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雪江の告白

 その午後、利久がまたいろいろな小物、反物を持って屋敷に来ていた。

 雪江は袴のまま、安寿と共に顔を出す。

「今日はまた、なんとも勇ましいお姿でございます」

と利久が、雪江を見てそう言った。

「はい、ちょっと体を動かす遊びを始めて、その練習の後なんです」

 今日はちょっとした説明だけだったので、袴姿は必要なかったが。

「何やら楽しそうで、ようございますな」


 利久はそう言いながら、安寿にも優しい目を向ける。安寿が回復したのがわかったのだろう。

 安寿は紅を買った。やはり濃い赤で、以前雪江がプレゼントしたものに似ていた。

 利久もその色を見て、目を細めた。

「お方様によくお似合いでございます」

 そう言われて、安寿も満足していた。


 今日の安寿は、どこかうれしそうで自信に満ちていた。

 その様子から、昨夜はうまくいったらしいとわかる。これが学校だったら、みんなに取り囲まれて、夕べはどうだったの? 教えなさいねと質問攻めになるところだった。

 龍之介から、ずっと中奥の部屋へ泊るように言われていた。不便だが、明知と安寿が仲睦まじくなるのなら我慢しようと思う。


 加藤家の上屋敷は、今やっと取り壊したところだった。新しく建て直すらしい。しかし、江戸市中、どこも焼けた家を建て直しているから、人手不足もあり、材木不足で、時間がかかりそうだった。

 武家のように、他にも行くところがあるものは周りの様子をみて、町人の家が先に建てられるようにとのことだった。


 裕子が薫を連れて現れた。裕子がここへ来るのは初めてかもしれない。

 かんざしと春用の反物を買っていた。花見の時期に着る晴着を作るのだそうだ。薫もうれしそうにしている。本当の母娘のようだった。


「また、お光に顔を見せてやってください」

 利久がそう言った。

「はい、では明日にでも」

と答えていた。


 雪江も忙しい身だ。思い立ったら行動をしていかないと、先送りになってしまう。

 そんなわけで、翌日の昼過ぎ、久しぶりにお光に会いに行った。

 

 手土産は、サクサクしたショートブレッドというバタークッキーだった。かなりの量のバターと砂糖が練りこんであるからカロリーは高い。今、お光の体に一番必要だと思ったからだった。また少しやせたみたいだ。


「あまり食が進みません。口にできるものはほんの少しで、すぐにお腹がいっぱいになってしまいます」

と言った。

 それならこまめに、少しづつ食べていかなければ体がもたない。

「お昼は何か食べましたか?」

と聞いてみる。

「はい、残りご飯で湯漬けを少々」

 いつものことなのだろう。

 

 湯漬けとは、朝炊いて冷たくなったご飯にお湯か、だし汁をかけて、漬物などを刻んでのせて食べる、現在のお茶漬けのようなものだ。

 毎食、ご飯を炊くのは大変だし、大体の人が朝、多めにご飯を炊き、それを昼に残して食べていた。しかし、電子レンジのない時代である。冷や飯はそのままではおいしくない。それで湯やお茶をかけて食べていたという。


 今日は、雪江がお茶を入れる。クッキーと一緒に飲もうと思って、紅茶と牛乳を裕子からもらってきていた。

 まず、茶葉をお湯に浸す。鍋に牛乳と水を半量づつ入れて、沸騰直前まで温め、それに浸しておいた茶葉を入れて蒸らせば、ロイヤルミルクティになる。

 

