奇跡の再会
龍之介も、雪江の態度に驚いていた。雪江の酔いはどこかへすっ飛んでいったようだ。その美人女将をまじまじと見ている。
「どうして裕子先輩がここに・・・・・」
百七十センチの長身で、いつも微笑みを浮かべている今井裕子がそこにいた。
裕子はテニス部の部長で、皆が裕子にあこがれて入部していた。しかし、その微笑みと似あわないくらい厳しい面もあった。表情は全く変えずに下級生を叱り飛ばす。
それほどテニスが上手ではなかった雪江だが、そのドン臭いところが気に入られたようで、いつも声をかけてくれていた。だらけていると「しっかりしなさい」と喝を入れられていた。その雪江が二年生になってレギュラーになれたのは、裕子のおかげだろう。
しかし、タイムスリップ前の裕子とは少し様子が違っている。丸髷を結い、クリーム色地の小袖を着ていた。裾の方にはきれいな扇の絵が描かれている。
地味な感じの着物だが、裕子が着ると優雅に見える。それに眉をかなり薄く、細く整えていた。そこにいる裕子は、雪江の記憶の中の高校三年生の姿ではなかった。どう見ても大人の雰囲気なのだ。
でも、どうでもよかった。誰も知らないこの江戸時代に裕子がいた。それだけでいいのだ。
雪江は裕子の胸に飛び込んでいった。
「雪江ちゃん、ひさしぶりね。元気だった?」
へっ? ひさしぶり?
「なあ、俺もいるんだけどな」
裕子の背後に隠れるようにして、百八十センチの巨体を縮めて、バアと顔だけ覗かせた男は徳田厚司だった。
「徳田君? なんでこんなところに・・・・なにしてんの?」
徳田は即座にふてくされる。
「なんだよ。裕子さんにはキャーっていって胸の飛び込んだのに、俺にはなにしてんのってかあ。それが久々に会った友人への言葉か」
久々? タイムスリップは昨夜のことだろう。久々もなにもないと思う。
徳田を観察してみる。
柔道、空手、レスリングをこなしていた筋肉隆々の巨体は変わらないが、当時坊主頭が伸び伸びになったぼさぼさ頭から今は、老医者のように後ろでひっつめて、ポニーテールにしていた。ますます貫録あるプロレスラーのように見える。やはり、高校生には見えない。
「徳田君、老けた?」
裕子がはじけるように笑った。
「何だよ、ご挨拶だな」
とぶつぶつ言う徳田。
そこへお絹が心配そうにして顔を見せた。
それに気づいた裕子は、言った。
「さあさ、ご隠居に会っていらっしゃい。私たちももう少し落ち着いたら行くから」
そして、裕子は雪江の後で、何が何だかわからず、固まっている龍之介を見て、
「あら、いい男。雪江ちゃんのいい人?」
「いい人って?」
「彼氏ってことよ」
「ちがう、ちがう」
ぶんぶんと首を振る。裕子はケラケラ笑って奥へ入っていった。
徳田も続いて行くが、くるりと振り向いて、
「雪江、おっ前、ほんとに面食いだよな」
と言った。
「そんなんじゃないってばっ」
宴会場へ戻った。
もう長屋の半数の人々が腰を上げるところだった。長屋の朝は早いのだ。お絹の両親とお信乃もご隠居に挨拶している。
そこへ徳田が血相を変えてきて、ご隠居に何やら耳打ちをした。ご隠居は落ち着いた表情をくずさずに、うなづいた。
そこへ肩をいからせて宴会場へ入ってきた者がいた。目が鋭く、口元には笑みを浮かべていて油断のならない男と、身ぎれいにしている侍の二人だった。
「関田屋のご隠居、お楽しみのところをすまねえな、ちょいと話を聞かせておくんねえか」
「これはこれは、同心の榊さまと御用聞きの吉次郎さま、ようこそいらっしゃいました」
すぐに席を作ろうとするが、榊は手でそれを制止した。
「いや、なに。ちょっと聞きたいことがあっただけのこと。すぐにお暇する」
