ドッジボール大会
ドッジボール、二話にわけようと思いましたが、一話にまとめてしまいました。かなりの長文です。
その日は風もなく、穏やかで春のように暖かかった。
いつも御前試合などの催し事は、正重のいる上屋敷で行われていた。
昔は浪人が士官などを望み、武家も腕の立つ武士を雇うために、その腕試しとして御前試合を行っていた。しかし、今は戦さらしい戦さがないため、家臣たちの剣の腕試しとして春と秋に行われていた。
この新しい中屋敷でこうした催しをするのは、当然初めてだ。
水はけをよくするため、常に玉砂利を敷いてある庭に、さらに細かい砂利を敷き詰め、走っても足がとられないように慣らした。
そして侍の親たちも見に来るだろうから、見学者用の敷物も用意した。
龍之介たちは襖を取り払った座敷の中から見る。そこへ御簾をかかげ、外からは直接顔が見られないようになっていた。
明知、安寿も龍之介の横に座った。さらにその後ろには、奥向きから孝子やお初などの、直接雪江に仕えている侍女たちも控えていた。
これだけ大勢が座っていると、外からは龍之介の奥方の姿がないことに気づかないだろうという配慮だった。
そして龍之介の横、中央の座は空けてあった。正重が始まるぎりぎりになって入ってくる手筈になっていた。
白く塗られた縄が円系を形取り、その中央も半分に区切られている。これがコートというものだとわかる。
一応、龍之介たちの手元には、ドッジボールというものを解説された図とルール表が配られていた。龍之介は前もって雪江にいろいろと教わっていたため、大体の用語は覚えていた。
外にもすでに人が集まり、座れる場所がなくなるくらいになっていた。
まあ、立ち見もよかろう。あまりこうした余興の少ない季節でもあった。皆の関心が高いのがわかる。
龍之介たちに昼餉のお膳が配られた。酒も用意されていたが、今日はやめておく。何しろ、のんびり見ていられないからだ。こんな時に酒でも飲んでいたら、悪酔いしてしまう。
孝子に酒を勧められて、いらぬと断った。
「雪江様のことが心配なのでしょうか。飲んだ方が気が大きくなって、ひやひやが紛れるかもしれませぬ」
と言われた。
かなりの皮肉だがそれもそうだと思い、一杯だけもらってそれを煽る。
明知も安寿に直接、酌をしてもらい、盃に口をつけていた。
明知はこの屋敷に来て、だいぶ体がしっかりしてきた。熱を出しても、以前のような高熱にはならない。朝になってけろりとした顔で、「夕べは熱が出まして」などと淡々という。それさえも最近は聞かないので、熱は出ていないのだろう。ここでの食事、薬食いがかなり効いているようだった。
一般的な武家では薬食い、つまり肉食が滋養強壮にいいとわかっていても、毎日の食事に取り入れることは難しいと考えられた。
肉には独特の臭みがある。徳田たちはそれをうまく消して、肉と感じさせないように調理してくれる。龍之介達も一緒に食べていた。
最近はかなり激しく稽古をしても疲れを知らない。体力がついてきているのだろう。これほど効果があるとは思ってもみなかった。
それに明知は安寿との仲も元に戻り、その表情には男としての自信もさらに高まったように見える。
「選手、入場」
多田が声を張り上げた。その横に立つ裕子に指示されているとわかる。
徳田を先頭に、少年少女たちが入ってきた。皆、神妙な顔をしていた。これほどの人数の前に出ることは初めてだろうから、がちがちに緊張をしている。その子供たちの一番後ろから雪江がついてきた。
雪江は髪を一つに束ねて、前髪をおろしていた。
「まあ、雪江様。なんと凛々しいお姿」
安寿が思わず洩らした。
「誠に、初めは誰なのかわからなかったほど」
と、明知も言う。
雪江の姿は、龍之介も見違えるほどのキリッとした女流剣士のような姿だった。いつものほほんとした表情とは違う。雪江もあのような顔が作れるのだと感心した。
選手と呼ばれた一同が龍之介たちの前に並んだ。片膝をついて頭を下げた。
その時、すっと小次郎が脇から顔を出す。その後に現れたのは、正重だった。龍之介たちが皆、頭を垂れる。
御簾の中のことだが、いきなり現れてその中央にドカッと座った人物が誰なのか、外にいる家臣たちにもわかったらしい。すぐさま、皆が平伏していた。
選手たちもその様子から、桐野の殿、正重が現れたと気づき、再び頭を下げていた。
