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いじめ

長文です。

なんか、一話一話が段々長くなっていく気がしますが、気のせい?

 雪江は、昼食を済ませると袴姿になった。髪も余計な飾りをすべて取り去って、ポニーテールにする。

 今日は、思い切り体を動かすつもりでいた。


 最近、台所のスタッフの中で、流行のスポーツがあった。蹴鞠けまりである。相手に受け取りやすく配球するリフティングとアシストのうまさを競うもの。

 ずっと以前から、徳田がその鞠を使ってサッカーの真似事で遊んでいた。そこへ末吉と薫が参加し、動きの遅い下男の登や、最近台所に雇われた平五郎が仲間に入っていた。


 裕子が、特別長いハイソックスのような足袋と旅路を歩くための紐のついている草鞋を用意してくれていた。

 雪江がそれを身に着けると裕子が感心したように言う。


「勇ましいわね。とてもここの奥方様にはみえないわ」

「袴って、体育着みたいなものよね。これさえあれば、どんな格好していても怒られないし、いつもこれを付けて寝転んでいたい」

というと、そばにいた薫の表情が固まった。その雪江の様子が想像できるからなのだろう。


「いいか、雪江。この球技はうまく相手に蹴り上げられるかだぞ。勝ち負けじゃないんだ」

「は~い」

 軽く返事をして、雪江が仲間へ入った。


 見ていると簡単そうだったが、実際にやってみるとなかなかうまくいかない。蹴り上げても人にパスできず、明後日の方向へ飛ぶ。誰かがすぐに受けてくれればいいのだが、そううまくはいかなかった。

 雪江が蹴ると、ボールが皆の輪の外へ転がるということを繰り返していた。

 その中でも末吉は上手で、ちょこまかと走り、器用に蹴り上げていた。


「あ、また。姉さん、へたっぴい。へ~たクソ」

 中庭に響き渡る末吉の甲高い声。

「ちょっと声が大きい。みんなに聞こえちゃうでしょ」

 また龍之介の耳にでも入ったら、皮肉られるからだ。

「大丈夫、雪江ちゃん。誰も奥方様のことだなんて思わないから」

「そっか、じゃあ、いいんだけど」


 雪江がボールを蹴ると、また、はじけるようにして思っていた方向とは逆の方へ飛んで行った。勢いがよくて、末吉が蹴ろうとしたが、間に合わなかった。茂みの向こうまで転がって行った。

「全くもうっ。姉さん、本当にへたっくそ」

と末吉が叫んで、ボールを追いかけていった。


「ごめん、ほんとにごめん」

 雪江はペロリと舌を出す。

 自分が走り回るつもりが、末吉を走り回らせてばかりいた。


「末吉、なかなかうまいだろう。ああ見えても運動神経、かなりいい。今、少しづつ空手と合気道を教えてる」

「へえ、あの末吉がね」


 そう言えば、今年十二になって、子供の顔から少し少年ぽくなってきた。あれで背が伸びたらなかなかの好青年になるだろう。クシャっと笑う癖さえ直ればだが。


 末吉がボールを取りに行ったきり、戻ってこなかった。見つからないのかもしれない。中庭の奥は、樹木が茂っているからその中に入り込んだら見つけるのは苦労しそうだ。

 雪江も手伝おうと、末吉が行った方向へ足を向けた。


 末吉は、奥の学習所と道場の近くで、頭一つくらい背の高い少年たちに取り囲まれていた。姿かたちは、剣士、武士のミニチュアのような少年が六人いた。

 そのうちの一番背が高い少年が、ボールを持っていた。


 拾ってくれたのかと思ったが、末吉の様子がおかしい。何か言われているみたいだった。

 ミニ侍たちは、にやにやしているが、末吉は極めて真剣な表情でいる。友人と話をしているようには見えない。徳田と裕子も雪江の後を追ってやってきたが、その様子を見てピタリと足を止めた。


「ね、どうしたのかな。あの子たち、知り合いなの?」

と雪江が徳田たちを振り返った。

 二人の表情は固い。黙って凝視している。

「え? なに、どうしたの」

 雪江もみんなの様子が変だと気づいた。裕子が小声で言う。

「あの子たち、末吉をいじめるの。特にあの一番背の高い子」

「えっ、いじめる?」

 雪江は改めてミニ侍たちを見た。


「今、学習所ができて、侍の子と違う時間に、末吉たちのような下働きの子供たちが行ってるの。一度、末吉が早く行ってしまったことがあって、そこにまだ侍の子たちが残ってたんだって」

