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旅籠「あかり」へ

 名目はただ、雪江が「あかり」へ遊びに行くということで屋敷を出た。


 徳田に急に行くから着いてきてと言ったら難色を示した。

「お前なっ、もうそろそろ仕込みの時間なんだぞっ。雪江だけなら今夜はテキトーにやれるけど、他にも奥向きには明知様や安寿様もいるんだぞ。手、抜けねぇんだからな。いい加減にしろよっ」


「だって、これは龍之介さんもオッケー出してくれてるもんっ」

 負けずに口を尖らせて言う。

 しかし、徳田はそれを無視するかのようにセカセカと芋をむき始めた。芋から目を離さず、言う。

「正和様もどうせ雪江が言いだしたから、面倒くさいと思って適当に返事したんだろう」

 ずいぶんな言いぐさである。普段の雪江をよく知っている徳田だから言えることなのだが。


 雪江はちらりと裕子を見た。この訪問には意味があるんだと伝えるために。

 裕子はその意を読み取り、ものすごく優しい声を出して徳田に声をかける。

「徳田くん、ちょうどよかった。料亭の方からいつものお味噌もらってきてくれないかしら。あと三日分くらいしかないの。それに今日は薫ちゃんが仕込みを頑張るって言ってるからこっちは大丈夫よ」

 裕子がそう言ってにっこり笑う。


 徳田は裕子の笑顔を見て少しデレっとしたかと思うと、まるで軍隊兵のように直立姿勢をして言った。

「はいっ、裕子さんがそう言うのなら、徳田厚司、行って参ります」

 裕子はそんな徳田が愛おしいという顔をする。

「ゆっくり行ってらっしゃい」


 助かった。これで今日中に動ける。

 徳田の支度が整うとすぐに屋敷を出て、「あかり」へ向かった。

 徳田には、利久も着いてくるということを言いそびれていた。利久も徳田と一緒に雪江の乗る駕籠の供として歩いているのだ。


 利久も人が悪い。すっかり騙されてしまった。本当に利久は別人のようだった。人とはあのように変われるものなのかと感心した。

 月代を反り、髪もきちんと整えるだけでも印象が変わるが、利久はその表情も変える、その表情でその人物の性格を表し、言動も変えていた。

 あの様子ならば、利久のうりざね顔を利用して女性にもなれると思っていた。役者のように化粧を施せば、きっと美しいどこかの未亡人にでも化けることは可能だろう。

 一体利久にはいくつ顔があるのだろうか。彼が二十一世紀に生まれていたとしたら、俳優として有名になっていたかもしれない。


 駕籠に揺られながらそんなことを考えていると「あかり」に到着した。

 雪江が駕籠から降りるとすぐに久美子が出てきた。

「雪江ちゃん、久しぶり。さあ、どうぞ。全部聞いてる」

「えっもう」

 龍之介が先に誰かを言付けたらしい。

 徳田は、雪江と久美子のことなど気にしないで、勝手知ったる他人の家の如く、さっさと料亭の奥へ消えた。徳田が利久に気づいたのかわからなかった。


 久美子が先導して、雪江と侍姿の利久が中庭へ廻った。

 懐かしい池、その傍らに桜の木があった。枝にはそろそろ咲きそうな気配のする膨らみ始めた蕾が見えた。

「冬の間、長期滞在のお客さんがいたの。先日、郷里も暖かくなったことだろうからと帰っていったばかり。ちょうどよかった」

 久美子が離れの戸を開けた。

 利久はすぐに入らず、離れの外装の様子を見ていた。


「先生、本当に突然でごめんなさい」

 やはり雪江は、徳田の言う通り、言いだしたら聞かないから皆が振り回されているのかと思う。

「いいのよ。私達に遠慮しないで。お役に立ててうれしいんだから」

 久美子は、戸の鍵をじっと見ている利久にも中へ入るように促した。


「そうそう、こちらが利久さん。あ、今は侍だから、え~と・・・・・・」

 侍名を忘れてしまっていた。

 利久が苦笑交じりで言う。

「利久でございます」

と、丁寧に頭を下げた。

「ここの女将、久美子です。わたくしのことはお久美と気軽に呼んでください」

 久美子も負けずと丁寧にお辞儀をする。

 雪江はひっそりと言った。

「次に来るときは別の姿になってるかも・・・・」

 利久に聞こえていたから、笑っていた。


 玄関の戸を開け、広い三和土に入る。

 商談などに使われる広い座敷、その奥には寝室用の部屋が二間、荷物や布団などを普段置いておく布団部屋、そして、その裏側には、小さいが煮炊きができる台所もあり、風呂もあった。もちろん、お手洗いもついていた。