その中、雪江だけがギロリと龍之介を睨んでいた。正重が来るということを知らせていなかったことを怒っているのだった。
正重が低い通る声で、皆に言う。
「皆の者、面を上げよ。今日はたまたまこちらに用事があり、寄ったまでのこと。ちょうどこのような珍しい催しがあると聞いてな、一緒に楽しませてもらう」
その時、雪江がなにかつぶやいたらしかった。そして、頭を上げた時、再び龍之介を睨む。その雪江の様子に隣の少年が眉をひそめて「不埒な」とつぶやいた。
すると山の中の木霊のように「不埒」「不埒」「誠に不埒」と少年からまたその横の少年へ、伝言するかのように伝わっていた。
その様子をみて、正重がクックと笑う。
「子供というものは面白い。不埒とは、雪江がこっちをにらみつけて、仕組まれたとつぶやいたことであろう」
正重が雪江のくちびるの動きから、そうつぶやいたことを聞きとっていた。
龍之介が兄の盃に酒を注ぐ。
「雪江もよく化けたものよのう」
「はい、奥方とばれたら思い切り動けませぬ故」
「うん、実に愉快」
兄は、自分の娘が家臣の子供たちに、「不埒」と言われていることも、別に気にしていないようだった。前々からそう呼ばれていることは、雪江から聞いていた。しかし、まだどんな暴言が雪江に向かって吐かれるかわからない。
多田が声を張り上げる。
「今からチームを決める。それぞれ侍同士、台所同士でくじ引きで分ける」
そう言っても、雪江と徳田は「じゃんけん」をやり始めた。龍之介はトランプ大会の時に教えてもらったから知っている。
いつも偉そうに雪江がいろいろ教えてくれるが、その雪江が殆ど負けていた。案の定、徳田にも負けていた。
雪江のチームは薫、平五郎、登の台所の者がそろい、侍では秀久と一直だった。秀久は一瞬、嫌な顔をする。侍の仲間が一直だけだからだろう。一直は笑顔を雪江に向けていた。
そして徳田のチームには、末吉と輝政の宿敵同士が一緒になっていた。この二人のために、思い切り体を動かしてお互いにある蟠りを消し去ろうというのが今回のドッジボールの目的だった。
一応、正重にそのことを告げておく。正重はその二人を見つめていた。
「なるほど、そういう経緯があったのだな。その二人が同じ組に入るとは、吉と出るか凶と出るか」
「はっ、誠にその通りでございます」
少年たち、特に侍の方は動揺が広がっていた。親たちも何か言いたそうな顔をしてこちらを見ていた。
身分の違う者たちが戦うこと自体が稀なのに、一緒になって戦うということがどうも納得できないでいるようだ。
多田もその雰囲気からそれを察し、龍之介の方に助けを求めるように見た。
ここは、龍之介が一言、言うべきところだろう。
龍之介はすっくと立ち、御簾の中から姿を現した。
まず、一同の一人一人に目を向けるように見た。
「皆の者。この侍と台所の対決のことは以前より聞いていた。それならば、双方を混ぜて一緒に戦わせよと提案したのは、この正和である」
その言葉に一瞬、皆の呼吸が止まったような雰囲気が漂った。まさか、ということだろう。
「ここにいる、台所役人の徳田厚司と裕子は武家の生まれではないが、その技術と信用において、家臣と同様の扱いをしている」
一同が二人を見た。二人はそれに動じることなく、平然とした表情で頭を下げていた。その長身といい、堂々とした振る舞いといい、家臣たちの反応は様々だった。
素直にそれを受け入れる者、なぜだという疑問の念を向ける者。
「侍と台所方とは身分が違う。わしはそれを一緒にすると言っているのではない。しかし、身分が違えども、この桐野に尽くしてくれている志は同じだと感じている。そこでこの子供たちの遊びに、双方を混合させることを思いついた。このわずかな時だけでも、身分に縛られずに共に戦ってほしいと思ったからだ」
そうきっぱり言って、龍之介が一同を見た。皆は頭を下げていた。御簾の中へ戻る。
兄が頼もしそうに見てくれていた。
「武士と台所の者、その身分は違えども、その志は同じ、か。よく言った」
「恐れ入ります。うまく伝わりましたかどうか」
「それは今からあの子供たちがみせてくれるであろう」
そうだ。龍之介が言った言葉だけなら、ただ耳から耳へ通り過ぎるだけ。しかし、ここでこの子供たちが一緒に戦う姿を見せてくれるなら、皆にその言葉の意味が伝わると思った。