 徳田も神妙な顔で言う。

「末吉と鉢合わせしたあの子たち、いきなり怒鳴り散らしたらしいんだ。武士の場に、町人ごときが入り込むとは何事だって」

 徳田の目はじっと末吉たちを見ている。


「え、そんな・・・・・・」

「その時、師匠がいたから何事もなく済んだけど、それから末吉、目をつけられてさ、末吉が来るのを外で待っていたり、からかったりしているみたいだ」


 少年たちは皆、年は十二、十三くらい。末吉と同じくらいだろう。しかし、向こうの方がずっと背が高かった。このくらいの子供たちは、体格の差が出る。

「助けないの?」

と聞いた。

「子供たちのことだから、子供同士で解決すべきだ。あの子たちも手は出してこない。末吉もここで我慢して成長する」


 徳田はいつもと違う眼差しで見ていた。

 これが親になるということ、父親の顔なのだろうか。裕子も決して平気で見ているわけではないことがわかる。一緒に、いや末吉以上に悔しさを我慢していた。そして心配していた。


 少年のうちの一人が声を荒げた。

「町人ふぜいが、公家の遊びをするとはな。とんだお笑い草だ」

 末吉が拳に力を入れる。怒りを抑えているのだろう。

 別の少年が言う。

「山猿がっ、これをどう扱うか知っておるのか。木の果実ではないのだぞ」

 少年たちがどっと笑った。その言葉に雪江も思わず、拳に力を入れる。


 雪江自身、さんざん末吉のことをモンチッチと呼びまくっていたのにもかかわらず、他の者が言うとムカついた。

 末吉は、雪江がそう呼んでも、からかってもちゃんと言い返してくる。だから雪江と末吉は対等なのだ。しかし、ミニ剣士たちは、武士の子供という身分を引け散らかしていて、一方的に末吉をいじめていた。


 末吉が、ぺこりと頭を下げて言った。

「申し訳ございません。その鞠をお返し願えますでしょうか」

 丁寧な物の言い方に感心する。末吉もそういうことが言えるのだ。子供だとばかり思っていたが、思ったよりも成長している。

 だが、少年たちはニヤニヤしていた。


 ああ、なんて嫌な奴らだろう。よくドラマにも出てくる典型的ないじめっ子たち。

 鞠を手にしている少年が言った。

「嫌だと申したら、どうするのじゃ」

 末吉は、その少年を見る。

「その鞠は、わたくしの母の物にございます。大事に飾ってあったものを拝借いたしました。どうかお返し願います」

 そう言って、末吉はちらりとこっちを見た。


 ミニ侍たちが、その時初めて雪江たちが見ていることに気づいた。

 一瞬、彼らがギクリとしたのがわかった。何しろ徳田と裕子は大きい。遠目に見てもそれはわかるだろう。

 しかし、少年たちには武家に生まれたという身分があった。どうやらそのことを思いだしたようだった。


 鞠を持っていた少年は、わざとらしく平気を装って笑った。そして、ポトリと鞠を落とした。

「おっすまぬ」 

 その鞠を踏みつけた。

「ついでに足もすべったわい」

 そう言って、末吉の顔をうかがっていた。


 末吉はじっとしていた。手は震えている。顔もひきつっているようだった。この時、雪江は気づかなかったが、ミニ侍たちの騒ぎに道場にいた師匠が顔を出していた。


「なんだ、その顔は。何か不満でもあるのかっ。えっ、申してみよ。許す。さあ、申せ」

 しかし、末吉は黙って耐えていた。

「不満があるのであろう。そうでなければ笑っておれ」

 少年が、可笑しくもないのに大声で、アハハと笑った。他の少年たちもつられて笑う。いじめがエスカレートしていた。


 雪江にはもうこれ以上、見ていることができなくなっていた。こんなことが龍之介の屋敷内で、いや、桐野家の中屋敷で行われていることを黙ってみているわけにはいかなかった。