「まあ、不思議な香りですこと」

 お光は好奇心に目を輝かせている。たっぷり飲んでほしくて、小鉢に注いだ。それを両手で抱えるようにしてお光が一口飲んだ。

 お光の顔が、ほころんだ。気に入ったようだ。

 鍋いっぱいに作った。冷めたら火鉢でまた温めればいい。


 その時、ガラリと表戸が開いた。

「何やら、香のような香りが、この近所に漂っておりますぞ」

 利久だった。背には大きな荷物を抱えている。もう仕事がおわったのだろうか。

「今日、雪江様が来られるとわかっていたので、ほうら、まんじゅうだ」

 利久が、酒まんじゅうを買ってきてくれた。

「まあ、お前さん」

 お光も意外だったのだろう。驚いていた。


「ちょうどまんじゅう屋の前を通りかかったから」

 利久はまんじゅうを置いて、すぐにでもまた、外へ出ていこうとする。


「あ、利久さん。今ちょうどお茶を入れたところなんです。一緒にいかがですか」

と雪江が声をかけた。

「ありがとう存じます。でもわたしはすぐに、商いに戻らなければ・・・・」


「お前さん、本当に少しでいいからこれを飲んでみて。いつものお茶からは考えられないまろやかさがあります」

 利久は、お光の言葉に足を止めた。

「では、少しだけいただきます」


 雪江がすぐに立って、他の小鉢を持ってきた。

 利久も、重そうな荷物を肩からおろして、雪江から小鉢を受け取った。まず、注意深く香りをかいで、一口飲んだ。

 ふんだんに使った紅茶を牛乳で淹れているのだ。新しい味のはずだ。


「ほう、これは何とも言えない口当たりのよい、柔らかな味わい」

「ねっ」

 お光は、利久も気に入ったのがわかり、うれしそうだった。雪江はバタークッキーも差し出す。

「これも雪江様がお作りになられたのですか?」

 利久の問いに、雪江がうなづいた。


「雪江様は、本当に不思議なものをお作りになられる。一体どこからこの知恵は来たのでしょうか。昨日のあの、背の高いご婦人もどこか変わったご様子」

 利久の言うあの人とは、裕子のことだとすぐにわかった。利久は不思議そうに裕子を眺めていたから。


「あ、なんかわかります? 私達、ちょっと変わってるからかな」

とちょっとふざけた感じで言ってみる。

 利久は真顔で、

「はい、普通ではない何かがございます」

と答え、その意味を取り違えられては失礼になると、慌てて付け加えた。

「申し訳ございません。常人にない雰囲気を持つということでございましょうか」

「いいんです。私達、本当に普通じゃないから」

 雪江は、利久の慌てた姿がおかしくて笑った。


 雪江は、この利休とお光なら未来から来たことを信じてくれると感じていた。そのことを話してもいいと思った。

 深く息を吸う。

 利久がそれを察したように、お光の横へ座り直した。じっくりと雪江の告白を聞こうという体制だった。


「武家の姫らしくないこんな私、変だと思われたことでしょう。実は、私、大名家の姫だったと知らないまま、別のところで育ったんです」

 利久とお光が顔を見合わせる。

「別のところとは全く違う土地、もしや異国でございましょうか」


 雪江が首を振る。

「もっと別のところ、今からずっと・・・・う~ん、確か二百三十年くらい先の未来」

 お光が息を飲んだ。

「二百? 未来と申されましたか」

「はい。この世界が私のいたところとつながっているのかはわかりませんが、かなり酷似しています。今、外で待っている徳田くんも裕子さんも同じところで育ち、ここへきました」


 二人とも、雪江には何かあるだろうと思っていたのだろうが、まさかそんな遠い未来で育ったとは思ってもみなかったと思う。

 もし雪江も突然、人からそう言われてもピンとこないだろう。そんな話は小説か映画だけの事だと思っているから。

 しかし、実際、雪江自身がタイムスリップして、この江戸時代へ来たのだ。戻ってきたというべきか。

 

 写真を見せようと思った。ちゃんとした証拠を見せないと、いい加減なことを言うと思われて、今後利久に警戒されるかもしれない。そうしたらお光に会えなくなる、そんな不安がよぎった。

 お守り袋から、例の写真を取り出す。母の綾が産後間もない雪江を抱いているあの写真だ。


「雪江様は、桐野家のご息女では? 養女でしたか」

 利久が問う。その問いは当然だ。

「実の娘です。養女ではありません。これを見てください」


 写真をお光に手渡した。お光は怖々、それを手に取る。

 二人がその精巧な人の絵を見て驚いていた。後ろに写っている建物も江戸ではないことがわかるだろう。


「それは私の母です。母は父の、側室でした。身重の時、冷たい池に落ちてしまい、その冷たさと陣痛に生命の危険を感じたのでしょう。何が何でも私を産むという意思がそんな奇跡を生んだのかもしれません。母は未来へ飛びました。迷いこんだというのか、わかりませんが。私はそこで無事に産まれました。でも、母はこの数日後に亡くなり、母の遺骸だけ父の元へ戻ったそうです。その時の母は、この写真を大事そうに持っていたということでした。全く同じものを」