多田が皆にドッジボールとは、その規則、どんな遊びなのかを説明していた。耳慣れない特別な言葉も飛びだすかもしれないとも言っておく。
試合が始まった。
平五郎と輝政の二人が中央で相向きになり、裕子の上げるボール、めがけて跳ね(ジャンプ)、はじいた。そのボールは早速外野に転がって行った。
すぐさま徳田がボールを拾い上げる。そしてそれを即座に、雪江に向かって投げた。中央にいた雪江はそれを何食わぬ顔で受け止め、すぐにまた、派手な横投げで末吉に投げつけていた。あっという間にボールがあちこち飛んでいた。
末吉は涼しい顔でひらりとかわす。雪江チームの外野、秀久がボールを拾っていた。
「なかなか早い展開だのう。よく稽古を積んでいるようじゃ」
「はい、昼餉の後は必ずこの練習をしていたそうです」
隣では安寿が、ボールの行方をハラハラしながら見ている。
「あ、雪江様。あ、また」
「気の抜けない遊びでございますな。味方が受け取っても次には敵がボールというものを投げてくる」
明知が感心したように言った。
「誠に、あのおなご(薫)もよく球を見ている」
正重も言った。
あっという間に一回戦が終わった。
積極的に逃げる雪江たちとボールに向かっていく徳田チームの作戦で、雪江たちが一回戦を勝利した。
コートチェンジという場所を変えて、再び二回戦が始まった。
今回、徳田たちは雪江を狙わず、他の者だけを攻めていた。
「これも作戦なのだな。雪江を狙っても球を取られるだけのこと。返って仲間があてられることになる。それで今度は他の者を狙ったほうが効率がいいと」
正重がそう分析していた。
龍之介も気が付いていたこと。武士というものは、ただその様子を見て楽しむということができないでいる。
次々に当てられていき、たちまちのうちに、雪江のチームは一直と二人きりになっていた。皆が一直を狙っていた。一直は逃げることで精いっぱいで、ボールを取る余裕もなく、ハアハアと荒い息をしていた。
「いっちゃん、くるよ。しっかり」
雪江は一直を励ます。
「はっ」
一直はかなりつらそうだった。
なかなか賢そうな顔をしているが、体を動かすことは苦手なようだ。それを集中的に狙われてはたまらなかった。
段々、その足の運びは遅くなっていた。相手が取ると、また自分に投げられると思い、怯えた顔も見せた。
そして相手チームにいる兄の輝政が、かなり感情的になって一直に向かって球を投げていた。まるで憎んでいるかのように、厳しい目を向けて投げていた。
明知が言う。
「兄としたら歯がゆいのでしょうな。せめて球を受けようと構えて、取り損ねる方が潔い。しかし、あの者は完全にその球に怯えて逃げまわっている。あの兄の性格ではその態度は許せないでしょう」
「この兄なら、言葉でからかってしまうのだが」
正重が龍之介をちらりと見て、そんなことを言う。
「この兄も別に気にせずにおりますが」
明知も涼しい顔をして言った。双方の弟としては分が悪い。
「あの弟もそのような態度の兄に対して、いい感情は持っておらぬのでしょう。そんな兄を恐れ、自分が嫌われていると思っている。こうなっては人の心はそう簡単には開くことはできないし、理解してくれるとは限りませぬ」
と言い、龍之介は一直を見守っていた。
同じ弟の立場として、何とかここを切り抜けて残ってほしい。
「しかし、このままでは時間切れとなりましょう」
明知が心配をしていた。龍之介もそう思う。
五分という時間は短い。裕子が時を刻む道具、時計を手にしていた。それを使ってゲームの正確な時間を測っていた。その時計とは雪江が別の世界から持ってきたものだった。
「一直っ、この弱虫めが」
輝政が叫びながら、また一直めがけて投げた。
もう一直はよろめいていて、その速さに着いていけず、完全に諦めていた。背を向けたまま、ボールの行く末さえも見ていなかった。
龍之介ももう終わりだと思った。
その一直の前に、雪江がさっと飛び出してきた。一直に向かって投げられたそのボールを受け止めていた。
そしてボールを取った雪江は、すぐに目の前に立っている輝政に投げつけた。彼は自分の投げたボールが、取られて投げ返してくるという状況を考えていなかった。簡単にあてられていた。
「いくら作戦でも熱くなりすぎないでね」
