わたしが恐れていました」


 切除することができないこの時代、しこりが見つかった時から命の限りを宣告されたことになるのだ。それを簡単に受け入れろという方が難しいだろう。

「ある時、気づきました。わたしが暗い顔をしているとお光が明るく振る舞うのです。お光は自分の死よりもわたしの顔が曇ることが何よりも嫌だった様子で・・・・・・」

 雪江にはお光の心がわかる気がした。

「お光さんらしい・・・・」

 ぽつりと言う。


「はい、一番つらい思いをしているのはお光なのに、そばにいて元気づけるべきこのわたしが暗い顔をして、お光の笑顔に励まされていたのです。お恥ずかしいことでございます。その時、わたしは残された時をなるべく一緒に過ごし、その毎日を笑顔にしてやろうと考えました」


「それで江戸に来たんですか」

 ついプライベートなことを聞いてしまった。忍びの任務なのだろうと推測していた。

「江戸へは一人でくるはずでした。でも長くなる任務でしたので、ぜひお光も連れていきたいと頼み込んだ次第です」

 再び静寂が戻った。利久が口を開く頃、かなりの間があった。


 ふいに利久がおかしそうに言う。

「このわたしに、母の記憶があったこと、自分でも滑稽に思えます」

「えっ、お母さんの記憶?」

 意外な利久の言葉に驚いた雪江。

「はい、あのおまぶりです。幼い頃、それを飲むと胸の苦しいものが治ると言われ、紙を丸めたものを渡されました。でもそれは子供の喉を通すのには大きすぎました。それでもわたしは必死で水を含み、飲み込もうとしました。何度かやってみて、ついに飲みこんだと母に言うと嬉しそうに褒めてくれました」

 利久は懐かしそうに語った。薄暗い中、やさしそうに目を細めているのがわかった。


「でも、本当は飲み込めなかったのです。母が安心して外へ出たころ、口から取り出しました。広げてみると十字の形をしていました」

「ああ、それで・・・・」


「子供ながらに母に嘘をついたことを申し訳なく思い、さらにそれを飲み込めなかったことも恐ろしかったことを覚えています。布団の下に隠して、この胸の苦しさはもう直らないのだと震えておりました。今思えばただの風邪だったのに、子供の私はその罪に震え、一晩中、デウス様に謝り、治りますようにとお祈りをしたのです」

 大人はなんだそんなことと思うことが、小さな子供にとって大人の言うことはすべてそのまま受け入れる。重大なことだった。これを飲めば治るということは、飲まなかったら治らないということになるのだ。


「じゃ、利久さんのご両親が、カクレだったんですね」

「はい。わたしがいたその村、全員がそうでした。もうあの頃はおさずけ(洗礼)をしてくれるパードレはいませんでしたから、村長がやっていました」

 利久は、何かを決心して挑むようなキリッとした顔をした。

「その村は昔、初めてこの国に耶蘇教を持ち込んだといわれるお方が、城へ行く途中、立ち寄ったところなのだそうです。村長の家で体を休められたと言われています」


 外国から船で、日本へ上陸した人がその土地の城主に挨拶に行く途中、立ち寄ったところだという。その人が日本へキリスト教を広めたのだと解釈した。

 雪江は世界史の授業を思い出していた。

 日本にキリスト教を布教させたのは、フランシスコ・ザビエルだ。教科書の写真を思い出していた。ザビエルが利久のいた村に立ち寄ったという事だ。

 しかし、雪江にはザビエルやキリスト教、イコール長崎という印象がある。その時の雪江は知らなかったが、後に歴史の元教師、朝倉にいろいろと説明してもらった。


 一五四九年、スペイン人であるフランシスコ・ザビエルはインドのゴアで会った日本人に導かれ、薩摩半島に上陸したそうだ。そして、薩摩の守護大名に謁見、宣教の許可を得た。