 利久はそれらを見て驚いていた。

「ここを私たち二人に貸していただけるのですか」

 雪江は少し気が軽くなった。どうやら、利久は気に入った様子。


「ここの費用は、桐野の父が出してくれる。最初、私を助けてくれた時、命の恩人ということで、こういう家をもらったと思えばいいと思います」

 本当にそうだ。あの時、利久はなにももらっていない。桐野の屋敷に出入りできる承認とお光の咳の薬だけだった。

 しかし、利久は首を振った。

「いえ、そこまで甘えるわけには参りません。わたくしの藩から出ることでしょう」


 二人で言い合っていると、久美子が雪江の肩をポンと叩いた。

「ちょっと、なに、水くさいこと言ってんのっ。雪江ちゃんたら」

「えっ」

「朝倉先生が、雪江ちゃんの恩人からお金を取ると思ってんのっ」

「え、だって、こういうことはきちんとしないと」

「裕子ちゃんから聞いてる。雪江ちゃんがなにか考えているみたいだからその時はよろしくお願いしますって」

「あ・・・・裕子さん」

 そう言えば以前裕子に、先生方にはもっと甘えろと言われていたのだ。でもここへきて顔を見ることくらいしか思いつかなかった。


「ね、だからとにかく、世間一般の面倒くさいことは一切なし。本当に私たちは雪江ちゃんのためにいるんだから」

 久美子の優しい言葉が心にしみる。

「うん、先生。本当にありがとう」


 雪江は利久を見て言った。

「利久さん、じゃあ、ここへお光さんと一緒に住んでくれるんですね」

 利久はじっと雪江を見てうなづいた。

「はい、ありがとう存じます。そうさせていただきます」

「よかった」

 雪江はほっとしていた。


「先生、お光さん、ちょっと病身なの。ここ、いつから入れる? 掃除するなら私がやる。今夜から入りたい」 

 必要ならば、すぐにでも着替えて掃除をするつもりでいた。

「もうすべて整っているわよ。今からでもいい」

 さすが、久美子だ。


 久美子はちらりと利久を見て、

「もし、誰かお内儀さんにお手伝いが必要なら、小百合をつける。こちらの利久さんがお仕事に行かれているときなんか、ちょっとした用事を言いつけてもいいし、話し相手にもなれるから」


 小百合は、久美子の娘だった。今年十歳になったばかりだと思う。他の少女たちよりはずっと長身で、しっかりしている。もしかすると雪江よりも大人なのかもしれない落ち着きを持っていた。

「最近、あの子には一応、看護のことも教えているの。普通の女中よりはお役に立てると思う。そうでなければ、私を呼んでもらえばいいし」

 頼もしかった。

 話はついた。


「ね、利久さん。私が乗ってきたあの駕籠で、今すぐお光さんを迎えに行って。私、それまで待ってるから」

 利久が面喰っている。

「ねえ、早く。そうしないと徳田くんが怒る」

 料亭の厨房から、こっちを見ていた。一体雪江たちは何をしているんだといぶかしげににらみつけていた。


「ではそうさせていただきます。本当に何から何までありがとう存じます」

 言うが早いか利久は、駕籠が待機している母屋へ足を向けた。

 久美子も、

「あ、私も中へ入ってる。その・・・・お光さんが来たらまた来るから」

と言って、そそくさとそこを離れた。

 徳田が怖い顔をして、こちらへ向かっていた。

 久美子はそれを知って逃げたのだ。


「ゆ・き・えっ」

 かなりイライラした言い方だ。

「なによ」

「お前、こんなところで何やってんだ。さっきの侍、誰だ。お前の駕籠のお供にしては見慣れない顔だと思ったけど、なんであいつとここにいたんだ」

 徳田も利久だと見破れなかったのだ。そう思うと笑えてくる。

 しかし、ぐっとこらえた。徳田が怒っているのに笑ったら、火に油を注ぐようなものだ。必死にこらえるが、顔が二ヤケてくる。

「なんだよ。何がおかしいんだよっ」


「あ、えーと」

 どこから種明かししようかと考えていると、またイライラの罵声を浴びせられた。徳田はカルシウムが足りないのかもしれないと考える。

「雪江っ、お前、オレをなめてんのかっ。今日は小次郎さんがいないから、オレなら何とかごまかして料亭へ追いやれば、ここで自分の好きなことができると思ってんだろっ」

 かなりご立腹のご様子。


「そうじゃなくて・・・・」

「おい、マジで変な事企んでたら、引きづってでも屋敷へ連れて帰るからなっ、オレがここでの責任者なんだから。あの侍、どういう関係なんだ」

 徳田が誤解をしていた。

「いや、だから、あの人はさ・・・・」

「言い訳すんなよ」

 説明しようとしているのに、言い訳するなもないだろう。


「お光さんをここへ呼ぶの」

 雪江は面倒くさくなり、いきなりそう言った。

 徳田は怒っている頭の中に、突然投げ込まれたお光という名に思考が止まっていた。

「お光さんって・・・・」


「そっ今、利久さんがお光さんを迎えていってるの。あの長屋、出たから、今お寺に間借りしているんだって。今夜からここへ入ることになったの」

 徳田はまだ何が何だかわかっていない様子だった。茫然としている。

 お光とさっきの侍との話がどう関係あるのか、徳田の頭の中では繋がっていない様子だった。

「ずっとお屋敷から着いてきてくれたあのお侍さんは、利久さんよ」

「えっ利久さん? いや、オレ、今日はまだあの人、見てない」

 徳田がとんちんかんな答えをする。

「だ・か・ら、さっきまでここにいたあのお侍さんが利久さんなの」


「何言ってんだ、そんなわけない・・・・。えっ、え~」

 徳田が懸命に、さっきの侍の顔と利久の顔を繋ぎ合わせて同一人物に仕上げようとしていた。

「えっ・・・・すっげぇ、あの人、本当に利久さんか?」

「そう、すごいでしょ」

「うん、あの人、駕籠のところでオレと顔を見合わせて、頭、下げたんだけど、オレ、知らねえし。こっちも一応頭を下げたけど、なんだ、あれが利久さんだったのか」

「そう、あの人、あの姿が本当らしいよ」

「へ~え」


 日が傾いていた。

「おっ、そうだ。それじゃあ、オレ、一度帰る。雪江はどうせ今夜はここで飯、食うんだろ。それならオレも夕食の片づけが終わったら迎えにくる。それでいいだろ」

「あ、そうね。そうしてもらえると助かる。今からお光さんがくるし、落ち着くまでここにいたい」

「よし、正和様にはそう言っておく。じゃあな」

 そう言って徳田はもう背を向けていた。


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