龍之介のところまでその声は届かなかったが、雪江も輝政の異常な様子に気づいていたのだろう。
その後、雪江と一直は逃げ延びたが雪江たちは負けた。
三回戦となる。
精神的にも体力的にも疲れてしまった一直は、外野になっていた。
相変わらず雪江は無視されて、他の者だけが狙われていた。しかし、今度は他の者も積極的にボールを取っていた。
薫がボールを取り、自分が攻撃するのではなく、外野の一直に投げた。その一直が今度は雪江に投げる。そして雪江の強烈な攻撃で、あっけなく雄介が当てられた。
外野を介することで、雪江が直接ボールを取らなくても攻撃できるのだ。この展開は相手のチームを揺さぶることになる。ボールが目まぐるしく渡される(パスされる)から、そのたびに逃げなくてはならない。
それによく観察していると、おもしろい事がわかった。一直が事前に雪江の立つ位置を指示している。そして一直がその正反対の方向に移動するのだ。
内野に残る薫や登たちは、自分に投げられたボールを取ると、一直のいるところへ投げる。相手チームは、当然一直から投げられると思い、雪江のいる方向へ逃げる。
一直は雪江に投げ、雪江が素早く仕留めるという作戦だと読み取れた。
そんな中、後ろ向きに走っていた末吉と輝政がぶつかっていた。輝政が転倒する。
「あ、ごめんよ」
末吉がすぐに謝ったが、輝政は敵意をむき出しにして、末吉を突き飛ばした。
「きさまっ、無礼者め」
末吉が派手に転んだ。
そこで試合が中断となった。
雪江もボールを拾い、裕子も手を挙げて出てくる。
裕子が輝政に注意をしようとしていた。しかしその前に、見ていた武士の一人が立ち上がって叫んでいた。
「輝政っ、さきほどからそちは見苦しい」
輝政の父親だろう。隣に座っている女性は母親なのだろう。双方を前に、おろおろしていた。皆が固唾を飲んで見ていた。
きっといろいろなことに厳しい父親なのだろう。
輝政がびくっと体を震わせ、萎縮していた。あれだけ自信満々にみんなを引っ張っていたあの輝政が、今度は頭の上がらない大きなものに押さえつけられているような感じだった。
「そちは・・・・・・」
父親がさらに何か言おうとする。しかし、雪江がその輝政の前に立った。そしてぺこりと頭を下げる。
父親が雪江を見てあっけにとられ、言葉を失った。
「無礼を承知しております。でも今は試合中、ここは私たちの審判の指示に従ってください。試合中、こういうこともあるんです。審判が公平な目で注意します」
父親が雪江をにらみつけていた。おなごのくせに何を言うかという胸の内であろう。しかし、雪江も負けてはいない。睨んではいないが、じっと瞬きもせず、その目を放そうとしなかった。
こうなったら雪江は相手が折れるまで引かないだろう。
案の定、皆の注目の中ということもあり、父親が根負けした。視線を落とし、「あい、わかった。お任せいたそう」と言って座った。
安堵の瞬間だった。雪江の身分を明かさなければならなくなったら大変だからだ。
正重が肩を震わせて笑っていた。
「全く強いのう、雪江は。この意地っ張りな弟によく似合う奥方じゃ」
明知たちもそれを聞いて、笑いだしたいのをこらえているのがわかった。
「兄上、拙者は意地っ張りなどではございませぬっ」
その言い方が、それを認めない意地に聞こえて周囲が笑っていた。
裕子が出て、輝政に注意をしていた。
試合に夢中になるとぶつかったり、足がひっかかったりすることがある。しかし、同じ仲間として相手を突き飛ばすことはやめるようにと言っていた。輝政は皆の前で注目を浴び、父親までが出てきたことに恥ずかしく思ったようでシュンとしていた。
「熱くなりすぎないでっ。冷静でいこっ」
雪江がみんなに声をかけていた。
しかし、その雪江が一たびボールを手にすると、かなりムキになって投げているように見える。
際どい低めのボールを末吉がとった。そのボールを外野の徳田に投げる。そして徳田がものすごい勢いのボールを雪江めがけて投げた。
ビュッという風を切る音と共に、雪江がバシッと派手な音を立てて取っていた。
「ひゃあ、さすが雪江。あんなボールも取れちゃうんだ。すごいね」
と徳田が雪江を茶化す。
雪江を狙って、勝負に出るところだった様子。
雪江は怒っていた。
「徳田っ。あんた、わざとあんなボール投げたでしょ」