「そうでございますか。それでどうなされました」
ご隠居は人懐っこい笑顔を向けた。
吉次郎がちらりとお信乃を見た。お信乃はずっと下を向いている。
次は雪江を見て、ニタリと笑った。
「こちらの娘さんがキリシタンだというタレこみがあったもんですからねえ」
皆が緊張する。
来るものが来た。しかもこんなに早く。どうしようかと思う。雪江はまだ、関田屋となんの話もしていないのだ。身元引受人どころの話ではない。
「大家のところへ行ってもわからぬの一点張りで、困っちまいやしてねえ、今夜はこちらの方へ、地主であるご隠居がくるというのでお邪魔した次第です」
ぺこりと頭を下げる。
皆が固唾を飲んで見守っている。
お信乃は真っ青な顔をして、ぶるぶる震えていた。
「その姉さんかぶりを取っちゃいけませんかね」
吉次郎は、雪江の手ぬぐいを指差した。
仕方がない。言われるようにそろりと手ぬぐいを取る。
赤茶髪のシャギーカットの髪が現れた。
「ほほう、なるほど」
同心の榊もうなづく。しかし、すぐに優しい声を出した。
「奇妙な髪だ。いや、なに。別に髪が奇妙だからキリシタンだということじゃぁないんだよ。誰にでも事情はあるだろう。身元さえ確認できたらそれでいいんだ」
「そうですね。こんな奇妙な髪をしていたら、誰でも誤解が生じるのは当たり前でございます」
そう、関田屋が言った。
吉次郎の目が光る。
「ほう、キリシタンっていうのは誤解だったってぇんですかい」
「はい、誤解でございます」
ご隠居は吉次郎の目を見て、はっきりと言った。吉次郎がたじろぐ。
「こちらにいるものは神宮寺雪江と申す者で、先日、甲斐の方から江戸に参った次第でございます。両親とは早くから死に別れて、祖父母に大事に育てられました」
雪江は唖然としている。
「以前、わたくしは療養のため、甲斐の温泉にとどまりました。その時に、医者である雪江の祖父にお世話になりました。それ以来の縁でございます」
雪江は唖然としていた。
なぜ、雪江のフルネームを知っているのだろう。祖父は産婦人科だが医者二は間違いない。しかも甲斐の国、つまり甲府にいる。でまかせにしてはできすぎていた。
「このほど、雪江が私を頼りに江戸にきてすぐさま、盗賊に襲われました。その時にすべてを失ってしまったのです。命からがら逃げて、髪を切られ、恐怖でこのような赤髪になってしまったようです。しかし、これは一時的なことですので、伸びてくれば元の黒髪に戻るとのことでございます」
懐から一枚の紙を取り出し、広げた。
「これがこちらの者の身元引受けの印でございます。わたくしがこの雪江の身元引受人、保証いたします」
吉次郎は震える手で受け取り、その紙を見てから、榊に渡した。榊も紙を見てご隠居に返した。
「よし、わかった。身元の方は申し分なし、だが、その者は耳慣れない言葉を発することもあると言う。それはいかがかな」
「雪江の祖父は蘭方医でもございました。多くの弟子たちも出入りしておりまして、ぶ厚い医学書も積極的に翻訳していた様子でございました。その中で育った雪江が、その中の一つ二つを口にすることもございましょう」
なるほどと同心の榊は何度もうなづいていた。その表情には安堵の色があった。関田屋とは事を荒立てたくなかったのだろう。
「そうか、よかった。今回のことは悪く思わないでいてくれよ。盗賊にあうとはひどい目にあったな。おじいさんが蘭方医で、関田屋さんが身元引受人なら文句のつけようがない。こりゃ、邪魔したな」
「いいえ、とんでもないことにございます。お役目、御苦労さまでございます」
ご隠居が丁寧に深くお辞儀をした。皆もあわててお辞儀をした。
吉次郎だけがちらりとお信乃を睨んで、去っていった。