 雪江はつかつかと少年たちの方へ近づいていく。


「あんたたち、サイテー」

 そう叫んだ。

 ミニ侍たちが、一斉にギョッとして雪江を見る。末吉までが目を丸くして驚いていた。


「大勢で一人をいじめるなんて、最低よっ。卑怯」

「雪江っ」

 徳田が厳しい声を出して制するが、怒りに燃えている雪江はもう止まらなかった。雪江が少年たちの一人ひとりの目を見て、にらむ。

 ミニ侍たちは唖然としていたが、雪江の言った卑怯だという言葉に反応していた。


「何者じゃっ。我らを卑怯と呼んだか。無礼であろう」

 威張っているだけあって、その少年は凄味のある言い方をする。しかし、所詮十二、三歳なのだ。声変わりもしていない少年の甲高い声ではやはり、その迫力は半減する。むしろ、雪江の方が凄味のある言い方をした。


「無礼者はどっちよ。どう見てもあんたたちの方が無礼でしょ。陰険だし、姑息で卑怯よ」

 武士としては、こうあってはいけないというリストのオンパレードを言い並べられていた。少年たちは顔を真っ赤にして怒っていた。


「やめてくれよ、姉さん。これはおいらのことなんだ。大丈夫だからそっとしておいてくれ。見守ってくれているだけでいい」

 雪江は、そんな謙虚な末吉の態度にほろりとする。涙が出そうになった。

 

「そうだ、子供のことに大人が口出しするなっ。それに身分が違うであろう。控えよっ」

 少年たちのその言葉に、雪江の怒りのボルテージがまたまた上がった。


「子供であろうが、大人であろうが、やりすぎたら注意するべきなのっ。身分が違うって言うんなら、武士らしい振る舞いをしなさいよ。一人をよってたかっていじめるなんて、武士らしいことなの?」


 少年たちは、この雪江の言葉にたじろいでいた。ここが子供なのだ。素直にその言葉を受け止める。

 しかし、ここまで事が大きくなっていては、少年たちも引き下がれないのだろう。そのうちの一人が言った。

「無礼者めっ。町人は、おとなしく武士に従っておればよいのだ。たかが台所の者が我らに向かって言うことではないぞっ」


 また雪江が烈火の如く怒る。末吉がやめろと言っていたのも忘れて叫んでいた。

「だからっ、無礼ってあんたたちのことだって言ってんでしょっ」

 一度そう怒鳴って、一息ついてまた口を開いた。

「わかるかな? 無礼って、礼儀がないことを言うの。人の物を返さないで、それをわざと踏んづけ、謝りもしない奴らのことを言うのよ」


 少年たちが怯んでいた。鞠を踏みつけた張本人は、顔を真っ赤にして怒っていた。

 相手が怒っている姿を見て、急激に冷めてきた雪江。

 さあ、ここからどう締めくくるかを考えはじめる。これだけ引っ掻き回しておいてだが。

 けれど、絶対に雪江の身分は明かしたくなかった。それを口にしたら、町人は武士に従えばいいというこの子たちの言ったことを同じになってしまうから。

 これは人と人との、大人が子どもにいいことと悪いことをわからせる喧嘩なのだと雪江は自分を正当化していた。


 しかし末吉が、今まで聞いたことのない凛とした声を出した。

「姉さんっ、やめてください。姉さんこそ、人に何か言う時はきちんとした言い方があります。反省してください。礼儀を諭すのなら、それなりの態度を示さなければなりません」

 雪江は末吉にそう言われて、茫然と立ち尽くしていた。


 え? 今、末吉が私に? 私に言ったの? なんで私が、末吉の味方のはずの私が意見されなきゃいけないのよっ。

 

 雪江の頭の上には、クエスチョンマークがたくさん並んでいた。

 末吉は、今度、ミニ侍たちに向き直った。そして、地面に座りこむ。

 皆がその行動にはっとした。


「申し訳ございません。おいら、いえ、私のことでこんな騒ぎになってしまいました。この姉さんの暴言は、私の事を思って言ってくれたこと、どうか今度ばかりはお許しください」