 ザビエルは一年間鹿児島にいた。その間に約百人が洗礼を受け、信徒となったらしい。その後、彼は肥前平戸に入り、本格的な宣教活動をすることになる。

 そんなことから、利久の生まれたその小さな村では当然の如く、村人全員が信徒になった。それを誇らしいと思っていた。

 しかし、一五八七年、秀吉が伴天連禁止令を出した。しかし、薩摩ではすぐにキリスト教を禁止しなかったという。宣教師を通して、東南アジアとの貿易をするためだったらしい。

 それでもついに一六〇九年、薩摩藩にもキリシタン追放令が下された。


「その村は長い間、廃村となっていました。禁教令が出て、カクレとなった住民は村を捨てて逃げたのです。見つかれば棄教するまで拷問にかけられるからです。それからかなりの年月がたったのち、その子孫たちが村に戻って行きました。カクレにとって、その村は名誉ある場所でした。初めてお越しになられた宣教師が休まれた場所なのですから。その子孫へと言い伝えられ、戻ってきたのです。新たに越してきた余所者を装えばいいと安易に考えていたようです。それに一度調べられ、誰もいなくなった場所にまた、戻ってくるとは誰も考えまいと思ったのでしょう」

 利久は一度口をつぐんだ。


「しかし、結局見つかってしまいました。私の両親、爺様も皆、捕えられ、死んでいきました」

 利久の声は、淡々としていてまるでそういう物語を読み聞かせてくれているかのようだった。

「大騒動の中、村人の一人がわたしを逃がしてくれたのです。しかし、幼い子供が一人、山の中を行くあてのないまま彷徨うことはかなり過酷なことでした。寒さと飢えで死ぬ寸前のわたしをお光の両親が見つけ、助けてくれたのです」


 壮絶な過去だった。

 二十一世紀では自由に信仰できるキリスト教、ここではそれを信じているだけで命を落とすのだ。周囲の人々の運命も変わっていった。

「わたしはそのカクレの村でのことをずっと思い出せないでいました。両親の顔すら覚えていなかったのです。でも、この江戸に来て、ポツリポツリと降ってくるかのように、子供の頃の記憶が甦ってきたのです。お光を守りたい、そんな気持ちが強く現れたからかもしれません。おまぶりのことを思い出し、自分が飲み込めなかったこともあるので、ごく小さい粒にしたつもりでした。お光はすべて気づいていたようですが」

「知っています。あれは私も飲み込めませんでしたよ」

 少し茶化すようにして言ってみた。利久は少し笑った。


「お光に見つけられ、これは何だと詰め寄られました。つい、おまぶりのことを話していました。それが禁教の耶蘇教に繋がることを念頭に入れておかなかったのです。わたしは弁解するのに必死でした。皆、耶蘇教を信仰していて、拷問の末に死んでいったのだと強調しました。そしてわたしはもう耶蘇教でも何でもないとも言いました」


 その頃のお光は、死というものに向き合って生きていたらしいと利久は言う。

 死は皆が怖いと思っている。お光もいつかは直面する自分の死をどう受け止めればいいのか考えていたらしい。

 お光は、つらい拷問にも耐えながら、その信仰を捨てない人々に注目し、その耶蘇教とはいったいどんな教えなのか興味を持ったらしかった。


「私も本で読んだことがあります。みんなその教えを信じていれば、天国に行くことができるからだって。だから苦しかったり、熱かったりする拷問に子供も耐えていたって。絶対に教えを棄てないで、夢のような素晴らしいところ、天国へ行くんだと頑張ったって・・・・・・」


「はい、その通りでございます。雪江様は本当にいろいろご存じなのですね。村の者もわたしの両親も皆、そう言っておりました。母も最期まで頑張っていたようです。でも幼かったわたしにとっては、天国に行くことよりも母にずっとそばにいてもらいたかったのです。家族のいる心安らぐ暮らしがほしかった。それなのに両親は、他の者たちもわたしだけを残してその素晴らしい天国という所へ行ってしまいました。耶蘇教はわたしから家族と平和を奪ったのです。だから、わたしは自分が耶蘇教だと考えていませんでした。もちろん、天国にいる家族には会いたい。でも、もうどうでもよかったのです」