 利久はじっと写真を見ていた。

 お光は、その写真に手を合わせていた。

「お母様は雪江様を無事に産みたいがために、未知のところへ行った、そういうことなのですね」

 利久は、その写真を分析するかのように見つめている。たぶん、病室の様子や外のビルなどの景色を見て判断しているのだろう。


「なんと言ったらいいのか・・・・・・。このような素晴らしい絵が見られるとは思っていませんでした」

 お光の言葉は意味ありげだった。お光は利久の顔を覗き込むようにして、同意を求めた。

「ねっ」

「そうだな」

 利久も調子を合わせて返事をしていた。何のことだろうと思う。

 

「隠れ(キリシタン)の集会の時、見せていただいた絵がありました。雪江様のこの絵ほどは精巧ではありませんが、サンタマリア(聖母マリア)がゼス・キリシト(イエス・キリスト)を抱いている美しい絵でした」

 ああ、そういう絵なら、雪江も見たことはある。

「この赤子の雪江様とお母上様が、その絵のようで、驚いたのでございます」

「え、まさか。そんな、恐れ多い」


「いえ、もちろん顔が似ているとかではなくて、母が子を抱くその姿とは、慈愛そのもの。母性愛に満ちた美しいものだと気づいたのでございます。人は愛おしいものをこの手に抱くときは、このようにありがたいお姿になられるのでございますね」

 お光は再びその写真に合掌していた。


 未来から来たと言うと、大体の質問はこの先、どうなるのかという質問をされると構えていたが、この二人はこの写真だけに満足していた。

 歴史の流れを知ってもそれを変えられるものではないし、むしろ知らない方がいいことも多い。


「そんな先の世で、雪江様は育ったのですね。だからそのように自由で屈託のない姫様になられたのですね」

と利久が言った。

 いい表現で言ってくれた。お言葉に甘えて、雪江が言った。

「はい、だから武家言葉って苦手なんです」


「一つだけ聞いてもいいでしょうか」

 お光がなにかを決心するかのように、雪江を見て言った。

「雪江様が育ったところでは、キリシタンはまだ、迫害されているのでしょうか」

 雪江は即座に首を振る。

「あと百年くらいで解禁になります。詳しいことは言えないけど時代が変わり、みんなが自由に信仰したい宗教を選ぶことができます」


 そういうと、お光が嬉しそうにして胸元に手を置いた。そこにはあの、十字架のペンダントがあるのだろう。

「よかった。私達の同志が百年後には堂々と耶蘇教を信仰できるのですね」

「はい」


 利久はそんなお光の肩を抱いた。嬉しそうなお光だが、利久は複雑な顔をしている。雪江の言った時代が変わるということがどういうことなのか考えている様子だった。

「堂々と教会へ行き、聖書も読んで、讃美歌も歌い、十字架も胸に下げて歩けます。それどころか、キリスト教徒でもないのに教会で結婚式を挙げる人もいます」

 雪江は調子に乗って、ぺらぺらとしゃべっていた。しかし、お光たちにはよくわかっていなかった。


 当時、教会のことはエケレジア(ラテン語)、お祈りのことはオラショ(ラテン語)、十字架はクルス(ポルトガル語)と言っていた。

 しかし、二人にはこれでなぜ雪江がキリスト教に寛大なのかがわかったと思う。

 雪江のいたところでは違法ではないのだ。だから、それに違和感を感じることもないし、わざわざ奉行所に訴え出る理由がなかった。


 雪江は、もう集会に出られないお光のために、キリスト教の話をしたいと思ったが、よくわからない。そんな自分が歯がゆかった。


 雪江は知らなかったが、当時の隠れキリシタンはその教えを正しく伝える人がいなかったから、各グループで少しづつ変化していった。特に日本には観音像などがあるため、神やキリストよりもその母の聖母マリアの方を好み、聖母マリア観音としてあがめていたところもあるそうだ。


 そして、一八六八年(明治六年)にキリスト教が許され、復活したが、隠れていたキリシタンたちが皆、大手を振って出てきたわけではなかった。

 祖先からの教えを守ってきた者たちは、本物のキリスト教との違いに戸惑っていた。ずっと言い伝えられてきた教えを変えることに抵抗を感じた者たちは、そのまま密かに自分たちだけの信仰をしていたという。それが、潜伏キリシタンと言われる人たちだった。海沿いの洞窟のようなところで集会をしていたそうだ。




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