 末吉はそう言って、頭を下げていた。土下座をしていた。

 それを見て、雪江は絶句した。


 少年たちも驚いて末吉を見ていたが、彼らもこの場のおさまりがつかず、どうしていいかわからなかったようだ。明らかにほっとした様子がうかがわれた。


「まあよい。そのほうに免じて許そう」

 鞠を踏みつけた少年が言った。そして、雪江を睨みつける。

不埒ふらち女めっ。この場は許すが、このことは絶対に忘れぬぞっ」

と言った。

 額を地に付けたまま、末吉が言った。

「ありがとう存じます」


 雪江はショックを受けていた。

 武士と町人では、ただその家に生まれたというだけで、このような理不尽な事でも受け入れ、従わなければならないのか。


 少年たちは、道場の前に立っていた師匠に軽く頭を下げて、中へ入っていった。彼らは彼らで、ここで起こった醜態、このままでは済まされないことを承知しているようだ。

 その師匠がこちらへ歩いてきた。

 徳田たちがさっと頭を下げる。雪江も顔を伏せながら、慌てて同じ動作をした。ここで目立ってはいけない。それでもちらりと垣間見たその侍の顔、見覚えがあった。


「そちたち、特に、そこの・・・・・・名は?」

 侍は末吉を見ていた。

「末吉と申します」

 侍が、末吉に手を差し伸べていた。

 末吉は驚いていたが手を伸ばすと、侍がぐっと引っ張って、一気に立ち上がらせてくれた。


「末吉と申すか。そちは勇気がある。よく状況も見て判断していた。このお女中を庇う姿勢も偉かったぞ」

 その侍は末吉の頭をなでる。

 末吉は、そう言われてまた顔をくしゃくしゃにして笑顔になった。


「あれらの不始末は、師の不始末でもある。お女中の言ったこと、よく説いてわからせよう。桐野の殿は、身分が高くてもそれを引け散らかすことが嫌いでな。殿の立場でも誤りは誤りとして認めるお方である。我ら家臣たちもそれを見習っておる。あの子たちにもそれを教えなければならぬ」


 うん、うん。父上のことだ。

 それは龍之介も言っていた。自分が間違ったことを言ったとき、それを素直に認めて家臣にも頭を下げるお人だと。

 ということは、世間一般の殿さまたちは自分の失言を認めないということだろう。


「もったいなき、お言葉。ありがとう存じます」

 末吉が再び頭を下げた。


 雪江は思い出していた。この侍、正月の羽根つき大会の時、道場で会った侍だ。確か、多田道則と言った。「ただのみちのり」と覚えていたのだ。

 あの時もこの人は身分の下のものにやさしかった。この人が先生なら、あの子たちもそうなっていくだろう。


 多田は、近づいてきた徳田と裕子にやっと気づいた。ギョッとしている。

 多田も思い出したようだ。この背の高い二人のことは忘れようとしても忘れられないだろう。


「あ・・・・・・そちたちは、いつか道場で会った・・・・・・」

 多田がそこまで言って、はっとしたのがわかった。

 ごくりと唾を飲み込んで、雪江を見た。どうやら、このメンバーからすべてを察したみたいだった。


「まさか、まさか、まさか。いや、まさか。う~ん、まさか」


 多田が雪江を見て、首をぶんぶん振っている。夢なら今すぐ、覚めてほしいと言わんばかりの多田。また、この状況になってしまって気の毒になる。


「はい、そのまさかの雪江で~す」

と軽く言ってみたが、「な~んだ、やっぱ、そうか、あはは」などと軽く返してくれるはずなく、多田は愕然としていた。

 すぐに片膝をつき、頭を下げていた。

「奥方様の御前とは気づかずに、ご無礼をお許しください」

 思った通り、重い反応。


「あ、いいんです。私のことは。遊んでいただけだし、名乗っていないから」

「はっ、しかし、なんと。あ奴らは・・・・ああ、なんてことを・・・・・・」

 雪江の身分を知らずにいたとはいえ、若殿の奥方に不埒女と言ったのだ。

「本当にいいんです。あの子たちには何も言わないでください。それを言ったら、身分がすべての汚点や間違いを打ち消すことになっちゃうから。武士も町人も、感情を持った普通の人だってこと、知ってもらいたいから」


 多田は顔を上げずに「はっ」と返事だけをする。


「ね、私がなにか考える。あの侍の子供たちと台所の下働きの子と、正々堂々と戦える何かを。たぶん、このままだとまた顔を合わせれば同じことをくりかえすから。トコトン相手とぶつかり合って、その思いを発散させればきっとうまくいくと思うの」

「はあ」


 多田の浮かべたその表情には、不安があった。雪江のことだ、とてつもないことを考え、企んでいるのではないかという恐れも見える。羽根つき風バドミントンの相手をやらせた雪江なのだ。