 それは子供心にそう思っても仕方がないことなのかもしれない。


 江戸時代にキリスト教を禁止した理由は多々あるらしい。

 キリスト教はその神以外を崇めてはいけないことになっていることから、当時、寺との衝突もあった。衆道もだめ、側室を持つこともだめ、殺生などとんでもないことという教えに、武士には都合の悪い事ばかりだったのだ。そのうえ、先祖の霊をまつることも禁じていた。切腹は罪、離縁も認められないそうだ。

 八百万の神を信じる当時の日本人にとってキリスト教とは、また新たな神が増えたくらいにしか思っていなかったらしい。その厳しい規律を知っての戸惑いもわかる気がした。。


「お光には不思議に思えたのでしょう。耶蘇をやめると言って踏絵を踏めば命が助かるのに、なぜそんな苦しみまで受けて信仰を通し、天国という所へ行きたいのか、そこに興味を持ったようでした。死というものに敏感になっているから、生きるということはどういうことなのか、若くして死ぬということ、それを見送る者、それぞれの苦しみや悲しみがあると考えていたそうです」


 利久は続ける。

「耶蘇の、神を信じていれば、死んだあとに素晴らしい天国という所へ導びかれるということに心を打たれたようでした」

「それでお光さん、信者になったんですね」

「はい、それがよかったのかはわかりませんが、それからは死というものから目を背けずにいられる、恐れなくてもいいということで心が軽くなったと申しておりました。その時、初めてわたしは耶蘇教に感謝いたしました」


「お光さん言ってました。死ぬことは怖くないと、でも利久さんを残していくことだけが心苦しいって」

 利久が驚いた目をむけた。

「お光がそんなことを・・・・・・。わたしのことなど心配しなくてもいいのに」


 利久が続ける。

「お光は、この江戸のカクレの集会でおさずけ(洗礼)を受けました。月一回の集まりでしたが、それは熱心に通っておりました。しかし、咳が出るようになってから、それが集会の妨げになってはいけないと遠慮し、いつしか足が遠のいていました」


「それでも一緒にやっていた友人が長屋を訪れて、こっそりと一緒にお祈りをしていたようですが、あの薄い壁の長屋です。誰が聞いているかわかりません。かわいそうでしたが、それはやめさせました。」


 お光のがっかりする顔が目に浮かんだ。

「お光はいいました。わたしだけでも耶蘇の集会へ行ってほしいと。そしてそこでの教えを聞かせてくれと訴えかけてきました。しかし、わたしには再びカクレとして素直に膝まづく勇気がありませんでした。しかし、お光は家族が拷問の末、亡くなったのは耶蘇のせいではないと言いました。もちろん、拷問した役人のせいでもなく、それを指示したお役所のせいでもない。皆がその時々の都合で罪をおかす。それは人間の業であって、ゼス・キリシト(イエスキリスト)が皆の罪を引き受けてくれた。だからわたしたちはそれを恨んではならないのだと」

 雪江にはキリスト教のことはわからないが、イエスキリストがはりつけにされたことは知っていた。


「それで、わたしも集会に参加することになったのです」

 その意味は利久も耶蘇教を受け入れたことになる。


 やがて雪江は、迎えに来た徳田と一緒に屋敷へ帰っていった。お光のことは一応安心していた。しかし、雪江の胸にはキリスト教とこの時代の成す大きなものが心の不安をかきたてていた。


わたしはキリスト教徒ではありません。この天国へ行くことができるということ、お葬式で子供たちが笑っているという事実を目の当たりにし、驚いたことがあります。詳しくは他のエッセイで語ることにします。

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