そう叫び、雪江は両手を広げるかのようなものすごい派手な横投げで、そのボールを投げた。外野の徳田をめがけてだ。
徳田は難なく受け止める。
「なんだよ。なんで相手の外野めがけて投げるんだよ。俺なんか当てたってしょうがねえだろう」
「っるさいわね。ムカついたの。さっきの強すぎ」
怒りでキィ~となっていた。
「勝負の世界に手加減なしだろう」
徳田が淡々と言って、また強いボールを雪江に投げる。それがまた、雪江の神経を逆なでしたのだろう。
「入れなくてもいい力が入りすぎていたのよ」
雪江がまた徳田に向かってボールを投げていた。
試合どころではない。
裕子が二人に向かって叫んだ。
「そこの二人っ。真面目にやらないと退場させるわよっ」
裕子の叱責に、徳田と雪江はピタリとその行動を止め、口をつぐんだ。
先ほど輝政に諭したようなやさしい口調ではなかった。首がすくむくらいのかなり厳しい声だった。周りもシンと静まり返った。ごくりという喉を鳴らす音が聞こえるかのようだった。
「誠に、あの三人は面白い仲じゃな」
正重が楽しそうに見守っていた。
「あんなに年が違いますのに、雪江様はいつもあの方たちと一緒。じゃれあっているようで本当に楽しそう」
安寿がうらやましそうに言った。
「一応、今の年齢は違いますが、元々は同じ年だったのです。雪江もまだその意識が強いようで、時々あのように絡んでおります」
龍之介が説明をした。
コートの中で末吉がつぶやいた。
「姉さんも義父さんもまったく。本当に子供同様、すぐに感情的になる」
その横で輝政も言った。
「誠に。あれではまだ我らの方が大人ではないか」
末吉がはっとして輝政を見た。
「大人気ないという言葉はこういう時につかうのであろう」
その輝政の言葉に、末吉が笑った。
二人は、それだけの会話を交わしただけだったが、以前のようにギスギスとしたものはなくなっていた。
試合が再開される。
一直を介しての作戦は順調にうまくいって、徳田たちのチームは見る間に減っていった。
最後に輝政が、一直は雪江に投げるから直接攻撃してこないと考えたのだろう。一歩も引かずに雪江に神経を集中していた。
それに気づいた一直は、そんな輝政に向かって当てた。それであっけなく試合終了となった。
「いっちゃん、すごい。いっちゃんの指示通りで勝てた」
そう雪江が叫んだ。皆が一直を囲んでいた。
たぶん、一直は今までにそんなふうに褒められ、皆の関心を引いたことがなかったのだろう。ぽかんとしていた。
それが自分のことなのかという表情だった。少しづつ実感してきたのだろうか、次第に嬉しそうな顔に変わった。
龍之介自身もほっとしていた。同じ弟の立場で密かに応援していたからだった。
「では両チーム、整列してください。お互い向き合って礼、一人一人握手をして退場」
裕子がそう告げた。
皆、少し恥ずかしそうにお互いの手を握り合っていた。勝っても負けてもお互いの功績を認める、そういう意味なのだろう。
徳田と雪江は違っていた。
徳田が右手を高く上げる。さあ、かかって来いといわんばかりの威嚇的な表情。
皆、何が始まるのかと注目する。
雪江が助走をつけて、その手をめがけて飛び跳ねていた。あの長身の徳田の上げた手を叩こうということらしかった。
わずかに届かずだった。諦めない雪江は再度飛びかかる。あと少しという所で、徳田がその手をかわしていた。
「あ、ずるい」
「惜しいな。寸足らず(ちび)、もう一回だ」
そう徳田に挑発され、また雪江が飛び跳ねていた。それもかわされる。
皆の失笑をかっていた。
「御簾をとれ」
正重が言う。
龍之介を見て、その目が「いいであろう」と問う。
「はっ」
すぐさま、かかげてあった御簾が取り払われた。
皆が改めて視線を向けていた。じゃれあっていた徳田と雪江もこちらに向き直って、片膝をつく。
正重が皆の前に立った。
「皆、よく戦った。このドッジボールというものはなかなか面白いものだ。団体で戦うということは、一人だけが強くても勝てぬ。仲間同士、それぞれの才覚を生かして、お互いを尊重し合い、助け合うということを学ばせてもらった気がする。良いものを見せてもらった、礼を言う」
その正重の言葉に、皆が再び平伏していた。
ちらりと雪江が、龍之介に視線を向けた。
雪江も満足していたようで、内緒で正重を呼んだことはもう怒っていないようだった。