「大丈夫だったら。悪いようにはしないわよ。ちゃんと計画したら、正和様にもお伺いをたててから決める。ねっ」

 安心させるように言った。

「かしこまりました。お任せいたします」

 多田は一礼して、道場へ戻って行った。


 雪江が落ちて汚れた鞠を拾った。鹿革でできている蹴鞠用のボール。パンパンと土をはらった。

「少し汚れちゃったね」

と末吉に手渡した。

「姉さん、へたっくそだからな」

 末吉が嬉しそうに鞠を受け取って言った。


「へっ、私のせい?」

「うん、もっとうまくならなきゃな。おいらが教えてやるよ」

 また、クシャㇼと笑う。

 ジンとしてしまう。


 雪江の暴言のせいで、土下座までさせてしまったのに。

 徳田がやっと口を開いた。

「雪江、末吉を庇ってくれて、サンキュ。でもひやひやしたぞ。身分ってものはな、この時代、絶対的なものなんだ。町人が武士に逆らったら、反逆罪みたいな罪で切り捨てごめんになるぞ。それにあんなことを言えば言うほど、末吉の立場が悪くなるんだ」


 本当にそうだ。冷静になった今、それがよくわかる。

「うん、わかった。本当にごめん」

 そう、末吉があの場をおさめるために、雪江を叱り、自分が土下座をしたのだ。


「私達が黙ってずっと見ていられたのは、あの多田様が見ていることに気づいたからなの。あのお方なら、いざという時、なんとかしてくれると思って。それに忘れていたけど、雪江ちゃんってここの奥方様だったし」

 そう裕子が言って、皆が笑った。


「私もそこに甘えて言っちゃったのかもしれない。私も反省する。末吉の言う通り、大人が子どもを叱るのに感情的になっちゃったら、ただの喧嘩よね」

 雪江が末吉を見て言った。

「うん、いくら怒ってても相手が悪くても、逃げ場を作っておいてやらなきゃダメなんだ。正しいことを突きつけられると、自分が悪いと思っていても引っ込みがつかなくなるだろっ。素直に謝れなくなる。だから、こっちも非があったと言うと、向こうも肩の力を抜いて悪かったことを認めてくれるのさ」

 末吉は、「ねっ」と裕子に同意を求める。裕子は、末吉を頼もしそうに見て微笑んだ。きっと裕子に諭されたことなのだろう。それがきちんと子供に伝わっている。


 血のつながりって何だろうと思う。

 例え実の親子じゃなくても、大人がその子供に愛情を注ぎ、育てていれば立派な親子だと思う。血がつながっている家族も、お互いに努力をしなければ、愛情は育たない。双方がお互いをきちんと見て、認め合う心が大切なんだと思った。


「ごめんね、末吉。土下座までさせちゃって。本当に申し訳ない」

と雪江は謝った。

 ここで多少、なじられることも覚悟していた。しかし、末吉はニコッと笑って言った。

「いいよ。雪江姉さんが言いたいこと、全部言ってくれた。だからすっきりしたんだ。そのおかげで土下座ができた。おいらこそ、ありがとう」


 雪江はその言葉にまた、胸を打たれる。

 末吉は今まで口で言えないくらい苦労をしている。この小柄な彼の中に育つものは、もう一人前の大人が見え隠れしていた。

「わかった。もう末吉の事、モンチッチって言わないね」

と言った。

 末吉がたちまち顔をしかめる。

 あれ? もう子供に戻った? 大人として認めるんじゃないの?


「なあ、そのモンチッチってどういう意味だよ。教えてくれよ」

とすがりついてきた。

「あ、いや。別に深い意味はないし」

と目をそらす。

「いや、なんかある。絶対にある」

と末吉が叫んだ。もういつもの子供状態だった。


 その時、薫が「あっ」と叫んだ。


「あの、とらんぷ。ババの絵、怖い女の人から猿の絵になったでしょ。姉さんとお義父さん、モンチッチだって笑ってたから・・・・・・」

「あっ」

 末吉が怖い顔になった。

 今度は雪江が、ヒッと息を飲む番だった。

  

末吉の行動はできすぎのような印象を持たれるかもしれませんが、子供は大人が思っている以上に賢いです。大人のやっていることをよく見ています。聞いています。


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